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ザッハトルテ

 優美子が不審に感じないよう、俺は会社に勤めていた時と同じ頃合になると「時間だ」と告げた。

 すると肌色のランプが消えるように、彼女の顔から輝きが失せる。


「もうちょっといいじゃない」


 寂しそうな声には答えず、頭を撫でる。

 以前より艶が少なく細い髪の感触が語るのは、彼女が回復とは逆に向かって歩いているという現実。


 ゆるやかに下るその先は、切り立った崖だ。

 俺は結局いつもと同じ返事を返す。


「少しでも時間見つけてまた来るから、良い子で待ってるんだぞ」


「子供扱いしないでってば」


 今度は俺の好きにさせながらも、唇をとがらせて文句を言うアヒル口の優美子。苦笑いしながら立ち上がった俺は、「じゃあまたな」とわざとノートを持つ手を軽く振ってからノブを回す。


 俺は部屋を出る瞬間、彼女の顔を見ないように目を閉じて、廊下へと踏み出した。

 今までならこのまま仕事に戻るのだが、今日俺はその足で担当医の所に向かう。


  ◆ ◆ ◆


「それで、アメリカの先端治療を行う医療機関に転院するというのは本当ですか?」


 五十代の担当医は、予約した時間に合わせて談話ルームにやって来た。風邪や怪我など、来院者で雑然とした診察棟とは違い、渡り廊下を挟んだこの総合棟は、普段使われない会議室が多い事もあってか、もの静かな雰囲気だった。

 

 診察室ではなく、こちらでの面会を俺がお願いしたのは、看護師も含め、なるべくこの件を知る者を少なくしたかったからだ。

 長机が四つ、長方形に配置された部屋は、どことなく空虚で、この病院がまとう、どこか事務的な印象に似合っていた。


「はい。米国にいる親戚が手配をしてくれました」


 向かい合わせに座った俺に、挨拶抜きで本題に入る医師。ここに入室した時から腕時計を気にしている様子から、次の約束まで時間がないのだろう。


 俺も長話はしたくないので、簡潔に回答する。

 担当医の男性は、少しうなると、しばらく俺の言葉の意味を検討していた。

 

「転院先の病院名は明かしたくないとの話ですが?」


 男性医師は面白くなさそうに質問をしてきた。


「すいません。先生には正直にいいますが、親戚のコネで押し込んでもらったので、口外するなと釘をさされていまして……」


 俺は会社の債権者達に足が付かないよう、具体的な話をしない。

 医師は、その後もいくつか問いを重ねてきたが、俺ののらりくらりとした態度に、諦め顔になる。


「まあ、ここでは対処療法が精一杯ですから、引き止めるわけにもいきませんがね」


 結局、担当医自身も俺や優美子に根治は困難だと宣告している以上、患者が別の病院に移る事を止めたりはしなかった。


「では、一旦退院の手続きをしますので」


 医師は、後は病院の事務受付と話して下さい、と話を終わり、早足で談話室から出ていった。

 俺はガランとした部屋から見える中庭の木々を見る。枝にはまだ赤茶色い葉がいくらか残っていた。

 寒風に揺れる姿は、オ・ーヘンリーの短編を思い起こさせる。


 優美子の窓の景色は殺風景だと思っていたが、ここよりマシかもしれないな。

 頭を切り換えて、今後の予定について確認しよう。

 

 俺は病院の事務のある診療棟へ戻るために、椅子を引くと腰をあげた。


  ◆ ◆ ◆


 わたしは、彼が去ったドアをぼんやりと見つめていた。


「たまには戻ってきてもいいじゃない」


 ふと我に返り、壁のカレンダーを見る。見舞いの度に花束を買ってくる彼に、切花も高いので節約しなきゃだめだと諭した。

 すると花が溢れたイラストのカレンダーを買ってきてくれた。

 毎月めくるつど、季節の花が上手く重ねて描かれている。


 如月は梅や寒椿の紅色を背に、スノードロップや霞草の白が散りばめられ、手前には雪割草や福寿草。

 水彩の淡いタッチが気に入っていたが、最近焦点をあわせるために努力がいる。


 目をこらしているうち、めまいがして、ベッドに背をあずけた。

 少し前から体の脱力感が抜けないので、すぐに疲れてしまうのだ。


「慶一さんてば、無理しちゃって」


 わたしは彼の心中をおもんばかった。慶一さんと修二君とは余り仲が良くなかった。というより、修二君が慶一さんを避けていたと思う。


「ひどく嫌われているんだ」


 学校で寂しそうに言う慶一さんを見ると、わたしも悲しかった。

 慶一さんにとってはたった一人の兄弟なんだから。


 ただ優秀な兄を持つ弟の気持ちは、わからないでもない。

 両親や親戚、周りの人が慶一さんにとても期待していた事は、高校時代から一緒の彼女にも充分伝わって来たから。


 人を惹きつける性格や明朗な声、成績も優秀で男女問わず人気があった。

 同じ容姿を持つ双子なのに、慶一さんは身奇麗でセンスも良かった。


 一方、修二君は顔を前髪で隠す様に伸ばし、おどおどとして暗い雰囲気だったから、話かける人も少なかった。

 慶一さんの弟じゃなければ、苛められていたかもしれない。


 そのコンプレックスなのか、中学の時から修二君の評判は悪かったようだ。

 高校の時は、慶一さんのバイクを勝手に持ち出して暴走行為もしていたと、学校の皆が噂していた。


 おとなしそうな修二君とバイクのイメージが重ならなかったので、慶一さんに聞いてみた事もある。


「たまにキレて暴走するけど、皆が言うほど悪いヤツじゃないんだ」


 そんな時慶一さんは、困った顔をしてあまり話してくれなかった。

 確かに、たまに修二君と話した感じでも、そんな人には見えなかったけど。


 それが、今や修二君は海外勤務のエリートらしい。

 

「ごめんなさい……」

 

 わたしは一人きりの狭い病室で、乾いた唇からため息と言葉をこぼれさせる。

 独房の囚人が、悔悟の念を独白するように。


 慶一さんの人生は変わってしまった。一流企業も辞め、家族とも疎遠になってしまった。

 あの火事がそれまでの幸福を焼き払った。


 燃え盛る家に飛び込み、わたしを助けに来た慶一さんは、そのときの怪我や火傷が元で入院した。

 手術を何度か行ったけど、焼けた顔や喉はまだ完全には元にもどっていない。

 退院後勤めていた会社も、結局は辞める事になってしまった。

 

 慶一さんは優しいけど、自尊心が無いわけじゃない。自分を嫌っている弟に頭を下げるのは、全部わたしのためだ。


 壁にある花の絵をふたたび見つめる。

 雪の様に描かれた霞草の小さな花達。福寿草の黄色い色が淡色の中で鮮やかに映える。

 わたしは視線を寒椿のところで留める。


 慶一さんは、真面目だけどどこか抜けてるよね。見舞いに椿はだめなんだよ。

 そんな彼が可笑しくて、愛おしくてたまらない。

 

 しばらくすると、絵がぼやけてきたが、今度は焦点が合わないからじゃなかった。

 瞳の前に滲み出した水滴にじゃまされたからだ。


「ごめんなさい」


 わたしはもう一度つぶやく。

 わななく様に閉じた瞼のはじから、細い涙がついっと流れた。








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