九州残影
プロローグ
「影か」
燭台の小さな灯火が、微かに揺れた。 闇の奥から忍び出でた影が、冷えた畳の上に静かに膝をつく。
「はっ」 「……何か動きがあったか」 「御前に申し上げます。薩摩の国境にて、不穏な動きがございます」
殿は手元の文を静かに置くと、暗闇の奥を見つめた。
「薩摩か。あの怪者ども、何を企んでおる……。立花はこの情報を握っておるのか?」 「いえ。まだ、捕えてはおらぬかと」
殿の口元に、冷ややかな笑みが浮かんだ。 九州を呑み込もうとする暴風の足音が、すぐそこまで迫っていた。
「殿、如何いたしましょう」
「うむ、立花だけでは負ける、大友にも知らせよ、ルートは任せる」「はっ」
燭台の火が再び揺れる。
行き先は、英彦山の修験堂 主家同士はぎくしゃくしていても、山伏の聖地(中立地帯)なら会える。 主人公の疾十は、両家の忍び頭を修験堂の闇の中に呼び出し、「藩主(殿)からの伝言」として薩摩の恐ろしさを説く。「大友と立花が争っている間に、薩摩の『丸に十字』の影が、九州の山々をすべて焼き払おうとしている。山を護りたくば、今だけは手を組め」
「その話しの裏は?」
「各々で確かめて頂けると信じております」
「……確かめてからの進言となるぞ」
「一刻も早くとしか言えません」
疾十がそう言い捨てた瞬間、修験堂の外で「カラスの鳴き声」が不自然に二度、響いた。
(……来たか!)
疾十の眼光が鋭くなる。
両家の忍び頭も、咄嗟に腰の小太刀へ手をかけた。
この絶対の聖地である英彦山にまで、すでに「薩摩の刺客(伺見)」の影が迫っていたのだ。
「確かめる時間すら、薩摩は与えてはくれぬようです」
疾十の低い声とともに、修験堂の戸が勢いよく弾け飛んだ——。
キン ザッと争い音が響くが気配が霧散し始める、
(流石の両家だ、逃げ切れた見たいだな、こちらに気づかれ無い内に、この火種を国元に持って帰らなければ)と同時に影が霧散した。
息を殺して潜伏をしていた疾十だけが見守っていた。
第一章 静寂
英彦山の修験堂の争いの後
「殿」
「影か、何があった」
「実は・・・」
修験堂での出来事の報告を終わらせる。
「むぅ、薩摩の動きが早くなるか」
「御意」
「ご苦労」殿が低く告げると、天井裏のわずかな気配すらも、夜の静寂の中に溶けて消えた。
一人残された殿は、手元で燻ぶる香炉の煙をじっと見つめる。 疾十が撒いてきた火種は、すでに大友と立花の「影」たちの胸に届いたはずだ。
(大友も立花も、愚かではない。己の首元に薩摩の刃が突きつけられていることには、これで嫌でも気づく……)
問題は、気づいた上で**「どう動くか」**だ。 薩摩の誇るあの狂気的な戦術——「釣り野伏せ」を前に、プライドの高い両家がどう反撃に出るのか。
殿は冷えたお茶を喉に流し込むと、小さく呟いた。
「嵐が来るぞ……」
数日後「影、いるか」
「はっ、ここに」と天井に気配が現れた。
殿「疾十。薩摩の進軍を少しでも遅らせねば、大友・立花の仕込みが間に合わん。……上方の『あの男』の名を使え」 疾十「……摂津の代官、加藤清正でございますか」 殿「そうだ。清正が豊臣の先鋒として、すでに千石船百隻と数万の兵糧を集め、肥後沖へ向けて出港した……とな。尾ひれを胸いっぱいに付けて、薩摩の『伺見(忍び)』に拾わせろ」 疾十「はっ。あえて『裏の商人ルート』から、薩摩の耳へ流し込みます」
「頼んだぞ。……薩摩が足踏みをしている間に、立花が自ら罠の奥底へ入る準備を整える。一刻を争うぞ」
「御意」
気配が消え、再び天井裏は静寂に包まれた。
数日後——。
肥後・八代。
薩摩軍の陣幕内に、湿った風が吹き込んでいた。
「報告」
「何事か」
