第1話『残念ながら』
喧騒とはまさしくこの様な状況のことを指すのだろう。
乳白色の壁に囲まれたこの部屋には、少なく見積もっても10人以上が座れそうな木目調の長机が等間隔に幾十も置かれていた。
そして、各長机の間には特に目立った装飾は施されていない無骨な椅子が2列になって並んでおり、その2列の椅子の上に背中合わせになった状態で沢山の人間が座っていた。
沢山の人がいれば、それだけで騒がしくなるものだ。
椅子が床のタイルや机と擦れる音を始め、
カチャカチャと食器同士がぶつかる微かな音。
めいめいの人が昨日の何気無い出来事や自分の思考を隣と、あるいは向かいの者と話し合う声。
喧嘩か、はたまたただの挨拶か、ともかく絶えず耳に入ってくる怒号や叱咤。
思い思いのやりたいことをやり、己の三大欲求の一つを満たそうとする彼等の様子は、見る人が見たら異様に感じられるのかもしれない。
「最近思ったんだけどさー」
「うん?」
「なんというか、人間って全然進歩してないよな」
「……?」
ここは四根木高校の敷地内にある学生食堂。
学生の懐にやさしい料金設定と、是も非も無い絶妙な味が特徴であり───まあ要するにこれと言った特徴も名物もない平均的で酷く平凡な学生食堂だ。
俺こと霧山卓人は、友人である綾峰翔大と一緒にここで昼食をとっていた。
メニューは翔大が親子丼で、俺はカツカレーだ。
俺は口内で咀嚼していたものを静かに嚥下すると、手に持っていた銀色の匙をまだ食べかけの食器の上に置いて口を開いた。
「俺の記憶違いじゃなければ、確かお前、その真逆の内容をリアワの運営開始日から昨日にかけて頻繁に言ったよな?」
「ははん。それはそれ、これはこれさ」
「相変わらず都合のいい言葉だなぁ……それ」
「ありがとう!そしてありがとう!」
「はいはい、スカイハーイ スカイハーイ」
食堂内は依然として騒がしく、俺達が交わした他愛もない会話は直ぐにガヤガヤとうるさい喧騒にのまれて消えていった。
ふと、香辛料によるピリピリとした刺激に喉の渇きを覚え、手元にあるトレイの上にのせていたコップの水を一気に呷る。
氷に冷やされた水によりコップの表面には薄らと結露した水滴が生じており、キンキンに冷えた水が香辛料による刺激と火照った体を収めていくのを感じた。
飲み干したコップを手元のトレイの上に置き、
「で、話を少しずらしちゃった俺が聞くのも何だけど、結局今回は何が言いたいんだ?」
「別にそんな大層な事を言おうとしている訳じゃないよ、ただちょっとARの技術について考えててさ」
「ARがどうかしたのか? 確かお前ついこの前も嬉々としてARについて語ってたよな?」
「いやな、そういうのじゃなくて、単に昨日公的機関への導入問題についての記事を偶々見てさ、それをさっき思い出したからつい口から出たんだよ」
「ああ、なるほど……」
AR。
『Augmented Reality』という言葉の頭文字をとった省略語であり、日本語で意訳すると『拡張現実』という言葉になる。
意味は読んで字の如く“現実の拡張を行う”、つまり何らかの手段・媒体を通じて世界を認識する際に、任意の電子的情報を付加する技術だ。
例を挙げるなら、SF映画やSF小説等のSF作品に度々描写されている空中に浮かんだ状態で表示される情報郡(若干の差異はあるものの概ねその様なもの)である。
翔大が話した“AR技術の公共機関への導入問題”とは、このAR技術を信号や道路、駅や空港といった公的設備や公的施設に設置するに際して、多くの専門家達の間で提起されている議論の事だ。
そもそも何故ARを導入する事になったのか?なのだが、導入推進派の意見は彼等曰く “社会福祉並びに国民の生活水準の向上を図ると共に、祭事や緊急時において迅速かつ正確な情報伝達を可能にする為”。
それに対して導入反対派の意見は“既存の公共設置の全てをAR表示に変えるのは非常に難しいものであり、またARという一見多目的な手段に思えてその実非常に限定的手段であるモノに公共福祉を高める可能性を見いだすのは到底不可能である”。
……まあ、要約すれば推進派は「AR便利だし実装しよう」で、反対派は「いや全然便利じゃないから止めようや」という意見の元に対立しているのだ。
俺は残り少なくなってしまったカレーを、行儀悪く匙の先でつつきながら口を開く。
