第六章
アイシャが牧田邸に入ってから、40分が経過した。3人は牧田邸の見える位置で待機していたが、アイシャが出てくる気配はなかった。
後、20分経っても出てこなかったら、3人で牧田邸に突入することになる。伊武はすでに突入準備のために、グローブと、顔の下半分が隠れるマスクをつけていた。Aは何を考えているのか、パーティーで使うようなベネチアンマスクをつけている。ちなみに、直巳はAに渡された、黒いキャップを深くかぶっていた。自分だけちょっとお手軽な気がする。
「……銀行強盗でもするみたいだね」
マスクやキャップをかぶった全員の姿を見て、直巳がボソっとつぶやくと、Aがクスクスと笑った。
「それ、楽しそうですね。今度やりましょうか。ねえ、希衣様」
「椿君が……やりたい……なら」
「いや、やりたくないから」
いつもどおり、まったく緊張感の無い会話をしていると、牧田邸からアイシャが出てきた。入ってから55分経過。危ないところだった。
アイシャが牧田邸から少し離れた所で、直巳達は無言で合流する。先を歩くアイシャは、振り返ることなく口を開いた。
「少し歩くわ。離れてて。いつでも、私を助けにこられるぐらいに」
「かしこまりました」
Aは返事をすると、直巳とアイシャの肩を叩き、離れるように指示した。
少し心配になるぐらいの距離を取り、三人はアイシャを見守る。
「釣れそう……なのかな」
直巳が小声で言うと、Aは、「でしょうね」とアイシャから目を離さずに答えた。
それから数分後。アイシャの目の前に、黒塗りの大きな車が停車した。そして、完全に停車する前に、車内から、4人のスーツ姿の男達が転がるように飛び出してくる。ネクタイをしておらず、スーツは動きやすいようにか、大きめだった。全員、かなり良い体格をしており、荒事になれている感じがする。
「行きます」
Aがそう言った瞬間、直巳達もアイシャの方へと向かっていった。
最初にアイシャに触れたのは、相手の男だった。右手でアイシャの肩を掴んだ――が、すぐに男の手首は妙な方向を向き、アイシャから手が離れる。
伊武が、男の手首を横から無遠慮に殴りつけ、それで男の手首が折れたのだ。
「ぐっ……なんだ! お前らはっ!」
「――お願い」
伊武は悶える男を無視して、アイシャの腕を掴むと、直巳に向かって放り投げた。
「任せろ」
直巳は、アイシャを抱きとめると、かばうように抱えて、男達に背を向けた。
「ったく……殺しちゃ駄目よ。それから、一人は捕らえなさい」
アイシャは伊武に引っ張られて痺れる腕をさすりながら指示を出した。
伊武とAは特に返事もしなかったが、聞こえてはいるだろう。これぐらいのことで、冷静さを失うような可愛らしさはない。
「護衛付きか!」
相手の一人が、スタンガンを伊武の腕に当てた。ジリジリ、という電撃独特の音に合わせて、夜の闇に小さな電光が走る。
「きかない……かな」
だが、伊武の戦闘服には絶縁効果があるため、コートが焼け焦げただけだった。絶縁効果がなかったとしても、伊武にスタンガンが通用するのかは疑問だが。
そのまま、伊武はスタンガンを持った相手の腕を取ると、振り回すように地面に叩きつけた。相手の力を利用してとか、技を使ったわけではない。力任せに持ち上げて、背中から叩きつけた。
「うぐっ――」
相手は小さくうめくと、そのまま黙り込んだ。背中をコンクリートの地面に打ち付けたため、しばらくは呼吸もできないだろう。また、今は本人も気づいていないかもしれないが、掴まれて振り回された腕は、肩が外れている。
一方で、Aも一人を片付けていた。Aに何をされたのかは知らないが、やられた方は目を押さえて地面に転がり、うめいている。Aが手を振ると、指先から、ピッと液体が飛んだ。
「あと一人! 希衣様に譲りますよ!」
「……さぼるな」
