↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

罪を着せられ婚約破棄された私、辺境に追放されたら“浄化”で街が救われました~今さら戻れと言われてももう遅いです~

作者: モーヒアス
掲載日:2026/05/02

 煌びやかなシャンデリアが、夜会の広間を白く照らしていた。

 磨き上げられた床には人々の影が揺れ、貴族たちの笑い声が絶え間なく響いている。


 その中心で――私は、静かに立っていた。


「リリア・フォン・アルヴェン。君との婚約は、ここで破棄させてもらう」


 王太子の声はよく通った。

 ざわり、と空気が揺れる。


 ……やっぱり、来た。


 予想していなかったわけじゃない。ここ最近の彼の態度、周囲の視線、妙に増えた噂。すべてが、この瞬間に繋がっていた。


「理由を、伺っても?」


 静かに問い返すと、王太子はわずかに眉をひそめた。隣に立つ公爵が、一歩前に出る。


「理由、だと?分かっているはずだ。お前の“無能”ぶりは、もはや看過できぬ」


 その言葉に、周囲から小さな笑いが漏れる。


 無能。


 何度も聞いた言葉だった。


「加えて――」


 公爵はわざとらしく間を置き、声を低くする。


「王宮での浄化作業において、お前は記録の改竄を行った疑いがある」


「……改竄?」


「成果を水増しし、自らの功績のように見せかけた。違うか?」


 ――なるほど。


 思っていたより、雑な罪だ。


「証拠は?」


「証拠があるからこうして告げているのだ」


 曖昧だ。


 けれど、この場でそれを指摘する意味はない。すでに決まっているのだから。

 ちらりと視線を動かす。会場の端に、見慣れた顔があった。


 継母と、義弟。


 ……一応、家族。


 目が合った瞬間、継母はゆっくりと首を横に振った。


「アルヴェン家としては、この件に関与いたしません。むしろ――」


 その声はよく通った。


「家名を汚した娘を、恥じております」


 はっきりと、切り捨てる言葉。義弟は何も言わない。ただ、視線を逸らした。それだけで十分だった。


 ――ああ、本当に終わりなんだ。


 どこか他人事のように思う。悲しみがないわけではない。けれど、それ以上に


――納得があった。


 もともと、この場所に居場所なんてなかったのだから。


「リリア」


 王太子が、わずかに苛立った声を出す。


「何か言うことはないのか」


「……そうですね」


 少しだけ考えて、口を開く。


「では、ひとつだけ」


 会場の視線が、再び集まる。


「――お世話になりました」


 静かに頭を下げた。それだけだった。

 謝罪でも、弁明でもない。ただの別れの言葉。

 それが、かえって場をざわつかせた。


「……は?」


 王太子が間の抜けた声を出す。


「そ、それだけか?」


「はい」


 顔を上げて、まっすぐに見る。


「他に、何を申し上げればよろしいのでしょうか」


 ほんの少しだけ、首を傾げる。

 その瞬間、王太子の表情が歪んだ。


「……ふざけるな。自分の立場が分かっているのか!」


「分かっております」


 むしろ、ようやくはっきりしたくらいだ。

 ここには、私の居場所はない。

 それだけのこと。

 公爵が鼻で笑う。


「強がりか。まあいい。婚約は正式に破棄とする。お前は王都を去れ」


「承知しました」


 あっさりと頷くと、またざわめきが広がる。

 誰もが、私が取り乱すと思っていたのだろう。

 泣き叫ぶか、縋りつくか。


 ――そんなこと、するわけがないのに。


「……以上だ。下がれ」


 王太子が手を振る。

 それが合図だった。

 私は静かに踵を返し、その場を後にする。

 背後で何か言われている気配はあったが、振り返ることはなかった。



 屋敷に戻ると、空気はすでに変わっていた。

 使用人たちの視線が、どこかよそよそしい。


 ――早い。


 もう話が回っているらしい。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 形式だけの挨拶を受けながら、廊下を進む。

