第七章
「PORラボですか? いやー、わかりませんねぇー」
高宮家のアイシャの部屋。アイシャは電話口から聞こえる、軽薄な声に舌打ちをした。
牧田邸から引き上げた後、早速PORラボについて、馴染みの魔術商である天木に問い合わせてみたのだが、この調子で知らないの一点張りだった。
天木は平気で嘘を付くので、信用はしていないのだが。ちなみに、天木曰く、大体のことは嘘を付いてないんじゃなくて言っていないだけ、ということらしい。天木が情報を漏らすのは、自分に取ってメリットがある時だけだ。それは、自分には無害でアイシャに恩が売れる場合も含む。
PORラボについては、、何かを隠しているのか、本当に知らないのか、判断が付かない。
「そう……天木は知らないのね。PORラボについて、一切、何も」
アイシャが念押しするように言うと、天木はわざとらしく怯えてみせた。
「アイシャ、声が怖いですよー。せっかく可愛い声なのに、もったいない」
「口調が怖くても、私の声は可愛いでしょ」
「あ、それもそうですね! あはは!」
アイシャは天木の笑い声を聞いて、二度目の舌打ちをした。天木にも聞こえているだろうが、天木は舌打ちを気にするほど繊細な神経をしていない。
「じゃあ、牧田っていう魔術商の男は知ってる?」
「個人的な付き合いはありませんねえ。同業者なら、調べればそれなりの情報は出てくると思いますけど、やります?」
「いえ、ならいいわ。どうせ、廃業するか死んでるかだから」
アイシャが当たり前のような口調で言うと、天木は小さく溜め息をついた。
「ああー……その牧田を締め上げて、PORラボの情報を引き出した、って感じですか」
「そのとおりよ。だから、もう牧田はいいの。問題はPORラボよ」
「で、そのPORラボと、探しているHgが繋がっていると?」
「そこが見えないのよね。Hgを探していたら、牧田が私達を呼び出して襲ってきた。牧田に襲えと指示を出したのは、PORラボ。わかってるのはここまでよ」
「うーん……素直に考えれば、PORラボがHgを探してるか、自分の所でかくまってるか、っていうところですかねえ」
「どちらにしても、Hgについての情報を持っている可能性は高いわ。だから、どうしても連絡を取りたいの。何か、良い案はないかしら」
「そうですねえ……Hgは個人だったので、情報の撒き餌も出来ましたが……PORラボの名前を撒き散らして、力技で探すというのは、ちょっとおすすめできませんし」
「そうね。ま、いざとなったらやるけど」
「え……やるんですか? やばくないですか?」
「何がよ」
「いや、バックが天使教会みたいな大きな組織だったら、どうするんですか」
「どうなるの? 殴り合いでしょ? それならそれで手っ取り早いじゃない。うちが一番自信あるやつだしね」
「……殴り合いだけで済んだことないでしょう」
アイシャのわかりやすい考えに、天木が苦笑する。たしかに、腕に自信があるのならば、それが一番手っ取り早いだろう。獅子の心配事は獲物が逃げることだけ、ということだ。
「ま、相手の規模がわからないし、あんまり消耗したくないからね。最後の手段よ」
「ええ、ぜひそうしてください。協力はしますので――ああ、消耗と言えばですね。少しですが魔石が手に入ったので、備えとしていかがですか? お安くしますよ」
魔石。魔力の込められた宝石のことだ。直巳の精霊呼吸を使えば、魔力をぬきだして、伊武や悪魔達の補給に使える。つばめの治療にも。
先日の戦いで、彼女達の魔力は空に近い。魔石や天使遺骸は少しでも欲しい時だったので、天木の申し出はありがたかった。
「助かるわ。あるだけいただきましょうか」
「ありがとうございます。それでは、明日の夜でいかがですか?」
「それでいいわ。いつもどおり、Aと一緒にそちらに伺うから。それじゃ」
「はい。おやすみなさいアイシャ。どうか、良い夢を」
アイシャは電話を切ると、使用人を呼ぶためのベルを鳴らした。透き通った音が屋敷内に響き、ほどなくしてAがやってきた。
「ご用でしょうか」
「明日の夜、天木の家に行くわ。魔石買うから、代金用意しておいて」
「かしこまりました。PORラボの情報は、いかがでしたか?」
「――収穫無しよ」
「天木様も、ご存じなかったと」
「さあ……? 本当にご存じないのか、すっとぼけてるのか……ま、どっちでもいいわ」
アイシャの言葉に、Aは黙って頭を下げるだけだった。
「天木のことは、もういいわ――さて、今夜はどうしようかしら」
アイシャの声が、少し明るいものに切り替わる。
「今晩は冷えますので、火でも焚きましょうか」
「いいわね。それが終わったら、お茶を煎れてちょうだい。火を眺めながら、お茶でも飲んで過ごすことにするわ」
「かしこまりました。では、しばしお待ちを」
Aはうやうやしく一礼をすると、部屋を出ていった。
アイシャは不老不死の影響で眠ることができない。眠ることは、生きているものだけに許された、年を取るための儀式。何万分割した死の一部だ。
それが許されないアイシャは、黙って目を閉じるか、暇を潰して朝を待つしかない。
今日はAに火を焚かせることにした。火と言っても、暖炉などではない。
しばらくすると、窓の外が明るくなった。
アイシャが窓の側に行き、庭を見つめる。
「――今日は、火も煙がよく見える夜だわ」
庭では、積み重なった車が、火の山となって燃えていた。火柱を上げ、ナイフで切れそうなほどに濃厚な黒煙をあげる。
車を燃やすのは、アイシャの趣味だ。いつもなら、自分も庭に出るのだが、こうして窓から眺めるのも悪くない。
窓越しに火のはぜる音、たまに爆発音が聞こえてくる。Aは車を燃やす時に、ガソリン抜かないし、エンジンも取らない。その、想定外の爆発が醍醐味なのだという。
アイシャは、その様子を、「小さな太陽みたい」と言って笑ったことがある。
黒煙が空に舞い上がり、星空を隠す。火は、かすかに輝く月をあざ笑うかのように、赤々と燃え上がっていた。
今度、この火を誰かと一緒に眺めてみようかとも考える。一晩中、一緒にだ。
AやBでは面白くもなんともない。つばめは恐がりながらも付き合ってはくれるだろう。
まあ、普通に考えれば直巳が一番良さそうなものだが――。
「まれー、ねえ……」
一晩中、伊武と一緒に過ごす――二人とも仲が良いわけではない。椿家のリビングでも、二人きりになると、どちらかが自然と席を外すぐらいだ。
お互いが嫌で、あり得ない組み合わせ。だからこそ、やってみたら面白いのかもしれない。退屈しない時間が過ごせるのかもしれないと、アイシャはその様子を想像し、ほくそ笑んでいた。