第29話 第十五代将軍 徳川慶喜 - リヴァイアサンの目覚め
慶応二年(一八六六年)十二月から翌年一月にかけて
京の二条城は、主不在のまま、冬の嵐に晒される巨大な廃船のごとき静寂に包まれていた。比叡山から吹き下ろす凍てつく風(颪・おろし)が、古びた櫓の板壁をきしませ、庭の松の枝を揺らす。その音は、まるで死にゆく徳川の世の断末魔のようであり、あるいは、深海で目覚めを待つ巨大な海獣の寝息のようでもあった。
第十四代将軍・徳川家茂の死後、将軍職は異例の長きにわたり空位のままである。通常であれば、間髪入れずに次期将軍が宣下されるべきところ、衆目が一致する最有力候補である一橋慶喜が、頑としてその就任を拒み続けていたからだ。朝廷からは、三条実美らを通じて何度も勅使が遣わされ、老中・板倉勝静らは連日のように嘆願書を積み上げた。
「慶喜公におかせられましては、速やかに将軍宣下をお受けいただき、国家の危急を救っていただきたい」
その悲鳴にも似た懇願に対し、慶喜は常に同じ言葉で冷ややかにこれを退けた。
「余には、徳川の『貧乏くじ』を引く才覚はない。他を当たられよ」
世間はこれを、慶喜特有の「へそ曲がり」あるいは「謙遜」、あるいは家茂への遠慮といった情緒的な理由で解釈しようとした。
だが、それは違う。
一橋慶喜という男の沈黙は、そのような人の情によるものではない。彼はこの数ヶ月間、二条城の奥深く閉ざされた一室で、海の外からこの国にもたらされた「新しい言語」と「計算尺」を用いて、日本という国家を解剖し、再設計するための「再構築策」を練っていたのである。
◆
慶喜の精神構造、および彼を支える小栗上野介ら「洋式」派の知識人たちの教養のベースには、ある共通な学問的背景が存在した。それは、従来の水戸学や朱子学といった儒教道徳ではない。彼らが修めていたのは、長崎・横濱・明望、そして江戸や地方諸都市に住まう何十人、何百人もの翻訳者からもたらされた、極めて即物的かつ実践的な社会科学の体系であった。
かつて18世紀末、明望に渡った在野学者・高野長英らの学者たちは、現地の開発や交易所での契約に必要な概念を、次々と漢字に翻訳していった。「Society」を「社会」、「Right」を「権利」、そして「Economy」を「経世済民」から転じて「経済」と訳出したのは彼らである。それらの言葉は、南山航路を通じて「タイムラグ・ゼロ」で日本本土へ還流し、それらの言葉によって生まれた新たな概念を理解した日本全国の洋書読みたちが、さらに新たな人文・科学・歴史・哲学等の書籍を止めどもなく訳出しつづけ、19世紀の若者たちの脳髄を中世から近代へと書き換えていた。
慶喜の手元には、一冊の和綴じ本があった。
『南山拓殖合本会社定款』
1815年、日本初の本格的な「株式会社」として設立された組織の規約書である。そこには、イタリア・ルネサンス期に発祥し、オランダ商館を通じて導入された複式簿記(借方貸方帳)の理屈と、合本組織(現在の株式会社の原型)の概念が記されていた。
慶喜は、ボルドー産の赤ワインを揺らしながら、その理屈を国家に当てはめて反芻する。
『国家トハ、巨大ナル「合本組織」ナリ。帝ハ其ノ名義人ニシテ、将軍ハ其ノ支配人ナリ。』
『武士道トハ死ヌ事ニ非ズ。損益分岐点ヲ見極メ、損切リヲ断行スル事ナリ』
この思想こそが、慶喜という怪物を形作る骨格であった。彼にとって忠義や伝統は「演出のための道具」に過ぎない。彼が見ているのは、日本列島という「市場」における、徳川家という「老舗大店」の貸借対照表そのものであった。
慶喜の目の前に広げられた机上には、チェス盤の代わりに精密な日本地図と、膨大な数字が書き込まれた帳簿が置かれている。彼は南山から取り寄せた氷を入れたグラスを片手に帳簿の数字を追う。各藩の石高(生産力)、人口動態、貿易黒字額、そして幕府の借金総額。それらの数字は無慈悲な事実を突きつけていた。