 自室の前で、扉が半分開いているのに気づいた。

 中には、継母がいた。


「ちょうど良かったわ」


 振り返りもせず、淡々と言う。


「荷物はまとめておきなさい。明日には出ていってもらうから」


「……早いですね」


「当然でしょう?」


 ようやくこちらを見て、冷たい笑みを浮かべる。


「王太子殿下に逆らった娘を、いつまでも置いておけるわけがないでしょう。あ、安心して?行き先はもう決まっているから」


 逆らったつもりはないけれど。

 そんなことは、どうでもいいらしい。


「決まっている?」


「北の辺境よ。あちらで働き口でも探しなさい。あ、魔物に気を付けてね」


 つまり――魔境の近く、辺境伯領へ放り出すということだ。

 義弟が壁にもたれかかっている。

 目が合ったが、やはり何も言わなかった。


「……分かりました」


 短く答える。

 それで会話は終わりだった。

 継母は満足したように頷き、部屋を出ていく。

 扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。


 一人になった部屋で、私はゆっくりと息を吐く。


「……本当に、終わったのね」


 ぽつりと呟く。

 広い部屋だった。けれど、不思議と未練はなかった。

 必要なものなんて、ほとんどない。

 クローゼットを開け、数着の服を取り出す。本も、少しだけ。

 それだけで十分だった。

 ふと、手が止まる。

 机の上に、小さな箱があった。

 開けると、中には古びたペンダント。


 ――父の形見。


 もう顔もはっきりとは思い出せないけれど、優しかったことだけは覚えている。


「……申し訳ありません」


 何に対してかも分からないまま、呟いた。

 そして、首にかける。

 それが、ここから持っていく唯一の“家族”だった。



 翌朝。

 荷物は小さな鞄ひとつに収まっていた。

 門の前には、簡素な馬車が一台。


 見送りは――誰もいない。


 当然か。

 振り返ることなく、馬車に乗り込む。

 扉が閉まり、ゆっくりと動き出す。

 王都の景色が、少しずつ遠ざかっていく。


「……さようなら」


 小さく呟いた。

 聞く人はいない。

 それでも、必要な言葉だった。


 そして私は、すべてを失ったまま――辺境へ向かうことになった。



 馬車に揺られて、何日が経っただろう。

 舗装された道はいつしか途切れ、車輪はごとごとと荒れた地面を踏みしめるようになっていた。

 窓の外に広がる景色は王都とはまるで違う。

 緑はある。けれど、どこか色が薄い。土は乾き、木々は力なく枝を伸ばしている。


 ――荒れている。


 それが、最初に抱いた感想だった。


「もうすぐ到着です」


 御者の声に、顔を上げる。

 やがて見えてきたのは、小さな街だった。

 石造りの建物が並び、簡素ながらも人の気配はある。けれど、活気があるとは言い難い。

 人々の表情はどこか疲れていて、足取りも重い。


 ――これが、私の新しい居場所。


 馬車が止まり、扉が開く。


「ここで降りてください」


「ありがとうございます」


 短く礼を言い、外へ出る。

 乾いた風が、頬を撫でた。

 見渡すと、やはり空気が重い。目に見えない何かが、じわりと積もっているような感覚。

 無意識に、息を整える。


 ……少しだけ。


 ほんの少しだけ、やってみようか。

 誰に見られているわけでもない。問題になることもないだろう。

 足元に視線を落とし、そっと手をかざす。

 意識を集中させると、胸の奥から静かな熱が広がった。

 それを、外へ。


 ――浄化。


 目に見える光はない。けれど、確かに“流れ”が変わる。

 空気が、ほんのわずかに軽くなった。


「……やっぱり」


 小さく呟く。

 王都でも同じだった。誰にも気づかれないまま、こうして少しずつ整えていた。

 けれど、それを“私の力”だと認識する者はいなかった。


 ……まあ、いい。


 今さら証明する必要もない。

 そう思い、顔を上げた――その時だった。


「今、何をした?」


 低く、よく通る声。

 振り向くと、一人の男が立っていた。

 年の頃は三十前後だろうか。濃い色の外套を羽織り、剣を腰に差している。

 だが何より目を引くのは、その佇まいだった。

 周囲に自然と人が集まり、誰もが彼に気軽に声をかけている。


 ――距離が、近い。


 王都の貴族とは明らかに違う空気。


