30.黒銀の盾
俺は空から降り立つ魔物を見る。
周囲の建物を壊して奇声をあげる相手は七体いる女王級の一つ。
現れた当初、各国の空軍を滅ぼして空を支配したことから“空の女王”と称された。
空を支配している魔物がどうして日本の街中へ降り立ったのか?
その理由を知っている。
「はぁ…グッ…うぐぅ!」
「…痛むか?」
胸元を握りしめている少女を抱き上げる。
破れた服から覗く刻印は怪しい輝きを放っていた。
魔に魅入られた者。
刻印を入れられた者は死ぬことを許されず時が来るまで生かされ続ける哀れな子羊。
名も知らない少女は女王級に餌としての“首輪”をつけられていた。
食べ時になったころを見計らってあの魔物はこの地へ降り立ったということだ。
本来なら警報が鳴って警戒していただろう。しかし、空の女王はステルス機能が備わっているらしく、索敵に引っかからない。
突然、現れたと思えば突然消える。
空からの攻撃に脆い人類にとって目の前の女王は最大の脅威だ。
そして、女王が現れたことで沈黙に支配されていた街は大混乱になっていた。
警報もならず破壊の限りを尽くす。
誰もが外を見て女王の姿を視る。
戸惑い、やがてパニックを起こす。
着のみのままで大勢の人達が家やアパートから飛び出していく。
目の前の魔物から少しでも遠ざかろうと、他者を突き飛ばす、蹴り飛ばすなどを行って逃げている。
自分だけが助かればいい。
傍から見てわかるほどの思考に吐き気を催す。
逃げ惑う連中は助かることしか頭にない。誰もが自分を優先して倒れている者や泣きじゃくっている子へ手を差し伸べることをしない。
「こいつらを守る価値はない」
視線を外してその場を離れようとする。
空の女王から生み出された兵士級が人間を蹂躙していく。
血飛沫と断末魔。
おそろしい音が鳴り響く中、去ろうとした俺の目に銀髪が過る。
視線を向けると水崎姫香が盾を展開して兵士級の間へ割り込む。
兵士の武器が阻まれた。
しかし、衝撃も相当なものだったようで彼女は後ろへ倒れこむ。
ぞろぞろと兵士級が彼女を取り囲んでしまう。
助けようとした人はその隙に逃げていた。
一度も振り返らずに――。
守ってくれた相手へ感謝をすることもせず、寿命が少し伸びたことを喜び逃げ去ったのだ。
その事実を叩きつけられながらも彼女は体を起こす。
瞳に絶望の色はない。
あるのは魔物から人を守ろうとする固い決意。
彼女を見た時、俺は地面を蹴る。
弾丸のように兵士級たちの中へ飛び込み、雷切を振るう。
一体、一体、また一体、と片手で兵士級の急所を的確に貫いた。
それらを短い時間で倒すと同時に動きを止める。
キュッと靴底が摩擦熱で音を立てた。
多くの兵士級がいなくなったことで水崎姫香は呆然としている。
「止まるな!!」
怒鳴るように叫ぶと彼女は慌ててその場から離れる。
襲おうとした兵士級の槍が地面を抉った。
間合いを詰めて槍を持つ手を斬りおとす。
回転するようにして兵士級の首の部分を切断する。
これで周りの兵士級はいなくなった。
少しだけこのあたりは安全になる。
腕の中にいる少女は痛みが引いたのか少し顔色が良くなっていた。
しかし、長居はできない。
空の女王はこちらへ向かってきている。
少しでも魔物から遠ざかろうとした時。
「待って!」
水崎姫香が前へ立つ。
この状況で俺を呼び止めた理由はなんとなく察しが付く。
――何者か。
――敵なのか?
あの英雄(笑)のようなことを尋ねるのだろう。
冷めた目で彼女の事を見ていた。
しかし、
「貴方…」
水崎姫香という少女を甘く見ていた。
「夜明君、なの?」
爆弾を投下した。
一瞬、顔が歪む。
何故だ?
どうして、俺だと訊ねてきた?
黒になった時、俺だとばれるような痕跡は隠している。黒=宮本夜明だとどうして彼女は考えるようになった。
頭の中で混乱しはじめた俺の意識は腕の中の少女の声で引き戻される。
彼女の返事を待たずにその場から動こうとした。
しかし、水崎姫香も答えを求めている。
故に俺の前へ立ちはだかる。
「待って!夜明君なんでしょ?!お願い、教えて、貴方は」
「今はそんな事をきく場合か!!」
彼女はびくりと震える。
少しの動揺を残しながら俺は叫ぶ。
「お前は何のためにここにいる?そんなくだらない質問をするためだけにこんな危険な場所にいるのか?ここは戦場だ。少しの油断が死を招く。戦う覚悟がない奴がこんなところをうろつくな!」
答えを濁し、そんな理由でこんなところにいる彼女を怒鳴ることで逃げるという選択肢を俺はとった。
そうすることで逃げられると思っていた。
甘かった。
水崎姫香という少女はどこまでも心が強い少女だということを欠如していた。
「戦う覚悟なら、ある!」
力強い瞳が俺を捉えて離さない。
「私は守りたい…魔物からみんなを守りたい。この力はそのために」
「くだらない」
吐き気がした。
目の前の彼女の決意はあの英雄(笑)とどこか似ている。
俺の口は動く。
「お前の覚悟は張りぼてだ。お前はその力を魔物から人を守る為に使うという」
「いけない、こと、ですか?」
「あぁ、お前の守りたい人っていうのは誰だよ」
「それは、大勢の」
「ハッ」
鼻で笑う。
彼女の答えに乾いた声が漏れる。
「その大勢はどのくらい含まれる?まさか世界中の人間を守ろうというのか?温い、甘い、妄想に等しい話だな」
全ての人間を守る。
理想としては高い。
しかし、現実と理想は異なる。
「全ての人間を救うことはできない。俺達の知らない所で人は傷つき、命を落とす。こうして話している間に女王から放たれた兵士級が命を奪っていくだろう。いくら理想が高くても叶えられることとそうでないものがある」
水崎姫香の腕を掴んで引き寄せる。
どうして、こんな説教めいたことをしているのか?
