小説未満「パスワード」
思い出すのは辛いだけだから、鍵をかけてしまっておく。
彼との電話の後に私は、そう誓った。
楽しかったこと、悲しかったこと、妬いてしまったこと。
春も夏も秋も冬も。朝も昼も夕も晩も。365日のすべて。
彼が写るシーンをすべて、鍵をつけて思い出せなくする。
この先に思い出して、立ち止まることのないように、私は彼との思い出にサヨナラをするつもりだ。
そうと決まれば、早速やってしまいましょう。
私の記憶の中から、彼の写るシーンをピックアップする。
すべて選択をし、『ふういん』フォルダに移動する。
パーセントが上がる度に、段々と記憶がぼやけていく。
彼とあのときどこにいったか。彼はあのとき何て言ったのか。
彼はあのとき何がしたかったのか。彼はあのとき何て言わなかったのか。
そもそも彼とは誰か。
Now MemoryFile Transferring...
100%が表示され、記憶がきちりと整理される。
フォルダを作ったあとは、しっかりと鍵をかける。
パスワードはめちゃめちゃにしてしまおう。
もう二度と開けないように。もう二度と思い出せないように。
キーボードをめちゃめちゃに叩いた。
万が一でも覚えてしまわないように、打ち込んだパスワードは見ずに決定した。そのまま、テキトーにフォルダを投げ込んだ。
私はきちんと思い出を忘れ、封印できた。
……なのに何故、思い出してしまうのか。
彼の名前を見るたびに、どうして思い出が溢れるのか。
彼から貰った手紙、スマホの電話帳、友達の言葉、同姓同名の誰か。
その一つ一つに反応して、私は一つ一つを思い出す。
そして、辛くなるのだ。
こうなることを恐れてパスワードはめちゃめちゃにしたはずなのに。
なのにどうしてなんだろう。16桁のパスワード。
それは、彼の、キミの名前をしていたんだ。
……これじゃあ、忘れることなんて出来ないじゃない。