第6話『仕方がない』
「と、いうわけで。レベリングを手伝ってくれないか?」
「いやいや、何が『といわけで』だよ」
時刻は三時間程進み、午前11時33分。
これは俺が3限目と4限目の間にある10分休憩をとっていた最中に、何か得心した表情を浮かべた翔大と交わした会話である。
翔大が発したお願いは、若者が多用するような脈絡や主語を綺麗に省いた(今日はまだ朝のHR以降一度も翔大と喋ってはいなかった)言葉であったため、俺には意味がわからなかった。
やや強い語調でこんな返答を返してしまったのも咄嗟の事に驚いてしまったからだろう。
暫く二人とも無言になり、教室で他の級友達が騒いでいる音だけがその場に漂う。
お互いに「は?」と固まった状態で静止した姿は端から見れば滑稽なものだったのだろう。
それが理由ではないのだろうが、俺達のおかしな様子を見ていた者によって二人の間に流れた静寂は直ぐに破られることとなる。
「……なにしてんだお前ら」
呆れたと言わんばかりの声音で投げ掛けられた質問。
俺と翔大が声の聞こえときた方向へと顔を向けると、ちょうど俺達を見下ろしている視線と目があった。
見下ろすというのは決して比喩表現ではなく、俺達が椅子に座った状態であるとともに、声をかけてきた人物が立った状態だったのだ。
河石 誠治
俺や翔大と同じクラスの級友で、翔大の幼馴染でもあるため、俺や翔太と並んでよくつるむ友人だ。
河石は幼少期からスポーツを好み、現在では部活動に参加しているため体つきは同級生と比べてかなりがっしりとした体格をしており、またその身長はまだ高校生になったばかりだというのに身長が181cmもあるというクラスの中で一番背が高い男だった。
「もう一度聞くけど、なにしてたんだ? お前ら」
「あ、ああ……」
何やら不思議そうに小首を傾げる河石に対し、俺はやや歯切れが悪い返事を返してしまう。
今から数ヶ月前(つまり中学三年生の時)に知り合った仲である俺にとって河石との付き合いは比較的浅い。
控えめに友人とは言っても、やはり50cm以上の高低差をもって唐突に話しかけられば、一瞬ではあるが後ろめたさはなくとも自然に話すのを躊躇してしまうのだった。
「……それがさ、何か翔大がリアルワールドのレベリングを手伝ってく────」
「わー!わー!わー!わー!!」
「ン゛ンッ!?」
俺が質問された内容を河石に答えようと口を開いて話始めたところで、唐突に立ち上がった翔大の左手に口を塞がれてしまう。
今まで静かだった翔大が急に動いた事や、自分の口がいきなり押さえつけられて塞がれた事態に酷く驚いた俺は、訳もわからずくぐもった声を上げた。
しかし翔大はそんな俺をすまなさそうに一瞥しただけで放置し、訝しげに俺達のことを見る河石に向けて慌ただしく捲し立て始めた。
「あー……たっ、卓人とはリアワのレベルアップの設定について話し合ってたんだよ!」
「へー、リアワってつまりはリアルワールドの話か」
はじめ翔大の行動に虚をつかれ固まっていた河石だったが、翔太が度々起こす奇行にはもう慣れたと言わんばかりに目の前の出出来事を黙殺した。
「そうそう、卓人はゲーム内でもけっこう稀なビルドだからさ、やっぱり違いはあるのかなって思ってさ」
「ふーん。じゃあついでに聞いておくけれど、翔大のお勧めの種族と職業って何か教えてくれないか?」
「別にそれは構わないけど……でもなんでわざわざそんな事を───ってそうか、そういや誠治は今日からリアワにログインするんだったな」
「そういうこと。アーリーアクセス版っていうんだっけか? この学年であのゲームを既に遊んでるのってお前らしかいないかったから色々聞きたくてな。──ところで翔大」
「ん、なんだ?」
「俺の気のせいでなければ、さっきから卓人の様子がちょっとおかしいんだが」
「えっ……」
翔大の左手の先には、赤い顔から青い顔に変わりつつある状態で恨めしげ視線を向けてくる卓人の姿があった。
そして、翔大と河石が卓人に意識を向けたその直後に、卓人の首はガックリとだらしなく横に倒れて動かなくなってしまう。
「「あっ」」
再び翔大から無意識にこぼれた「やっちまった」という声と、河石のもらした驚きの声が綺麗に被る。
流石、幼少期からの幼馴染というべきなのか、翔大と河石の二人がとった目前の出来事に対してのリアクションは、その後にとった行動のタイミングや目的も含めて至極似通ったモノであった。
ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー
「──それにしても……意識飛ぶかと思ったわ!まったく!」
時間はあれから更に一時間ほど進み、現在の時刻は午前12時36分。
これは私立四根木高校では昼休みが始まったばかりの時間である。
翔大による悪意の無い口封じ(物理)によってほんの僅かの間ではあるが意識を飛ばしかけていた俺は、四時限の実に9割をボーっと過ごした上で漸く今頃になって漸く我に帰っていた。
さて一時間ほども呆けてしまっていた理由だが、親友の奇行に呆れ果てていたのか、はたまた低酸素状態になったことで思考力が奪われてしまっていたのか、その片方かも知れないし両方なのかも知れない。
