3.襲来する女王
西條吹雪という少女はどうしょうもないくらい“人”として壊れていた。
縄を解き、水崎姫香の護衛に戻ろうとしたら俺の傍を光速に等しいスピードで飛び出し、住んでいるマンションへ侵入して私物を持ち込み始める。
三十分に満たない早業。
「パートナーとしてこれから一緒に住みます!」
同棲生活を本気で始めようとする彼女へ拳を交えながらの説得を行い、黒土に同じフロアの部屋を用意してもらうことで事なきを得た。
しかし、騒動は終わらない。
同じ部屋を確保したというのに吹雪は何度も押しかけて料理を振るう。挙句の果てに俺が入っている風呂へ突撃しようとした。
「パートナーとして親睦を深めるため!」と彼女は言い張った。
こればかりはいろいろと面倒だったので簀巻きにして部屋へ放り込む形で事なきをえた
一日でこんな騒動を連続して体験したために翌日、疲労が溜まっており最悪だった。
「宮本君、顔色が悪いけれど…」
「大丈夫、少し疲れているだけだから」
「そうだ。宮本君の部屋の番号教えて」
「…304ですけど」
「あ、一つ上なんだね」
「それが、どうかしました?」
「うん、疲れているみたいだからおいしいご飯でも作ってあげようかなって」
「お気遣いありがとうございます。けど、少し休めばよくなりますので気にしないでください」
丁重にお断りを入れる。
これ以上厄介事を持ち込みたくない。
なにより西條吹雪がうるさくなるから来るな。
視線にそんなことを込めるが相手は気づかないだろう。
護衛対象に心配されるとは自分もまだまだ甘い。
昼休みは睡眠をとろうと考えて机に突っ伏そうとしたところで誰かが近づいてくる。
寝ている相手へ話しかけることはないだろう。
だが、聞こえてきた声によって俺の意識は無理やり覚醒する。
「よ、水崎さん」
「えっと…」
「俺の名前は金城秋人っていうんだ。これから食堂にいくんだけど、水崎さんもどう?」
少し顔を上げて隣を見る。
水崎姫香と話をしているのはクラスの人気者、金城秋人。
大物が出張ってきたことに俺は驚き、何が目的か考える。
金城は人気者であると同時にホルダーだ。
大和機関が影の監視対象の情報を表の英雄に話すとは考えられない。
ならば――。
「ごめんなさい、私は宮本君と一緒にいく」
「そんな奴といくよりもさ、俺達といった方がいいって」
「そうそう、有名人の秋人が誰かを誘うって滅多にないんだよ」
取り巻きが次々とやってくる。
酷い物言いもあったがだいだい理解した。
成る程、宮本夜明≪おれ≫から遠ざけようとしている。
この学校で不良という立ち位置。白い髪、団体行動から外れている。何より嫌悪の対象だ。
そんな存在と美少女が一緒にいるというところを見た場合、学校一嫌われている相手と人気者になりつつある転校生が一緒にいる=おかしなことに巻き込まれているそう勘ぐった奴がいる。
そして、金城に話をしたという可能性が濃い。
――少し、休めるかもしれない。
金城秋人を信頼しているではないが表の英雄が犯罪に手を染めることは考えられないから少し休眠の為に利用させてもらう。
意識を手放す。
だが、ガツンと派手な音が耳に届くと背中に痛みが走った。
何が起こったのか理解する前に水崎が叫ぶ。
「宮本君!大丈夫ですか!」
「…ん、あ、あぁ」
ズキズキと頭が痛む。
状況を理解するために体を起こそうとするが水崎が止める。
「無理しないで、頭を打ったんですよ!」
「いや、大丈夫だから」
顔を上げると舌打ちをする男子生徒が傍にいる。
どうやら目の前にいる彼が椅子を蹴り飛ばしたことでバランスを崩して倒れてしまったようだ。
