26.一時の幸せ
放課後、俺は学生達に絡まれていた。
囲んでいるのは十人以上の男子生徒。
学年はばらばらだが自分よりも上だという事は嫌でもわかった。
放課後、帰ろうとした時、入口で男子生徒が「宮本だな?」と訊ねてきた。答えるよりも早く他の連中に腕を掴まれて外へ、そして現在に至る。
無理やり振りほどいて去ることもできたが憂さ晴らしにちょうどよかった。
「お前、水崎さんを脅しているというのは本当か?」
巨漢の男子生徒の言葉で「あぁ、なるほど」と理解する。
風の噂で水崎姫香ファンクラブなるものができていることは聴いていた。学校に二人しかいない武器所持者、イケメン男子でもう片方が美少女となれば必然的にそういった集団が形成されるのは当然といえよう。
そんな連中の耳に女神のような存在に近づいている不敬な輩がいるとなれば彼らも黙ってはいない。
自分の考え通りに呆れてしまいそうになった。
周りを見渡してみると様々な人間が彼女へ好意を寄せていることがわかる。
立っている屈強そうな男から細見、知的そうな、何か腹に一つ二つ抱えていそうな奴までいる。
それだけ水崎姫香という少女が好かれているのだろう。
実際、彼女が見知らぬ人間と親しそうに話している所を何度か目撃している。
本当に、楽しそうに話をしていた。
そんな彼女に好意を持つのは当然かと思う。
沈黙を貫いていることで苛立ちを覚えたのか屈強の男が肩を掴む。
手を出したら殴ってやろう。
ふつふつと煮えたぎっている黒い感情が全身を包んでいく。
俺はもう彼女と関係はない。なのに、こいつらは絡んでくる。
いい加減、理解してもらおうか。
「何をしているのかね?」
言葉を紡ごうとした所で頭上から声が聞こえる。
二階の窓から一人の教師が顔を覗かせていた。
誰かが舌打ちをする。
「なんでもありませーん!」と叫んで離れていく。
屈強な男も俺を睨むとそのまま去って行った。
憂さ晴らし失敗だ。
様子を見ていた片桐先生が上から声をかける。
「宮本、キミは何をしているんだ?」
「何をしているようにみえます?」
「有象無象に絡まれている愚かな生徒の図」
辛辣な発言に小さく苦笑を漏らす。
「はっきりといいますね」
「事実だろう?」
片桐先生の言葉に同意する。
あんな連中の相手をするだけ時間の無駄というものだ。
他人を妬むだけで自身は何もしようとしない。
勝手なイメージを相手へ押し付けるだけ、それに合わなければ文句を言う。
そんな連中は有象無象でしかない。相手をするだけこちらの疲労が蓄積されていく。
先生の言葉は正しかった。
教育者としては問題ありだとしても。
「さて、まもなく完全下校の時刻だ。学生ならさっさと帰りたまえ」
言いたいことだけを告げて先生は窓の中へ消えた。
夕焼け空を見上げる。
制服の土埃を払いながら学校を出る。
人混みに紛れようとしたところで後ろから声をかけられた。
「夜明さん!お待ちしておりました」
買い物袋を大量に抱えて笑みを浮かべている吹雪がいた。
「お前…なんで」
「携帯へ連絡を入れていますよ?迎えに行きますから待っていてくださいねって」
慌てて携帯を取り出す。
「……あぁ、本当だ」
画面にメールの受信がある。
どうやら有象無象に絡まれた際に届いていたらしく、気づいていなかった。
未読メール109件。
「多すぎじゃないか?」
「まだまだ足りないくらいです。夜明さんが大好きですから」
「愛が重たいな」
「軽い愛なんて愛じゃありません」
「そうか」
愛というものに関して独特の感性を持つ吹雪に勝てる見込みはゼロだった。
「結構な量だな。手伝おうか?」
「いえ、夜明さんの手を煩わせるなんて失礼はダメです!任せてください。こうみえても怪力なんですよ」
