60.記憶の価値
家族に対して暖かい感情というモノを俺は知らなかった。
いや、知ろうとしなかったというのがあるのかもしれない。
あの家で唯一、俺に優しかったのは○○だけだったのだから。
手を差し伸べることはしてくれなかったけれど、俺に温もりというモノだけは教えてくれた。
でも、あの人もいなくなった。
いつ、いなくなったのかは覚えていない。
何かの実験で死んだともいわれた。
そこの記憶が欠如しているのだ。
何かあったような気がする。
でも、それを思い出そうとすると。
――あぁ、それはまだ早い。
急に意識が覚醒していく。
「むちゅ~~~」
目を覚ますと病院の天井が視界に広がる、ことはなく。
「何をやっているんだ、お前は」
眼前に広がる吹雪の顔。
唇を前に突き出してキスをしようとしている。
「お目覚めのキスです。丸一日寝ていたのです。起こすために必要な措置かと」
「はーなーれーろー!」
吹雪を突き飛ばしてキリノが俺にしがみついてくる。いや、よじ登ってくるのが正しいか。
注視するとキリノの目に涙が貯まっていた。
かなり心配させてしまったのかもしれない。
「パパ!大丈夫!?」
「あぁ、少し気怠いが問題ない」
上半身を起こすと不安な顔でキリノが抱き付いてくる。
いつもみたいな突撃でなく寄り添う形なのは心配してくれているからだろう。
「すまない、心配、かけたな」
「ううん、無事でよかった」
「夜明さん、夜明さん、吹雪の事も忘れないでください」
開いている左手を伸ばして吹雪を抱きしめる。
今日ほど、他人の温もりを愛しいと思ったことはない。
二人を大事に、けれど愛しく思うからこそ強く抱きしめる。
「あれ、お邪魔だったかな?」
「これは失敬」
扉が開いて入ってきたのは黒土とコズミックの二人。
黒土は楽しそうに笑い、コズミックは申し訳なさそうにしていた。
二人が入ってきたことで離れるかと思ったが逆にどんどんしがみついてくる。
「見せつけているのかな?まぁ、気にしないけれどさ」
「話をしても大丈夫かな?」
「あぁ」
吹雪が離れたことを確認してから促す。
「キミ達が交戦した蛇女は現在も行方不明。大和機関が今も捜索を続けている。03や04も捜索に参加している」
「僭越ながら我がC.D.M.Eのエージェントも参加させてもらっている。あの蛇女を」
「蛇女は宮本陽炎……宮本不知火の実の娘で俺の姉だ」
「知ってしまったか」
コズミックの態度からどうやら俺と姉の関係について知っていたようだな。
何故、知っているのかは聴く必要はないだろう。
あの男はコズミックが所属している組織にいた。
宮本不知火の情報は事前に集められていただろう。
だが。
「何故、あの女が実験対象になっているか、そこは?」
「残念だが不明だ。我々と縁を切った博士がそれ以降に行った可能性が考えられる」
「そうか」
情報が不確定ならいい。
「さて、面倒だけれど回復次第、蛇女……宮本陽炎を発見するんだ。最悪殺しても構わない」
「わかった……腕のケガもそろそろ回復する」
折れていた腕も治ってきている。
そろそろ全力で奴を殺せるはずだ。
――何よりも。
「奴はここへ来る」
「ほぉ?」
「どうしてそう思う?」
興味深いという顔の黒土と疑問顔のコズミック。
その二人へ俺は笑みを浮かべる。
「奴は俺を殺す事を目的としている……回復したらやってくる。考えていることは“一応”同じだからな」
「同じ……違うね」
「何故?」
「キミがどう思っているかわからないけれど、僕達から見ればキミと宮本陽炎は違う。はっきりいうと彼女は私怨で行動している。ようは自己中心で周りへ被害を与えている。しかし、キミは周りの人間を守るという大義名分がある。奪うだけの者と守る為に奪う者。同じなわけがないだろう?」
「……いいや、同じだ」
「違うよ」
否定を続ける俺にコズミックが近づいて肩を叩く。
「キミは違う。あの時と同じだ。キミは自分のためといっているが傍の人間を助けることが出来る人間だ。壊れているといわれるかもしれない……だが、それは人の価値観による判断に過ぎない。何が正しいか間違っているかなんていう判断基準は存在しない。それを決められるのは自分の中だけだ。私から見てキミは正しいことをしている」