「宮本君、どこへ?」
「保健室、少し休んでくる」
「だったら私も」
「水崎さんは彼らと食べてきなよ。食事を抜いたら後で苦労するよ」
笑みを浮かべると周りが後退る。
一瞬だけ主犯を見る。
仕返しされると思ったのだろう。目をそらされた。
反撃される!と怯えた目を浮かべた。
――温い。
人へ攻撃するなら逆襲されることも考慮に入れておくべきだ。そんなこともわかっていないならするなよと思う。
気づかない振りをして廊下へ出る。
後頭部の痛みは既におさまっていた。
余計な騒動を避けるために保健室へ向かう。
後ろからぱたぱたと靴音が聞こえてくる。
「宮本君!」
振り返ると水崎姫香がやってきた。
「水崎さん?え、どうして」
「宮本君が心配だったから…その」
「僕は大丈夫だよ。キミは彼らと食事でも」
「嫌です。宮本君が心配だからついていきます!これは絶対です!!」
固い意志をみせる彼女へ何を良いのか思いつかない。
静かにため息をこぼす。
「じゃあ、保健室までついてきなよ」
「はい!」
パぁ、と太陽のような笑顔を浮かべて隣を歩く。
笑顔をまともにみるのが嫌で視線をそらす。
なんとなく窓の景色を見たところで眉間に皺が集まった。
保健室へ向かうと担当教師の片桐先生が雑誌を読んでいた。
教師としてどうかと思うがサバサバした性格が生徒達から好感をもたれている。
俺も少し楽だ。
「む、どうした宮本、サボリか?」
「教師がそんな堂々といわないでください。問題になりますよ」
「冗談だ、固い奴…っと、隣は誰だ?」
「はじめまして、水崎姫香といいます」
「あぁ、噂の転校生か」
「先生、氷袋、作ってもらえますか?」
雑誌を机に置いた先生へ俺は頼む。
「どうした?転んだのか」
「椅子ごと後ろへ倒れた時に後頭部を打ってしまいまして」
俺が話すよりも早く、水崎が喋る。
「お前、ドジっ子属性があったのか?」
垂れ目を限界まで見開いて先生がこちらをみる。
「そんなものはありません」
「つまらん反応だな。ここへ座れ、一応診てやろう」
ぽんぽんと空いている椅子を指されて腰かける。
後頭部へ先生の手が触れた。
細い手が触れるだけでぞくぞくと震える。
くすぐったいな。
「ふむ、特に問題はなさそうだな。念のため氷で冷やしておくだけでいいだろう。頭痛とか眩暈がしたらすぐに病院へいけ」
「…ありがとうございます」
「よかったですね!」
「水崎さんは心配性なんだよ」
「そうだ、転校生、用事を頼んでいいだろうか?」
「はい!」
これを職員室へもっていってほしいと片桐先生は水崎へ資料を渡す。
彼女は頷くとそくささと保健室から出ていく。
「さて、宮本」
氷袋を作っている片桐先生が俺を見る。
「その怪我、誰にやられた?」
「ドジして転んだだけですよ」
否定したらぐぃっと左右から手が伸びて頭を押さえる。
「私にそんな嘘は通用しないぞ。普段から氷のように冷静なお前が転ぶなどというヘマはありえない…もう一度いうぞ…誰にやられた?」
真剣に見つめられ、俺の中で何かが揺らぐ。
サバサバした性格の持ち主とはまるで違う。
目を放したら最後、自分は――。
それは一瞬のことで片桐先生は離れる。
「まぁいい、お前がいいたくないのなら無理やり問い詰めても意味がないだろう。だがな、宮本よ」
振り返った片桐先生の目はいつもと変わらない。
「周りが敵ばかりだというのなら一人だけでもいい。心を許せる友や仲間を作れ」
「…友や仲間ですか?」
その言葉に自然と嫌悪感が出る。
「そうだ。どれだけ周りが絶望的だろうと信頼できる者がいれば、自分ひとりで限界なことだろうと乗り越えられるかもしれん。人という文字は支え合ってできている。時には誰かの力も借りることも必要だということを知っておけ」
