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めくらよだかへの小夜曲

ひとりぼっちのサヨナキドリとめくらのヨタカの話。

絵本のような幻想的できらきらした話を目指してみました。

 サヨは、美しい化け物でした。


 肌は彫刻のように白く滑らかで、ぱっくりと開いた金目は満月の如く静かに光を湛えており、腰ほどまで伸びた白金色の髪はさながら流星のようです。赤みがかった褐色の羽根は一等星にも負けぬ煌めきを放ち、オーロラに似た純白のワンピースの下からは、鳥と揃いの足がすっと伸びていました。彼女の見目は、銀河そのものでした。

 サヨは、同時に美しい声の持ち主でした。その優美な歌声は、思わず太陽が聞き惚れて、夜明けを告げることを忘れてしまうほどでありました。ひとたび彼女が歌声を響かせれば、木々は一斉に芽吹き、花々は蕾を満開に咲かせます。小鳥達は寄り添い朗々とさえずり、虫達は春の喜びを祝い踊ります。彼女の歌は、時に風を呼び、時に雨を降らせ、また、季節を告げました。

 そしてサヨは、人間が大嫌いでした。森林を荒野に変え、海を汚し、満天の夜空を煙で覆い隠し暗澹とさせてしまう人間が、大嫌いでした。人間の、くだらないことですぐに争うところも、大嫌いでした。右耳と左耳で聞こえ方が違うように、真実なんて見る角度によって変わるものだと、そんな単純なことに何故いつまでも気づかないのかと、サヨは疑問でなりませんでした。

 サヨは、深い深い森の奥に住んでいました。静かで、孤独な場所でした。サヨは、歌うことを止めると途端にひとりぼっちでした。ずっとずっとひとりぼっちでした。花を求めてどこからか迷い込んできた黒揚羽蝶だけが、ひとりぼっちの彼女の話し相手でした。


 雲ひとつ無い、吸い込まれそうな青空の日のことです。サヨの森に、一人の風変わりな男がやってきました。首を左右にせわしなく振り、あっちへふらふら、こっちへふらふらするので、サヨはすぐ、この男は迷子なのだと気がつきました。

 サヨは、群れからはぐれたこの羊を驚かしてやろうと、歌を歌いました。春を告げる歌です。男の周りに、一斉に、赤、白、黄色の鮮やかな花が咲きました。男は驚いて、顔を上げました。そして真っ直ぐにサヨの居る方を向いて叫びました。

「美しい声の貴女は、一体この森の何処に居るのです。一目で良い、姿を見せてはいただけませんか」

「嬉しい人ね、でもそれは駄目ですわ」

「なぜです」

 サヨは、くすくすと微かに笑いました。久しぶりの来客をもてなそうと考えたのです。出せる限りの低い声で唸りながら、彼女は男の問いに答えました。

「私は、それはそれは醜い姿をしていますの。あなたもきっと、私の姿を見たら悲鳴をあげて逃げてしまうでしょう」

「ああ、それなら、大丈夫です」

「目はぎょろりと、まるで夜にぽっかりと浮かぶ満月で、口は狼のように大きく大きく裂けているのよ。それと鋭く尖った私の鍵爪が、貴方の喉笛をひきちぎってしまうかも知れないわ」

「それは、困りますね」

 客人を震え上がらせようと奮闘していたサヨは、男の反応に拍子抜けしてしまいました。同時に、ぴくりとも動じないことを不思議に思っていると、まるでサヨの心を見透かしたかのように、男は口を開きました。

「僕はね、目が見えないんです」

「まぁ、そんなことあるわけないわ」

「本当のほんとうです」

 サヨは、くすくすと声を出して笑いました。久しい感覚でした。

「だってあなた、目が見えないのに姿を拝見したいだなんて、可笑しいですもの」

「何もおかしくはありませんよ」

 サヨは、ふわりと大樹から舞い降りて、男の前に立ちました。男は微動だにしませんでした。そこでサヨはようやく、男が両目を包帯で覆っていることに気がつきました。無造作に伸びた黒褐色の髪の下で、黄ばんだ包帯がひょっこりと顔を出しています。随分と長い間、それは取り替えられていないようでした。