――徳川幕府は、すでに死んでいる。
旧来の封建制度は制度疲労を起こし維持コストばかりが嵩む。東國と西國との経済格差はますます広がり、その上で貧しい側の西國諸藩は政治力と軍事力を向上させ、幕府という「本社」への協賛を拒み始めている。家茂という「良心的な経営者」は、この破綻した組織を自らの徳と人柄だけで繋ぎ止めようとして過労死した。その後に残されたのは巨額の負債と、機能不全に陥った組織図だけだ。
「今、引き受ければ、負債を背負うだけだ」
慶喜は呟いた。彼の脳内では大坂や江戸の取引所で日常的に行われている「相場の理論」が高速で回転していた。今の徳川の「値打ち(株価)」は下落の途中にある。
だが、まだ底ではない。家茂の死という衝撃、長州の不穏な動き、そして次の将軍が決まらないという政治的空白。これらが重なり、幕臣や朝廷の不安が極限に達し、誰でもいいから助けてくれという恐慌が起きる瞬間。そこが「大底」だ。
慶喜は待っていたのだ。自分の価値を安売りせず相手が「全権を委任します」「好きにしてください」と泣きついてくるまで、事態を悪化させることを。それは、政治家というよりは、冷徹な相場師の手口であった。
◆
この慶喜の「沈黙の計算」を同レベルで理解し共有できる者は、今の日本には数えるほどしかいない。勘定奉行・小栗上野介。軍艦奉行・勝安房守。自身の側近・西周。一部の実務官僚たち。そして會津中将・松平容保。
彼らは皆、水戸学や国学といった「日本精神」を魂に宿しながらも、その脳髄は西洋からもたらされた「合理主義」によって書き換えられた、言わば双頭の鷲のような変異体であった。彼らは知っている。日本という国が生き残るためには、もはや武士の誇りや、農本主義といった古い衣を脱ぎ捨て、「富国強兵」という名のエンジンを積んだ、鋼鉄の怪物へと生まれ変わるしかないことを。
板倉勝静が再び部屋に入ってきた。その顔色は蒼白で唇は震えている。
「よ、慶喜公。市中の米価は一升二百五十文を超えました。民の不満は限界に達し、『ええじゃないか』の狂乱も、未だ燻り続けており」
慶喜は帳簿から目を離さずに聞いた。
「長州の動きは?」
「南山・北嶺島から流出したと思われる新式のミニエー銃を大量に買い込み、京への進軍を画策しているとの情報もございます。もはや、在京幕府部隊では抑えきれません」
「朝廷は?」
「帝は、連日のように『慶喜はいずこか』『徳川は余を見捨てるのか』と仰せになり、公卿たちは恐怖で震え上がっております。もはや、猶予はございません。慶喜公、どうか、どうかご決断を!」
板倉は畳に額を擦り付け、涙ながらに訴えた。慶喜はその姿を冷徹に見下ろした。その瞳には憐憫の色はない。あるのは実験の経過を観察する科学者のような、あるいは暴落した相場を見つめる投機家のような、凍てつく理知の光だけであった。
条件は、整った。
市場は崩壊し誰もが「強力な指導者」を求めている。旧来の幕閣たちは、思考停止に陥り、慶喜に全権を委ねる準備ができている。朝廷もまた、徳川の武力と経済力なしでは一日たりとも存続できないことを、骨の髄まで理解したはずだ。
「やっと熟したか」
慶喜は手元の帳簿をパタンと閉じた。その音は、まるで裁判官が鳴らす木槌のように、静まり返った部屋に響き渡った。
「よかろう。皆の望み通り、この泥舟の舵を取ってやる」
慶喜は立ち上がった。その瞬間、彼が纏っていた隠遁者としての仮面が剥がれ落ち、その下から、鋭利な牙を持った巨大なる統治機械の本性が露わになった。
「ただし、条件がある」
慶喜は、南山の職人が磨き上げたステッキを手に取り、床を突いた。