「……何もしていませんが」


 とりあえず、そう答える。

 男はじっとこちらを見つめたまま、動かない。


「嘘をつくな」


 即答だった。


「この辺りの空気が、さっきまでと違う」


 そこまで分かるのか。

 ほんの一瞬、驚きがよぎる。


「気のせいでは?」


「いや」


 男はゆっくりと近づいてきた。

 視線はまっすぐ、逸らさない。


「君が来た瞬間から、周囲の“淀み”が薄れた」


 ……そこまで。


 思わず、言葉を失う。

 王都では、誰一人として気づかなかったのに。


「君、名前は?」


「……リリアです」


「姓は?」


 一瞬だけ迷う。

 けれど、すぐに答えた。


「もう……必要ありませんので」


 それで察したのか、男はそれ以上聞かなかった。


「そうか」


 短く頷く。


「俺はアレクシス。この地を預かる辺境伯だ」


 ――辺境伯。


 思わず目を見開く。

 こんなにも気軽に話しかけてくるとは思っていなかった。

「へ、辺境伯様でしたか!大変失礼いたしました……」


「驚いたか?」


「……少し、いえ、かなり驚きました」


 正直に答える。


「もっと、近寄りがたい方かと」


「それだと人が離れるからな」


 あっさりと言ってのける。

 そして、ふっと笑った。


「それよりも」


 視線が、再び鋭くなる。


「君だ」


「……私、ですか?」


「ああ」


 迷いのない声。


「さっきのあれ、もう一度できるか?」


 ……やはり、気づいている。


 隠し通せる相手ではないらしい。


「それは……命令、でしょうか?」


「命令ではないな」


 あっさりと認める。


「ただ、『お願い』だ」


 その言い方が、不思議と強引に感じなかった。

 命令ではない。けれど、軽いわけでもない。


 ――真っ直ぐだ。


 少しだけ考えてから、息を整える。


「……少しだけなら」


 手をかざす。

 先ほどよりも、わずかに強く意識を集中させる。

 胸の奥の熱を引き上げ、外へと流す。

 今度は、はっきりと分かる変化があった。

 風が、やわらかくなる。重かった空気が、するりと抜ける。

 近くの草が、わずかに色を取り戻した。

 周囲にいた人々が、ざわめく。


「なんだ……今の」


「空気が、軽く……?」


 小さな声が、あちこちから上がる。

 その中心で、アレクシスは目を細めた。


「……やはりな」


 確信を得た声だった。


「これは……浄化か?」


「そう、呼ばれることが多いです」


 否定はしない。

 する意味もない。

 しばらく沈黙が落ちた。

 やがて、彼は一歩踏み出す。


「リリア」


「はい」


「君は、どこへ行く予定だった?」


 問われて、少しだけ言葉に詰まる。


「……特に、決まっておりません」


「仕事は?」


「これから探すつもりでした」


 正直に答えると、彼は小さく息を吐いた。


「なら、ちょうどいい」


 まるで当然のように言う。


「うちに来い」


「……はい?」


「この街に残れ、ということだ」


 言葉はシンプルだった。


「君がいれば、この地は変わる」


 断言だった。


「そして――」


 わずかに、声が低くなる。


「俺も、君を手放す気はない」


 ……それは。


 一瞬、意味を測りかねる。

 けれど、次の言葉で理解した。


「報酬も、身分も、生活も保障する」


 視線は逸らさない。


「必要なものはすべて用意する」


 そこまで言って、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「だから――ここにいろ」


 ――まっすぐすぎる。


 打算も、遠回しな言い方もない。

 ただ、必要だから欲しいと言っている。

 それだけなのに。

 胸の奥が、わずかに揺れた。


「……即決を求めますか?」


「いや」


 首を横に振る。


「だが、あまり時間はやれない」


「どうしてですか?」


「この状況を見れば分かるだろう」


 周囲に視線を向ける。

 疲れた人々、荒れた土地。


「この辺境で悠長に構えている余裕はない」


 ――確かに。


 その通りだ。

 少しだけ、考える。

 王都に戻る選択肢はない。行くあてもない。

 そして、ここには。


 ――必要としてくれる人がいる。


「……ひとつ、条件があります」


「言ってみろ」