胸の部分を指で突いてコズミックは微笑む。
「やれやれ、美味しい所を持っていくねぇ、ま、彼の言う通りだよ」
肩をすくめて黒土は立ち上がる。
続いてコズミックも部屋から出ていく。
「吹雪」
「はい!」
「少し一人にしてくれ、休みたい」
「……わかりました、ほら、出ますよ。クソガキ」
「パパ、休んでね…………てめぇは死ね、ババア」
後ろで変な会話が聞こえたが気のせいにしておく。
今は気分が良くない。
ベッドに倒れこむようにして俺は眠りにつく。
数分して人の気配がして目を開ける。
天井に設置された電光の光で反射する銀髪。
整った肌は染み一つなくきれいな肌。
「あ、起こしちゃった?」
いつか来るだろうと思っていた。
しかし、予想に反して速かったな。もう少し混乱してこっちにこないだろうと考えていたんだが。
「いや、まだ寝ていなかったから大丈夫だ」
体を少し起こす。
心配するように近づこうとするのを手で制す。
「それで、何の用か……といっても内容はおおよそ検討つくけれど」
「貴方がセイヴァー01で黒と呼ばれていたホルダーだったの?」
確認するように問いかけてくる。
その問いに俺は無言でうなずく。
否定をする気はなかった。
陽炎との戦いの最中、視線を感じていた。何よりも素顔を隠すための仮面が壊れていた。
素顔を半分以上さらけ出した姿で戦っていれば誰だろうとわかる。
水崎姫香がここへやってくる可能性はあったのだ。
「どうして、黙って?」
「知らないことが幸せの事実もある」
「……それが黙っていた理由、なの?」
「あぁ」
「貴方がホルダーであることを隠していたのも?」
「お前達は知らないだろうがホルダーの中には罪を犯している者達もいる。そんな奴らを俺達は今まで取り締まってきた。もし、この事実が表に出たら……?英雄や救世主といわれているホルダー達の中に犯罪者がいる。メディアにとっては格好の餌になる。それを隠しておく必要がある。英雄は綺麗な方がいいだろう」
「……そうかも、しれないけれど、夜明君達がそれを負う必要があるの?」
「じゃあ、誰がやるんだ。お前にできるのか?人を斬ることが」
「それは」
「できないだろ?できる人間がやる。適材適所という奴だ」
実際はそうなるように仕込まれているのだがここで伝えると話がややこしくなる。
何より適材適所というのは前から思っていたことだ。
俺のような人を殺す事に慣れている人間が裏で活動して水崎姫香のような……心の綺麗な人間が人々を守る。
そうすれば汚い部分は闇に葬れる。
彼女は、彼女達のような人間は知らない方がいいのだ。英雄と呼ばれる者達の裏で多くの人間が悪事を重ねて裁かれている。その悪意に巻き込まれて命を落としているという事実など。
「もう一つ、聴かせて……私の記憶に奇妙な空白があるの。その理由を夜明君は知っているよね?」
「あぁ」
――来たか。
永遠に来なければいいのにと思ってしまうが彼女に正体がばれた以上避けては通れない道だ。
「教えて、どうして、私は記憶がないの?」
「記憶を消した」
目の前で彼女は息を飲む。
「どう、して?」
動揺を隠しきれずに続きを促してくる。
「記憶を消した理由か、覚えていればお前の人生に汚点が残ると組織が判断した」
――嘘だ。
「これから魔物と戦う英雄になるべくキミが覚えていては後々に問題を起こす危険性があるという事から俺に記憶削除の命令が下された」
――違う。
組織からの命令などなかった。
俺の独断で水崎姫香の記憶を消し去ったのだ。
彼女は鮫の女王に魅入られていた。
いつかは命を奪われると生きることを半ば諦めていた時の顔が頭を過る。
問題が消え去った時、俺は彼女の記憶を消すことにした。
その理由は、自己中心的で、汚くて、どうしょうもないくらい。
「ふざけるなよ!!」
思考を乱すような声が部屋の中に響いた。
バンとスライド式の扉が音を立てる。
「ふざけるなよ!そんな勝手な理由で人の記憶を消し去ったというのか!?」