伊武は、逃げようと走り出していた最後の一人の肩に手を伸ばし、突き飛ばした。捕まえるのではない。トンと、突き飛ばしたのだ。
「ヒッ!」
突き飛ばされた男は情けない声をあげながら、勢いを殺せず、地面に転んだ。
その鮮やかなやり方に、Aが拍手する。
「そういうやり方もあるのですね」
「逃げる相手を……捕まえれば……抵抗する……突き飛ばせば……転ぶ」
「いや、勉強になりました。女子高生の持ってる知識じゃないですけどね。じゃ、ま、せっかくですから。彼にしますか」
Aが転んだ男に手をかけて、仰向けにする。男は転んだ時に顔から突っ込んだのか、口の周りに血がついている。前歯もいくつか欠けているだろう。
「き、貴様っ!」
男が倒れた状態から、Aの顔を殴りつけた。体制が悪いので、たいして力も入らないのだが、男の拳は、Aの頬に綺麗に入った。
だが、Aは殴られた事実などなかったかのように、優しい声を出しながら、男の顔に手を伸ばした。
「おや……こんなに汚して……」
Aが男の口の中に手を突っ込み、血をぬぐってやる。優しい、優しい手つきだった。
「は……はふぃ……」
男は恐怖のあまり、妙な音を口から発することしかできなかった。
Aは、ひとしきり口の中をかき回すと、ぬらりと指を引き抜いた。汚れた指先を、男の頬にこすりつける。
「後で、ちゃんと治療してあげますからね。切れた口も、欠けた歯も、全部私が治療して差し上げますよ。麻酔はないですが、それだけです」
Aは歯の治療などしたことはない。思いついた治療をして、それを拷問にしようと思いついただけだ。
「ひっ……や、やめ……」
恐怖におののく男の顔を見ながら、Aはにっこりと笑いかけた。
「痛いのが気持ち良くなるまでやってあげますね」
Aがそう言って、汚れた手で男の顔をなで回すと、男はもう、何も言わなくなった。
「――つまらないですね。もっと、怖がってくれないと」
Aは、男がもう逃げないと確信すると、つまらなそうに立ち上がった。これで全員片付けたはずだ。そう思い、倒れた男達を見回した所で、一人が動いているのに気がついた。
「希衣様! 最初の男です!」
「っ!?」
伊武が、最初に手首を折った男を見ると、彼は左手で拳銃を構えていた。銃口はアイシャを狙っている。
「死ね……」
男はつぶやくと、引き金を引いた。
「アイシャ!」
直巳がアイシャを抱きかかえるようにかばう。直巳の叫び声と銃声が、同時に響いた。
次の瞬間、直巳の腕から、ゆっくりと血がにじみはじめた。
「あ――ああ――椿君――」
伊武がパニック状態になり、視線が泳ぐ。もう、自分で自分の制御ができない。
倒れた男が、もう一発を撃とうとした時、伊武が銃と手をまとめて踏みつけた。
「ぐあ――」
伊武が全力で踏みつけたので、銃も手も使い物にならない。
「椿君を――撃ったんだ――ねえ――あなたが――」
伊武が、砕けた手を掴んで、自分の目の高さまで持ち上げる。
「うあ……うああああ!」
男は痛みのあまり、人目もはばからずに叫んだ。
伊武は死んだ目で、そのまま相手を握る手に力を込めた。もう、彼の手のすべては、伊武の手の平に握り込まれている。それでも、伊武はさらに力を込めた。
もう、相手の男は声も上げられなかった。
「希衣様――そこまでです。後は、私が」
Aが伊武の肩を掴み、落ち着いた声で説得する。
「情報はこいつから聞きましょう――大丈夫。殺しませんが、きっちり壊しますから。それでなんとか、収めてください」
伊武は何も返事をせず、男を掴む手に、さらに力を込め始めた。
「直巳様が見ていますよ」
Aが叫ぶと、伊武は体をピクリと動かし、ようやく正気を取り戻した。
そして、一つ深呼吸をすると、震える声でAに言った。
「……任せる」
そういうと、伊武は男から手を離し、地面に落とした。
「椿君!」