ともあれまずは頭を刺激する空腹感を満たすために、翔太と河石と肩を並べて昼食の弁当を広げたところで、翔太に向けて放った言葉がこれであった。
「い、いや……やらかした本人である俺が言うのもアレなんだが、僅か数秒間ではあったけれど確かにお前の意識は飛んでたぞ……。なあ誠治?」
「ああ、俺もついに翔太が人をヤっちまったかと思って驚いた」
「…………」
「「…………」」
ところで、昼食と言えばこの学校は早弁(昼休み以前に持参した弁当を食べる事)を禁止しているため、昨日の俺と翔大のように食堂で昼食をとる人を除いたクラスメイトの大半は、この教室で弁当やパンをたべることになる。
それが全ての原因であるとは言わないが、入学式からまだ一月とちょっとしか経っていないというのにこのクラスでは既に昼食時の大まかなグループ分けが出来上がっていた。
例えば、一列に肩を並べる者達を始めとし、四人で向かい合う女子達や、一人でじっとしている者、二人だけで話し合う者や、机を動かし仮初めの長机にして昼食よりも談笑にふけるやや大勢の集団、といった具合にその構成は様々だった。
そして俺の場合、上記の中から選ぶとすれば最後に挙げた大勢で昼食をとるグループに属していることになるのだろうか。
昨日は俺と翔大の二人が弁当ではなく食堂での食事だったので男二人の昼食風景が描写されていたが、普段は俺と翔太と河石を含めた地元の中学から付き合いがある友人4人と、この学校で仲良くなった友人3人の計7人で弁当を食べることが常だった。
……といっても今日は諸事情により俺と翔大と河石の3人しか教室で食べる弁当組がいないので、この言葉に説得力はあまり無いかもしれないが。
「そ、そういや誠治、RWのステ振りの仕方はこれで大体はわかったか?」
露骨な翔大の話題反らし。それを理解しているのかは定かではないが、翔太の言葉に河石が「ああ」と頷きを返す。
どうやら河石は俺がボーっとしていた間に翔大からリアルワールドについて、おすすめの種族や職業を聞いていたらしい。
翔太によって意識を失いかけた俺ではあるが、別段、翔大と河石に対して怒りなどの悪感情を抱いている訳ではない。
なので俺はそういった理由から自分の不平不満を垂れ流して彼らの話を遮らないよう、わざわざ翔大の話題そらしを指摘せずに、口を噤みんで弁当箱に入っているミニトマトを口にしながら二人の話に耳を傾けることにしたのだった。
「大体は理解した。要はバランスの取れたステータスが一番基本的だし色々な武器や防具や魔法が試せるからまったりと楽しむには便利ではある。
が、その反対に何かに特化したステータスの場合は、要所要所での活躍ができる上に平均的という枠に入らないので、バランスがいいステータスとはまた違った楽しみかたができる。
──ただし、どの種族・職業でも体力が少なくなるものを選ぶのは極力避けること。逆にそれを念頭においてさえいれば何を選んでも良い。だったよな?」
「そゆこと。まあ結局はたかだかゲームなんだから、どんなビルドを選ぶのだとしても“楽しんだ者勝ち”になっちゃうんだけどな」
翔大の言葉に河石が肩をすくめる。
「少なくとも俺は序盤のステ振りを失敗したら楽しめないだろうから、こういった情報はありがいたいだかな。……何はともあれ教えくれてありがとう翔大」
「おう。これからも何か質問があれば遠慮せずに聞いてくれて大丈夫だからな」
「ああ、そうするよ───ガアッ!?」
翔大との会話を終わらせたその直後に、突如として意味不明な叫び声をあげて苦しみはじめる河石。
慌てて机に置いたのであろう箸が軽い音を鳴らして床に転がるのを耳にしながら、すわ何事かと目をまるくする俺と翔大は、河石がちょいちょいと指をさす物とその声で納得することになる。
「にっがぁ」と涙目になりながら河石が指さしていたのは『煮付けた大根』だったのだ。
「大丈夫か河石?」
「すまん、ちょっと飲みもん買ってくるから席外すわ……」
「あ、おい──」
河石はそう言い残すや否や俺と翔大が心配して口を開く前走って教室を出ていってしまう。
突然起こった小さな事態に他のクラスメイト達の注意が向いて辺りは多少静かにはなるが、僅か十秒もしないうち元通りの活気を取り戻していった。
とそこで、河石がいなくなったことにより俺の頭にはとある疑問が浮かびあがっており──それは即座に自分の口から放たれることになる。
「なあ翔大。一時間前に俺に話したレベリングの話って──もしかしたら河石に聞かれたらマズイものだったのか?」
「……ご名答。よくわかったな」
「そりゃあ、あんな分かりやすい反応されたらな。で、その理由は?」
「え、いやそれは……」と口をモゴモゴと動かす翔大。
俺は目線をせわしなく左右に動かす翔太に対してやや語調をきつめに問いただし、
「渋らずに、いいから言えよ」
「……実は──」
そして、翔大の口にしたその理由にほとほと呆れ果てるのであった。
ごくごく稀ではありますが、苦い大根の中でも「到底人の食べれるものではない」と思ってしまうほどに苦い大根って……ありますよね。