第十一章
天木に紹介された男は、高田陽治と名乗った。
高田、どこかで聞いた名前だなとアイシャが考えていると、Aが耳打ちした。
「アリエラとマルジェラを襲おうとして、直巳様と希衣様に潰された反天使同盟の盟主です」
「ああ――どうりで聞いたことが――って、天木さん? ちょっとよろしいかしら」
アイシャが笑顔で天木を呼ぶと、天木は軽快な足取りと、引き攣った笑顔でやってきた。
「……はーい」
「コートを預かっていただけるかしら――変な勢力とくっついてるどころか、こいつそのものが変な勢力じゃない。どういうことよ」
後半からは耳打ちで、かなりドスのきいた声だった。
「……ご存じ、でしたか?」
「例のマルジェラ騒動の時に、こいつが余計なことしたのよ。私は顔見知りじゃないけど、直巳達が戦ったわ」
「あれ? じゃあ、高田さんの同盟潰したのって……」
「そうよ。うちの子達よ」
高田の顔から、サッと血の気が引く。
「も、もう彼の反天使同盟は解散したそうですよ。だから、クリーンです。今は」
「ちっ……貸しにしとくわよ」
「……はーい」
以上の会話は、Aが天木にコートを預けながら、二人とも笑顔のまま交わしている。高田から見れば、コートを預けながら世間話をしていたようにしか見えない。
アイシャは適当に流そうと思い、高田の対面に座った。Aはアイシャの後ろで、軽く微笑みを浮かべながら、置物のように立っていた。
天木がアイシャの前にハーブティーを置くと、アイシャは笑顔で高田に話しかけた。
「高田様は、魔術具の収集をされているのだとか?」
「ええ。祖父が収集家でして。そのせいか、僕も興味を持つようになりましてね」
アイシャの笑顔にやられたのか、趣味の話を振られたのが嬉しいのか、高田は上機嫌だ。
「収集した魔術具は、どうしているんですか? 魔術師でもあるのなら、使用されたりはするんですか?」
「いえ、今はもう。集めるだけです」
「今は?」
さて、どこまで言うかとアイシャが話を振るが、高田は躊躇することなく話しはじめた。
「実は先日、反天使同盟を立ち上げたんですよ。星の鷹、っていうんですけどね。すぐに駄目になってしまって、解散しました。なんか、でかい女の子にやられまして。あの子はすごかったなあ……いやあ、怖かった」
高田はまるで悪気なく、他人事のように話した。駆け引きをしているようでもない。初対面の人間に、ここまであっけらかんと話すようなことではない。
まだ、少し話をしただけだが、アイシャは確信した。この男は、バカなのだと。
バカならばコントロールしやすくていい。アイシャは話を合わせてやることにした。
「あら、そんな女の子が? 怖いですね。きっと、ゴリラみたいな子なんでしょうね」
アイシャは伊武の姿を思い浮かべる。あのメスゴリラとケンカをしたのなら、それはそれは怖い思いもしただろう。
「色々大きかったし怖かったけど、思い返してみたら、かなり美人でしたよ」
「まあ、高田様ったら」
自分の同盟を潰した相手を美人だと褒めるとは、なかなか面白い奴だと、アイシャは高田への評価を改めた。まあ、本当にバカなだけかもしれないが。
「ええ。怖いけど、綺麗な子でした。あの時は怖くてそれどころじゃなかったですけど」
これで何度目の怖いだろうか。よほど怖かったらしい。
「それなら、今度お会いした時には、お食事にでも誘ってさしあげたら?」
「いえ! それは結構です! もう十分ですから! 怖いので!」
やはり、まずは怖いが先にくるらしい。
「ふふ、冗談ですよ。それにしても、魔術具の収集ですか。私も興味があります」
「そうですか! いや、それは嬉しいなあ! 実は今も持っているんですよ!」
「本当に? よかったら、見せていただけますか?」
「ええ、どうぞどうぞ!」
そういって高田が差し出したのは、一本の小さな杖だった。
「失礼します」
高田の差し出した杖を受け取ったのは、アイシャではなくAだった。たいしたものではないだろうが、得体の知れない魔術具を、いきなりアイシャに持たせるわけにはいかない。Aがチェックをして、問題がないかをたしかめた。毒味のようなものだ。
「どうぞ、アイシャ様」