伊武は、撃たれた直巳の方へと駆け寄っていく。
Aは伊武の背中を見送ってから、しゃがみ込んで、男に語りかけた。
「――あなた、命拾いしましたね」
男は苦痛のあまり、返事もできない。
Aは、男の頭を撫でながら言った。
「かわいそうに――長い夜になりますよ――人間では耐えられないほどの、長い夜に」
Aが何かをしたのか、それとも痛みのせいか。男は気絶した。
Aは、眠る子供を見つめるような優しい目をしていた。
「直巳、よくやったわね。礼を言うわ」
腕、肩に近い位置から血を流す直巳を抱きしめながら、アイシャが囁いた。
幸い、銃弾はかすっただけのようだった。直巳は出血のショックでふらついているが、命に関わるような怪我ではないだろう。
「俺も……役に立つだろ?」
青ざめた顔で軽口を叩く直巳に、アイシャは小さく笑いながら言った。
「バカね……私はそう簡単には死ねないんだから。ああいう時は、私を盾にすればいいの」
「死なないだけで、怪我もすれば傷みもあるだろ……いってぇ……初めて銃で撃たれたけど……こんな感じなんだな」
直巳は腕に強いうずきを感じていた。アドレナリンが出ているせいか、あまり痛いとは思わない。出血のショックで、目眩と吐き気がするのが、少し嫌だった。
「椿君!」
伊武が駆け寄ってきて、銃で撃たれた箇所の服を、こともなく素手で破いた。
「治療を! すぐに治療を! 弾丸を抜いて、止血して! 縫合しないと!」
「まれー、落ち着きなさい。腕をかすっただけ。弾丸は入ってないわ」
「でも! 早く治療を!」
「そうね。病院はまずいから、どこかすぐに治療できる場所――あそこを借りましょうか」
「どこ! すぐに! 椿君! 私が運ぶから!」
伊武が直巳を抱え上げようとすると、Aに肩を叩かれた。
「希衣様。あなたは、あの男を運んでください。直巳様には、私が肩を貸します」
「くっ……でも……」
「伊武、俺は大丈夫だから。Aの言うとおりにしてやって」
直巳は冷や汗を流しながらも、伊武を心配させないよう、出来るだけ落ち着いた声で話しかける。伊武はもう、今にも泣きそうだった。
「……わかった」
伊武が渋々ながらも返事をすると、直巳は笑顔で返した。
「では、希衣様。一人を残して、後は全員、車に詰め込んでおいてください。携帯は、私が全て破壊しておきました。詰め込むだけで結構です」
伊武は黙ってうなずくと、荷物でも片付けるかのように、倒れた人間を乱暴に車に詰め込み始めた。色んな方向に体が曲がっているが、後部座席に3人放り込んで、無理矢理にドアを閉める。さっさと立ち去って欲しいので、車は壊さない。
そして、直巳を撃った男の首元を掴むと、引きずって連れてきた。
「早いわね……じゃ、牧田の家に行くわよ。治療も拷問も、そこで済ませちゃいましょう」
そういうと、アイシャを先頭にして、一同は牧田の家に向かった。
5分後。玄関を破壊され、伊武に取り押さえられた牧田がいた。
牧田は60歳前後の小太りの頭の薄い男で、資産の価値と比例したプライドを持つような、どこにでもいるタイプの嫌な男だった。魔術師でもなく、戦えるわけでもないので、猫を捕らえるより簡単に伊武に押さえつけられてしまった。
「やってくれたわねえ、牧田。あなたの家を出てから、私達はすぐに襲われたわけよ。あなたがどこかに情報を流したと考えるのが自然よねぇ?」
アイシャは、自分の持ってきた洋酒の箱を開けながら、牧田に話かけた。
牧田は押さえつけられながらも、強気の姿勢を崩さずに反論してきた。
「知らん! 貴様等が勝手に襲われただけだろう! それよりも、私に暴力を振るって、ただで済むと思うなよ! 警察も弁護士も、魔術師にだって私は顔が利くのだからな! 今すぐに離せば、多少の温情はかけてやる!」
牧田は、顔を真っ赤にして怒り狂った。まだ、自分の状況がわかっていないようだ。