「ここにいる人たちを、優先させてください」


 自分でも少し意外な言葉だった。

 けれど、自然に出てきた。

 アレクシスは一瞬だけ目を見開き、すぐに笑った。


「最初からそのつもりだ」


 即答だった。


「なら――」


 息を吸う。

 そして、ゆっくりと吐き出す。


「お世話になります」


 頭を下げる。

 その瞬間、彼ははっきりと笑った。


「歓迎する、リリア」


 その声は、驚くほど柔らかかった。


 こうして私は――


 すべてを失った場所ではなく、“必要とされる場所”に辿り着いた。



 それからの日々は、驚くほど穏やかだった。

 朝、目を覚まし。簡素な部屋で身支度を整え、外に出る。

 乾いていた空気は、少しずつ柔らいでいた。

 私が来たばかりの頃と比べれば、その違いは明らかだった。


「おはようございます、リリアさん!」


「ええ、おはようございます」


 通りを歩けば、声をかけられる。


「リリアちゃん!わたしの家の畑、見た?芽がいっぱい出てたの!」


「まぁ!それ本当?」


「うん!わたし朝起きてびっくりしちゃった!」


 嬉しそうに話す少女の表情に、思わず口元が緩む。


「それは良かったわ」


 ただそれだけの会話。

 けれど、それが心地よかった。

 王都では、誰もこんなふうに話しかけてはこなかった。


 ――いや。


 話しかけられていたとしても、“私自身”ではなかったのだろう。

 役割としての令嬢。婚約者としての立場。

 そういうものだけを見られていた。

 けれど、ここでは違う。

 リリアとして、見られている。


 それが、こんなにも――


「難しい顔をしているな」


 不意に声がかかる。

 振り向くと、アレクシスが立っていた。


「辺境伯様」


「アレクシスでいい」


「……では、アレクシス様」


 譲歩のような形で呼び直すと、彼は軽く肩をすくめた。


「で、何を考えていた?」


「いえ、少し……」


 言葉を探す。


「ここは、穏やかだなと」


 正直な感想だった。

 すると、彼は一瞬だけ目を細める。


「そう感じるなら、それは君のおかげだ」


「私の……ですか?」


「ああ」


 当然のように頷く。


「君が来る前は、もっと酷かった」


 周囲を見渡す。


「土地は痩せ、魔物も多かった。住民も余裕がなかった」


 静かな声で、事実を告げる。


「だが今は違う」


 視線が戻る。


「全部とは言わないが、確実に変わっている」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなる。


「……それは、皆さんが頑張っているからです」


「それは勿論。だが……きっかけを作ったのはリリア。君だ」


 迷いのない声だった。

 どう返せばいいか分からず、視線を逸らす。

 そんな私を見て、彼は小さく息を吐いた。


「自覚がないのか」


「……必要だと思ってやっているだけです」


 それが、本音だった。

 特別なことをしているつもりはない。

 できることを、しているだけ。

 すると、彼はわずかに口元を緩めた。


「だからこそ、だな」


「……?」


「いや、何でもない」


 それ以上は言わなかった。

 代わりに、歩き出す。


「少し付き合え」


「どちらへ?」


「畑だ。昨日、報告が上がっていた」


「分かりました」


 並んで歩く。

 その距離が、自然と近いことに気づく。

 けれど、不快ではなかった。


 むしろ――安心する。


 畑に着くと、すぐに違いが分かった。

 まだ完全ではない。けれど、確かに緑が増えている。


「すごい……」


 思わず呟く。

 自分の力だと分かっていても、こうして目にすると実感が違った。


「昨日よりも、さらに良くなっているな」


 アレクシスも頷く。


「この調子なら、収穫も期待できる」


 農夫たちが集まってくる。


「リリアさん!」


「本当にありがとうございます……!」


 頭を下げられ、慌てて手を振る。


「そんな、私は……」


「いいや、君のおかげだ」


 横から、はっきりと言い切られる。

 視線を向けると、アレクシスがこちらを見ていた。


「感謝は、受け取っておけ」


「……」


「それだけのことをしている」


 静かな声。

 けれど、重みがあった。

 しばらく迷ってから、小さく頷く。


「……ありがとうございます」