「翔大はどう思ってんるんだ? 公共機関にARを導入するかしないかについて」
「うーんそうだなぁ……。いらない、かな。現状の設備でそれほど不便を感じないし、第一要らなくなった信号とかどう撤去すんだって話だし……撤去にも処分にもARマーカーの設置にも金がかかるからなあ。で、そういう卓人はどうなんだ?」
「俺も翔大と同意見だよ」
ちなみに、先程説明した問題において、導入反対派は何も無根拠で反対している訳ではない。
AR導入に際して懸念されている大きな問題──即ち身体的不自由を感じている者に対しての配慮不足と、必然的にAR視認機器の着用を余儀なくされる事──を抱えてしまうから、といった理由がある。
確かに、信号機を始めとし、駅の時刻表、お店の看板、空港や駅にある反転フラップ式案内表示機、地域の公開掲示板、境内図、そういった日常においての細々とした物から大事なものまで、それこそ無くては困るものが全てが特殊な機器を携帯し装着しなければ見れなくなってしまうというのは、やや不便が過ぎるだろう。
そしてなによりも、お金がかかる。
ARの設置は国が指導して行うものなので、当然だが国のお金がつかわれる。
そして、それは国民の血税でもあるのだ。
まだ消費税位しか払っていない学生がいうのもちゃんちゃら可笑しい話だが、自分達が汗水流して納めたお金を、成功するか分からない(しかも現状問題を抱えている)政策で、いたずらに使われるのは誰だって嫌に決まっている。
そういった考えからも、大概の国民から公共機関にARを導入するのは敬遠されていた。
そして俺も(おそらく翔大も)それと同じ理由で、この問題の推進には否定的だった。
「話戻すけど、なんと言うかなぁ……このパックジュースを見てもそうなんだけどさ、1960年代から2000年代初頭までの技術の飛躍ぶりと比べると全然技術も人間性も進化してない気がするだよ」
「技術の進化って……70年代と今年を比べても、それこそ去年と今年とを比べても充分な進化を遂げてるだろうに……。ってパックジュース?」
「これだよ、これ。こいつ」
翔大は食べ終えた親子丼の丼をトレイの端に寄せて、手にしていた真ん中がややへこんだ紙パックのジュースを、俺の前に置いた。
自分で見て確認してみろ、と言いたいのだろう。
俺も食べ終えたカツカレーの皿をトレイの端に寄せると、紙パックを手にとって暫く具に観察する。が、何も分からない。
わかったのは、これが精々普段から目にする極一般的(?)な紙パック ということ位だろうか。
「えーと、つまり……何が言いたいんだ?」
「この紙パックのジュースはな、表面のラベルと中に入ってるジュースのフレーバーを除けば、その製法も素材も2000年代初頭──つまり今か50年以上前のモノと何一つ変わってないんだよ」
「は、はあ」
「これがどういう事かわかるか? 紙パックを作る技術の進化は止まっている、或いはもうしなくて良くなってるんだよ。 それは何故? 決まっている。消費者である俺達大衆が『もうこれでいいや』って妥協をしたからだ! そしてこれは紙パック以外の他の事象にも当てはまる! 例えば────」
翔大の語調が徐々に激しくなり始める。
自分の持論をとうとうと話しているうちに、熱が入り始めたのだろう。
恐らく翔大は今の自分の状態に気がいついていない。
時折、この親友は興奮するあまり手がつけられなくなるのだ。
「おーい、翔大ー?」と呼び掛けても、尚止まらずに話続ける翔大。
ああ、駄目だ……完全に酔ってやがる。遅すぎたんだ。
って冗談を言ってふざけている場合ではない。
食堂はあれほどの盛況が嘘のように静まり返っており、人影は2,3人ほどしか見当たら無かった。
もう昼休みが終わる頃なのだろう、よく見るとまだご飯を食べている最中なのは生徒ではなく、次の時限に担当がないのであろう教師達だった。
「なあ翔大、もう昼休みも終わるし流石に────
その時、俺の言葉の上に重ねるかのように大きな鐘の音が、校内に設置されたスピーカーから流れ出した。
このチャイムはお昼休みが終わっ事を校内の人間知らせるのと同時に、今から5時限目が始まりますよ という合図でもある。
重低音により鼓膜と横隔膜がビリビリと揺れるのを感じていると、「えぇ!?」という声が前から聞こえてきた。
「た、卓人、今のって……」