「余が座るのは、家康公以来の古ぼけた畳の上ではない。南山の鉄と東国の蒸気、そして近代的な法という名の枠組みで作られた、絶対的な総裁の座の上だ」
彼は従来の将軍になるつもりなどない。彼が目指すのは、日本列島と南山新天地を統合しアジアの海に君臨する巨大な通商国家「大日本・南山連邦」の初代統治者である。それは、二百六十続いた徳川の家職としての治世の終わりであり、同時に日本という国が感情を捨て、計算によってのみ動く冷徹な近代国家へと変貌を遂げる、終わりの始まりでもあった。
窓の外では冬の雷鳴が轟いていた。それは京の都の古い因習を焼き払い、来るべき「慶喜の独裁」を告げる、不吉でしかし力強いファンファーレのようでもあった。
◆
慶応二年(一八六六年)十二月五日 二条城黒書院。
ついに、その時は来た。午後二時。冬の低い日差しが、障子の桟を通して室内に頼りない縞模様を落としている。五十畳の広間には、老中首座・板倉勝静をはじめとする幕閣たち、そして京都守護職・會津藩主の松平容保、桑名藩主・松平定敬ら、佐幕派の重鎮たちがずらりと並び、平伏して「その人」の入室を待っていた。
彼らの精神的疲労は限界に達していた。西國で蠢く薩長の不穏な動き、底を突きかけた財政、崩壊寸前の京の治安、そして何より「リーダー不在」という心理的な空白。それらが重石となって彼らの肩にのしかかり、誰もが藁にもすがる思いで、慶喜という名の救世主を待ちわびていた。
やがて、廊下の床板を軋ませる足音が近づいてくる。だがその音に容保は違和感を覚えた。すり足で進む衣擦れの音ではない。
カツ、カツ、カツ
硬い革が木を叩く、乾いた、そして規則正しい音。
襖が、音もなく左右に開かれた。一斉に頭を下げていた諸侯が、主君の姿を仰ぎ見ようと顔を上げた瞬間、広間は凍りついたような沈黙に包まれた。息を呑む音さえ聞こえない。あまりの衝撃に思考が停止したのだ。
そこに立っていた徳川慶喜は、将軍宣下の儀式に不可欠な束帯姿でもなければ、武家の正装である麻裃姿でもなかった。彼が身に纏っていたのはフランス皇帝ナポレオン三世から贈られた、濃紺の羅紗地で作られた西洋式大礼軍服であった。
胸には金モールと、南山行政府から贈られた「南十字星勲章」がまばゆいばかりに輝き、肩には黄金の肩章が威圧的に鎮座している。腰には先祖伝来の名刀ではなく、横須賀の工廠で鍛え上げられた、冷たい輝きを放つサーベルを吊り、手には軍扇ではなく象牙のグリップがついた洋杖を持っていた。
その姿は、日本の征夷大将軍というよりは、欧州の絶対君主か、あるいは南洋の植民地を支配する総督のそれであった。
「面を上げよ」
慶喜の声はよく通る美声だが、そこには人間的な湿り気は一切なかった。彼は諸侯が平伏する畳の上を、土足のまま―丁寧に磨き上げられた革長靴で―堂々と歩みを進めた。そして上段の間にあるべき「将軍の座布団」をステッキで無造作に払い落とすと、従者に運ばせた黒革張りの安楽椅子をそこに据えさせドカリと腰を下ろした。
胡座ではない。足を組み、背を預ける、完全な洋式の座り方である。視線の高さが平伏する諸侯とは決定的に異なっていた。それは身分の差というよりは、支配する者と管理される者との圧倒的な断絶を示していた。
老中・板倉が、震える声で口火を切った。
「慶喜公…そ、そのお姿は。本日は、朝廷より宣旨を賜る晴れの儀式。そのような異国風の装いでは帝に対しても…」
「これか?」
慶喜は、金モールの袖を軽く払い、冷ややかに言った。
「これからの統治には機能性が最優先される。長い袖など工場の歯車に巻き込まれるだけで邪魔なだけだ。帝も余がこの姿で参内することを望んでおられる」
「なっ…!」
