41.暴走する獣
「思った以上に動きが悪いな」
組織の会議室、そこに黒土をはじめとする掃除屋の管理者が集まっている。
設置されているモニターをみているが全員の顔色が険しい。
敵対組織の研究施設へ全てといっていい掃除屋戦力を投入した。
彼らには特殊ビーコンが設置されており場所などがわかるようになっている。
しかし、そのほとんどの反応が“消失”していた。
研究施設の中へ向かった途端、全ての掃除屋の反応が消えてしまう。
連絡を取ろうにも無線が通じない。
作戦が失敗したのか?
困惑し始めた。
施設へ過剰な攻撃を仕掛けて、数組が侵入した。
しかし、施設破壊まで至っていない。
反応すらないから失敗したと考えるべきか、その議論が始まりつつあった。
「くそっ、使えない連中だ」
誰かが悪態をつく。
今回の任務、大人数を投入したというのに状況は著しくこちら側が不利。
無関係の、悪ければ付近で活動している表のホルダーが勘づくかもしれない。
最後の手段を使うべきではという意見も出される。
――ミサイルを撃ち込んで証拠を隠滅せよ。
全員が同意すれば実行に移されるだろう。
掃除屋は所詮、駒だ。
表の武器所持者達に害が及ばないよう活動を円滑に行える為だけの道具。
余計な金は使わない。
彼らが命令をこなすための餌は用意する―ただし、それだけ。
それ以外に余計なことで金を使わせない。
どこまでいっても彼らは駒であり道具でしかなかった。
だからこそ、こちらの証拠が残るような事をここにいる連中は許さない。
黒土はメガネを拭きながら周りを見る。
そろそろ頃合いだな。
「それにしても、掃除屋がここまで動きが悪いとは予想外ですね」
全員の視線が集まる。
黒土はメガネをかけなおす。
「何が言いたい?」
代表者が尋ねる。
「いえね、私は思うわけですよ。優秀な駒の動きがここまで悪すぎるのは外的要因があるのではないかと」
「外的要因?」
「えぇ、こちらの情報を流し込んでいる存在がいるかもしれないということです」
途端に室内が騒がしくなる。
「馬鹿な」
「ありえん」
「そんなことをして何のメリットがある?」
ざわざわと聞こえる声。
わざとらしく叫ぶ。
「そう、メリット!得があればこちらを裏切る可能性というものがあるということを我々は忘れてはならないのです」
水を打ったかのように静まり返る。
影と同様、まとめている人間も組織に得や目的があるから忠誠を誓っている振りをしているに過ぎない。
敵側に有益さがあればそちらへ飛びつく可能性もないとはいえないのだ。
「そう思いませんか?徳田さん」
ビクゥと体を少し震わせながら男が黒土を見る。
その目はどうして自分を!?という驚愕とまさかという恐怖のものだ。
「いきなり、何だ、貴様は!」
「いえね。ある話を耳に挟んだんですよ。貴方が最近、怪しい連中と取引をしているという話を……ね」
「それがここでの話と関係があるというのか!?」
「こんなものを見せなければならない事が真に残念です」
黒土は懐から数枚の写真を取り出す。
写真を見た徳田は顔を歪める。
写っているのは徳田と白いローブで素顔を隠した怪しげな連中。
受け取っているのはかなりの厚みを持つ札束。
「な、なんだぁ、これはぁ!」
徳田が叫ぶ。
それよりも全員の動揺の方が大きかった。
いや、動揺という言葉では不足だろう。それらの反応をみて黒土は小さく笑みを浮かべる。
「さて、どのような言い訳をするつもりですか?」
「こ、こんなものいくらでも合成できる!」
「そうですね。合成可能です。ですが、貴方がここまで動揺するというのはおかしくないですか?自身が潔白であるというのなら逆に怒るべきだ」
「そんなこと、いきなりこんなものを突き付けられれば誰も動揺するはず」