アイシャは溜め息をつきながら、洋酒の蓋を開ける。
「自分には力がある。殴られるわけがない。成功した自分は特別だ。みんなが自分に頭を下げるのは、自分が優れているからだ――不思議なのよね。どうして、年を取ると、そういう勘違いが出来るようになるのかしら――まれー、牧田の口を開けてやって」
伊武は牧田の頬を力任せに押さえて、口を開けさせる。
「ま、とりあえず一杯飲みなさいよ。これ、かなりいい酒らしいわよ。ブランデーなんだけどね。うちの執事が自信を持っておすすめするんだから、間違いないわ」
そういうと、アイシャは牧田の口にブランデーを注ぎ込んだ。牧田はむせて、口からブランデーを吹き出すが、アイシャは容赦せずに注ぎ込んでいく。
瓶が空になるころには、牧田は顔中がブランデーまみれになっていた。強いアルコールが器官に入り、牧田は激しくむせ始める。
「ブランデー、美味しかった? お酒が入ったら、口も回るようになったんじゃない? さ、教えてもらおうかしら。私達を襲ったのは誰か。あなたが情報を流したのは誰か」
「ふん! これぐらいのことで、この牧田をどうこうしようなど、片腹痛いわ! 小娘!」
息の落ち着いた牧田が元気に悪態をつくと、アイシャは空になったブランデーの瓶を、牧田の顔の横に思いきり叩きつけた。バン、と弾けるような音がして、瓶が割れる。
アイシャは割れた瓶の先で牧田の顔をなぞりながら微笑んだ。
「お酒だけで足りないようなら――瓶まで飲んじゃう? かっこいいとこ、見せちゃう?」
「はっ! そんな脅しで!」
「舌、まいておきなさい。まれー、もっかい口開けさせて」
伊武は、再び牧田の口を強引に開けさせた。そして、砕けた瓶の破片を一つ、つまみあげると、牧田の口の中に、ポトンと落とした。
「ひとーつ」
「か……かはっ!」
牧田は破片を飲み込まないように、舌を巻いて喉を守っている。
「上手上手! さ、いくつまで耐えられるかな――ふたーつ」
アイシャが、二つ目の破片を牧田の口に放り込む。
「あ、そうだ。牧田は、あのおもちゃ知ってる? あの、動物の口からものを取り出して、衝撃が加わると口が閉じちゃうやつ」
「ひ、ひらん!」
「そっか。知らないか。あれ、結構盛り上がるのよ。今回は、逆バージョンってやつ? 私が破片を放り込んでいって、何かの拍子に――そうね。ガラスが口から外れたら、急に口が閉まるってのはどう?」
希衣は、アイシャの意図を察すると、空いた片方の手で、牧田の下あごを押さえた。このまま手に力を入れれば、牧田の口は急激に閉じることになる。ガラスの破片を口に入れたまま。
「さ、いくつまで入るかなー? お? これはちょっと大きいぞー? 大丈夫かなー? はい、みーっつ」
やや大きめの破片が、高い位置から牧田の口の中に落とされる。
伊武の手は動かなかった。
「セーフ。じゃ、次は連続で3つ、いっちゃおうかな」
アイシャはパーティーゲームで遊ぶのと同じテンションで、連続で3つ、破片を放り込んでいった。カチャンと、口の中で破片がぶつかる音がする。二つ目も入った。三つ目は口の端に当たったが、バウンドして口の中へと入った。
「おおーう――セーフ。後になればなるほど、ダメージも大きいから、ドキドキよね」
牧田は、ふーふーと鼻で荒い息をしている。顔中、汗でびっしょりだが、まだ降参する気はないようだった。心のどこかで、こんなことを本当にするはずがないと思っている。自分だけは、こんなことをされるわけがないと、思っている。
「アイシャ、何してるの……?」
風呂場の方から、直巳とAがやってきた。家に入って、牧田を取り押さえてからすぐに、直巳はAと一緒に風呂場に入って、腕の治療をしていたのだ。消毒液と包帯、鎮痛剤ぐらいしかなかったが、縫うほどの傷でもなかったので、応急処置としては十分だった。
