第16話『滴水の洞穴』
滴水の洞穴の構造を端的に言えば、床・壁・天井の全てがやや青みを帯びた岩石で構成された簡素な洞窟であった。
洞穴と銘打っておきながらその内実は初心者の洞窟と然程変わらず、せめてもの相違点を上げれば洞穴内に何処からともなく薄ぼんやりとした光がさしているため光源が必要無いこと位だろうか。
しかし、構造は同じであれど出現するモンスターには何一つとして共通する点はなかった。
人間と蜥蜴を足して二で割った様な姿で大柄な体格に、岩製の自然武器である剣や槍で武装したリザードマン。
蟷螂をそのまま数十倍も大きくした姿形に青みがかった体色が目立つブルーマンティス。
体表は黒と蒼が入り混じった短毛で覆われており、また見た目はオオコウモリを思わせる大きな体と比較的発達した視覚器官をもった蝙蝠で、低次ではあるが水属性魔法も扱えるブルークフーデ。
主に微弱な酸と粘性のある液体で構成された肉体(水体)を、核と呼ばれる魔力操作器官によって巧みに操り、獲物を捕縛し消化することで補食・吸魔活動を行うアクアスライム。
水玉模様の表皮とやや間延びした顔つきが特徴的な大きな蛙で、種族的特徴として鳴き声には複数の状態異常を引き起こす効果をもつ小气蛙。
といったように、疾“風”の平原では風に関するモンスターが良く出現していたが、どうやらこの滴“水”の洞穴もそれに倣うように水に関したモンスターや、水から連想させられる体色をした生物が多数出現するようだった。
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前述で滴水の洞穴を四方が青みを帯びた岩石で囲まれた簡素な洞穴であると表現したが、ではその内部構造も含めて単純であるかのと言えばそうではない。
むしろ、何本も枝分かれした横穴が存在し、また変わり映えのしない洞穴内の景色は非常に迷いやすい作りであると言えるだろう。
そして今、その言葉を証明するかのように、それぞれが別々の横穴からやって来て会敵した大小様々な影が、洞窟内のひんやりと湿気った空気を切り裂きながら蠢めいていた。
「すまんクロ、引き付けきれんかった! そっちに蝙蝠と蟷螂が一体づつ向かってる!」
「了解!」
リザードマンが降り下ろしてきた長剣を短刀で力任せに弾き飛ばしながら、アネハが発した注意喚起の言葉に短く了解の意を返す。
そしてその直後、崩れてしまった体勢を直そうと隙を見せるリザードマンの腹部に勢いよく短刀を突き刺した。
「─ググググググッ」
「『致命 』!」
体力が三割ほど減り呻き声を上げるリザードマンを無視し、未だにリザードマンの腹部に刺さっている短刀を両手で持って、スキルの発動と同時にそのまま勢いよく胸部まで移動させる。
腹部から左胸そして右胸へ、ちょうど数字の7を逆順で描くように短刀で胴体を切られ体力を全損したリザードマンは、その場に死体となって地面へ倒れ伏した。
《現在までの戦闘経験でスキル『致命』のレベルが上がりました。》
「おっしゃ!」
滴水の洞穴に入ってから幾度目かの戦闘で初めて遭遇したリザードマンを倒せた嬉しさに小さくガッツポーズをとる俺だったが、ふとあることに気がついて思わず間抜けな声をあげてしまう。
「……って、ああ!?」
──唐突だがここでリアルワールドのモンスターにはそれぞれ二種類の死に方がある事について説明しよう。
リアルワールドのモンスターは絶命すると『黒い霧となって霧散して消える』または『実体をもつ死体となってその場に残る』等の二種類の死に方が必ず設定されている。
どうして大抵のモンスターに態々こんな二種類の死に方が定められているかの理由は割愛(というより未だ詳しくは判明していないので省略)するが、双方の死に方の落とし物の取得方法の差には大きな違いがあった。
先ず前者は、黒い霧となって霧散した時点で落とし物とお金が一定確率でインベントリに自動追加される仕様になっている。
対して後者は、残った死体に〝解体ナイフ〟と言う名前の特殊アイテムを突き刺すと、死体が解体されて落とし物を取得するという流れになっている。
──つまり、リザードマンを刺し殺した短刀を引き抜くより先に死体となったリザードマンがうつ伏せに地面に倒れた結果、まだ戦闘中だというのに現在の自分にとって唯一の武器である短刀が、リザードマンの死体の下敷きになり使えなくなってしまったのだ。
「このッ……動け…って重たあ!?」
180cmほどの体高をもつ筋肉質なリザードマンの亡骸はかなり重く、爬虫類特有のぬめり気のある外皮や鱗と相まって非常に持ち上げ難いものだった。
