第42話『具合』
目が覚めてまず目に入ってきたのはよく見知った天井だった。
それもその筈、それは小学四年生の頃に与えられそれ以降今日までずっと使っていた自分の部屋の天井だったからだ。
朧気であった意識が徐々に鮮明になっていくのを感じて、ヘッドギアを着けたまま上体を起こす。
ヘッドギアの目を保護する為の薄暗いバイザー越しに見ているため少し違和感はあったが、今自分がいる場所は紛れもなく自分の部屋だった。
俺はヘッドギアをやや乱雑に頭から外しながら、枕元に置いていた目覚まし時計を手に取った。
時刻は3時24分。
カーテンの隙間から覗く外の景色が真っ暗であるので、まだ早朝……というよりも深夜の3時だろう。
俺は目覚めし時計をヘッドギアと同様に無造作にベットに投げると、ベットから降りて部屋の扉へゆっくりと歩きだした。
扉を開けて部屋の外へ出る。
そして廊下を進み木製の階段をよたよたと下りて一階に下りると、洗面所で顔を水で洗い、近くにあったコップに限界まで水を貯めて、それを一気に飲み干した。
(はぁ………はぁ………はぁ……)
安堵からか、はたまた倦怠感からか、俺は洗面台に両手をついた状態のままで大きく息を吐く。
次に深く長い深呼吸の後に、洗顔をしたまま水を拭っていなかったためポタポタと髪や顎から水が滴る程に濡れそぼっている顔を、近くにあったタオルで拭き取った。
そしてその場で固まること暫し。
目が覚めた直後からずっとなっていた頭痛は心なしか少し弱まったような気がし、ふらついていた体も幾ばくかマシになっているのを感じた。
(…………ふぅ)
俺はもう一度大きく息をはくと、洗面所を出てリビングにあるソファに座り込んだ。
ソファに座って一息ついた所で、俺の頭の中で “あの出来事” について思考を巡らした。いや、もう今の俺の頭ではそれしか考えられ無くなってしまったと言うべきなのかもしれない。
あの出来事。
それは何なのか?
──そんなもの決まっている、俺がrealworldというゲームの中で起こした惨状の事だ。
幾度も殴打されボロボロになった女性、鼻孔を激しく刺激する鉄臭い匂い、ヌメヌメと赤黒く流れる粘液、そして愉悦の表情に歪んだゲイツの頭部と、手に握っていた血濡れた短刀。
どの光景も脳裏に焼き付いて離れなかった。
そしてその凄惨な記憶は、自分自身に自責と弁明という名の責任転嫁をさせる要因となってしまっていた。
すなわち、
「俺はやってしまったのか? ……殺してしまったのか? だってそうだろう、あれはリアルだった。余りにリアル過ぎていた。だからあの時俺が殺したのは本当はゲームのキャラではなく、実は人間だったのでは───
「いや違う! あれはゲームだ。たかだかゲームなのだ! そう、幾多もの作品であった筈だ。敵を倒し、村人を殺し、人を騙し、復讐し、命を奪う。ボタン一つで行ったあの行為を、画面越しではなく仮想現実として体感したら────ここまで惨いことなのか? ここまで酷いものなのか!? 」
吐き気がした。
自分に対してか、それともあの現実に対してか。
口を手で覆いながらその反対の手で頭を強く押さえつける。
意味も理由もない行動。
しかしそれをしなければ何処か頭がおかしくなってしまうのではと錯覚してしまう程に俺は混乱していた。
──と、ふいに窓の外を眺めると日が登り空はだいぶ明るくなっていることに気がついた。
(もう……朝か……)
このままソファに座りながらあれこれ考えていると頭がおかしくなってしまう。また、こんな状態ではとても寝れるとは思えない。
そう考え、そんな結論に至った俺は、直ぐに立ち上がると自室に戻り学校の支度をはじめる。
──外の空気を吸えば少しだけでもこの気分は安らぐだろうと思いながら。
そして、これから当分はrealworldの世界に戻る事はないだろうと思いながら。
ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー
結局、外の空気を吸うという理由でいつもより早い時間に家を出て学校へ向かったものの、俺の気分に大した変化は感じられなかった。
とはいえ何も変わらなかったという訳ではなく、気持ちはかなり落ち着きを取り戻し、吐き気や頭痛も感じられなくなる程には治っていた。
俺はまだ数人しかいないガラガラの教室に入ると、幾人かのクラスメイトにお早うと挨拶をしつつ自分の席に座る。
そして鞄から古典の教科書とノートと筆箱を取り出すと、やり忘れていた古典の品詞分解の宿題を消化していく。
20分程だろうか? ちらほらとクラスメイトが挨拶と共に入室してくるのを横目に見ながら机と向き合って勉強していると、突然体をガクガクと揺さぶられた。
「おーっす! お早う卓人!」
そのテンションと言動から、俺の体を揺さぶった人物が誰かは簡単に予想ができた。
「おう、お早う翔大」
翔大は俺の肩に置いていた手を退けると、隣にある自分の机に鞄をかけてドサリと席についた。
「その古典の宿題をやっている事から見るに、今日はいつもより早く起きて学校に来たのか?」
「ご名答。ちょっやり忘れててな」
「あらら、大変なこって」
翔大は笑いながらおどけるように肩をすくめると、「ああ、そういえば」と話しを続ける。
「興味を持つかわからんがrealworldの中々に衝撃的なニュースがあるんだよ」
「衝撃的なニュース?」
「うん。なんとゲーム内で “殺人” が起きたんだってよ!」
「────え?」
一瞬我が耳を疑った。
始めは翔大の話が理解できなかったが、直ぐにそれの意味を理解する。
俺は震える手と体を押さえつけながら、意を決して翔大に問いかけた。
「殺人って……一体……どういう事だよ……?」
「そのまんまさ、呼んで字の如く。プレイヤーによるNPCの殺害。──それが昨日ゲーム内で起きたんだってよ」
次回の更新は7月28日(木)です。