「先生にも…心を許せる人がいるんですか?」
「当たり前だ。私も人なのだからな」
小さく笑うと先生は俺を保健室から追い出す。
外へ出た俺は小さく頭を下げる。
ひらひらと手を振って扉が閉められた。
「友達、ね」
不要だ。
あの日から誰かの力を望まない俺が頼ることなど、一生ありえない。
何もできなかった俺が…。
「宮本君」
水崎姫香が戻ってくる。
振り返ると彼女の手の中に二枚のチケットがあった。
「どうしたんですか?それ」
「さっき三年生の人がいらないからと私にくれたんです。次の日曜日から使えるフリーパスだということですけど、一緒にいきませんか?」
彼女がみせたチケットは地元でも有名な遊園地のもの。
「僕なんかを誘わず、他の人を誘ったらどうです?例えば」
「私は!」
ぐっ!と水崎姫香が距離を詰める。
仄かに甘い香りが漂う。
「私は宮本君と一緒にいきたいんです」
真っ直ぐに強い目がこちらをみる。
まともにみるのが辛くて目をそらす。
「お願いです。私と行きましょう!」
「…わかり、ました」
俺はチケットを受け取ってしまう。
――どうして、俺なんだよ。
反抗心めいた言葉は心の奥底へ沈んだ。
『へぇ、護衛対象とデートか、中々に面白いことになっているじゃないか』
「黙れ」
電話の向こうの相手に俺は低い声で返す。
こんなことになったのも全て依頼を引き受けてしまったことが原因だ。
『僕としては良い兆候だと思うね。キミには誰かと協力することを学んでほしいと思っている所だし』
「他者など必要ない。俺は一人だ」
誰も要らない。
これからも一人で生きていく。
誰にも関わらないし接したくもない。
あの時から変わることのない気持ち。
『確かにキミは強い。本気を出せば最強と言われている武器所持者にも勝てるだろう…だが、それだけではダメなんだよ』
黒土の声に力が入った。
時々、こいつは何か含んだ言葉をだす。
それは俺の考えを否定させようとしているのか別のものからくるのか理解できない。
だが、油断はできない。黒土はそんな相手だ。
『キミは魔物の上位種と戦ったことはあるかな?』
「…いや、ない」
『日本で出現している魔物のほとんどは雑兵ともいえる兵士級。だが、海外、この大陸の外へ出れば凶悪な魔物がうじゃうじゃと存在する。例えば二体しか存在を確認されていない騎士級、僧侶級がいい例だろう』
様々な兵器が通用しないことに加えて特殊能力を有している上級魔物、その中で騎士級と僧侶は攻撃と防御に関して強者といわしめる力を持っている。
その魔物と遭遇者犠牲者の数は計り知れない。
「それは過去の話だ。既に騎士級の一体が円卓のホルダーに倒されている」
『さらに上がいるとしたら?』
脳裏である存在を思い出す。
世界が崩壊しかけた時に現れたという七体の魔物。
国によって秘匿される超危険魔物。
「…女王級の存在か」
『この世界は非常に不安定だ。いつ終わりを迎えてもおかしくはない。さらにいえば…おっと、話がそれたね』
何かを言おうとして黒土がやめた。
追及したいところだが、相手ははぐらかして逃げるだろう。
『さて、少し厄介なことになりつつあるようだね』
「吹雪のことか?」
水崎と出かけるという事で吹雪の機嫌はかなり悪い。
元々、護衛として遠くから彼女を監視している時からどこか様子がおかしかった。
隙あらば、水崎の食べ物に毒物でも仕込みそうな顔をしている。
縛って部屋に閉じ込めるかと一瞬考えてしまった。
『いいや、表の英雄君だよ』
――金城秋人?
