第1話『始まり始まり』
「──えー、この1965年から約5年間の間続いた好景気のことを、当時の人間は感謝の意を込めて『いざなぎ景気』と呼び──」
四根木高校1年6組の教室は静まり返っていた。
30人程いる筈の教室は黒板の前に立って教鞭をふるう先生の声と、コツコツとチョークが黒板を打つ音しか存在しておらず、身動ぎ一つ、物音一つしなかった。
その理由は生徒の約7割が爆睡、2割がラクカギやボーっとしているからである。
そして、かくいう俺こと霧山卓人もつい先程まで夢の世界へ旅立っていたのだが……。
「ふむ……。科学技術は日々進化を遂げているとよく耳にするが、いやはや、やはり人間の向上心は実に素晴らしい! そう思わないかね?相棒」
右隣の席から突然そう声をかけられ、肩を揺さぶられる。
俺は机の上に突っ伏して寝ていたことで固まっていた体をバキバキとほぐし、深呼吸と共に大きく伸びをすると、右隣の人物へ顔を向けた。
「いや、思うもなにも……いきなりどうしたんだよ翔太?」
無論。授業中なのにも関わらず喋りかけてくるなよ、なんて事は言わない。俺も寝ていたからね。
「ああ、TKAの話しを聞いてたらさ、ふとあることを思い出したんだよ」
「TKAの話?」
TKAとは別に何処かのアイドルグループの略称をさしているのではない。これは今俺達の目の前で教鞭を振るっている、高 路載先生(64歳)の愛称だった。
読み方はそのままティーケーエー。誰が名付けたかは知らないが、妙にしっくりくる名前なのでこの学校の大半の生徒が彼のことをそう呼んでいる。(※先生自身はこの事知らない)
「思い出したって何をだよ?」
「掘り出し物だよ掘り出し物。また新しく見つけたんだよ、良いフリーゲームを!」
「フリーゲームってまたVRゲームのか?」
「そうそう。聞いて驚くなよ?今回は俺が見つけた中でも最高クラスのもんだぜ」
翔大はサムズアップをしながら良い笑顔で笑いかけてくる。
「最高って……お前それ前にも言ってなかったか?『今度こそ』とか『ついに』とか謳い文句つけてさ」
「確かに俺はそんなバーゲンセールにでも並んでる様な安い文句でお前を誘っていた。だがしかし!この作品はそれまででもずば抜けて凄いといえるだろう!」
「ちょっ、翔大声がデカいって。TKAに怒られるぞ」
綾峰 翔大十六歳、俺の幼馴染みだ。ついでにオタクでもある。(翔大曰く色んな分野に浅く広く手を伸ばしているから、にわかでありオタクではないらしいが、俺から見たら立派なオタクである)。
そんなチャームポイントは?と聞かれたら『全身です』と答える彼の一番の趣味はゲームである。それも古今東西様々なゲームを集めるのが今のマイブームらしい。
始まってから三秒後には死んでしまうゲームから始まり、段差につまづくだけで死ぬ探検ものや、最新技術であるVRシステムを駆使した永遠に蝿を蝿叩きで叩き続けるゲーム等、クソゲー・神ゲー問わず、面白いと感じたら自慢兼俺と一緒に遊ぶ為に、俺の元へと持ってくるのだ。
──ちなみに、翔大の掲げている座右の銘は『旧き物は良き物である』なんだとか。
それはさておき、いい加減翔大のカモンカモンというゼスチャーが鬱陶しく思えてきた俺は、
「で、一体なんなんだよその凄いゲームの内容は?」
さっさと話を終わらせようと、そう翔大に話しかけた。
「よくぞ聞いてくれた卓人よ。さて、俺が発見してきた素晴らしいゲームの名前……それは『痒いの痒いの飛んでいけッ』だ!」
「はぁ?」
大仰な動きと長い溜を作った後に翔大が発した内容に、俺は耳を疑った。