直巳は、アイシャと、牧田を押さえつける伊武を見て、何か妙なことをしてるなと言うことだけはわかった。
「あら、二人とも。ちょうどよかった。一人じゃつまらないから、参加しなさいよ」
アイシャが手招きするので、直巳は露骨に嫌な顔をしながら、牧田の側に行く。どうせ、ろくでもないことをしているに違いない。
そして、その予想は当たった。牧田の口の中から、ガラスの破片が見え隠れしている。
「はぁ……なるほど」
直巳は溜め息をつくと、牧田に向かって、さとすように言った。
「ねえ、牧田さん。俺達が襲われたのは、あなたがどこかに連絡したからなんだ。そして、あらかじめ、襲撃できるように人を配置しておいた。でしょう? じゃなきゃ、あんな短時間で襲撃ができるわけがない」
牧田は、じっと聞いているだけで、何のリアクションもしない。直巳は牧田が何も言わないことを察すると、話を続けた。
「こんな恐ろしいこと、本当にするはずはない。我慢してれば、いずれあきらめて解放するんじゃないかと思ってませんか? 自分は根性があるんだと、こんな女の子に屈服するはずがないんだと、そう思ってませんか? だとしたら、間違いですよ」
そういうと、直巳は治療したばかりの腕を牧田に見せた。
「俺はさっき、銃で撃たれたんです。でも、ここにいる。わかります? 銃を持った連中を全員片付けて、ここに来たんですよ。俺はちょっと怪我しましたけどね。そんな連中が、牧田さんに怪我させるのをためらうと思いますか? はっきり言いますけどね。それで負う怪我なんて、さっきの連中に比べたら浅いもんですよ。A、彼は今、どこに?」
直巳が、先ほど捕らえた男性の居場所を聞くと、Aは寝室を指さした。
「あちらで拘束しています」
「尋問は、これから?」
「ええ。怪我の治療が最優先だったので。これからです」
「そっか――牧田さん、見ます? これから、俺達を襲った奴の口を割らせます。どうやって割らせるかは、大体想像が付くでしょう。あなたと違って、もっとシンプルにやりますよ」
直巳がAをちらりと見ると、Aは直巳の意図を察して、静かにうなずいた。
「さようでございますね。その際には、牧田様の家にある食器と調理器具をいくつか、お貸しいただければと思います。ああ、きちんと洗って返却いたしますのでご安心を」
食器や調理器具、という言葉で何かを想像してしまったのか、牧田の表情がさらに悪くなる。
「と、いうことです。怪我して話すか、無事のまま話すか。お好きな方を選んでください。伊武、手を離してやって」
直巳に言われると、伊武は牧田の顔から、素直に手を離した。
牧田は、ゆっくりと顔を横に向けて、ガラスの破片を慎重に取り出しはじめる。すべての破片を取り出すと、直巳に向かって、悔しそうに口を開いた。
「わかった……話す……話せばいいんだろう……もういい……多分、お前達は本当にやるんだろうな……私が言うか、死ぬまで……」
牧田が落ちると、直巳は、ほっとしたように笑い、アイシャはつまらなそうな顔をした。
「では、話してください。まず、あなたはHgと面識があるんですか?」
直巳がたずねると、牧田は少しだけ悩んだ後に、ゆっくりと口を開いた。
「……ない……それがどんな人間か……人間なのかすら知らん……」
「嘘をついては――いないですよね?」
「ついてない! 本当に知らん! いいから、質問を続けろ!」
「そうですね。なら、あなたは何故、アイシャを呼びだしたんですか?」
「……PORだ……PORラボに頼まれたんだ」
「PORラボ?」
PORラボ――ようやく出てきた、新しいヒントだ。直巳はアイシャ達を見回すが、全員が首を横に振る。誰も知らないらしい。
「牧田さん、PORラボとは、一体何なんですか?」
直巳の問いに、牧田は大きく首を横に振ってから答えた。