「は、堺の商人たちの動きが慌ただしく……その理由が、加藤清正が兵糧を大量に集めている、人手をかき集めているとの知らせが」
「まことか」
「は」
陣幕の奥で地図を見つめていた将の手が、ぴたりと止まる。
(堺の商人が動いている……? 豊臣の本格的な九州征伐が、すでに始まっているというのか)
「……清正の狙いはどこだ。豊後(大友)か、それともこの肥後(八代)か」
「詳細はまだつかめませぬが、千石船百隻規模の船団が準備されているとの噂も……」
将の眉間に、深い皺が刻まれる。
(……くそが。立花山城を一気に叩き潰すつもりであったが、背後から清正の軍勢に肥後を塞がれれば、我らは挟み撃ちになる)
「……全軍の進撃を一旦止めよ。斥候をさらに増やし、肥後沖の海の動きを警戒させよ」
「はっ!」
——薩摩の足が、止まった。
その静寂を、八代の街を見下ろす高台の樹上から、疾十の冷徹な目がじっと見つめていた。
(……掛かったな、薩摩)
疾十は懐の文箱に触れると、闇の中へ滑り出すように消えた。
薩摩に与えたこの「わずかな猶予」の間に、立花宗茂が『釣り野伏せ』を爆死させるための罠を山中に仕掛け終えるはずだった。
英彦山の修験堂の頭たちから、一通の小さな密書が疾十の元に届く。
『今宵、修験あり』
(……何かが起きたか)
疾十は文を瞬時に炭火でくべると、気配を殺して館の天井裏へ滑り込んだ。
「どうした、影」
暗がりから殿の低い声が響く。
「今宵、呼び出しがかかりました」
「たしかか」
「は、確かめてまいります」
「……行け。薩摩の足を止めている今しか、勝機はないぞ」
「御意」
天井裏の気配が、一瞬で溶けるように消え去った。
第二章 さざなみ
英彦山の修験堂の闇に紛れる
「わざわざ済まぬ」
「何か」
「今流布されている話しは」
「お察しの通り」
ガバっ音がした、疾十は静かに身構える
「助力、助かった」と声がくぐもっていた、頭を下げている?
「礼を言うだけではなかろう」
「実は、長期戦になると」
「あい、わかった、当方の一存でいいな」
「任せる」
「では」
闇の中の気配が霧散した。
「夜分すみませぬ」
「何があった、影」
「実は……」
疾十は修験堂での大友・立花の影との密約、そして「長期戦はならぬ」という双方の覚悟をかいつまんで告げた。
「……うむ、瀬戸に繋ぎは取れるか」
「御意」
天井の気配が消えた。
闇の中に一人残された殿は、腕を組み、冷えた茶を一口口に含んだ。
(……大友も立花も、腹を括ったか。ならば薩摩を完全に八代へ縫い留めるため、瀬戸の海を揺らして見せねばならん)
清正の影を、ただの噂で終わらせはしない。
瀬戸内を牛耳る水軍の手を借り、肥後沖へ「羽柴の幻影」を解き放つ。
「薩摩よ……罠に落ちるか、それとも海を恐れて動けずに果てるか、選ぶがよい」
殿の低く冷ややかな呟きが、夜の静寂の中に溶けていった。
夜の潮騒が、遠く闇の底で鳴り響いている。 関門の海を臨む断崖の陰。月明かりすら届かぬ岩陰に、疾十は身を潜めていた。
波間に揺れる一隻の安宅船。 そこから合図の木魚の音が、ぽく、ぽく、と二度だけ闇を裂いた。
疾十は一筋の影となって崖を跳び、甲板の闇へと滑り込む。
「……何者だ」
闇の中から現れたのは、潮の匂いを纏った身の丈六尺の男。瀬戸内を仕切る水軍の頭目である。 刃の気配が疾十の喉元を掠めたが、疾十は瞬き一つせず、一枚の木札を差し出した。
「殿からの文だ」
頭目は木札の紋様を目にした瞬間、喉を鳴らして小太刀を引いた。
「……筑前の殿か。陸の影が、何の用だ」
「肥後沖の海を、揺らしていただきたい」
「肥後沖だと? あそこは薩摩の警護網が目を光らせておる。安安と船を出せる海ではないぞ」
疾十は冷ややかに、しかし力強く告げた。