『彼ね、大和機関から情報を引き出そうとしたんだよ』
「ホルダーが機関へ依頼をすることは少なくないだろう?」
武器所持者を一括管理している組織は世界各国に存在しており日本における大和機関なのである。元々は戦時における諜報組織が現代まで暗躍していたという話もあるが詳しいことはわかっていない。
大和機関において魔物、把握されている武器所持者の能力、個人情報などが集約されており登録されている武器所持者は機関から魔物の討伐を依頼する代わりに様々な恩恵を得られる。
壊れた新居を与えられる、魔物を撃退した数に合わせて与えられる報酬など。
情報を引き出すこともその一つ。
『引き出そうとした情報がまずかったのさ、彼はね。キミの情報を引き出そうとしたのさ』
「俺の?」
『正確に言えば、表としての宮本夜明の情報…まぁ、裏から手を回しているから何の問題もなかったよ。どうも学校でキミが対象といることに何かあると睨んでいるんだろう』
俺が彼女へ悪事を働いていると考えたに違いない。曲がりなりにも不良というレッテルをはられているわけだし。
『表のキミの情報から裏へ繋がるなんていうことはありえないんだけれど、注意は必要だ。無茶だと思うけれど、厄介事は控えてくれよ』
「注意はする」
表の英雄まで関わってくるとなるとややこしい以外の何ものでもない。
俺から見て金城秋人という人間は絶対に。
「妬ましい妬ましい、デートなんて吹雪は我慢できません。今すぐあの女の首を胴体からさよならさせよう…あ、ダメだ、そうするとばれてしまう。その場合、女の皮を上からかぶってなりすまし…あぁ、それがいいかもしれない。吹雪を見てもらえないけれど、でも、夜明さんは吹雪を」
「物騒なことを喋るな」
呪いのような言葉を吐き続ける吹雪を蹴り飛ばす。
女の子だから攻撃しないはない。
男女平等がモットーだ。
一応、常識があるけれど、彼女の場合度が過ぎている。
「あう、夜明さんが冷たい…でも、吹雪は負けません!」
「そろそろ夕食にしよう。吹雪は何がいい?」
「ハンバーグです!夜明さんの作るハンバーグ!」
きらきらと目を輝かせる吹雪。
なんともいえない溜息が口から洩れる。
約束の日、駅に来ていた。
水崎姫香の姿はない。
同じマンションなのだが待ち合わせをして一緒に行きましょうという彼女の提案だった。
一人にさせて大丈夫かという不安もあるが吹雪が念のため護衛としてついている為問題はないだろう。
「やばいな。不安になってきたぞ」
デートという事で呪詛を吐き出していた彼女がちゃんと護衛をしているかと気になる。
「何がですか?」
「うわっ!?」
真横から声をかけられ慌てて離れた。
顔を動かすと首を傾げた水崎姫香が立っている。
「どうしました?」
「いや、何でもない」
首を横に振りながら彼女の格好を見る。
普段の制服と異なり黒い上着に白のブラウス、同じ白のスカート。
可愛い少女がそこにいた。
「私服、はじめてみましたよ」
首を傾げる彼女の目は俺の私服、灰色のズボンに黒いシャツをみて感想を言う。
「俺も…はじめて」
「え?」
「なんでもないです。ほら、いきましょう」
急かして俺は駅構内へ向かう。
彼女と面と向かって話をすることに抵抗を感じていた。
「どうして駅で待ち合わせにしたんですか?同じマンションなんだから一緒に向かえば良かったかと」
「そんなの、つまらないじゃないですか」
気になっていたことを尋ねると彼女は笑顔で答える。
「効率的かもしれないですけど、こうして待ち合わせして遊びに行く。普通で当たり前だけれど、私が望んでいる事なんです」
「……そう」
陽の光に当たる中で微笑む。
笑顔に何かを感じながらも俺は無言を保つ。
誰かの領域へ深く踏み込んではいけない。
踏み込んでしまったら最後、戻れなくなってしまう。
「宮本君?」
「いや、何でもない」
あの時のことをもう繰り返したくない。
隠している気持ちを悟られないよう足早でホームへ歩く。
