第二章
「あー、駄目だわ。ぜんっぜん駄目。ボウズよボウズ。あ、これお土産」
高宮アイシャは、テーブルの上に大量の宝石が入った袋を放り投げると、キャミソール一枚でリビングのソファに寝っ転がった。女性執事の高宮Aが、アイシャの長い金髪が邪魔にならないよう、リボンで結って、緩いポニーテールにした。アイシャが足を差し出すと、メイドの高宮Bが、ストッキングをぐいぐいと引っ張り、脱がしていく。結局、上手くできずに爪を立てて破ってしまった。「ストッキングすら脱がせられないのか、このバカメイド」と、アイシャに頭を引っぱたかれる。
見た目はお姫様のように美しく、従者に身の周りの世話をさせる姿も堂に入ったものだが、最終的に一人暮らしの女子のようになって、とても残念だった。
アイシャは、ここ最近、ずっと忙しそうに駆け回っている。電話にメール、直接足を向けることもあり、やり手のビジネスマンのように多忙だった。
また、アイシャの隣りには、タンクトップにボクサーパンツだけを身につけた伊武希衣が、床にうつぶせになり、死んだように眠っていた。180センチ以上(自己申告でだ。多分、190の方に近い)ある伊武は、真っ直ぐに倒れていると、何事かというぐらいにでかく、背中と肩は鍛えられた筋肉に覆われているため、格好のわりに色気が感じられない。唯一、胴体に押しつぶされて、大きくはみ出した胸だけが、彼女が女性であることをアピールしていた。
ちなみに、伊武は5日、不眠不休で走り回って人捜しをしており、先ほど、突然帰ってきたと思ったら、服を脱いでぶっ倒れた。女の子にたいして申し訳ないが、はっきりいって汗臭い。
いつから、ここは女子寮になったのだろうかと、彼女達の脱ぎ散らかした服をかたづけながら、椿直巳は思った。
二人がこんなに疲弊しているのは、直巳の姉、つばめのためだった。
つばめは、以前に「天使の奇跡」を浴びて、足が石膏化してしまっていた。
天使を狩ることにより手に入れられる、魔力の塊、「天使遺骸」を使うことにより、症状を緩和していたのだが、先日、急激に容態が悪化した。
幸い、天使遺骸の治療により、石膏化は下半身まで押し戻したのだが、またいつ症状が発生するかわからないので、その治療のために、「Hg」という「魔術具作成者」(クリエイター)を全員で探し回っている。ヒントになるのは、先日戦ったマルジェラという女騎士の持っていた、Hg作の武器、「守護剣アルケー」のみ。アイシャはHgを、伊武はマルジェラを探しているのだが、まったく手がかりがなかった。
今、つばめの容態は落ち着いており、本人も普通に生活をしている。Aが毎日注意深く診察しており、緊急用として、天使遺骸の代わりに大量の魔石を購入してある。一回ぐらいは容態が急転しても、治療はできるだろう。ちなみに、その魔石の山の値段を、アイシャは、「南の島で一生遊んで暮らせるぐらいの金額」とだけ言った。
直巳はアイシャの手伝いでメールや電話の対応をしながら、Aと共にマルジェラの潜伏先の推測を行い、伊武に情報を流している。
だが、一番の仕事は、全員の家事を一手に引き受けることだった。元々、家事は苦手ではなかったのだが、最近、何だか上達したような気がする。
先日、みんなをねぎらうために、全員の好物を作ろうと張り切っていたところ、Aに、「直巳様はヒモみたいですね」と笑顔で言われ、歯がみをしたものの、自覚があるので強くは言い返せなかった。
今夜も、アイシャと伊武のためにサンドウィッチを作っている。アイシャ用には、中身を野菜だけにして、小さめにカットしたもの。伊武用には、パンの厚みの5倍ぐらい肉が入っているものを大量に作った。
「アイシャ、よかったら少し食べない?」
直巳が声をかけると、アイシャはサンドウィッチの乗った皿をちらりと見た。そして、指先で、「こっちに持ってきて」と直巳に指示をしてから、Aに紅茶を煎れるように言った。どうやら、直巳の作ったサンドウィッチを気に入ってくれたようだ。アイシャは料理が気に入らないと食べない。作った人に申し訳ないから、とか、そういう気持ちは一切ない。