「あなた、目が見えないのは本当なのね」

 サヨは哀れみの視線を男に寄越しました。しかし男は、サヨの言葉など聞こえなかったかのように、話を続けました。

「僕ね、昨日は海に行ってきたんです。真っ白な砂浜に海の花が咲いていました。それはもう、天国を先取りした気分ですよ」

 身振り手振りを交えて心底嬉しそうに語る男の身体からは、雨が降る前の、泥と水が入り混じったにおいがしました。サヨは夢見がちで地に足の着かない言葉にうんざりして、同時にこのめくらの男が一層哀れにも思えて、ややあって、言葉を選びました。

「この世界の海はどこも汚れているわ。人間が捨てた行き場の無いゴミで溢れているの」

「そういうものなのですか」

「そういうものよ」

「にわかには信じられないな」

 男は首を横に振り、信じられない、信じられない、と繰り返します。

「貴方が信じようと信じないと、変わらないわ。事実だもの」

「事実、ですか」

 サヨが淡々と言い放つと、男はそれきり黙ってしまいました。

 ざざあん、ざざあん。木々が身体を揺らす音だけが、二人の間に流れました。ざざあん、ざざあん。後ろめたさにも似た陰りが、サヨの心に立ち込めました。


 それから、風がぴたりと止むまで、男は黙っておりました。太陽が遥か上空から、二人を見下ろしています。時間が止まったかのような静寂が辺りを包んでから、男は口を孤の形に描きました。

「なにも僕は、生まれたときから盲人だったわけじゃあありません。九つの時までは、この目は鮮やかな色を捕らえておりました」

 男は両手で、ぐちゃぐちゃに巻かれた包帯を覆い隠しました。痛がるように、眉には切なく皺が寄っています。

「そう、あれは、僕らがいつも吸って吐く酸素が、凍てつく刃となって突き刺さる朝のことでした。突然、まなこに夜空のお星様が弾けるような痛みがパチリと走ったのです」

「それで、見えなくなってしまったのね?」

「いかにも、そのとおりです」

「どうして?」

「さぁ、どうしてでしょう。本当に酸素のやつが、鋭利な氷の刃となって、襲い掛かってきたのかもしれません。あの時は動転していましたので、よくは覚えていないのです」

 サヨは首をかしげました。そんなヘンテコな話、聞いたことが無かったからです。

 男は、そんなサヨのことを気にも留めずに、サヨの瞳をじっと覗き込みました。ここで言う、覗き込む、とは、あくまで例えの話です。サヨには、男が包帯の下で、恐らくは髪の色と同じ色であろう瞳をぐるりとこちらに向けたように思えたのです。

「美しい貴女、僕の世界は何色だと思いますか」

「真っ黒。果てしなく真っ黒でしょう?」

 サヨが問うと、男はゆるゆるとかぶりを振りました。

「貴女は、腹の底からそうお思いですか」

「違うの?」

「答えはミルクです。乳白色と言えば、いいでしょうか。優しく穏やかな、母の色です」

「へぇ」

 サヨは、間の抜けた声を漏らしました。

 サヨは、母親のことをよく覚えてはいません。物心ついたとき、母親は既にいませんでした。人間に、ここからずっとずっと遠い国の皇帝に、恋をしたのだと、風の噂で聞きました。

 また、サヨは、恋を知りません。きゅう、と胸が締め付けられるような思いも、その切なさを凌駕する喜びも愛しさも、サヨは抱いたことが無いのです。

 だから、男の言う「母の色」がサヨには分かりませんでした。ただ、いままでも、これからも、ずっとずっとひとりぼっち。たった一つ、その事実だけは理解していました。包帯の下の目が、再び、サヨを睨んだような気がしました。

 

 それから、サヨと男は木漏れ日の下で、時がたつのも忘れて会話を弾ませました。

 男の言葉はどれも甘い響きを孕んでいて、サヨをうっとりさせるには十分でした。塵一つ無い氷の島の話も、虹色の花が咲き乱れる丘の話も、金色に光る海の話も、どれも色彩に富んでいて、とても彼がめくらだとは考えられませんでした。サヨは、男と話しているうちに、男の見る世界を共に見たいと願うようになっていました。