「何らかの組織だろうが、細かいことはわからん……それが魔術師なのか、反天使同盟なのか、それとも天使教会の関連組織なのか……一年ぐらい前かな……急に取り引きを申し込んできたんだ……それで、つい先日、彼らから依頼があった。君達に会って、すぐにどんな人物か報告しろと……まさか、襲撃するなんて思ってもいなかった! 本当だ!」
「悪気が無ければ、何しても許されるってわけ?」
アイシャがすごむと、牧田は黙り込んだ。この理屈を押し通すと、牧田は悪気なく大変な目にあわされることだろう。
さらにテンションの下がった牧田に向けて、直巳は質問を続けた。
「PORラボが、何者かもわからないのに、言うことを聞いたんですか?」
「それぐらい、上客なんだ。とにかく、魔術に関連する品なら、多少怪しくても、何でも買う……しかも、かなりの値段でな……だから、彼らの頼みは断れなかった……」
「なるほど……連絡方法は?」
「電話番号が一つだけだ。先に金が振り込まれて、こちらは指定された場所に荷物を置くだけ。誰とも顔を合わせたことはない……そこに私の携帯があるだろう。取ってくれ」
牧田が指さした方向、テーブルの上に、折りたたみ式の携帯電話があった。Aがそれを取って牧田に渡す。
牧田は手際良く操作して、ある番号を表示させると、直巳に携帯電話を手渡した。
表示されているのは、携帯電話の番号のようだった。直巳はそれをAに見せて記憶させる。
「これだ……この番号で連絡を取っている」
「そうやって協力してもらえると助かります。かけてみてもらっていいですか?」
「い、今か?」
「ええ。内容はそうですね……アイシャがトランクを忘れていったが、どうすればいい? という感じで。それなら、相手も無視できないでしょう」
「う……し、しかし……」
直巳は牧田の手に、携帯電話を握らせた。
「もう、やるしかないんですよ。わかりますよね?」
「……わ、わかった……かける……かければいいんだろう……」
牧田が震える指で発信ボタンを押す。
番号がコールされ、発信音が鳴る。
そしてすぐに、この番号は使われていない、という機械音声が流れた。
牧田はすぐにスピーカーモードに変更し、機械音声を全員に聞かせた。
「か、かからない! ほら!」
牧田は二重スパイをせずに済んだことを喜んでいる。哀れな姿だった。
喜んでいる場合ではない。牧田はPORラボに切られたのだ。最早、連絡を取る必要無し。使い道無しと判断されている。この後、牧田は処分されるかもしれない。
「牧田さん、ありがとう。一旦、質問は終わりです」
そういうと、牧田は、大きく息を吐いて脱力した。反抗的な態度だった最初に比べて、ずいぶんと老けたように見える。
直巳は牧田の話を整理してみる。相手はPORラボという組織で、正体は不明。とにかく羽振りがよく、魔術に関連する品物なら、完全先払いで何でも高く買ってくれる。アイシャ達は聞いたこともないという。
「豊富な資金のある、新興の組織……なのかな」
直巳が口に出して言うと、アイシャが続けた。
「天使教会や反天使同盟の隠れ蓑かもしれないわね。牧田、取引きした品物や金額、取引きに使った場所の一覧やその他、とにかく関係ありそうな情報をすべてゆずってもらうわよ」
「わ、わかった……ただ、その……私が漏らしたとは……」
「言わないわよ。ただまあ、あんたからだってばれるでしょうね。怖かったら、現金だけ持ってさっさと逃げなさい」
「そ、そんな! 私はただ、彼らの言うことを聞いていただけだ!」
牧田がアイシャに泣きつく。そんなことをしても、どうしようもないのに。アイシャは牧田を見下ろしながら、面倒臭そうに言った。
「じゃあ好きにすれば? ちなみにあんた、PORラボには、もう切られてるわよ。取引きしてた分、赤の他人よりは邪魔でしょうね。こんな風に、情報流しちゃうわけだし。邪魔者はどうするかしらね?」