「そうですね……では」
待っていたとばかりに顔を隠しているマスクを脱ぐ。
突然の事態に全員が言葉を失う。
乱れた髪を整え、マスクを投げる。
「き、貴様、何を」
「私はこの組織に忠誠を誓っている。従って、素顔をさらすことに躊躇いはないということですよ。さて、貴方も私と“同じ”なら出来るはずだ」
この場の全員が息をのむ。
掃除屋を管理する者達は互いの顔を知らない。それは要らぬところで情報の漏洩、余計な足の引っ張り合いを防ぐという意味がある。
そんな中で、一番と―いっても過言ではないくらい成績を残している黒土の行動は他の敵対者に自らの存在をアピールすることに等しい。
「ば、バカバカしい!こんなふざけた茶番をやっていられるか、失礼させて――」
「待て」
凛とした声が室内を支配する。
話をしていた黒土も立ち上がろうとした徳田も、傍観していた者達も動きを止めた。
一人の少女が現れる。
長い髪を地面にまで伸ばし、幼い体を巫女服に包んだ少女。
顔に白粉を塗り、目元に赤い化粧がなされていた。
この場にいた全員が戦慄する。
それだけの雰囲気を現れた少女は放っており、驚きながらも黒土は心の奥で笑みを深めた。
「い、壱与様」
誰かが少女の名前を呟く。
彼女こそ、組織、大和機関の“表”と“裏”を支配する者。
年端のいかない少女だと舐めてはいけない。彼女の言葉は国の言葉といわれるほどの重みがあり、敵に回せば最後、この国で安住の地はない。
「い、壱与様、何故ここに……」
「なに、面白い話が聞こえたので足を運んだのだ。さて、お主、名前は?」
黒い瞳が黒土を捉える。
「黒土と申します」
「先ほどの言葉に嘘偽りはないか?」
「ありません」
間をおかずに黒土は答える。
「私は組織に忠誠を誓います。壱与様の前であろうとこの言葉は変わりません」
「ふむ」
口元を扇子で隠した壱与。
これからどうなると誰もが息をのんで見守る。
「では、そこの男、お前も同じか?」
「と、当然です、私も」
「嘘だな」
男の言葉を壱与は一蹴した。
「お前の言葉は全て嘘にまみれている。信用に値しないものだ」
便宜する暇も与えずの拒絶。
呆然としていた徳田はしばらくすると笑い出す。
「くそがぁああああああああああああああああああああああ!」
叫びと同時にポケットから拳銃を取り出す。
それよりも速く、黒土が銃で眉間を撃ちぬく。
悲鳴が室内に響いた。
拳銃をしまい、黒土は壱与へ頭を下げる。
「裏切り者はここで処分しました。後は掃除屋の動きに期待しましょう」
「うむ、よくぞ忠義を果たした。黒土よ。そちの名前、壱与は覚えておくぞ」
「……ありがとうございます」
ホルダーにしまって黒土は自らの席へ戻る。
全員が戸惑い、動けない中で黒土だけは笑みを絶やさない。
裏切り者をここで粛清することで自らの株をあげ、忠誠を誓っていることをみせる。
そうすることで優位に立つ。偶然だがトップの壱与に存在を覚えられたことも幸運。
何かで役立つかもしれない。
全ては自分の目的を達成するべく。
「(だからこそ、キミ達がこの任務を完遂してもらわないと困る。頼むよ。未来の英雄君)」
▼
隔壁を超えた先、そこは円形のドーム。
どのくらいの大きさなのか、何が置かれているのか暗闇が支配している箇所が多く全貌は把握できない。
だが、これと同じ場所を知っていた。
似たような所をみたことがある。
掃除屋の育成訓練施設。
そこは掃除屋として実力のある者達を集めて、武器を実体化できるように実践的な訓練をする場所であり、駒を成長させるための訓練所。
実験施設といっても過言ではない。
その中心にいる白い奴。
最初は奴かと思った。
けれど、注意深く見ると違う。
あの白い奴ではない。
全身を白い衣服で身を包み、俺と同じ白髪の少年。