「5限目が始まるチャイムだよ」
「今、何分?」
「5限目が始まるんだから、多分15分」
「次の授業って確か」
「国語、いや現国だな」
「現国の担当の先生は──「 TKA!! 」」
二人の声が綺麗にハモり、思わずニヤリとする俺と翔大。
「ってそんな事してる場合じゃねぇ! ご馳走さまでしたぁ!」
「ああ! 翔大、お前何自分だけ早く行こうとしてんだよ! 待てこら!」
ご馳走さまでした!と手を合わして跳ねるように席を立つ。
ガタガタと慌ただしくも椅子が床と擦れる音をだしてしまい、食堂内の注目を集めるが無視だ無視。
食べ終えた食器を載せていたトレイごと食器返却棚へと返却し、食堂の出口へ走りだす。
食堂のある校舎と俺達が本来今居るべき校舎は、道路を一つ挟んで隣立している。
そのため、俺達が目的の教室に着くには少なくても後3分は絶対にかかるだろう。
TKAこと高先生は遅刻者に厳しい。
更に自分が主担任として請け負っている生徒に対してはそれが顕著になる。
俺達がどうなるか等、もう言わずもがなであった。
ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー
時は過ぎ、あれからから約6時間後となる放課後。
俺と翔大は四根木高校の正門前の広場を並んで歩いていた。
「あー……だっる」
翔大の口から唸る様な呻き声がこぼれる。
「同感……」
俺も翔大と同じ抑揚で相槌を打った。
クラスメイトが今の俺達の事を見れば、何時もより尋常にない程に疲れているという事に気がつくだろう。
そして普段から冗談を言い合っている仲の奴なら、「お務めご苦労さーん」と言ってニヤニヤとした笑みを浮かべるのかもしれない。
俺と翔大が何故こんなに疲れているのかなのだが、今日の授業が格別にキツかった……なんてことではない。
最終授業である7時限目は今から3時間前に終わっているのだから、三時間もすればどれだけ授業で疲れても流石に元気になるだろう。
俺達が疲れている原因はそれとは別に、7限目の授業終了後から今さっきまでの間にTKAの手伝いをさせられていたのだ。
──5限目の始め、遅刻したことに謝罪をした上で教室の中に入った俺達を待っていたのは、TKAの怒声ではなく「そうか」という短い言葉だった。
理由は分からないけれど怒られなかったという事実に内心 意気揚々としていた俺と翔大だったのだが、その後──7限目が終わりHRの時間にて衝撃的な言葉を耳にする。
「綾峰、霧山、これが終わったら手伝って欲しい事がある。分かっていると思うが無視して帰るんじゃないぞ? 今日の授業に遅刻したんだ、サボったら現国の平常点を0にするからな」
当然、TKAによる理不尽な命令に俺と翔大は異議を唱えた。
だが、担任であるTKAの圧力と、なにより遅刻をした俺達に非があるのだと論破されてしまい、しぶしぶ手伝うことになったのだった。
「今何時……って もう7時半過ぎというか8時じゃん!」
「今から帰っても翔大が自分の家に着くのは8時半は越えてるな、ドンマイ」
夏至が近い5月の半ばだというのに、すっかり地平線の彼方へと消えていった太陽。
その代わりだと言わんばかりに、白色に薄ぼんやりと光るが月夜空に浮かんでいた。
「…………」
「…………」
「あーあ……」
「はぁ……」
二人から何度も吐き出されるため息。
これだけ聞けば俺達はTKAの手伝いで疲れたのだと思われるかもしれない。しかし、それは間違いだ。
俺と翔大が何故こんなにため息をつき、憂鬱そうな表情を浮かべているのか。その理由は───
今日の午後5時が、フルダイブ型VRMMORPG《Real World》の約一週間に渡る長期メンテナンスの終了時間だったのだ!
え? そんなこと?
なんて思う人もいるだろう。
確かにたかだかゲームのメンテナンスが終わるだけなのかもしれない。
けれど、俺と翔大にとって嵌まっているゲームのメンテナンス終了後に直ぐログインするというのは、一種の楽しみでもあったのだ。
それなのに、楽しみであったメンテナンス終了後に直ぐログインする事が出来なくなってしまった。
しかも、そうなった原因は紛れもなく自分達であるという事実に、より一層悲しみが深まってしまう。
結果、俺と翔大は悲しみに明け暮れながら帰路につくのであった。
次回の更新は11月30日(水)です。