 そう言うと、農夫たちは嬉しそうに笑った。

 その光景を見て、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 ――ここにいていい。


 ふと、そんな言葉が浮かんだ。

 王都では、一度も思えなかった言葉。

 それが、こんなにも自然に。


「リリア」


 呼ばれて顔を上げる。


「少し、顔色がいいな」


「そう、でしょうか」


「ああ」


 短く頷く。


「最初に会った時よりも、ずっといい」


 じっと見つめられて、思わず視線を逸らす。


「……き、気のせいです」


「いや」


 否定が早い。


「ここに慣れてきた証拠だ」


 その言葉に、少しだけ息が詰まる。

 慣れる。

 ここに。


 それはつまり――


「ずっと、いてもいいということですか」


 気づけば、そんな言葉が出ていた。

 自分でも驚くほど、素直に。

 アレクシスは一瞬だけ目を見開き、すぐに柔らかく笑った。


「最初からそう言っている」


 迷いのない声。


「君が望むなら、いくらでもいろ」


 ――ああ。


 その言葉は、ずるい。

 胸の奥が、強く締め付けられる。


「……ありがとうございます」


 それしか言えなかった。

 けれど、それで十分だった。




 その頃、王都では――

 静かに、しかし確実に異変が広がっていた。


「今年の収穫量は……このままでは、例年の半分にも届きません。王都周辺の魔物も増加しております」


 重苦しい声が、会議室に響く。

 王太子は苛立たしげに舌打ちした。


「またその話か」


「しかし、これは深刻な――」


「分かっている!」


 机を叩く。

 書類が揺れた。


「原因は調べたのか」


「それが……はっきりとは」


「はっきりしないだと?」


 声が荒くなる。


「浄化はどうした。いつも通りやっているのだろう」


 その問いに、控えていた浄化師たちが顔を見合わせる。

 やがて、一人が恐る恐る口を開いた。


「……確かに、作業は行っております。しかし」


「しかし?」


「以前と比べて、効果が……」


「は?」


「土地の回復が遅く、浄化してもすぐに淀みが戻ってきます」


 室内がざわめく。

 王太子の眉間に、深い皺が寄る。


「そんなはずがあるか。今まで問題なかっただろう」


「はい。しかし――」


 そこで、言葉が詰まる。

 別の浄化師が、小さく呟いた。


「……あの方が、いなくなってからです」


「誰だ」


 低い声。

 誰もすぐには答えなかった。

 だが、やがて。


「リリア様です」


 はっきりとした声が響いた。

 空気が、凍る。

 王太子の表情が一瞬で変わった。


「……あの女か」


 吐き捨てるように言う。


「関係あるはずがないだろう。あれは無能だ」


「ですが、現に――」


「黙れ」


 鋭い一言で、すべてが止まる。

 公爵が、ゆっくりと前に出た。


「殿下。ここは一度、情報を整理すべきかと」


「ああ、そうだな」


 王太子は深く息を吐く。


「くだらない憶測に振り回されるな」


 その言葉に、誰も逆らえなかった。

 けれど。

 不安だけが、静かに広がっていく。


 そしてそれは――


 やがて、隠しきれない形となって現れることになる。


 異変は、もはや隠しきれるものではなかった。

 王都近郊の畑は枯れ、森は荒れ、魔物の出現報告が相次ぐ。浄化を施しても、数日も経てば再び淀みが戻る。


 そしてついに――


「これ以上は、持ちません」


 浄化師の一人が、はっきりと言い切った。

 王城の一室。重苦しい空気が満ちる中、その声だけがやけに鮮明に響いた。


「何が言いたい」


 王太子の声は低い。


「現状のままでは、王都の維持は困難です」


「大袈裟だ」


「大袈裟ではありません」


 食い下がる声は、震えていた。恐怖ではない。焦りだ。


「浄化の根幹が、欠けています」


「……はっきり言え」


 苛立ちが滲む。

 そして、その言葉は放たれた。


「リリア様が、必要です」


 沈黙。

 次の瞬間、王太子の顔が歪んだ。


「ふざけるな!」


 机を叩く音が響く。


「あの女は無能だと、何度言わせる!」


「ですが、事実として――」


「黙れ!」


 怒声が遮る。

 だが、その場にいる誰もがすでに理解していた。


 “いなくなってから、おかしくなった”