細身の腕をみせるようにして微笑むが説得力がありすぎた。
超重量の大剣を振り回して平然としているのだ。この程度の荷物も苦にならないということか。
どうでもいいことに感心していると吹雪が体を近づける。
互いの体温が感じられるほどまで近づく。
「歩きにくいだろ?」
「そうかもしれないですけど、吹雪は満足です」
「何が?」
「夜明さんの体温を感じられるからです!」
「大きな声でいうな」
周りの視線が鬱陶しいから。
俺の顔を覗き込むようにしていた吹雪は呆然としていた。
「どうした?」
「いえ、何でもありません…………今日、決行ですね」
ぶつぶつと呟く吹雪と共にアパートへ戻る。
アパートへ戻ると吹雪が料理を始める。
共に生活を始めてから料理の本や作った料理を食べるということを繰り返したことが良かったのか、めきめきと料理の腕が上達し始めていた。
当番制で今回は吹雪が料理当番だ。
その間に俺は部屋の掃除や明日のごみ当番が回ってきていないかの確認をしておく。
一通りのチェックを終えてリビングへ戻ると料理のおいしそうな香りが漂ってくる。
「おいしそうだな」
「見た目がまだまだですけれど、どうぞ!」
にこにこと笑顔で吹雪と向かい合う形でテーブルへつく。
ご飯、赤だしの味噌汁。野菜炒め、トンカツ、焼きビーフンと数と量が多い。
「どうしたんだ?嬉しいことでもあった」
「まー、これからに向けて体力をつけておこうかなと…ささ、夜明さんも食べてください」
吹雪に促されて料理へ手を出す。
最初の頃と比べるとおいしくなったなぁと遠目になりそうになった。
吹雪が一方的に会話して頷くという時間がしばらく続いた頃。
「夜明さん、学校で何かありましたか?」
食器を片付けてのんびりしていた時、不意打ちのように吹雪が話しかけてきた。
「なんだ?唐突に」
「だって、最近の夜明さん様子がおかしいです。無理に笑顔を浮かべているような」
「そんな…ことはないさ」
嘘だ。
水崎姫香と決別してからより偽物の笑顔を浮かべることが多くなっていた。
元々、ちゃんとした笑顔を浮かべたことが限られた数しかなかったからか、余計にあぁ、自分は偽物の笑顔だなということがわかる。
本物の笑顔なんてあの日を境に浮かべることがなくなっていた。
笑顔を浮かべようとすると俺の中でどす黒い炎が燃え上がる。
あの日の事を思い出してしまう。
親友を守れなかったこと。
――白い奴。
水崎姫香を狙っていた奴を始末したことで目的の第一歩は踏み出せた。けれど、同時に奇妙な鎖が巻き付いて離れない。
水崎姫香という存在が気になる。
力を使って彼女を守った。代償として彼女の記憶を奪い平穏な生活へ戻った…筈。
それなのに彼女は俺から離れない。
記憶を消す際に嫌悪感が持つよう仕組まれているのだが、どういうわけか消す前の状態とほとんど同じ…いや、それ以上だった。
記憶を消したのは一人で生きていられるように。俺という個人に依存させたくない。
何より影の事を知らずにいてほしかった。
影を知れば組織が管理しようとしてくる。そうならないための予防策。
それなのに近づいてくる。
――笑顔で。
接しようとしてくる。
触れ合おうとしてくるのだ。
今回の拒絶で彼女と壁を作ることが出来た。
これから今迄みたいに接してくることはない。
安心していいことなのだが、どういうわけか落ち着かない。
何かがざわざわと――。
「風呂に入ってくる…………いっておくが入ってくるなよ」
「ケチィ」
吹雪へ釘を刺して風呂に向かう。
以前、何も言わなかったことで突撃されたことがあったからこその対策だ。
体を洗ってから湯船へ体を浸ける。
俺の体は切り傷やら火傷等の“傷”が沢山ある。
この“傷”は掃除屋になるため、掃除屋になってから多くのイレギュラーホルダーと戦ってできたものだ。
