チョコフォンデュ
俺は、デパートのバレンタインコーナーに積まれたチョコの山を眺めていた。 そしてノートに優美子が書いた注意書きを見る。
そこには、病院関係者の身分による予算の違いや、同じ値段でもなるべく違う種類を買うようにといった事が書いてある。
「誰も気にしないと思うんだけどな」
患者からもらうチョコの種類なんて。ラッピングされて中身もわかんないわけだしな。そうぼやきながらノートの続きを読むためにページをめくると、その疑問は解消した。
《チョコの中身も覚えておいてね♪ どのチョコが誰に似合うか選びたいから》
……優美子が楽しみたいだけだな。
俺は一瞬脱力したが、逆にやる気が出てきた。彼女が面白がるならむしろ大歓迎だ。きっちり役目をこなしてみせるぜ。
俺は鞄から四色ボールペンを取り出して、見本用チョコの中身をノートに描写し始めた。絵が苦手な俺のチョコレートは、形もいびつで美味そうには見えないが、そこはコメントを書き込んでおいたので、何となく伝わるだろう。
俺は赤い色のラッピングに包まれたチョコは避ける。優美子はあの火事以来、火を連想させるモノが少し苦手なのだ。
俺は火傷の痕が目立たぬよう長めに伸ばした、前髪の下へ指を入れ額をなでる。瞳を閉じると、すこしひきつれた皮膚の手触りが、あの火災の件を思い出させた。
◆ ◆ ◆
俺が駆けつけた時は、すでに屋内は煙で一杯だった。
なまじ密閉性の高い住宅だったせいか、窓の防犯シャッターが全て下りていたためか、外からはそんな様子は感じられなかったというのに。
俺は玄関からリビングルームへと走る。そこはすでに火の海。
アイランド型のキッチン周りが特に火の勢いがひどい。天麩羅なべから焔の柱が立ち上がり、天井まで達するありさまだ。
リビングの火災報知機は電池切れなのか、全く役立たずなまま沈黙している。
俺は優美子の名前を大声で呼びながら、二人暮らしには広い家を探し回る。一階では見つけられず、直ぐに階段を駆け上がった。
寝室に飛び込むと、そこに優美子はいた。
彼女は漂う濃い煙に咳き込む事もなく、ベッドで眠っている。
そして、傍にはもう一人、ナイフを握って優美子を冷酷に見下ろす男がいた。
「やめろっ」
俺の叫びに、野球帽を目深にかぶって顔を隠した男は、こちらを振り向く。禍々しい刃が俺の背後の炎を映して揺らめいた。
突然のイレギュラーに驚愕したようだが、すぐに冷めた嗤いを浮かべ、ナイフを掲げてゆっくりとこちらへ向かってくる。
「優美子っ 優美子っ」
俺は男を警戒しながら、彼女に呼びかける。だが傷つけられた様子はないものの、優美子は目をさまさない。
そして兇刃を持った男は、それまでの動きを一変させ、俺に無言で襲い掛かってきた。
◆ ◆ ◆
デパートの店内にピアノを基調にした古典音楽が穏やかに流れる。
俺は瞼を開き、記憶の中の焼け焦げた灰を取り去るように、手をこすり合わす。
「……よりにもよって俺の贔屓チームのNBL帽かぶりやがって」
だがすべて過ぎた事だ。今は、今の俺を優美子と一緒に生きるだけだ。
気を取り直して目星をつけたチョコの情報をノートに記し、まとめて抱えると、レジへと歩き出す。
通常と異なり、混雑するこの期間は、支払いは特設のレジコーナーですると案内されていた。
女性で込み合うこのバレンタインコーナーに、男がチョコを山ほど持っているのが珍しいのか、レジ前の並んだ列では注目を浴びる。
まあ、これも交換ノートのネタになるよな。
俺は恥ずかしさを隠すため、そんな風にうそぶいて何食わぬ顔で支払いをすませた。
◆ ◆ ◆
デパートの外にでると、いきなり肌を刺すような風が建物の隙間を吹き抜ける。
ビルに囲まれたこの一角は、細い溝を走る水の様に、風の勢いが強くなる。夏はいいのだが、冬になると逆につらい。
少し歩いて、流行のオープンカフェの前で立ち止まる。
俺は嫌々ながら内ポケットからスマートフォンを取り出した。
同僚のツテで安く買ったスマホを使い、スカイプで両方の実家に電話をする。優美子の転院を伝えるためだ。もちろん詳細を伝える気はないが。
案の定、電話にでた俺の父親は「疫病神の事など勝手にしろ」と返事をしてきた。これでも母親よりはマシな返事だろう。
優美子の家の義姉には、「悪いけど、嫁いだからにはそちらで責任持ってください」と言われた。元からソリが合わないと聞いていたからこんなものかもしれない。
火事の前から優美子は病を患い始め、期待した孫も出来ず俺の両親が大いに失望していたのは知っている。
また優美子の母親が亡くなり、父親の介護が大変な状況だから、この台詞は実家で世話をする義姉の本音なのだろう。
だからといって、優美子への八つ当たりや見捨てるような態度は許さない。
俺は、自分の奥歯が噛み締められ鳴る音で、その場で硬直していた事に気づく。
ふと目をやると前から来た通行人が、俺を見て慌てて避けるのが不思議だった。
俺は震える手がスマホを握り潰さないよう意識しながら、手の平の液晶を見る。
しばらく操作が無かったため、省電力モードになった画面は黒い鏡のようだ。
そこには眉を逆立て、額に溝を刻み、充血した目で睨む憤怒の仮面が映っていた。