第43話『情報』
「卓人? おーい、たーくとー、聞いてんのか?」
「あ、ああ……」
プレイヤーによるNPCの殺害。
俺は翔大から聞いたその見覚えのある言葉に大いに驚き、そして驚いた拍子に手に持っていたペンを無意識に放してしまう。
手から離れたペンはそのまま机を転ると、そのまま『カチャッ』と音をたてて床に落ちた。
俺の停止していた思考はその音で再び動き出した。
何も言わずに落ちたペンを拾い俺の机に置き直してくれた翔大に「ありがとう」と礼を言いつつ、俺は翔大に答えた。
「……すまん、聞いてなかった。もう一度言ってくれないか?」
「別に良いんだが……それよりもお前調子が悪いのか?
少し前に似たような会話をリアワでもしたような記憶があるし、それにお前の顔色すっげぇ悪いぞ?」
「大丈夫。だから続けてくれ」
続きを急かそうとする俺に対し暫く心配する素振りを見せる翔大だったが、「まあ本人であるお前が良いと言うならそれで良いんだが……」と何やらモゴモゴと呟いた後に話を再開した。
「……ネットって物は恐ろしいもんでな、やろうとしたらちょっとした情報だけで個人情報を簡単に特定できるんだ。まあお前なら先刻承知なんだと思うが、VRの仮想ネットワークはこれが更に顕著になる。それこそ非合法的かつ悪質な手口ならば対象の指名・年齢・住所、挙げ句は国民ナンバー・生体ナンバー・全てのパスワードを暴き盗む事も可能だ。これまではいいよな?」
「大丈夫。知っていたしちゃんと理解もしているよ」
宿題を解く手を止めて翔大の顔と正面から向かい合いながら、俺は首を縦に小さくふる。
それを見て「別に手は止めなくていいんだぞ?」と勧める翔大に、俺は「もう終わりそうだから大丈夫」と答えた。
「それより──」
「ああ、ごめんごめん。ちょいと話を伸ばし過ぎちゃったみたいだな。……まあ要は俺が言いたいことはだ、なんと、その事件における犯人の個人情報──それもプレイヤーネームから始まり現実の本名や住所まで全て──と犯行現場や犯行直後を撮ったスクショが、大量にネットでさらされているんだよ! まったく酷い話だよな」
「つまりそのプレイヤーは悪質な特定行為を受けて特定されたったてことか?」
「そういうこと」
俺は「いやー怖いねー」とわざとらしく腕や肩を擦る翔大を見ながら考える。
NPCを殺害したプレイヤーなど心当りは一つだけだ。
無論、確認しなくてもわかる。それは俺だ。
昨日の夜──正確に言えば今から数時間前──に俺は確かにゲイツを殺したのだ。
……だが、あの時俺の周りに人がいた?
犯行時のスクショが撮られているということは、そこに人が、プレイヤーがいたということになる。
それは少しおかしくないだろうか?
特別なクエストであったために、俺はゲイツ宅の地下室に行けたようなものなのだ。
それなのに一般のプレイヤーがあの場に居合わせ、なおかつスクショを撮る程に余裕があったと考えると、妙な違和感に苛まれた。
「……ちなみに翔大はそのさらされた犯人の事について何か知らないか?」
「お、その様子は興味がわいてきたか!?」
「まあちょっとな。……でそれよりどうなんだよ翔大」
「んーちょっと待っててくれよ」
俺の質問にそう答えた翔大は机の横に掛けた鞄から小さな携帯端末を取り出した。
見るからに古い端末だ。
翔大が手にしているその端末は所々塗装が剥げてしまっていたり、あちこちに小さな傷がついていた。
それは数年どころか、それこそ十数年も前に電子機器製品で有名な会社から売り出されたものだった。
どう見たって酷く型落ちしたその端末であるが、古いもの好きの翔大らしい携帯端末でもあった。
翔大は端末を操作しながら口を開く。
「口で説明するよりも実物を見せたほうが色々と楽だろうからな。ちょっとな待ってくれよ……っとあったあったこれだ。ほい」
「ありがとう」
翔大から端末を受け取り、画面に表示されている内容を見る。
どうやらネットのニュースサイトの記事らしい。
幾つかの写真とそれらの下に添付されている文字がよく目についた。
「それを要約すると。犯人のプレイヤーネームは〝kaito〟本名は言う必要が無いだろうから言わないけど、種族は半・火蜥族でメインとサブジョブは剣士と銃士の男性プレイヤーらしい。NPCを殺した経緯はよお分からんが……どうやらNPCとの間に何らかのいざこざがあったみたいだな」
「へえ……」
翔大の言葉を話し半分に聞き流しつつも読み進めていくこと暫し。
俺は自分自身がとても冷静かつ落ち着いた状態になっていくのがなんとなく理解できていた。
どうやら記事を見るに、事件が起きたのはメイラードの南門を出た直ぐの場所であり、その時の時刻は写真からAM.11:27だと察せられた。
これは事件が昨日の昼頃に、今から大体20時間程前に起きたことを意味している。
──つまり、この記事と事件に俺の事は一切記載されておらず、それは即ち、俺の犯した行為はまだ誰にも知られていないことになる。
それが良い事なのか、はたまた悪い事なのかは判らなかったが、少なくとも俺の心を落ち着かせる材料にはなったのだった。
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それからリアワについての無難な話や世間話をしていると、朝のホームルームが始まり、そして授業が開始された。
結局、あんな恐ろしい状況を味わってからまだ半日も経っていないというのに、俺の日常生活や学校生活にはなんの変化も起こらなかった。
休み時間にはクラスメイトと馬鹿話に花を咲かせ、授業中はしっかりと集中する。そんないつも通りの極ありふれた日常だったのだ。
さて、所変わって俺は今自分部屋にいた。
そして、手には昨日の夜中にベットに放り投げたまま放置していたヘッドギアを持っていた。
どうやら俺は自分で思っていたよりも頭が悪く、馬鹿だったらしい。
昨日あれほど恐ろしい光景を見て、かつ もう暫くはヘッドギアに触れるものかと考えていたにも関わらず、たった一日の普段通りの平凡な一日を過ごしただけで、その意識は揺らぎ始めていたからだ。
誰からも自分の行いについて責められず、また見知らぬ人が多くの人に非難されているのを見ると、人間として終わっているのかもしれないが、どこか安心している俺がいた。
あれは存外、極めて悪い行いではなかったのでは?と。
そんな風に頭の中でグチャグチャと考えているの止めると、なるべく無心でヘッドギアを頭にかぶってベットに横たわる。
あのあとどうなったのか。
それを確認するために。
次回の更新はやや長く、8月11日です。