Aが渡した杖を、アイシャは大げさに気まずそうな顔を作って受け取った。
「失礼なことを……ごめんなさいね。うちの執事は心配性なんです」
「いえ。気の利く方でうらやましい」
高田は特に気分を害した様子もないようだった。バカだが、人はいいのかもしれない。
アイシャが杖を受け取り、眺めてみる。小さな魔石がはまっており、これから魔力を引き出して効果を発揮するのだろう。やはり、たいしたものではないように思える。
「これは、どういう魔術具なんですか?」
「これはすごいですよ。天使降臨時のような光りが出るんです」
「天使降臨時の……光りが?」
まさか、この小さな杖、小さな魔石一つで、「天使の奇跡」を発するとでも言うのだろうか。だとしたら、放っておけないレベルの危険な代物だ。
「ええ。光りだけなので安全です」
なんて役に立たないものを持っているんだろうと、アイシャは思わず溜め息をつきそうになった。電池で動く分、ハンディライトの方が役に立つ。完全に放っておいて問題ない魔術具だった。魔術具と言えるかも怪しい。
「そうですか。光る、だけ」
「ええ。光るだけです。使ってみせましょうか?」
「いえ、大丈夫です。魔力がもったいないですから」
そんなものを使われてもリアクションに困る。光るだけでいいなら、アイシャのスマホにだってできる。
「面白いですね。でも、もっと実用性のあるものが見てみたいです。魔術具ですから。少し危険なぐらいの方が惹かれますわ」
アイシャが誘ってみるが、高田はバツが悪そうな顔をするだけだった。
「実用性があるやつは、禁止されてまして。その、反天使同盟をやった時には、いくつか作ってもらったんですけどね。乱用したのがばれて、怒られました」
作ってもらった、という言葉にアイシャが反応する。高田は、買ったとは言っていない。
「作ってくれない? 誰かに、直接作ってもらっているんですか?」
「ええ。知り合いにクリエイターがいまして。お願いして作ってもらってるんですよ」
きた。ようやく、本題を引き出せた。
「へえ――クリエイターのお知り合いが――その方が、この光る杖を作ったんですか?」
「ええ、そうです」
「では、実用性のある――例えば、戦いに使えるような魔術具なんかを、反天使同盟の時には作ってくれたのですか? 火を出したりとか、そういう」
アイシャは、高田が火や氷を出すような杖を使っていた、という報告を受けている。
高田はアイシャが探りを入れていることに気づきもせず、自慢げに答えた。
「ええ、まあ。そのとおりです。火とか氷とか出すようなやつですね」
当たりだ。ならば少なくとも、高田は以前に戦った時から今まで、同じクリエイターとの付き合いがある、ということになる。
そして、その時期はマルジェラが守護剣アルケーを持って現れた時期に重なる。守護剣アルケーを作ったのは、Hg。偶然と言うには、出来すぎている。
だが、まだ可能性が高まっただけだ。確定したわけではない。そのクリエイターがHgなのだと、高田がはっきり言うまでは。
「そのクリエイターは――なんという方なのですか?」
「それは言えないんです。そういう約束なんで」
高田があっさりと断る。アイシャは内心で舌打ちをした。この男にも、それぐらいの約束を守る頭はあるらしい。
「そんなに腕の良い方なら、ぜひお名前を聞いてみたいのですが、駄目ですか?」
アイシャが甘い声を出し、媚びを売る。高田程度を相手には不愉快だが、仕方が無い。
「ええと……すいません。高宮さんの頼みでも、やっぱり言えないんです」
高田は少し困った表情をするだけで、名前を言おうとはしなかった。
アイシャは、ここで一暴れして高田を締め上げたら、どんな表情をするだろうと考えた。
だが、少し考えると、天木の泣き顔も想像できた。天木に負けることはないだろうが、天木は笑顔のまま、静かに縁を切り、二度と力にはなってくれないだろう。そういうタイプだ。
アイシャは、少し攻め方を変えてみることにした。高田は名前こそ言わないが、存在自体を隠してはいない。自慢したいという気持ちはあるのだろう。ならば、そこから攻める。