年齢は俺よりも下だろう。
座り込み、顔を俯かせている。
むくりと白色の肌の少年が顔を上げる。
スゥゥゥゥと目が鋭く、殺意の色へ変化した。
鉄の床を蹴る。
一部が陥没しつつも弾丸のように突っ込んできた。
「ガァアアアアアアアアアア!」
獣の声を上げながら何かの破片を振り下ろす。
常人に捉えきれない速度、何もできず心臓に鉄格子を突き立てられていただろう。
そう、反応できなければ。
殺意の攻撃を無駄な動きなしで躱す。
獣じみた動きの為、手に取るようにわかった。
「寝ていろ」
振り下ろされる破片を手でいなし、首筋へ手刀を下す。
命を刈り取るべき……だっただろう。
だが、そうしなかった。
先ほどの子どもだった化け物と違い、少年は決定的な違いがあった。だからこそ殺すという選択肢をとらなかった。
「泣きながら攻撃されるのはいつ以来だ?」
ぐったりと動かない少年を床へ寝かす。
これで終わりということはない。
音を立てて目の前の床が左右へスライドする。
そこから現れるのは鉄格子。
鉄格子の中、一つの椅子があり顔を俯かせている少年がいる。
キィと音を立てて鉄格子が開く。
座っていた少年がゆっくりと出てくる。
白い手術着、病人としか思えない程の白い肌、金色の髪も色素が薄い。
鉄格子から外へ一歩踏み出す―それだけの動作に全身の毛が逆立つ。
紺碧の瞳と目が合う。
それだけで金縛りにあったように指一つ、動かせない。
少年の肌がさらに白くなっていく。
もはや陶器と錯覚してもおかしくないくらいの白さ。
手術着を突き破って背中から一枚の白い翼が現れる。
「なんだ……それは」
震える声から漏れた一言が全てを語っていた。
現れた存在、それは七年前の奴と。
魔物の上位種である女王から姿を見せた姿とも。
――似ている。
俺から完全に理性を刈り取るほどに、目の前の“天使”は似ていた。
大切な友を、自分の命を、全てを奪い去った忌まわしい敵と似ているのだ。
「貴様ァアアアアアアアアアアァ!」
雷切を抜いて天使へ斬りかかる。
命を刈り取る一撃が迫るというのに動かない。
それどころか躱す様子もなかった。
俺の振るう一撃は命を奪うモノ。
だが、彼はそれに気づかない。
過去のトラウマともいえる、最大の存在と酷似している相手との戦いによって普段の冷静さを失い、怒り、憎しみといった感情が全面的に押し出されていた。
雷切が少年へ振り下ろされる。
刃を覆っている雷は多くの敵を無力化させてきた。
今回もそうなる。
――ことはなかった。
ガラスが砕け散るような音がドームに響く。
目を限界まで開いた。
愛刀が、今までで敗北を知らない雷切が音を立てて折れる。
折れた先端は大量の破片となって地面に落ちていく。
少年が動く。
折れた雷切に目もくれずただ、俺を視ている。
――マズイ!
危機を察知して離れようとした所で衝撃が起こる。
視界が右、左、前、後と暗転していく。
床へ体を打ち付けた時に当たり所が悪かったようで右腕がジンジンと痛む。
“圧倒的”という言葉がのしかかる。
敵は手を振る動作をしただけ、対して、こっちは命を奪うつもりの全力。
一撃、
一撃だった。
けれど、両者の一撃は天と地ほどの差があった。
悔しさに全身が包まれる。
今までの、掃除屋としての全てを否定された気分だった。
――何があろうとお前はコイツに勝てない。
そう諭されているような気分。
倒れている俺へゆっくりと天使が近づく。
片翼だけでは飛べないのか歩いて来る。
一撃をもらったら終わりだ。
雷切を作り出したとしても一撃で壊される可能性がある。
一撃で武器所持者の力を無力化されたのだ。もしかしなくてもコイツが対武器所持者兵器なのかもしれない。
そんな奴に抗える術があるのか?