アイシャは三千年生きている不老不死の少女なので――完全な不死なのかは知らないが――特に食事をしなくても死ぬことはない。ただ、空腹は感じるし、美味しいものを食べる楽しみはあるので、気に入ったものだけを好きな量だけ食べる。そのわりに食事が気に入らなくて食べないと機嫌が悪くなるので、非常に面倒くさい。
アイシャがサンドウィッチを食べ始めるのを見て、直巳は、ひとまず安堵する。
伊武はどうかと思って見てみると、まだ死んだように眠っていた。起こすのもかわいそうなので、サンドウィッチは冷蔵庫にしまい、テーブルの上にメモを残しておくことにした。気づいてくれれば、起きた時に食べるだろう。
冷蔵庫に食事があります、とメモを書き、さて冷蔵庫にしまおうとかと思って机の上を見ると、伊武用のサンドウィッチ(食パン2斤分)が皿ごと無くなっていた。
どこに行ったのだろうかと思うと、アイシャのメイド、高宮Bが皿を床に置いて、眠っている伊武の口に、次々とサンドウィッチを押し込んでいた。
「んー……ぐ……う……」
Bが面白がって次々と突っ込んでいくので、伊武は苦しそうだった。
「B! 危ないから! 喉に詰まったら大変だろ!」
「……お?」
Bは空になった皿を直巳に見せる。伊武は眠りながら、全てたいらげていた。
伊武を見ると、口の周りは汚れているものの、穏やかに眠っている。
「「……おー」」
直巳とBが同時に驚きの声をあげる。
それから、直巳が伊武の口元を拭いていると、Bのお腹が鳴ったので、Bのためにツナのサンドウィッチを作ってやった。Bはツナが好きなので嬉しいのか、作っている最中、ずっと直巳にまとわりついていた。
そしてBはパンに挟まったツナだけを器用に食べると、直巳に叱られる前に逃げていった。
直巳の夕食は、ツナ抜きのツナサンドになった。ツナの油で濡れたパンからは、屈辱の味がした。
夕食後、残った家事を終えた直巳は、自分の部屋に戻っていた。アイシャは、まだやることがあるからと、Aと共に高宮邸に戻り、伊武はリビングでそのまま寝ていたので、風邪をひかないように分厚い毛布をかけておいた。まあ、伊武は全身びしょ濡れのまま、雪の日に外で眠っていても、「寒い」の一言で済むぐらい丈夫なのだが、寒いよりは温かい方がいいだろう。
直巳も寝ようかと思ったのだが、まだ出来ることがあるのではないかと考え出すと落ち着かなくなり、ノートパソコンを開いた。メーラーを立ち上げ、アイシャのメールのやり取りを見る。これは、アイシャの状況を理解しておくためと、勉強のためにさせてもらっていることだ。アイシャは、偽名を使い、様々な魔術商や、よくわからない人々とメールの交換をしている。誰とやり取りするのでも、「Hgを探している」という内容は、かならず入っていた。
直巳がメールを眺めていると、部屋がノックされた。誰が尋ねてきたのかは、ノックの音でわかる。この控えめなノックは、姉のつばめだろう。
「どうぞ」
直巳が言うと、部屋のドアがゆっくりと開けられ、車椅子のつばめが入ってきた。直巳はつばめの元に行き、代わりにドアを閉めてやる。
「ありがとう、なおくん。入ってもいいかな?」
直巳が黙ってうなずくと、つばめは車椅子を押して、部屋の中に入ってきた。
つばめは、開いているノートパソコンを見ると、少し心配そうな声で言った。
「まだ、起きてたんだ」
「うん、ちょっとメールだけ見ておこうと思って。でも、もう終わりにする所だったから」
直巳はノートパソコンを閉じた。本当は、まだ続ける予定だったが、つばめが心配するだろうと思い、そうした。
「そっか……うん。無理しないでね。その、最近はみんな忙しそうだから。なおくんもね。無理しないでねって、言いに来たんだ」
つばめは、ブランケットのかけられた自分の足を、そっと触る。無意識の行動だろうが、それに言いたいことのすべてが詰まっていた。
「あの……みんなが忙しいのって……私のせい……だよね。私の足が……その……また、悪くなっちゃったから……」
