第33話『導因』
「はぁ……」
小さな溜息を吐きながら、俺は手に取っていた幾つかのクエストが書かれた紙を元の場所に刺し直していく。
ギルドに入ってから約10分後。
俺は張り出されている様々なクエストを見ているうちに、色々な事が徐々にではあるが分かり始めていた。
例えれば同じ内容の様に見えるクエストでも、報酬の金額が異状に高いものや、反対に異状に低いものがあること。
討伐数や納品するアイテムの数が三桁という気が遠くなる程多いものがあること。
クリア推奨Lvの項目に 『○○というスキルを所持』『魔攻力が30以上必須』 といった内容が枠外までビッチリと埋められていたり、それとは別にクエスト受注可能レベルという項目が設けられているクエストもあること。
また幾つかクエスト説明やクエストの内容には、運営の茶目っ気なのか巫山戯ているのかは判別できないが、なかなかにぶっ飛んだモノがある等々。
数十枚はある張り出されているクエストには多種多様な種類があった。
それこそピンからキリまで。
だが、大量に貼り付けられているクエストの紙とは裏腹に、俺の心は酷く落ち込んでいた。
無いのだ。
俺がクリアできそうなクエストが、一つも無いのだ。
体感ではあるがクエストボードに無秩序に並んでいるクエストの推奨レベルは、その殆どがLv20以上(なかには80以上も)あり、今の俺(Lv.7)では到底クリア出来そうになかったのだ。
(道理で他にプレイヤーがいない訳だ……)
冒険者ギルドと聞けば運営開始直後の〈始まりのダンジョン〉に我先にと集まるプレーヤー達の様に、興味や期待で胸を膨らませながら押し掛けて来るプレイヤーも少なからずいる筈だ。
それなのに今この冒険者ギルドには、机に突っ伏している酔っぱらいと受付の人、そして俺しかいなかった。
憶測だが、ゲームを始めて直ぐにチュートリアルダンジョンではなく冒険者ギルドに行った人等が、仲間や掲示板に「ここに行っても意味がない」という噂を流したのだろう。
流石に一週間もすれば、数千人いるプレーヤーといえどある程度は噂や見聞も広がる事だろう。
つい一週間前に運営を開始したばかりなのだから、プレイヤーの中での最高到達レベルはまだ低く、精々15に到達しているプレイヤーが数人いるかいないかといった所の筈だ。
そして、まだ大概のプレーヤーが俺と同様にレベル10に達していない現状、高難易度のクエストしかない冒険者ギルドに人が寄り付かなくなるのも、けだしむべなるかな。仕方がない事なのかもしれかい。
(…しょうがない。諦めるか…… )
クエストの場所がダンジョンといった街の外ではなく、比較的安全な、もっと欲を言うとするならば街の中で死ぬ危険を一切心配する必要がない、いい暇潰しになるようなクエストを探していたのだが、生憎ここには無いようだ。
あるのは必要とするレベルが始まりの街で要求するモノではなく、かつクエストの達成には長い時間とそれなりの死の危険が伴う難しいクエストばかりだった。
……人の悩みにとやかく言うのは非常に自分勝手で自分本意な考えではあるのだが、もうちょっとこう日常的な、というよりも安易な悩み事を抱える人はいないのだろうか?
どちらかと言えばモンスターの討伐といったファンタジー関連の悩みではなく、ペットの散歩や引っ越しの手伝い等の現実の社会で存在している様な悩み事が好ましく、俺は半ばそれを当てにして冒険者ギルドに入ったのだが……。
まあ、無いなら無いで仕方がない。──もう出るとしよう。
偶々興味を持って入っただけで、冒険者ギルドに対してそんなに強い思い入れはなかった。そして、いい加減ただ自分にクリア出来ないをただボーッと眺めるのにも飽きてしまった俺は、その場から離れる事に特に後ろ髪を引かれる事もなかった。
(あーあ。時間を無駄にしちゃったなぁ……)
俺は諦めと後味の悪さを感じながら、ギルドの出口へ向かおうと足を踏み出した。
──その時だった。
(ん…………?)
ふとクエストボードから右に少し行った所にある鹿のような生物の剥製に目が留まる。
それは微かな違和感だった。
カサカサという音を聞いたような、或いはチラチラと動く黒い物を見たような、そんな違和感だ。
平常時の俺ならば気のせいだと断じて立ち去っていただろう。
だが、期待はずれに嘆息していた事で多少周りに対し神経質になっていた俺は、その違和感の正体を確かめようと鹿の剥製似近づいた。
近づくにしたがって鹿の剥製にカーソルが出ると同時に、アイテムの情報が説明されるウィンドウが表示される。
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ブレインディアーの剥製 [頭部]
品質 : ( A )
希少性 : ( 8 )
重量 : ( 10 )
分類 : 装飾品
ー説明ー
指揮鹿とも呼ばれているブレインディアーの剥製。
非常に綺麗な仕上がりとなっており、中々の一級品。
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どうやら只の鹿の剥製ではなく、ブレインディアーという名前の生物の剥製であったらしい。
近づくにつれ分かったことなのだが、薄く開いた口にはおおよそ草食動物の持ちえない、それこそ肉食動物が所有しているような鋭利で獰猛な歯牙が覗いており、目尻は鋭く、死んだことで光を失った目からはえも言えぬ圧力を感じられた。
(うひゃー、なんか怖えーよコレ…………って、うん?)
そこで俺は違和感の正体に気づく。
どうやら規則正しく生え揃ったブレインディアーの下歯と上歯の間に何かがあるようだ。
(一体なんなんだ……?)
疑問に思い小さくあいた口の間に手を入れること少し。
俺は無事に『何か』であり『違和感の正体』であるそれを取り出す事に成功した。
(黒い……紙……?)
それは黒い紙だった。
そして小さく折り畳まれたその紙を拡げると、こんな事が書かれていた。
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【生ヲ穿ツ者】
分類: -
発注者: -
クリア条件: -
クリア報酬: -
クリア推奨レベル: -
[クエスト説明]
発注者による特別な審査あり。
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(クエスト……なのか?)
白い紙に黒い文字で記されているのではなく、黒い紙に白い文字で記されているという差異や、大抵の項目が記入されていない点はあるものの、その紙に書かれている文字の構造はつい数分前までに自分が見ていたクエストの紙と酷似していた。
俺は直感した。
「これは今迄見ていたクエストとは全く違う、特別なクエストだ」と。
それは決して先述した様な歴とした差異に対してではなく、もっと抽象的な事に対しての 勘 であった。
────気づいた時には足が動き出していた。
ギルドの出口に向けて、ではなくクエスト受注カウンターへと。
ーー◇ーー◇ーー◇ーー
ギルド嬢は少しの間驚きの顔を浮かべた後に、「担当者を呼んできますので少々お待ち下さい」と言ってギルドの奥へと消えていった。
それから、
一・二分程して裏から出てきたギルド嬢は、「お待たせしました。どうぞ此方へ」そんな発言とともに俺を何処かへ連れて行こうとする。
どうやら件のクエストの『発注者による特別な審査』はギルドの個室で行われるらしい。
言われるがままに俺はギルド嬢の後を追った。
─────何も考えずに行ったその行動。しかしそれが自分の価値観を、ひいては 人生 を変える大きな導因であった事に、この時の俺はまだ気がついていなかった
次回の更新は5月30日(月)です。