絶望しそうになる。
俺はあの日へ遡ったような気分だ。
何もできないあの頃へ。
目から何かが零れる。
それを確認することもできないまま天使が手を振り上げる。
命を刈り取る攻撃を躱せない。
「だぁぁぁぁぁらぁああああああああああああ!」
無常なる刃が振り下ろされるという所で衝撃が巻き起こる。
天使が目を見開き、そのまま後方に弾き飛ばされた。
靴の音が響く。
「夜明さんに…何をしようとした?」
目の前に現れた雪はぶるぶると震わせる。
激しい怒りに体が震えていた。
「夜明さんに何をしようとしたぁああああああああああああああああ!」
▼
レイピアを構えたノノアがやってくる。
遅れて、来栖が現れた。
「おいおいおい、何だよあれぇ、まるで天使じゃねぇか」
「っ、来るよ!」
ノノアの叫び通り、翼をはためかせ天使が迫る。
レイピアを突き出すが相手はあっさりと受け流された。
仕返しとばかりに拳を繰りだすがそれを阻止するように来栖の手斧が間に割り込んだ。
命を奪うつもりだった一撃が掌で受け止められる。
来栖が目を見開いている前で、武器が砕け散った。
「な」
バチコンと乾いた音が鳴る。
来栖が額から血を流して地面に倒れた。
血が夜明の顔にかかる。
吹雪が天使を遠くへ飛ばすために大剣を振る。
がら空きの胴体に剣がぶつかり、そのままフルスイング。
天使を壁に叩き付ける。しかし、代償は大きい。
大剣が真っ二つに折れた。
「大丈夫?」
「吹雪は無事です……ここは撤退した方がいいかもしれません」
「そうだね、おじさん!生きてる!?」
「か、勝手に、ころずなぁ!」
ふらふらと体を起こす来栖を確認して吹雪が近づいてくる。
「夜明さん、逃げます」
彼の腕を掴んで立たせる。
後は入口まで走るのみ。
『困るなぁ、勝手なことされちゃ』
突如、ドーム内に声が響いた。
ノイズ交じりだったが全員へ届く。
自分達と同じくらい若い者の声だろう。雑音が激しくて性別まで判断できない。
『来たのはそっちだろう?好き勝手しておいてはいさよならというのは礼儀に欠けると思うんだ』
――だからさ。
声と共に彼らが侵入した入口の隔壁が下りていく。
来栖が舌打ちをしながら走る。
だが、届く直前、隔壁は非情にもおろされた。
『この実験くらい最後までつきあっておくれよ』
「実験…?」
呟いたのが誰かわからない。
吹雪かもしれない。
ノノアかもしれない。
来栖、かもしれない。
誰かわからないくらい小さな呟きだった。
『そ、実験だよ。僕らの作り上げた救済の天使が偽りの英雄である武器所持者を滅ぼすというシナリオ実現のためのもの』
「救済の天使?頭沸いているんじゃないか」
「おじさんに同意だね。そんなものがあるなら世界はもう少しマシな方向になっているよ」
『ま、理解してもらおうなんて思っていないさ。でもね、この僕が作ったんだ。最強、無敵、キミ達を滅ぼすまで止まることのない真の救世主。苦労したよぉ、ここまでくるのに多くの実験体をすり潰したんだからさぁ』
――頭の中で何かが音を立てる。
『最初の被験者は五秒で体が爆発しちゃうし。百体くらいやって一分だったかな?もっと、多くの実験体を使ってようやくここまできたんだからさぁ、どこまで行くのか性能をしっかりと見たいんだよね』
――全貌を想像するまでもない。
――目の前の天使を作るまでに多くの屍が出来ている。
人を、命を、価値観などないと言っているに等しい。
どんな時も笑顔だったノノアは無表情。
来栖は腹立たし気に拳を鳴らす。
雪は俺を抱きしめている手に力を込めている。
そして、彼は――。
『おっと、話がそれたね。いけないいけない、とにかく、キミら偽物の英雄はそこにいる天使完成の為にモルモットになってもらう。これに拒否権はないさ』
隔壁がいくつもおりて周囲を覆う。
咄嗟に壊そうとするが弾かれる。
「吹雪が―」
「伏せる!」
大剣を繰り出す前にノノアが二人を地面へ伏せる。
頭上を強烈な風が吹き荒れた。
手斧を構えて来栖が反撃する。
しかし、武器を掴まれる。
「なっ!?」
引き戻そうとするもびくりと動かない。
刃が粉々に砕け散る。
離れようとする来栖の腹へ横薙ぎに手刀が放たれた。
「ぐふぉぁ」
必殺の攻撃が当たる直前にノノアがレイピアで天使のわき腹を突く。
痛覚があるのか手刀の軌道が変わり、来栖の肩を抉るにとどまった。
雪がナイフを投擲。
肩や足に突き刺さったのを視認してノノアが攻め込む。
レイピアの刃が目を貫こうとした瞬間、衝撃が巻き起こる。
「くっ!?」
白い翼を揺らして天使が手刀を振るう。
しかし、何も起きない。
呆然としていた彼らの前で後ろの隔壁が音を立てて切断される。
おそるおそる振り返った。
隔壁、その向こうの壁までが切断されている。
――彼らは知る由もないがこの攻撃で掃除屋が十人ほど命を落としていた。
そんな状況を見せられて吹雪、来栖、ノノアの三人は動けない。
圧倒的!