つばめが申し訳なさそうに言う。直巳は少し迷った後に、はっきりと答えた。
「――そうだよ。姉さんを治すために、みんなに協力してもらってる」
「……うん……そうだよね……ごめんなさい」
「謝らないでよ。姉さんだって、俺が同じ状況になったら、助けてくれるだろ。俺がやめてくれって言っても、きっとそうするだろ――というか、そうしてきただろ?」
両親のいない椿家では、ずっとつばめが働きながら家事をして、直巳を育ててきた。ずいぶんと無理をして。直巳は、その姿をずっと見てきた。それを支えてやりたいと思って、あまり良くないこともしたし、つばめと言い合いになったこともあった。
直巳のはっきりとした言葉に、つばめは何も言い返せず、うつむいてしまった。
「うん……そうだね……でも、やっぱり自分の番になると、そんな簡単に割り切れないかな……弟のなおくんだけじゃなくて、希衣ちゃんや、アイシャちゃんにも、大変な思いをさせちゃってるでしょ……だから……」
「だから、やめろって? 姉さんが石膏像になるのを、黙って見守れって?」
「そんな言い方……」
「そんな言い方になるよ、姉さん。アイシャ達に協力してもらっている分はちゃんと返す。そういう約束だ。伊武は何も言わないけど、何かあれば受けた分の恩は返す――今は、協力してもらってばっかりだけど、絶対にそうする。伊武がそうしてくれたみたいに、命だって――」
直巳の言葉をさえぎるように、つばめは大きく頭を左右に振った。
「だから……やめて欲しいの……命を賭けるぐらい……危ないことをしてるんでしょう? みんな、はっきりは言わないけど、お姉ちゃんにだってわかるわ……とっても危険で、傷付いたり、傷つけられたりするようなことばかりしてるって。きっと、今回だって……」
つばめは、強く唇を噛みしめた。そうしないと、泣いてしまうのだろう。直巳は、こんな光景を何度も見てきた。そして、こんな光景を見ないで済むように頑張っているのに。
「危ないからって俺が逃げて――申し訳ないからって伊武とアイシャの協力を断って――それで姉さんが助からなかったら――俺は、生きていられないよ――どんな理由であれ、この世界から姉さんがいなくなったら、俺は耐えられない」
これが直巳の本心で、間違っているとも思わない。でも、つばめの顔は見られなかった。
「お姉ちゃんだって……自分のせいで、なおくんに何かあったら……耐えられないんだよ」
つばめは泣いていた。顔は見られないが声でわかる。ますます顔が見られなくなる。
「……ごめんね。ただ、お姉ちゃんも、みんなが心配なの。ただ、それだけを言いたくて。無理をしないでね、って言いたいだけだったの……ご、ごめんね……おかしいな……こんな……駄目だね……」
直巳は、今すぐに姉に駆け寄って跪き、優しい言葉をかけたかった。嘘でもいい。ただ、彼女を安心させる優しい言葉を、百でも千でもかけてやりたかった。でも、できない。それは、どうしても嘘になるから。嘘はまた、いつか彼女を悲しませることになるから。
「あの……大丈夫だよ。お姉ちゃん、なおくんの言うこと、ちゃんと聞くから。なおくん達が何をしても、どんなことをしても――言うことを聞くから。でも、心配はしてるの。それだけ、わかってほしいなって……」
「――うん」
直巳は、しっかりと返事をした。どうか、この一言で気持ちの全てが伝わるようにと願いを込めて。そんなことで、伝わるわけもないのに。
それでも、つばめは直巳の返事を聞くと、いつもどおりの明るい声に戻った。
「よかった。それじゃあ、お姉ちゃん寝るね。なおくんも、あんまり夜更かしは駄目よ」
「ああ、そうするよ。おやすみ、姉さん」
「おやすみなさい」
直巳は部屋のドアを開けて、つばめを見送った。つばめは笑顔で手を振って、自分の部屋へと戻っていった。
つばめが帰り、部屋のドアを閉めた後。直巳は壁を思いきり殴った。
別れ際、つばめの目に涙の跡があるのを見てしまった。
どうして、俺は、あの人を笑顔にできない。
ただそれだけが、俺の願いなのに。