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ゆらゆら

思春期の心はよく揺れ動く。

 ガタン、ガタン。電車に合わせて私の身体も揺れる、揺れる。


「見たよ、新聞」

 私が言うと、彼は驚いたように一瞬目を開いた。

「見てくれたのか?」

「うん。すごいね、全国大会だなんて」        

 水泳部二年、西野晴夜。県内一位の成績で全国大会出場。今朝の朝刊の隅に書かれたその文章を見逃さなかった。見逃すはずがない。

「べつに……」

 ぼやいて、彼は照れくさそうに後頭部を掻いた。泳いだ視線の先で、住宅街が右から左へと猛スピードで駆けて行く。夕日だけがゆるやかに沈んでいく。

「そんなにすごいことじゃねぇよ。新聞が御大層に書いているだけ。うちは田舎だから、ライバルが少なかった。だから行けたってだけだって」

「違うよ!西野くんの実力は本物だって!」

「なんでそんなこと言えるんだよ」

「それは」

 いつも部室の窓から西野くんのこと見ているから、とは言えなかった。四階、軽音楽部が活動している教室はちょうどプールの全体が見渡せる。少しでも窓の外に目をやれば、嫌でも水泳部が活動しているのが視界に入る。だから、彼が他の部員より早く泳ぎきったのを見て自分のことのように喜んだり、彼が更衣室に引っ込むタイミングで帰り支度を始めたりも出来た。

 けれど、まだそのことを知られたくない。誰にも言いたくない。自分だけの秘密にしておきたい。

 答えに詰まって西野くんの方を見やるとちょうど視線がかち合った。あわてて目を逸らす。こういうとき、彼の身長が私とさほど変わらなくて良かったと思う。彼自身は自分の身長が低いことを嘆いていたけれど。彼と同じ目線で話せるから、彼と同じ景色を見られるから、何より、目が合っても偶然で片付けられるから、私はむしろその事実が嬉しい。彼にとって不服であろうその事実が、愛おしい。

「透子は?」

「え?」

「透子はどうなんだよ?」

「部活?」

「そう」

 口ごもる私を見かねたのか、彼は逆に話題を振ってきた。どう、と言われても。

「べつに、なにもないけれど」

「なにもない?」

「うん」

「文化祭は?」

「落ちたよ」

 自分で言ったことながら情けなくなった。かたや全国大会の出場者、かたや文化祭にも出られないバンドの一員。あまりにも釣り合わない、似合わない。どこへ行くのやら、逆に背負われているんじゃないか、と言いたくなるくらいに大きなリュックサックを背負った目の前の少年くらいに不恰好だ。アンバランスだ。

「落ちた、だって?」

「何度も言わせないでよ」

 ごめん、と小さく呟く彼の奥に立つ女性が、左手でつり革を掴みながら右手で文庫本のページをめくっているのが見えた。器用だな、と思う。同時に私にもなにか一つ、くだらないことで良いから自慢できることがあったら良いな、と思う。

「ごめん」

「え、なんで透子が謝んの」

「いや、怒るような言いかたしちゃったから」

「気にしてねぇって。俺のほうこそ、何度も蒸し返すようなことしてごめんな」

 彼は優しい。優しいがゆえに、余計に苦しい。

 間もなく次の駅、とアナウンスが入る。女性が本を閉じて、右肩にかけていた手提げ鞄の中に放り込んだ。どうやら次の駅で降りるらしい。

「いいよ、元はと言えば私が練習不足なのがいけないんだし」

 それは紛れもない事実だった。私の組んだバンドはいわゆる仲良しグループで構成されていて、個々の技術の上達より皆で楽しく活動することに重きを置いていた。落ちるのは当然だろう。文化祭と言う大舞台に立ちたいバンドグループは沢山居る。

「俺は好きなんだけどな、透子たちのバンド。前の定期演奏会で聞いてから」

 今度は私が目を見開く番だった。聞いていたのか。あんな不協和音を。初めて楽器を手にした子供が、本能の赴くままに叩いたような音の羅列を。

 いや、それより、今、好き、って。

「聞いていてくれたの?」

「おう」

 照れくさくて、後頭部を掻いた。視線の先では沢山の人が列を成して電車が止まるのを待っている。そうして、自分が彼とまったく同じ反応をしていることに気が付いた。

「それに、好きって、どういうこと」

「どういうこと、って言葉のとおりなんだけれど」

「どこが好きなの、って」

 ドアが開いて、女性とリュックサックが降りていき、入れ替わるように黒いスーツに身を包んだ男性が乗ってきた。疲れた表情をしていた。隣で思考を巡らせている彼の数倍は深い皺が眉間に刻まれていた。

「真っ直ぐなところ、かな。こう、あんまり上手くは言えねぇけどさ」

 電車が発車する。車体が揺れる。思わず前につんのめる。スーツの男とぶつかる。すみません、と顔も見ずに謝る。

「楽しい、とか、好き、って気持ちが伝わってくるっていうの?上手いとか下手とかじゃなく、楽しんでやっているんだってことが分かるから」

 だから、好き。彼はそういってはにかんだ。

 楽しいという気持ちが伝わってくる。私たちの奏でる音から。そんなことを言われるのは初めてだった。

「そんなこと、思ったことなかった」

「嘘だろ?演奏しているときの透子たち、これ以上ないくらい良い笑顔しているぜ」

 それは、泳ぎきった後の西野くんくらい満面の笑顔なの?

 そう聞いてみたかったけれど、まだ聞かないことにした。まだ自分だけの秘密でいようと思ったから。

夕日はいよいよ住宅街に沈もうとしていた。茜色に染まる屋根。感嘆のため息が漏れるほど美しい景色は相変わらず猛スピードで駆けていく。

「楽しみにしてるからな」

「え?」

「定期演奏会。次は十二月だろ?」

 そんなこと言われたら、もしかして、なんて、期待しちゃうじゃない。

 言いかけた言葉をすんでの所で飲み込み、代わりに

「楽しみにしていてね」

と言った。彼は笑った。私も笑った。こんなことを言うなんてらしくなくて。つくづく自分は単純なやつだと思う。たかだか一度褒められたくらいでこんなに舞い上がって、おだてれば木どころか高層ビルさえ登れるんじゃないか、なんて、我ながら呆れてしまう。

 ドアが開いてまた多くの人々が入れ替わった。スーツの男もいつの間にか幼い少女にすり替わっていた。


 あと一駅で到着だ。

 私は明日のことを考えていた。プールの、それも水中にいても聞こえるくらいに音を響かせてやろう。楽しいという想いを奏でてやろう。くだらないけれど自慢できることは彼への真っ直ぐな想いです、そう言えるくらいに愛をこめて弾いてやろう。きっと茶道部あたりから苦情が来るだろうけれど、それはそれ。なんて、そんな馬鹿なこと。


 ガタン、ガタン。電車に合わせて私の心も揺れる、揺れる。



(初出:2013.08.18)

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