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枚数別のご案内――原稿用紙5枚程度の掌編

長生きの薬

作者: 陣 杏里

「まったくもってけしからん!」

 杖をついた老人は、そう吐き捨てた。

「アレが息子たちかと思うと、我ながら情けないわ」

 彼は世界有数の製薬会社の会長職にあったが、三人いる息子達は父親の商才を受け継いではいなかった。彼を慕ってくれるのは五つになる孫娘だけで、息子達は遺産を欲しがる魂胆が見え見えなのである。

「フン、誰が死んでなどやるものか」

 肩を怒らせてのし歩く老人に、携帯が着信を告げる。孫娘の写真を待ち受けにしてあるそれで二言三言話し、通話終了。老人には数年前から子飼いの研究員たちに開発を命じていた薬があり、動物実験が終ったという報告だった。

 研究室の扉を叩くと、主任を務める研究員が迎えてくれる。

「会長、どうぞこちらへ」

 主任の視線の先には、何の変哲もない一匹のマウス。

「あれが試験投与した実験動物かね?」

「はい。会長が命じられた効果は得られたかと存じます」

 研究室と併設されている実験場で、老人は目を丸くした。

 何せこのマウス、毒入りの餌は食べないし、遠距離からの攻撃も察知して逃げてしまう。これぐらいなら野生動物の本能で片付けられない事もないが、電気ショックを受けたり高所から墜落しても無傷とあっては異常の域だ。

 運動能力、危険を察知する能力、怪我から回復する速度までが桁違いに強化されており、一般的なマウスの寿命を遥かに越える時を生きているという。

「素晴らしい! 正に私が望んだ不老不死そのものじゃないか!」

「ですが会長、マウスですらこの状態なのです。大きな動物ではとても恐ろしくて実験できません。実験が進められなければ副作用の調査も出来ませんし、そのような危険な薬を会長にお使い頂くのは……」

 主任は心配そうだったが、もうこれ以上待てるわけがない。

「だが、マウスに問題は出ていないのだろう?」

「……はい。今のところは何も」

「なら構わない。何年もかかったのだ……私が死んでからでは遅いのだよ。もちろん、君らに迷惑はかけない。私のポケットマネーから特別手当もはずもう」

 数日後、錠剤の形になった不老不死の薬をのんだ老人は、度肝を抜かれた。

 まず、体が軽い。マウスの実験を思い出して人気のない夜中に試せば、スポーツの世界記録を簡単に塗りかえてしまう。危険を嗅ぎ取る嗅覚も鋭くなり、事故の類にもあわなくなった。

 こんな物を売り出しては世の中大混乱だと、薬のデータは破棄するよう命じたが、立役者であるマウスは引き取って飼うことにした。色々と辛い実験を強いてしまった罪滅ぼしに最高の環境を整え、体調を崩せば親身になって世話をした。何しろ、長い生をともに過ごす相棒となるマウスだ。

 ランドセルを見せに来た孫娘の頭を撫でながら、老人は例えようもない安らぎを感じていた。

(ああ、これでこの子の花嫁姿を見るのに何の心配もいらなくなった)

 思わず『いつ死んでもいい』と口にしてしまい、不思議そうな孫に苦笑いする。彼には死などなくなったのだから。

 全ては順調にいくと思われた――が。

 その数ヵ月後、老人は一つの訃報に打ちのめされる事になる。

 孫娘の入学祝にと贈った、海外旅行の飛行機が墜落したのだ。個人の判別すら難しい亡骸を前に呆然と立ち尽くし、彼は久々の動悸を感じた。手足もうまく動かず、胸は締め付けられるよう。

「どういう事だ……私は、死を克服した、はず、だ――」

 薬で力も強くなったはずなのに。視界を侵食する黒に、抗うことはできなかった。


「主任、不老不死の薬をのんだ会長が亡くなったそうですよ! ……驚かないんですか?」

 薬を開発した研究所の主任は、ドアから飛び込んできた若い研究員に、薬のデータを手渡した。

「あの後動物実験を重ねたが、被験体は全て死亡したよ。会長の所から引き取ったマウスも死んでいた。これは俺の推測だが、あの薬がもたらす超人性というのは、薬効が続く間だけだったんじゃないかね。劇薬を投与すれば、人体は命を守ろうとフル稼働する。その結果、強くなったように見えただけさ。会長には何度も報告したのだけどね」

 主任はコーヒーを一口飲んで、深いため息をついた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 短編で実にしっかり起承転結されているところ。 [一言] 会長にとって、孫の死と自身の死、そのどちらが(それとも両方か)強い絶望であったのか、なんとなく気になりました。
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