何駅か乗り継いでたどり着いた場所は巨大なテーマパーク。
平日、休日問わず多くの客で賑わっていることで地元の人間からも多大な人気を誇っている。
当然のことながら休日なので人が多い。
「うわっ」
「宮本君」
人混みの中ではぐれそうになる。
咄嗟に水崎の手を掴んで引き寄せた。
そうすることではぐれることを防ぐ。
「大丈夫?」
「う、うん…その手」
ぷにぷにと柔らかい手の感触。
人と触れ合うのはいつ以来だろう。
「ごめん、人ごみから抜けるまで」
「大丈夫」
互いに頬を赤らめながら入口のゲートへ向かう。
なに、赤くなっているんだ。俺は。
目をそらしたところで小さな子ども達の姿が目に入る。
無邪気にポップコーンを食べ合う、あれに乗ろう、これに乗ろうと楽しげに会話をする姿。
――よっちゃん。
脳裏に七年前の時のことが過る。
「そういえば、水崎さんは苦手な乗り物ってないんですか?」
逃れるように話題を出す。
「うーん、あまり遊園地に来たことがないからわからないけれど、苦手なものはないと思う。宮本君は?」
「僕は…観覧車が苦手です」
「え、そうなの?どうして」
「街を見渡せるとか、あの空間にいると嫌な記憶とか思い出しちゃうんですよ」
そこで、俺は場の空気が悪い方向へ進んでいることに気づく。
「すいません、楽しい話をしているのに」
「ううん」
何をやっているんだと自己嫌悪に陥る。
さっきからあの日の事を思い出してばかりだ。
今まで足を運ばなかった遊園地へきたからだろうか?それとも――
ゲートにたどり着く。
水崎姫香がチケットを係員へ渡す。
少し並びようやく園内に入った。
「うわー!色々なものがありますね!」
「この地域で最大といわれている遊園地だから」
「悩んでしまいますね!」
隣ではしゃぐ水崎姫香の姿は子どもそのもの。
いや、俺達はまだ子どもなんだ。
影として活動しているからすっかり忘れてしまっていた。
本来ならこんな風に誰かと遊びに出たり、学校生活を満喫するのだろう。しかし、俺はそれを望まない。俺が望むのは…。
地面を見ていると手がくぃっと前へ伸びる。
「って、水崎さん!?」
「ほらほら、時間は有限、全部まわるからね!」
「わかったから腕を、てか、手を放してもらいたいんだけどぉ!?」
はしゃぐ彼女に逆らうことが出来ず様々な乗り物に飛び込む。
人気の乗り物は長蛇の列ばかり。
かなりの時間を消費してしまう。だというのに水崎姫香は終始笑顔だった。
何が楽しいのか。
こんなに並んでいるのに、遊んでいるわけでもない。
なのに、彼女は笑顔を絶やさなかった。
にこにこと微笑む姿。
理解できない。
「楽しそうですね」
「え?」
「笑顔だから」
きょとんとした彼女へ短く言うと水崎姫香は目を細める。
「…うん、楽しいよ」
「そうですか」
「宮本君は楽しくないの?」
どうなのだろう。
水崎姫香の問いに返せない。
僕は、俺は、
どういえば。
「あ、あれみてください!」
叫んだ彼女は売店へ走る。
後を追いかけようとも思ったがさっきの気まずい雰囲気へ戻られても困る。
気持ちの整理をしよう。
こんなことでは影失格だな。
どんな場面であろうと常に冷静であれ。
あの世界では一つの油断、慢心で命を落とす。
――どうして、ここでそんなことを考えているのだろう。
バカらしく思えて自虐的な笑みを浮かべた。
しばらくして何かを購入した彼女が戻ってくる。
「はい!」
「…何ですか?これ」
「あ、今は開けないで」
袋を開けようとしたら彼女に止められた。
手を動かすとかちゃかちゃと小さな音がする。
食べ物ではないようだ。
「帰ったら開けてほしい、かな…それまでは大事に持っていて」
「わかりました」
袋をしまう。
「じゃあ、次は――」
――ウゥゥゥゥゥゥッゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!