そんな疑問が過るが口や脳は俺の意思を離れて勝手に動いている。
「忘れるな」
彼女へ楔を打ち込んだ。
「実力が伴わらない理想は自分を殺す事になる。お前はそのうち自分を自分の手で殺す事になる」
目を見開いて呆然としている水崎姫香から今度こそ離れようとする。
「貴方は…」
呼び止める声は少し震えていた。
「貴方は、理想や覚悟があるの?」
「理想はない。覚悟ならある」
そう、俺に理想はない。
英雄になりたいと思ったことも、何かへ憧れるようなこともなかった。
その代わりともいうべきか、覚悟は持っている。
あの日から燻って消えない炎と同じくらいの強さのあるもの。
「俺は俺の大事なものを奪う奴に容赦しない。相手が何であれ俺から奪うなら…そいつらから全てを奪い取ってやる。だから、あれは俺の敵だ」
こちらへ向かってくる女王級。
触手をうねうねと動かしながら近づいている。
刀身を覆っている雷が派手な音を立てる。
敵を威嚇していた。
「早く遠くへ逃げろ。お前は足手まといだ」
共に戦うと言い出しそうな水崎姫香へ釘を刺して走る。
本当ならこの少女を安全な場所へ置いておきたいが兵士級がうろついている以上、俺が抱えていた方がまだ安全だ。
「覚悟しろよ。俺は敵に容赦しない」
女王級は近づく餌を転んだのか雄叫びをあげた。
俺が知る限り、鮫の女王と比べて空の女王は攻撃的な能力はもっていない。
厄介なのは空を飛ぶことだが餌を求めている以上、逃げるという選択はないものとみていい。
翼を折りたたんだ空の女王は鋭い足爪で少女を捕えようとする。
雷切で弾く。しかし、爪は思った以上に固く、押し返すことがやっとだった。
カン、カン!と嘴が振り下ろされる。
ギリギリのところで躱すとぽっかりと巨大な穴ができている。
体に受けたらそのまま風穴ができあがってしまう。
うねっている触手が迫りくる。
雷切の超電磁砲でいくつか焦がす。
しかし、触手は再生能力があるようで焦げた所から無数に生えてくる。
女王という名前を関するだけあって厄介な能力ばかり持っていた。
「……雷切では火力不足…なら」
左手へ視線を下す。
伊弉冉なら一撃で空の女王を殺せる。
肝心の左手は少女を抱えていた。
左手を自由にするのはどこかで少女を下さないといけない。
しかし、目の前の女王の猛攻を裁き切るので精一杯の状況で下していたら相手の思う壺。
防戦が長引けばこちらの体力が危なくなる。
最善なのは少女を見捨て、伊弉冉で奴を殺すこと。
それはダメだ。
この子は守る。
少女を失わずに魔物を殺す。
誰かが聴けば無理な理想だと笑うだろう。
理想?違う。
俺はこれを実現させる。
もう、目の前で魔物から大事なものを奪われたりしない。
その時、空の女王がたたんでいた背中の翼を広げる。
翼が近くの建物を壊す。
コンクリートの欠片が運悪く、俺の片目へ落下した。
「グガッ!?」
幸いにもゴーグルのレンズに亀裂が入るだけで済んだが視界と頭が少し揺れた。
出来た隙を女王は逃さない。
足の爪が迫りくる。
雷切を振り上げる時間もない。
腕の中の彼女だけでも守ろうとした時、目の前に割り込む姿があった。
「お前……」
「お、重たい」
バックラーで攻撃を防いでいるのは水崎姫香だった。
一瞬の事でガラスの割れるような音と共に盾が砕け散る。
続いて、嘴が迫る。
彼女は気力で盾をもう一度展開して、防ぐ。
足が地面へめり込む。
「何を、している。すぐに逃げろ!」
ふらふらと立ち上がろうとするも回復に少し時間がかかる。
「嫌だ…!」
砕け散る盾。
再び展開した盾で攻撃を防ぐ。
「お前じゃ奴の攻撃へ耐えられない……すぐにここから逃げろ」
「私、は、逃げない!」
水崎姫香は歯を食いしばりながら答える。
バチバチと盾へ亀裂が入っていく。
数分も経たずに砕け散る。
「もう、逃げ、たく、ないの!いろんなことから…私は、もう、みている、だけ、も、い、いや、だ!」
訴える言葉にはいろいろな感情が入り混じっていた。
後悔、未練、様々なものがぐちゃぐちゃになっている中で、本当の言葉を吐き出す。
「私は、みんなが笑顔でいてほしい!私、の知っている人達が……少しでも幸せでいられるように……だから、だから!」
亀裂の入った盾を構えたまま水崎姫香は強い意志で空の女王を見据える。
止めとばかりに振り下ろされる足の爪。
当たる瞬間、盾が砕け散るどころか眩い光に包まれていく。
「…え?」
派手な音と共に空の女王は後ろへ倒れこむ。
繰り出した足の爪は小さな亀裂が入っていた。
「え、あれ!?」
困惑する彼女は自身の腕を見る。
装着している盾は形と色が変わっていた。
黒と銀の二色、月夜の光を反射するほどの輝き。空の女王の爪を受けたというのに傷一つなかった。