火種をわかつ
射線が通りづらい岩場の陰で、ただ夜空を見上げる。引きずった足は感覚がなく、指先1つでさえ動かすのも億劫だ。
血を流し過ぎたのか、夏のはずなのに酷く寒い。震えが止まらない。寒さのせいか、それとも――。
すぐ近くで砂を踏みしめる音がした。反射で身体が強張るが、体力の限界で思うように動けない。ゆるゆると顔を上げると、敵国の男が居た。
……ボロボロだった。五体揃っているのが不思議なほどに。
強張った身体から力が抜ける。
過去に何度も切結んだ男だ。優しげな顔に似合わず、愚直な剣を振るう男。
男がドサッという音を立てて隣に座る。どうやらコイツも限界らしい。
「なぁ、寒いから……もっとこっち寄れよ……」
声をかけると、立ち上がる力もないのか、男は身体を引きずって身を寄せた。
じんわりと伝わった体温が、夜風に攫われていく。
男の顔をぼんやりと眺めた。相当血を流したのだろう。泥や血に塗れてもなお、男の顔色が悪いのがわかる。きっと俺も似たようなものだ。
「マッチ、持ってねぇ……?」
ダメ元で男に声をかけながら、震える手で懐から煙草を取り出す。
幸い血で湿気らなかったそれは、とても性の悪い鎮痛剤だ。
「鎮痛剤はある……けど火がねぇ……」
言いながら1本咥える。当然、火が付いていないそれには何の効果もない。
浅く不規則な自分の呼吸だけが聞こえる。意識が朦朧とする。
ぼんやり暗闇を眺めていると手に冷たい金属が触れる感触があった。ゆっくり手元を見ると鈍色に光るジッポライターが置かれている。
「……これは?」
「……上官の形見だ、使え」
カチン、という音を立てて煙草に火を付ける。
手元の震えに合わせて炎が揺れた。
深く吸って、吐き出すと、やけに白い煙が風下へ流れていく。
いつの間に抜き取ったのか、隣の男も同じように白い吐息を吐き出した。
仲間内であんなに臭いと騒ぎ合っていた煙も、今となってはもう、何も感じ取れなかった。
「月が……見える……」
男がポツリと呟いた。煙混じりのそれが夜風に溶ける。
「死んでもいいわってか……?」
痛みが引いて、余裕が出てきた喉の奥で、くつりと笑って言う。
「戦場で笑えない冗談を言うな……他にも色々あったろ……」
「わりぃわりぃ、明日も晴れるといいな……だっけか?」
男も余裕が出てきたのか、呆れた笑いを返す。
誰かと笑い合ったのなんていつぶりだろうか。思わず言葉が弾む。
「俺たちなら……明日、見えりゃ上等だろうな」
「ちげぇねぇや」
一頻り笑いあった後、穏やかな空気が流れる。夜風が再び髪を揺らすが、もう寒さは感じなかった。
煙草をもう1本咥える。火種を貰おうと男を見ると、男は物欲しそうな顔でこちらを見ていた。
「なぁ、もう1本……貰えねぇ?」
「いいぜ」
受け取った男が煙草に火を付ける。男は、煙草を咥えたままこちらを向くと、そっとその煙草の先を俺が咥えた煙草に近付けた。
男の目線は煙草の先へ向き、睫毛が目の下に影を作っている。
深く息を吸って火種を貰う。呼吸に合わせて煙草の先がじわりと染まった。
ゆるりと視線を上げた男と目が合う。
風が止まった。ゆるやかに煙が揺蕩う。互いの呼気がかすかに唇をかすめる――。
やがて、ほろりと煙草の灰が崩れた。
男の視線がつられて落ちる。
不意に距離が開いた。
かと思えばこちらへ重心を預け、男は深く息を吐いた。
2人の吐息が白く混ざる。お互いの呼吸の音だけが静かに場を満たしていた――。
朝焼けの光が岩陰を淡く染める。乾いた血だまりの中に煙草の吸い殻が2つ、残っていた。