アイシャの言葉に、牧田が涙をこぼす。偉そうにしたり泣いたり、どうしてそれが許されると思っているのだろうか。まるで子供のように身勝手な男だった。
「くっ……どうして……どうしてこんな目に……」
「魔術商なんて危ない仕事、余程の才覚がなきゃできないのよ。で、あんたにはなかった」
アイシャが冷たく言い放つと、牧田はがっくりとうなだれた。これから牧田がどうするかは彼次第だ。これで逃げないほどバカではないと思うが。
「じゃ、直巳は牧田から情報をもらっておいて。Aは、寝室のあいつを吐かせて。PORラボの名前を出せば、少しは吐きやすくなるんじゃないかしら」
「かしこまりました。出来るだけ迅速に」
そういうと、Aは寝室へと姿を消していった。手ぶらだったので、いわゆる拷問はしないということなのだろうか。
それから、30分が経過した。直巳が牧田から、PORラボとの取引きに関連した情報を聞き出している時に、Aは寝室から出てきた。服も手も、特に汚れてはいない。
「終わりました。どうも、PORに雇われただけで、直接関係は無いみたいですね。牧田からの連絡をきっかけに、アイシャ様を捕らえて連れてこい、という命令を受けていたと。連絡先は牧田が持っていた電話番号と同じものです」
Aからの報告を受けると、アイシャは、疲れた溜め息を吐いた。
「また糸が切れたか……じゃ、牧田の情報をまとめ終わったら撤収するわ。直巳、どう?」
直巳は、牧田から提供された各種の情報や書類を確認すると、しっかりとうなずいた。
「大丈夫。こっちも終わった。取引き場所、時間、商品の目録ぐらいだけどね」
「それで十分。じゃ、帰るわよ」
「……待って」
アイシャが撤収指示を出すと、伊武がそれをさえぎった。
「どうしたの? まれー」
「あの男……椿君を……撃った男……ちゃんと……償わせた……の?」
伊武は、Aが直巳の仇を取ってくれたのかが気になっているらしい。情報を吐いたからとはいえ、許すつもりはない。
Aは睨んでくる伊武に、笑顔で答えた。
「彼、寝室にいますので。どうぞ見てきてください。納得がいかなければ、用事はもう済んでいるので、お好きに」
Aは寝室に誘導するように手を差し出す。慇懃な仕草に眉をしかめながらも、伊武は寝室へと入っていった。
「直巳様も、見ていかれては? 撃たれた分の仕返し、してもよいのですよ?」
「……いや、いい……Aが何かしたんだろ?」
「したか、してないかでいえば、しましたね」
「じゃあ、それでいいよ。怖いから見たくない」
「おや、残念です。自信作なのですが」
そう言ってる間に、伊武が寝室から出てきた。手が綺麗なので、殴った様子はない。
「いかがでしたか? 希衣様」
Aがたずねると、伊武は黙ってうなずいた。
「あれなら……いい……かな」
伊武がAにフッ、と笑いかける。満足だったらしい。
「はいはい! じゃあ撤収! 牧田ぁ、あんた余計なこと考えんじゃないわよ。次、突っかかってきたら、説得はすっ飛ばして本番行くからね」
「し、寝室の男はどうするんだ!」
「放っておいて逃げればいいでしょう。どうせ、この家も捨てるんですから。しがみつく物が多いと、それだけ死ぬ可能性が高くなるものとお考えください」
Aにばっさり言い放たれると、牧田は小さな声で、「わかった」とつぶやいた。
直巳達は、伊武を先頭にして牧田邸を出ることにした。
牧田邸を出る前に、直巳は寝室を覗いてみたい衝動に駆られたが、やめておいた。Aも伊武も、恐らくは彼を肉体的に痛めつけてはいない。殺してもいないだろう。だが、Aは、それよりもきつい何かをしたのだ。言葉か魔術か、それはわからないが。
そんなものをわざわざ見て、新しいトラウマを作ることもないだろう。好奇心、猫を殺すというやつだ。直巳は猫よりは賢くありたかった。