サイレンが鳴りだす。
楽しい時間を引き裂くような音が施設内に響く。
警報…だと!?
鳴りだしたサイレン。
緊急警戒警報。
魔物が現れる!?
やがて、事態を理解した人達が動き出す。
悲鳴を上げて逃げ惑う者。
仲間とはぐれながらも安全な場所を求める。
他者を犠牲にしても助かろうとする者達。
そんな姿はない。
彼らはホルダーがすぐに来てくれることを願いながら急ぎ足でシェルターへ向かうのだ。
歪んでいる。
どこかおかしい非常態勢の中、俺は彼女へ声をかけた。
「宮本君…」
「水崎さん、シェルターへ向かい――」
“時”が止まる。
上空で黒い球体が現れた。
雲が消える。
太陽の光が弱くなる。
空が歪んでいく。
空間歪曲現象と共に異形が球体を突き破る。
――早い!?
歪んだ空の上から降り立ったのは高層ビルに匹敵する大きさ。
サメと獣が入り混じった異形。
体中の至る所に存在する目はぎょろぎょとせわしなく動いている。
のっぺらぼうの兵士級と違う重圧感。
「女王級…だと」
現れた存在に驚く。
一度、資料でのみ目を通した存在が現れる。
魔物の中で上位の存在とされている個体、それがここへ現れたことに驚愕する。
女王級は定期的に出現する兵士級とは根本が異なる。
政府も存在を認識したら慎重に動くはず、この場にとどまっていることは命の危険へつながる。
俺はそこでようやく気付いた。
隣の彼女の異変に、
「嘘…どうして、まだ」
「水崎、さん?」
体を震わせている彼女の目は現れた女王級を見ている。
その目に浮かぶは戸惑いと恐怖。
あまりの怯えように声をかけることが躊躇われた。
グルンと無数の瞳がこちらを捉える。
魔物が動く。
水崎姫香の手を引こうと伸ばす。
彼女達を引き裂くように魔物の尻尾が地面へ叩きつけた。
爆風と衝撃が俺達を襲う。
「ちっ」
後ろの壁へぶつかる直前に受け身をとる。
周囲へ意識を向けるが他の所持者の姿はない。
水崎姫香は運が良かったのか、動かなかったことが幸いだったのか尻尾の攻撃を受けていない。
未だにぎょろぎょろと目を動かしてだけの女王級は彼女の存在に気付いていなかった。今なら水崎姫香を連れて逃げられるかもしれない。
でも、今なら奴へ攻撃できる。
どうする?
俺はどちらを選択すべきか困惑する。
ここで奴を倒せるなら護衛など後回し。しかし…。
隣の水崎姫香をみる。
このままにしていたら彼女は間違いなく死ぬ。
少し関わった程度のクラスメイトだ、今までの俺なら放置してきた。しかし、心のどこかで迷いができていた。
その時、遠くからミサイルの飛来音が聞こえてくる。
「…動き出したか」
魔物の出現からだいたい十分程度、自衛隊が動き出したようだ。
しかし、ミサイル攻撃とは住民の避難が完了していないのに、なぜ?
俺は水崎姫香へ駆け寄る。
「伏せろ!」
彼女の応答を待たずに地面へ伏せる。
数秒後、爆風が巻き起こった。
近くで悲鳴が聞こえる。
水崎姫香が無事なことを確認して顔を上げた。
一言でいうならそこは地獄だ。
爆風で吹き飛ばされた人達や機材。
破片を体中に浴びて悲鳴を漏らしている男もいる。
多くの死が目の前で広がっていた。
――ドクン。
全身が熱くなる。
左手が激しく痙攣を始めた。
「こんな、時、にぃ!」
視界も揺らいで立っていることが困難になる。
「みや、もとくん?」
耳元で心配そうに声をかけられるが応える余裕はなかった。
――食らえ
汗が至る所から流れて止まらない。
自我が奪われていく。少しでも気を抜けば乗っ取られる。
――食らえ、食らえ、食らえ、食らえ、食らえ、食らえ、食らえ。
くそっ、黙っていろ!