「こなくそッ! 持ち上がらな──「避けろクロ!」
アネハの警告が耳を打ち、咄嗟にリザードマンの亡骸から手を離して体をよじる。その直後、先程まで自分がいた場所に水の塊が小さな破裂音を伴い着弾した。
誰の攻撃かは姿を見ずとも理解できた。この洞穴に出現する生物の中で魔法を使えるモンスターは一種類しかいないのだから。
『キィイヤィィイャィィィェイィィ!!』
奇襲に失敗したことを理解したブルークフーデがその苛立ちを表すかの様に大音量で喚き散らす。
おおよそ蝙蝠が上げることはない長く甲高い叫声がワンワンと洞穴内に響きわたり、俺とアネハは堪らず顔をしかめてしまう。
「かーッ、こいつは堪らん。さっさと殺ってくれ!クロ」
「言われなくても分かってる!」
成人男性の頭ほどもある大きな胴体を小刻みにユサユサと揺らしながら、再度魔法を撃つ予兆を見せるブルークフーデ。
しかし魔法の発動を止めようとしても、それは用意ではなかった。
ただでさえ宙に浮かぶブルークフーデには攻撃の手が届き辛いというのに、一時的とはいえ武器を失った今の俺では尚さら打つ手は少なく限られてしまっていたのだ。
「何か、何か手頃な大きさの───あった!」
注意は依然ブルークフーデへっ傾けつつ、俺は目当てのモノが地面に落ちているか血眼になって探し、そして見つけだした。
「頼むから動いてくれるなよ……」
見つけ出しのは拳大ほどの角ばった只の石ころ。
それをブルークフーデへと狙いを定め、大きく振りかぶって投げつけた
「せい!『投擲』!」
スキル『投擲』による補正と高いSTR値から繰り出された投石の速度は尋常ではなく、高い風切り音を伴ってブルークフーデへと一直線に飛来する。
自分に向かってくる投石に気がついたブルークフーデは、咄嗟に回避しようと素早く翼を動かした。しかし、避けきれず飛膜に大きな穴が空いてしまう。
《現在までの戦闘経験でスキル『投擲』のレベルが上がりました。》
『ギャイィヤィィィャイェィィ!?!』
飛膜に怪我を負った痛みからなのか、或いは飛行を維持できないことへ焦燥感からなのか、地面に落下しつつ今まで以上の音量で叫び散らすブルークフーデ。
そのまま緩やかに地面へ不時着したブルークフーデは尚ももがきながら甲高い鳴き声をあげ続けた。
絶好の攻撃チャンス。
リザードマンの亡骸に近づき、傍らに落ちていた岩製の剣を拾い上げる。剣は何の変哲もない打製石器で短刀と比べたら粗悪な品ではあるが、一匹の小動物を仕留めるには十分な凶器になるだろう。
剣の表面を覆う不揃いな凸凹を無意識に指の腹で撫でつつ、未だに鳴くのを止めないブルークフーデの元まで向かう。
そして暴れるブルークフーデを何とか抑え、その腹部と胸部にそれぞれ一回づつ岩製の剣を突き刺した。
「これで4匹目っ───だ『致命』!」
『……!………?!』
背後から奇襲を仕掛けようと振り下ろされた青色の大鎌を予定通りのタイミングで回避し、そのまま大鎌の主──ブルーマンティスの首元へと岩剣を滑らせる。
致命スキルの発動と共に青色の表皮を突き破り容赦なく首の中に侵入した岩製の剣は、直ぐにブルーマンティスを死に至らせるのであった。
《現在までの戦闘経験でスキル『斬撃強化』のレベルが上がりました。》
《現在までの戦闘経験でスキル『致命』のレベルが上がりました。》
「5匹目、あと4匹」
ブルーマンティスの首を穿った際に刃半ばで砕け折れてしまった岩剣を無造作に地面へ放り投げる。
微かな破砕音を響かせながら地面に並ぶ小石の群れへ仲間に加わっていった岩剣から意識を外し、辺りを見渡す。
ブルーマンティスを始め、ブルークフーデ、リザードマン、そして出会い頭に最優先で殺した小气蛙、先程までの戦闘で倒したそれら全ては実態を持った骸となって、そこらかしこに転がっていた。
俺はリザードマンの死骸に近づくと、やや居た堪れない気持ちを抱きながら右足で死骸を蹴り飛ばしてその体をひっくり返させる。
そしてリザードマンの胸部に深く突き刺さったままだった短刀を力任せに引き抜いた。
以下、作中内で登場した魔法の詳細テキスト
【 魔法『水彈』 】
主に低次の水属性魔法しか扱えない弱い魔物が使用する魔法。
発動に伴い水の塊を生成し、その形状を維持した状態で任意の方向へ射出する。
少しでも魔法をかじった者が見れば、この魔法は人が使用する水属性魔法『水彈』と何ら変わらないモノだと解るだろう。
浅ましいものだ。人と魔が解する法の違いに、如何なる差があると言うのか。