という事実を。

 公爵が、静かに口を開く。


「殿下、ここは一度――」


「必要ない」


 即答だった。


「あの女の話はするな」


 その言葉で、会議は強引に打ち切られた。

 だが。

 報告は、別の場所へと届いていた。


「……そうか」


 低く、抑えられた声が響く。

 王の間。

 玉座に座る男――この国の王は、差し出された報告書に目を通していた。

 その表情は、静かだった。

 静かすぎて、周囲の者は息を呑む。


「もう一度言え」


「はっ……」


 報告役の騎士が、震える声で繰り返す。


「王都近郊の浄化機能が著しく低下しております。原因は――」


「違う」


 遮られる。


「そこではない」


 ゆっくりと顔が上がる。


「なぜ、その娘がいない」


 ――重い一言だった。


 騎士は言葉に詰まる。


「……婚約破棄により、王都を去ったと」


「誰の判断だ」


 空気が凍る。


「……王子殿下と、ルドガー公爵の進言により」


 名が出た瞬間、王の指が肘掛けを叩いた。

 小さな音。だが、それだけで場の空気が張り詰める。


「……余の許可は?」


「ございません」


 短い沈黙。

 やがて、王はゆっくりと立ち上がった。


「連れてこい」


「は?」


「王太子と、公爵をだ」


 その声には、感情が乗っていなかった。


 ――だからこそ、恐ろしい。


 しばらくして。

 王の間に、二人の男が並ばされた。


「父上、これは一体――」


 王子が言いかける。


「黙れ」


 一言で、すべてが止まった。

 王はゆっくりと階段を下りる。

 一歩、一歩。

 その足音だけが響く。


「リリア・フォン・アルヴェン」


 その名が、静かに告げられる。


「覚えているな」


「……はい」


 王太子が答える。


「なぜ婚約を破棄した」


「無能であったため、婚約を破棄いたしました」


「無能?」


 ぴたり、と足が止まる。


「誰が、そう判断した」


「私と、公爵が――」


「余は聞いておらぬ」


 空気が軋む。


「なぜだ」


 短い問い。

 誰も答えられない。


「さらに」


 王の声が、わずかに低くなる。


「罪をでっちあげたとも聞くが」


「それは……」


 公爵が口を開く。


「誤解でございます。あの娘は確かに不審な行動を――」


「証拠は」


 被せるように問う。

 言葉が止まる。


「余が納得できるほどの証拠はあるのかと聞いている」


「……」


 沈黙。

 それが、答えだった。


「……そうか」


 王は、静かに息を吐いた。

 そして。


「愚か者どもが」


 その一言で、すべてが終わった。

 次の瞬間、空気が一変する。


「余とアルヴェン侯との盟約を、知らぬとは言わせぬぞ」


 王子が目を見開く。


「盟約……?」


「リリアは本来、お前の妃となるはずだった」


 場が凍りつく。


「それを、勝手に破棄した」


 ゆっくりと近づく。


「王の許可もなく」


 一歩。


「大した理由もなく」


 一歩。


「挙げ句、罪を着せて追放した」


 目の前で止まる。


「誰の権限でだ」


 返答は、ない。


「……もはや弁明は不要だ」


 冷たい声だった。


「王太子は廃太子、公爵は領地召し上げの上で調査とする」


「なっ――!」


「異論は認めぬ」


 一蹴だった。

 すべてが、決まった。



 その頃。


 辺境の街では――


「王都からの使者?」


 リリアは首を傾げる。


「ああ」


 アレクシスが頷く。


「王の名で、お前に会いたいらしい。だが断っても良いとも書いてある」


「……そうですか」


 少しだけ、考える。

 だが、答えはすぐに出た。


「お断りします」


 即答だった。

 アレクシスは一瞬だけ目を見開き、すぐに笑った。


「理由を聞いてもいいか」


「戻る理由がありませんので」


 それだけだった。

 王都には、もう何もない。

 家族も、居場所も。


 そして――必要としてくれる人も。


「それに」


 少しだけ、視線を上げる。


「ここがありますから」


 その言葉に、彼は静かに目を細めた。


「そうか」


 短く答える。

 そして、自然な動作で一歩近づいた。


「なら、断っておこう」


「お願いします」


 頷く。

 それで、すべては終わりだった。



 後日。

 王都では正式に発表された。

 王太子の失脚。公爵の処分。そして、過去の不正の調査。

 その中で、リリアに関する記録もまた――


 “誤りであった”と、訂正された。


 だが。

 その報せが、彼女に届くことはなかった。


 ――必要がなかったからだ。



 夕暮れ。

 街は、穏やかな光に包まれていた。

 畑には緑が広がり、人々の笑い声が響く。

 かつての荒れた景色は、もうどこにもない。


「……綺麗ですね」


 ぽつりと呟く。


「ああ」


 隣で、アレクシスが頷く。


「君が来てからだ」


「またそういうことを」


 少しだけ笑う。

 彼は肩をすくめる。


「事実だ」


 そして、ほんのわずかに声を落とした。


「……だから、手放すつもりはない」


 その言葉に、心臓が小さく跳ねる。


「……もうどこにも行きません」


 軽く返すと、彼は目を細めてふっと笑う。

 その横顔を見て、思う。


 ――ああ。


 ここが、私の居場所だ。

 もう、迷うことはない。


「リリア」


「はい」


「これからも、ここにいろ」


 まっすぐな言葉。

 最初と同じで、変わらない。


 けれど――


「はい」


 今度は、迷わず答えられた。



 かつて、すべてを失ったと思っていた。

 けれど違った。

 本当に必要なものは――

 最初から、ここにはなかったのだから。

 そして今。

 私はそれを、確かに手に入れた。


 もう遅いと言われる側ではなく。

 そう言える側として。

感想、レビュー、☆、励みになります(小躍りします)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。