「では、私もその方に魔術具をオーダーしたいのですが、いかがでしょう? 高田さんからということで構いません。手数料もお支払いいたしますから。非常に簡単なものです。それならいいでしょう? ね?」
アイシャはにっこりと笑うと、テーブルの上にある高田の手を、そっと握る。高田はピクリと反応したが、引っ込めることはしなかった。
「あの、そうですね……それなら……ええと」
高田が口ごもる。困ってはいるようだが、それはクリエイターを紹介したくないから、困っているのだろうか。それとも、他の理由だろうか。アイシャは多少の手応えを感じ、尋問を続けることにした。これが尋問に見えないのは、アイシャが高田の手を握り、甘えた声と仕草でお願いしているからだ。ただのおねだり。少女のわがまま。男の弱点。
「そのクリエイターの方に、魔術具のオーダーはできるんですよね?」
「ええ、まあ……」
高田の手が、少し動く。汗が出てきている。
「まあ、うらやましい。仲が良いのですね。その方とは、普段も親しいお付き合いを?」
「いえ、そういうわけでは……」
「そうですか。では、高田さんは、今何か、新しい魔術具をオーダーしているのですか?」
「いえ、それは……」
「していない?」
「ええ、まあ……向こうも忙しいようで……」
真実、真実、最後が嘘――向こうが忙しいから断られているわけではない。
アイシャが高田の手を握ったのは、誘惑するためだけではない。嘘発見器のかわりだ。よほど冷静な人間でない限り、アイシャは相手の目線や口調から嘘を割り出せる。相手の手に触れることができれば、さらに判定の信頼度はあがる。発汗や脈拍は、なかなかコントロールできるものではない。これぐらい、長く生きていればできるようになる。
この時点で、アイシャにはある程度の予測がついていた。クリエイターの話はするが、名前は出さない。アイシャが魔術具をオーダーしたいというと口ごもる。高田の性格ならば、可能なものならば引き受けて、いい顔をしたいと思うはずだろう。そして、クリエイターと普段の付き合いはあまりないという。つまり、どういうことか。
「高田さん――そのクリエイターの方と、今も連絡を取れるのですか?」
アイシャの言葉に、高田の手がピクリと動く。もう、間違いない。
「――その件について、思い当たる節があります。ご相談に乗れると思いますよ。どうでしょう? 私の車の中で、お話の続きをしませんか?」
「思い当たる……節?」
高田が食いついてきた。アイシャは高田の手の甲を、そっと指でなぞる。
「ええ。あなたの抱えている、クリエイターについての悩み。そして、それを解決する方法」
まるで何もかも知っているような態度。もちろん、嘘だ。アイシャはただ、高田を誘惑しているだけ。近づいて、口を割らせようとしているだけ。
アイシャは高田にばれないように、天木に目配せをした。
「えー……そうですね。高宮さんは、頼りになる方ですよ。もし、何かあるのならば、ご相談されるのも、一つの手かもしれませんね。その、最後は高田さんのご判断ですが」
逃げ場だらけの煮えきらない言い方だが、一応、援護射撃はしてくれた。
「まあ……もし、ご相談されるのなら、後はお二人の問題ということになりますので――」
僕を巻き込まないでください、続きをやるなら、他所でやってください、ということだ。
アイシャは天木にウインクをすると、席を立ち上がった。
「では、続きは私の車の中で。A、ご案内してあげて」
「あ、いえ……僕は……」
まだ決めかねている高田にAが近づき、席を立たせる。
「高田様。主はもう少し、あなたとお話がしたいのです。車にはお飲み物も用意してございます。どうか、主のお相手をお願いできませんか?」
そういうと、Aはさっさと高田の荷物を抱えてしまった。
天木は引き攣った表情で二人を見送った。
そして、アイシャを見送るときに、そっと耳打ちした。
「これで貸し借り無しですよ」
「ええ、そうしましょう。ここから先の話しに、あなたは関係無いわ」
「なら、結構。どうぞ、お気を付けてお帰りください。椿君にもよろしく」
天木は表情を緩ませると、アイシャに魔石の入った小さな箱を手渡した。