「戦をしてくれとは言わぬ。『上方の豊臣から遣わされた大船団の先鋒』として、旗を掲げ、夜の沖合に篝火を連ねていただきたい」
「……羽柴(清正)のフリをしろと言うのか」
「御意。堺から運ばせた三千石の米俵と、この金塊をお納めいただきたい。……引き換えに、二日間のあいだ、肥後沖を豊臣の海に変えていただきたい」
頭目は暗闇の中で一瞬黙り込み、やがて太い首を低く揺らした。
「……くくっ、面白い。陸の狐どもが、薩摩の猛虎を海から脅かそうというわけか」
「薩摩が海を警戒し、足踏みをしている間に、山で決着をつけます」
「よし、乗った。今宵の潮に乗って、肥後沖へ向かう。薩摩の奴らに、上方の大軍が押し寄せたと思わせてやろう」
「……かたじけない」
疾十がそう呟いた瞬間には、甲板の上にその姿はなかった。 ただ、夜風が潮の香りを運んでくるだけだった。
第三章 かがり火
夜の帳が下りた館の天井裏へ、ひと筋の影が滑り込む。
「影」
「は」
「守備は」
「望み通りに」
「ご苦労」
「有り難き幸せ」
その言葉と共に、天井裏の気配が霧散した。
一人残された殿は、闇の中で静かに目を閉じる。
肥後沖には今頃、瀬戸内水軍が放った数百の篝火が、まるで羽柴の大軍勢のごとく海を赤く染めているはずだ。
八代の薩摩軍は、背後の海に突如現れた「加藤清正」の影に怯え、身動きが取れまい。
「……これで時(時機)は満ちた」
薩摩の足が止まったこの一瞬の隙に、大友と立花の忍びたちは、決戦の地となる山腹へ大量の火薬を埋設し終えているはずだ。
島津が得意とする必殺の戦法「釣り野伏せ」。
引きずり込まれた敵を山から挟み撃ちにするその死地に、逆に爆薬の仕掛けを施す——。
「行け、疾十。……歴史の決着を、その目で見届けて参れ」
殿の呟きに応える者は、もう闇のどこにもいなかった。
疾十はすでに、黒煙と炎が上がろうとしている決戦の山あいの樹上へと、疾風となって駆け出していた。
肥後・田原坂。
深く生い茂る木々と、切り立った崖に挟まれた狭隘な一本道。
薩摩軍が得意とする「釣り野伏せ」には、これ以上ない絶好の谷間であった。
「進め! 立花をこの坂で挟み撃ちにして討ち取れ!」
薩摩の先鋒が怒号とともに坂を駆け上がってくる。
敵を誘い込み、左右の山から一気に襲いかかる手筈——島津の必殺の罠が発動しようとしていた。
だが、山あいの巨大な杉の樹上。
息を殺して見下ろす疾十の瞳に、冷ややかな光が宿る。
(……かかったな、薩摩)
疾十の手元で、一本の火縄が小さく赤く爆ぜた。
薩摩の兵たちが「釣り野伏せ」の陣を張ろうと潜んでいた左右の山腹。
そこには、大友と立花の忍びたちが夜を徹して埋設し尽くした、堺の火薬箱が眠っている。
「……吹き飛べ」
疾十が火縄を谷底へ投げ落とした瞬間——。
ドォォォォンッ!!!!!
凄まじい轟音とともに田原坂の山々が崩れ落ち、島津の誇る「影の罠」そのものが、紅蓮の炎と黒煙の中に呑み込まれていった。
エピローグ
(策がはまったな)
田原坂を包む炎と煙を見下ろし、木立の中の影に紛れて様子を見ていると、大友、立花両家の頭が両脇に立ち、声を揃えて「助力感謝」と告げ気配が消えた。
……吹き抜ける風が、山あいの焦げた匂いを運んでいく。
薩摩の足はここに留まり、大友・立花は死地を脱した。
歴史の表舞台に語られることのない、影たちの戦いはこれで終わったのだ。
疾十は深く息を吐き出すと、誰に告げるともなく闇の奥へと身を躍らせた。
国元で待つ、殿の元へ還るために。
燭台の火が揺れる
「影」
「夜分遅くに失礼します」
「守備は」
「両家の策略通りに」
「良くやった」
「はっ、有り難き幸せ」
燭台の火が再び揺れる
【九州残影 完】