激怒。
一色の感情に顔を染めた金城秋人がつかつかとやってくる。
扉の向こうに気配はしていたがまさかコイツだったとは予想外だ。
動揺して動けない水崎姫香と違って金城秋人は近づくと俺の胸倉を掴む。
「元に戻せ」
ぐぃっと顔を近づけて金城秋人は叫ぶ。
「姫香の消した記憶を元に戻すんだ。記憶はその人が生きてきた証だ!誰もが勝手に記憶を消す事なんか許されない」
水崎姫香を指さして叫ぶ。
彼女は止めに入ろうとするがヒートアップしているコイツは聴いていない。
あぁ、自分が正しいと信じて疑わない目だ。
一番嫌いなものだ。
周りの事を一切考えずにどこまでも突き進んでいく。
結果を得た後は何も考えない。
自分のしたことは正しいと考える嫌な奴の目。
「お前はその人の宝を奪った。許されない事なんだぞ!?人の記憶を消し去るなど絶対にやっちゃいけないことだ」
自分に酔っているのか、俺が嫌いなのか。
諭すように金城秋人の口が動く。
会話の半分も頭の中に入ってこない。
あぁ、こうもイライラするのはいつ以来だろう。
もし、許せるのなら。
俺はコイツヲコロシテヤリタイ。
「おい、聞いて――」
「黙っていろ」
詰め寄ろうとした金城の顔面へ拳を繰り出す。
不意打ちで放った拳は奴の鼻に突き刺さる。
変な声を上げて倒れる金城秋人をみて水崎姫香は小さな悲鳴を漏らす。
「部外者のくせにお前、うるさいんだよ」
金城秋人から視線を外して水崎姫香を見る。
彼女は怯えた表情で俺をみていた。
「記憶を消した理由はさっき話した通り、知るべきではない事だったから消した。それ以上も以下もない」
「お前――」
「何の騒ぎだい?」
尚も食い下がろうとする金城の声を遮って入ってきたのはコズミックだった。
続いてスカイウォーカーも入ってくる。
「おや、キミは金城秋人君、水崎姫香君か」
室内を見ただけで状況を察したのかこちらをみずにコズミックは二人へ話しかける。
「あ、貴方は?」
「自己紹介がまだだったね。私はロードマン、国連に所属している人間だよ。いやぁ、映像で見るよりも美しいね」
ニコニコと偽名を伝えてコズミックは水崎姫香へ近づいた。
「滅多にない機会だ。お茶にいかないかい?」
「え、でも」
「彼はしばらく安静にする必要がある。なぁに、何かあれば私の部下が知らせてくれるよ。ささ。おや、鼻から血が出ているね。手当てが先だね」
あっという間にペースをつかんだコズミックは二人を連れて部屋から出ていく。
一人、立っているスカイウォーカーへ訊ねる。
「監視役か?」
「いいや、同行者だ」
「同行者?ついてくるというのか?」
「そうだ、コズミックから結末を見届けろと言われている」
「結末、ね」
「組織としては蛇女を回収するべきという考えだが、あれは危険だ。相対したからこそわかる。あれは処分すべきだ」
「……処分か」
「すまない、貴様の姉だったな」
「あれを姉だと思ったことは一度もない」
ベッドから起き上がって着替える。
腕は痛み止めのおかげで何も感じない。全力で戦うことにおいてデメリットになるかもしれないが意識を向ける必要がない。
「ところで、お前はいつもあんな不器用な対応をしているのか」
「いきなりなんだ?」
「あの何にもわかっていない餓鬼はともかく、銀髪の少女はお前に歩み寄ろうとしていた。それを突き飛ばす方法が乱暴だ」
「無駄に甘くしているとあの女はどこまでもついてこようとする。深淵の中だろうと。何より」
本来なら俺と水崎姫香の関係はあの日終わっていたのだ。
「俺が水崎姫香と関わっていたのは腐れ縁のようなものに過ぎない。今回、素顔をさらしたことで俺がアイツの前に姿を見せることはもう二度とないだろう」
上層部も素顔をさらした俺をこれ以上使う事もない。
今回の任務で俺は裏方に戻る。
水崎姫香ともあの話で終わり。もう会う事もない。
「お前」
何か言おうとするスカイウォーカーを手で制す。
「時間が惜しい。行くぞ」
これ以上、無駄な話をしている時間はない。
早く陽炎を見つけないといけないのだ。
黒衣を纏って俺とスカイウォーカーは外に出る。