深い傷ばかりが多くて隠すことが出来ない。この傷をみた連中によって俺は不良という立ち位置ができた。
嫌われている原因の一つともいえるが、別にいいだろう。
天井へ手を伸ばす。
制服に隠れて見えないが横に走るような傷が目に入る。
奴を捕まえる時に負った傷。
ノワールと戦った際のもの。
「奴が何を考えているか知らないが…俺は」
思考の海へ沈もうとした時、水の音に交じって近づいてくる足音がある。
「来たか…」
風呂へ入る際の吹雪へ警告。
以前、俺が入浴中に突撃しようとしてきたことがあった。
その時は撃退したが、今回はその対策を怠っていた。
衣が擦れる音が止んでいる。
ガチャリと扉が開く。
「お邪魔しまーす」
やってきたのは吹雪。
俺が文句を言う前にシャワーを使って体を洗う。
しばらくして吹雪が湯船に入ってくる。
狭い湯船に二人っきり。
それだけの事なのに俺の体の中へ湯の暖かさとは別の温もりを感じ始める。
ぴっとりと吹雪が体をくっつけてきた。
艶を含んだ笑みを浮かべる。
「流石夜明さんですね、無駄のない肉体です」
「お前もだろ?」
吹雪はタオルを巻いていない。
天井から落ちた水滴が彼女の輝くような肩から大きな胸元、くびれたウェスト、そして。
俺は視線を外す。
「もっとみてくれてもいいんですよ?」
目が合った吹雪は妖艶な笑みを浮かべながら顔を近づける。
互いの吐息が届く距離。
吹雪の攻撃は続く。
湯船の中にある俺の手を掴んで自らの豊満な胸を掴ませる。
「おい、いい加減に何の」
苛立ちと別の感情が動き始めたことで吹雪を問い詰めようとした。
「聞こえますか?」
しかし、吹雪の妖艶さを含んだ言葉に動けない。
動けなくなった。
「聞こえますか?私の心臓の音、夜明さんに触れたからこそこんなに反応するんです」
手を通じて伝わってくる心臓音。
普通よりも高いビート。
熱のこもっている目は俺から離さない。
「夜明さんが何に苦しんでいるのか吹雪はわからないでしょう…でも、癒しになることはできます。吹雪は夜明さんのために…すべてを捧げる覚悟です」
頬へ手が伸びる。
女の子の手にしては少し固い、肉刺ができた掌はごつごつして。
彼女の体へ視線を向ける。
鍛えられている体と無数の傷。
俺と比べると目立つわけじゃない、でも、わかってしまう。
掃除屋として汚してきた体。
そういうものがあったとしても俺の前にいる吹雪は初恋の相手を、つまり俺をみている。
きっと俺や彼女は綺麗な死に際を迎えることはない。だったら、その時が来るまで幸せな時間を少しくらい満喫しても…。
「だから、夜明さん」
両手が俺の頬に触れる。
そして、甘えるように、おねだりをするように耳元で囁く。
「怖がらずに吹雪を受け入れてください」
潤っている瞳を見つめていると頭の中が白くなっていく。
考えることをやめよう。
目の前の少女を受け入れよう。
今だけはこの幸せの時間に沈んでもいいだろう。
脳裏にある少女の姿が過ったがそんなことはどうでもよくなった。
彼女を抱きしめる。
男とは違う柔らかい体。
吹雪の体の体温、鼓動、吐息が全て感じる。
目の前の艶をもつ唇と自分の唇を重ねた。
最初は短く、けれど、段々と長く続ける。
味とかそういうものはよくわからない。
けれど、人と触れ合うことが少なかった俺にとってこの感触や温もりは刺激的なものだった。
もっと味わいたい。もっと欲しい。
その衝動に駆られ、目の前の少女を求める。
「吹雪…」
「はい、吹雪はここにいます」
頬を赤く染めている吹雪へ中に渦巻く気持ちを吐き出す。
「俺は、お前が欲しい」
「うふふふ、もっと、もっと欲してください。そうして、吹雪だけを見てください」