痒いの痒いの飛んで行けってなんだよその幼稚なネーミング。どう聞いても面白さなんて感じられねぇよ。期待性も将来性も皆無だろ。よくお前そんな題名のゲームに手を出したし、出せれたな。というかそれ言う為だけに俺を起こしたのかよ。
俺はそんな愚痴とも不満とも言える感想を翔大に言おうと口を開くが、此方に向けて差し出された翔太の手によって止められてしまう。
「待て待て、お前の言いたいことも分かる。『なんだその幼稚なネーミングセンス、絶対に面白くない』だろう?」
「うぐっ」
図星である。
「確かに、俺も始めは痛いの痛いの飛んで行けという有名な言葉のオマージュというか、ぶっちゃけパクりであるこの作品を侮っていた。だがしかし!それは大きな過ちだったんだ……」
「いや過ちって、……そんなに面白いのかよ、その痒い痒いの飛んで行けっていうゲームは」
「あたりめぇよ、 ラビュタは本当に有ったんだ って叫びたくなる位凄ぇんだよ」
それはま大袈裟な……。
「大袈裟じゃないんだよ、卓人、お前もやってみるといい。あのゲームは…………やるぞ?」
翔大はそう言いながらも口角をつり上げて笑う。その顔を見た俺の脳裏には、前翔大に見せて貰ったというか見せられた、ネット上で世界一格好いい白いデブと揶揄されているあの少佐殿の様が浮かんでいた。
「まあ冗談はさておき、今日は待ちに待ったあれの運営開始日なのは覚えているよな?」
俺は大きく頷く。
「もちろんだ」
「今日は短縮授業のおかげで午前中授業だからな。家から学校までの距離が短いお前なら帰宅するのに10分もかからない筈だ。そしてあれの開始時刻は2時からだ。だとしたらぶっちゃけあれが始まるまで手持ち無沙汰だろう。そうだろ?」
「そうだな」
「だったら、暇潰しがてらにやってみるのも一興だと俺は思うぜ」
翔大の発言内容をよく吟味してみる。これといった反論する理由もなかったし、恐らく翔大の言う通りになるだろうという結論に帰結した。
「…確かに。お前の言うとおりだな」
「おお!さすが卓人、理解が早くて助かるぜ!」
翔大は笑いながら俺の背中を平手でペシペシと叩く。
痛くはないがうっとおしかったので、「止めろよ」と言うために口を開いたその時だった。
「何をやっとる綾峰!」
怒声が教室中に響きわたる。──TKAだ。
「真面目に授業を受けている生徒の邪魔をしてはならん!」
その声を契機に寝ていた生徒が一人一人と徐々に起き始め、キョロキョロと見渡した後に状況を把握し、「あーあ、やっちゃったな」と言わんばかりに翔大を眺める。
TKAは寝ている生徒に対しては怒らない、生徒の自己責任だからだ。だが起きている生徒に話しかけたり、ちょっかいをかけている生徒を見かけると、烈火の如く怒りだすのだ。
「綾峰ぇ、聞いてんのか!?」
「は、はいっ」
TKAの説教はとても長いことで有名だ。
翔大に対するTKAの小言は、四時間目の終令のチャイムが鳴るまで続くのであった。
ーーーー
「あー、散々だったぜ」
放課後。
俺が帰宅の準備を整え、教室から出ようとすると、翔大がそう呟きながら近づいてくる。
「お疲れさん。どうだった?TKAの話」
「いつも通りだったよ。自主性がなんたら、個人の権利や義務がなんたら、相も変わらず同じ様な台詞を繰り返してさ、壊れたスピーカーかよって感じ」
「成る程」
「そうそう卓人」
「なんだ?」
「1:40位に連絡してくれ、普通のチャットでもVRチャットでもなんでも良い。あれの待ち合わせする場所とか決めときたいしさ。……それじゃあまた後で」
「おう」
校門前で翔大と別れた俺は、お昼時により人通りがまばらな道を歩きながら帰路についた。