この言葉しか頭に浮かばない。
武器を失われた来栖、吹雪は再度、実体化すれば良い。だが、目の前の敵の強さが違う。圧桁違いな力。戦ってきたイレギュラー、魔物と比べ物にならないものだ。
剣を交えてわかった。
異常だ。
戦ったら最後、命を落とす。
「どうする?俺としてはぁ、すぐに逃げたいんだけど」
「おじさんと同じ意見なのは悲しいけれど、ボクも帰りたいね」
「吹雪は夜明さんを守るために戦います…ですが、彼の身を護る以上、ここでの戦闘は不利だと」
「満場一致で逃げるという事でいいかな?流石にこれはきついよ。手刀でこんなことされちゃあ、僧侶級の魔物と戦うに等しいよ」
撤退の案が一致する。
唯一、無事なノノアですら同意した。
この状況で戦闘継続は難しい。
当然の判断だ。
「壊れた隔壁から逃げるぞ。俺がこいつを」
担ごうとした来栖の顔に一撃が迫る。
「危ない!」
ノノアが来栖を突き飛ばしてレイピアによる攻撃を放つ。
一撃、二撃、三撃。
仰け反った所でさらなる追撃。
普通の人間なら何度も命を落としている攻撃。だが、天使はまるで攻撃など元からなかったかのように平然としている。
「溜息よりも涙を零しそうだよ」
ノノアはレイピアを構える。
敵を倒すことより逃げる方へ意識を向けた。
「うわっ!」
大きな声を上げて攻撃を躱す。
後ろへ回り込みながら背中の翼を切り落とさんばかりのレイピアを放つ。
ガラスのようにレイピアの刃が飛び散る。
背中の翼に傷一つない。
「うっそぉ」
失われた武器を見てノノアは呟く。
羽虫を払うように手を振る。
残りのレイピアを砕き、手がノノアを襲う。
地面を派手に転がるノノアを倒そうと近づく。
「油断、したね」
にやりとノノアが笑う。
後ろから巨大な斧と大剣を構えた来栖と吹雪がいる。
二人の繰り出した一撃が両腕に振るわれた。
天使はガクンと体を震わせて片膝をつく。
「そのまま寝ていろぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
来栖の斧が天使の首元を狙う。
先ほどまで使っていた貧相な手斧とは異なる装飾の施された重量のある武器。
――名前のない巨斧。
彼にとって奥の手といえばかっこいいが、まだまだ未熟な武器。
しかし、手持ちの中でかなりの威力を誇る。
今使わなければいつ、使うのか?
来栖の放った一撃で天使の首が宙を舞った。
「よし、撤退だ」
『すごいねぇ、天使相手にここまで戦闘を繰り広げるなんて、良いデータが収集できたよぉ』
頭上から聴こえる声に来栖は大きく舌を打ち鳴らす。
只、観ているだけの相手にかなり苛立ちを覚えていた。
『ま、これだけデータが取れれば、次は良い天使ができるかな?あ、ご苦労様、キミ達、もう邪魔だから、消えておく―』
最後まで訊く必要はないと斧を天井に突き刺す。
ガガッピーと音を鳴らしてスピーカーからノイズが響くだけになる。
「白いのが起きる前に今度こそ、離れましょう」
「賛成~」
「ったく、今回の仕事はとんでもないくらい酷いな、これなら拒否すれば」
ボコボコボコォと嫌な音が響いた。
ノノアと吹雪は驚愕に染めて振り返る。
隔壁に半ば埋め込まれていた使徒が体を起こしていた。
泡のように膨れたところから大量の腕や触手染みたものが飛び出す。
「あのさ、あのさ、この後、外国の映画だとさ」
「それ以上のことは聴きたくない、てか、フラグ乱立の予感がするからやめろ」
大きな音がして泡がはじけ飛び、そこに現れたのは巨大な異形。
天使としての姿も異常であったが目の前にある姿はまた別のモノ。
獣じみた相貌、おそろしく太い無数の腕に鋭い爪。
純白なれど歪さを持つ姿、吹雪はそれに該当するモノの名前を呟いた。
「魔獣……」
白い怪物は唸り声をあげて飛びかかってくる。
「あぁ、もう次から次へ!!」