 やがて、暗闇が徐々に空を蝕み始め、夜がすぐそこまで迫ってきました。カァ、と烏が頼りなさげに鳴くのが、遠くから聞こえます。

「あぁ、もう行かなくては」

 サヨは思わず息を止めました。男の話はいつも唐突でしたが、まさか別れまで唐突に訪れるなんて、思いもよらなかったのです。じわり、両手は汗ばんでいるのに、口の中はカラカラに乾いて、奇妙な感覚にサヨは戸惑いました。

「何処へ?」

「遠い遠い、銀河の果てへです」

「そんなどこまでも寂しい場所へ、どうして行かなくてはならないの?」

「どうしてもです。理由なんてないのです」

「理由が無いのに行かなくてはならないなんて、可笑しな話だわ」

 サヨは、くすくすと笑うつもりが、頬を引きつらせて凝り固まってしまいました。動けないサヨを置き去りに、無常にも時は刻一刻と過ぎていきます。

 男の輪郭が暗闇に解け始めたころ、やっとのことで、サヨは喉から声を振り絞りました。

「私の目をあげましょうか。片方といわず、両方とも」

「いえいえ、それには及びませんよ」

「返していただなくて結構よ。私は、もう、うんざりなの。どうぞ、どこまでも蒼い空へでも、星屑の散らばる銀河の果てへでも、飛んで行けばいいわ。それとも、私の目では、綺麗な世界は見えないかしら」

「それより」

 早口にまくしたてていたサヨは、男の一声でぴたりと黙りました。言葉にならずに、声にも出せずに、せき止められた感情は、薄い涙の膜となってサヨの金色の瞳を覆います。

「あの、最後に貴女に触れてもいいですか」

「どうぞ」

 サヨの声は震えていました。

 おずおずと遠慮がちに、男の手がサヨの白い肌へと伸びていきます。赤子の手でも握るように右手に触れ、ツウと腕をなぞり、肩、首、輪郭をなぞって、最後に髪に指を通して、名残惜しそうに離れていきました。サヨは、離れていく彼の手を掴もうと腕を伸ばそうとして、すぐにやめました。そうしてはいけない、と、サヨは強く思ったのです。

「すみません、本当の本当に最後に、もう一つだけお願いしてもいいですか」

 サヨが掴もうとした手とは反対の手で、男は照れくさそうに後頭部を掻きました。

「どうぞ」

「また、貴女に会いに来ても、いいですか」

 サヨは再び息を止めました。ばくばくばくばく、心臓だけがせわしなく音をたてます。強い、強い衝動が、サヨをその場に縛り付けました。もうすっかり、辺りは宵闇に包まれていました。

「なら、私も一つ、お願いしてもいいかしら」

「えぇ、なんなりと」

 男はひょうひょうと答えました。

「貴方の名前は、なんて言うの?」

「名前、ですか」

 今度は男が黙る番でした。つい先ほどまでの身軽さは、見る影もありません。

「教えて。そうしたら、私も貴方の願いを聞くわ」


 意地悪な言葉は、あても無く宙を彷徨いました。けれど、ふわりふわりと自由気ままに浮かんでいたそれは、やがて男にさらりと捕まえられてしまいました。

「カムパネルラ、と申します」

「カムパネルラ」

 サヨは、男の名前を復唱しました。カムパネルラ。諦めにも似た嘆声が、サヨの唇から零れ落ちました。

「では、貴女の声を暗がりの灯に、また会いましょう」

 カムパネルラは笑って、そう言うや否や、翼を広げて空へと飛び立ちました。広げなければそれだと気がつかないくらい、惨めでみすぼらしい翼でした。サヨは、神聖なものでも見るような目で、みるみる小さくなっていくカムパネルラの背中をじっと見つめました。暗褐色の羽根は、すぐに夜のしじまに消えました。


「ばかね」

 カムパネルラの身体が、まるで最初からそこに居なかったかのように、すっかりなくなってしまってから、サヨは呟きました。先の見えない暗闇に、言葉だけがくっきりと浮かびました。

「カムパネルラは、どこまでもどこまでも一緒には、行ってくれないじゃない」

 サヨは、静かに涙を流しました。大粒の雫が滑らかな頬を伝って、ぽたり、ぽたり、足元を濡らします。

 月も浮かばない冷えきった夜の帳に、青白い星だけが、その身を焦がしながら、煌々と輝いていました。




(初出:2014.04.24)

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