自らへ叫ぶようにしながら呼吸を整える。
奴の騒ぎが収まっていく。
「すまない、俺は」
大丈夫だといおうとして言葉が止まる。
目の前に女王級がいた。
ほんの少しの間に動きがあったようだ。
女王級の口から舌が飛び出す。
その先にいるのは水崎姫香。
体を無理やり動かす。
なりふり構っていられなかった。
空間から雷切を抜く。
威嚇するように放った雷は舌を痺れさせることに成功する。
「グッ……がぁ…」
意識が朦朧とする。
雷切を使った事で余計に奴が騒ぎ始めた。
「宮本、君?」
「逃げるぞ」
呆然としている水崎姫香の腕を掴む。
女王級の狙いがわからない今、俺ができるのは護衛対象の彼女を安全圏へ連れ出すこと。
動こうとしたところで女王級の口から黒い塊が放たれる。
「させるか!」
雷切で球体を切り捨てるようとした。
「斬っちゃダメ!」
異変はすぐに起きた。
「ぐっ!」
全身が鉛のように重い。
何が起きた?
困惑する中でゆっくりと立ち上がろうとしたところで体がぶれた。
途轍もない衝撃が襲いくる。
考える暇もないままコンクリートに体を打ち付けた。
激しい痛みで口から鮮血が飛び散る。臓器がダメージを受けたようだ。
倒れた俺の所へ水崎姫香が駆け寄る。
「何をしている、逃げろ」
「ダメ、ダメだよ…だって」
震える声で水崎姫香は俺を見る。
その目は恐怖に染まっていた。
小動物のように震える目を見た途端、あの日の光景が過った。
激しい怒りが渦を巻く。
熱を覚ますような言葉が彼女の口から告げられる。
「あの子の狙いは私なんだ」
「何を、いっている?こんな時にふざけている場合か」
「冗談だったら、本当に良かった、かな」
小さく微笑む。
重たい体を動かす。
全身が鉛のように鈍い。
「ごめんね、私の我儘に付き合わせちゃって…でも」
――これが運命なんだ。
水崎姫香の姿があの時と重なる。
やめろ。
そんな顔をするな。
俺の前で、
重ねさせるな!
アイツのような顔をするんじゃない!
「精一杯、生きたと思う…ごめんね、最後に巻き込んじゃって。これが私の、運命なんだ」
やめろ。
彼と彼女の姿が重なった。
全身の血がマグマのように沸騰する。
女王級の口が開く。
鋭い歯と光沢を放つ触手が彼女へ伸びる。
それに震えながらも彼女は目を閉じた。
何もかも諦めた様な顔。
生きることも抗うことも、全てを放棄した人間の顔だった。
――ふ、ざ、けるなぁあああああああああ。
「喰え!!」
“左手”を前へ伸ばす。
――待っテ、イ、タ。
水崎姫香を狙っていた女王級へ紫の閃光が放たれる。
女王級は悲鳴を上げて後退していく。
激しい頭痛に襲われながらも意識を保つことに集中する。
そうしないと、何をしでかすかわからない。
「早く、失せろ…よぉ!」
理性がガリガリと削れていくことを感じつつも左手を下さない。
ここで下せば、魔物の進撃は止まらないだろう。
我慢対決はあっさりと終わりを告げる。
魔物は自らの体を丸めるようにして守りへ入った。
閃光による攻撃が通らなくなる。
俺は左手を下す。
「宮本君!」
駆け寄ってくる彼女の姿と重なる。
あの日の――。
大切な、守れなかった親友。
七年前の悪夢と目の前で消えようとした水崎姫香。
――さよなら、よっちゃん。
限界がやってきて俺の意識は闇の中へ消える。
トキ、ガ、キタ、ヨ。