閃光弾を地面へ叩き付ける。
数秒経たずにまばゆい光が施設の中を包み込む。
怪物が眩しさに目を細める。
この隙に逃げ出す算段だったが失敗に終わった。
「うわっ!?」
走り出そうとしたノノアが驚いた声を上げる。
出口に紫色の球体が現れた。
一つではない、無数に出ては消えると繰り返す。
「なに、これ?」
「ヤヴァイものだけはわかるぞ」
来栖はホルダーから手榴弾を投げる。
弧を描いて球体に当たった途端“消えた”。
原形も欠片もない。
本当にその場所からなくなったのだ。
退路も動くことすら危ない状況に追いやられた。
魔獣が唸りながら地面を蹴る。
狙う先は三人。
「あ、まず」
獣の牙が飲み込もうとした瞬間、黒い光が放たれた。
▼
「あぁ、イライラする」
ふらりと体を起こして左手に力を込める。
片目はさっきから痛くて目を開けていられない。
歩くたびに全身が悲鳴を上げる。
それでも俺は前へ踏み出す。
進んでいく。
敵を殺すため。
目の前の天使を潰すため。
俺から奪おうとする奴に思い知らせてやる。
魔獣が唸り声をあげて襲い掛かってきた。
「うるさい」
左手の中にある伊弉冉で伸びてきた腕を斬りおとす。
「さっきからうるさいんだよ」
伊弉冉の死の囁きですら一杯だっていうのに「助けて」やら「苦しい」ってうるさいんだよ。
そんなに生きているのが苦しいって甘い戯言を抜かすというのなら。
「俺が殺してやるよ」
言葉に反応したのか魔獣が飛びかかってくる。
あぁ、イライラする。
真っすぐに飛びかかってくる獣の顔の部分を蹴り飛ばす。
そのまま後ろへ回り込もうとしたら阻むように触手が迫る。
「うざい」
伸びてくる触手を斬りおとして、そのまま背中へ刃を突き立てた。
「浅い」
繰り出した刃は浅く、背中の表面を傷つけるだけに過ぎない。
悲鳴を上げながら背中にいる俺を振り落そうと体を揺らす。
あぁ、そんな揺らすな。
ますます。
「気分が悪くなるだろうが」
伊弉冉を引き抜き、背中を踏み台にして宙を舞う。
待ち構えるように獣が両手を構える。
「その程度か?」
天井に届いた所で両足の裏で勢いよく蹴る。
弾丸のように魔獣へ接近。
振り下ろされようとしていた手を再度、斬りおとす。
しかし、斬られた箇所から再生を始めている。
「鬱陶しいな」
左手をその場で回して再生カ所へ刃を突き立てた。
「殺せ」
刃が意思を持つように輝きを放つ。
触れた箇所から黒く染まっていく。
「殺せ…」
遅い。
もっと、もっと早くだ。
「殺せぇえええええ!」
叫びと共に伊弉冉の力が増す。
同時に頭の中で囁く言葉がうるさくなる。
「あぁ、イライラする!」
ずぶりと伊弉冉を深く突き立てた。
大きな悲鳴が耳元に届く。
それだけ相手が苦しんでいるという事だ。
手の中にある伊弉冉を引き抜く。
途端、相手が牙をむいた。
床を砕き、襲い掛かる。
上から圧し掛かろうとする相手に対して伊弉冉の側面で防ぐ。
防御であり攻撃でもある。
伊弉冉の刃に触れた奴の体が黒くなっていき、崩壊を始めた。
俺の持つ剣は相手を殺す。
――生殺する力。
本来なら復活していく箇所も生き返る様子を見せない。
このまま、奴を始末する。
ずざざと靴底が熱を帯びるのを感じながら伊弉冉を振り下ろした。
黒い刃の軌跡が命を刈り取った。
真っ二つに切り裂かれた体は灰となって消滅する。
「あぁ、うるせぇ」
頭の中に響く声に苛立つ。
死ねという囁き声に交じって変な声が聞こえた。
その声に俺の顔は一瞬だけ、険しくなる。
――ありがとう。
断末魔を上げずに消滅した魔獣のものなのか。
狂ったやつの実験台にされて命を落とした者達の声か、それは誰にもわからない。
だが、命を奪った奴へ感謝の言葉を述べるのはおかしい。
感謝されるいわれはないのだ。
俺は、人殺し……なのだから。