「板倉よ。形式の話は終わりだ…皆の望み通り、将軍職を引き受けてやろう」
慶喜の言葉に安堵の吐息が漏れる。だが、それはすぐに凍りついた。
「ただし、条件がある」
慶喜は懐から一枚の書類を取り出した。それは見慣れた巻紙や和紙ではない。しっかりとした行間文字間も定規で測ったかの様に楷書で書かれた分厚い洋紙の束であった。彼はそれをバサリと板倉の前に放り投げた。
「余は、従来の『徳川幕府』の長になるつもりはない。征夷大将軍の宣下はいただくが、諸藩の顔色を窺い、前例を踏襲し、赤字を垂れ流すだけの、時代遅れの封建領主連合の調整役など、まっぴら御免こうむる」
慶喜はステッキで床に広げられた日本地図の「江戸」と、遥か南の「南山」を指し示した。
「余が就任するのは、この日本列島と南山新天地を包括する、巨大な合本組織』の『総裁』である」
合本組織。
南山帰りの商人たちが使う新しい商いの言葉だ。出資者が金を出し合い、その利益を分配する仕組みだが、それを国家に適用するなど、前代未聞であった。
「これより行う全ての政治決定は、家格や伝統、忠義といった曖昧なものではなく、損益と功利によってのみ判断される」
慶喜は青ざめる會津藩主・松平容保を見据えた。容保は忠義の塊のような男だ。だが、慶喜の言葉は、その忠義さえも切り捨てようとしていた。
「會津。そちの忠勤は認める。だが、京都守護職という事業は明らかに採算割れだ。今後は精神論での市中取締は認めん。法の厳格な適用と執行を求める。効率的な治安維持機構へと再編せよ」
「は……ははっ……」
容保は唇を噛み締めながら平伏した。反論など、できるはずもなかった。無念さよりも先に、冷水を浴びせられたような戦慄が背筋を走った。だが、その言葉を否定するには会津の台所事情はあまりにも惨めであった。京に駐留する数千の藩士たちの食い扶持、弾薬、そして故郷への送金。その全てが、今や南山商会からの借款と、彼らが買い上げてくれる物産によって辛うじて繋がれている「砂上の楼閣」に過ぎないことを、彼自身が一番よく知っていた。
慶喜は言った。「採算割れ」と。彼らが誇りとしてきた血の通った忠義や、身を削るような誠の心は、この新しい「合本組織」においては、帳簿を赤く染めるだけの不要な出費であると断じたのだ。
(なんと冷たく、そしてなんと正確な指摘か。だが、上様は我らを切り捨てはしなかった。「機能せよ」と命じられた。ならば、応えるしかあるまい)
「……御意。……京都の治安、並びに不逞浪士の排除、法に則り、着実に遂行いたしまする」
容保は顔を上げ、決意を込めて言った。
「…この容保、一身にかけて」
慶喜は鼻を鳴らして、広間を見渡した。その視線は獲物を前にした猛獣のものではなく、不良在庫の山を前にした冷徹な管財人のそれであった。
「この『定款』に同意できぬ者は、今すぐこの部屋から出て行け。止はせぬ」
静寂。誰も動かない。動けるはずがない。
「…ただし」
慶喜は薄く笑った。
「この部屋を出た瞬間、その藩は『徳川・南山通商圏』からの離脱と見なす。外国貿易からの配当金、資源の優先供給、そして借款の保証。これら一切の権利を放棄してもらうことになるがな」
それは恫喝ですらなかった。単なる事実の通告である。現在、各藩の財政は、表面上は良好な藩でも、実態は南山からの資源輸入と、東國の工場が生み出す利益を自転車操業的に回す事によって、棺桶に片足を突っ込んだ状態で辛うじて回っている。そこから切り離されることは、すなわち棺桶に両足から入ることになると言う事だ。経済的な死、すなわち藩財政の破産と領民の餓死を意味する。
大名たちは互いに顔を見合わせ、そして力なく首を垂れた。彼らは理解したのだ。目の前に座るこの男は、徳川のプリンスなどではない。この国を丸ごと買い叩き、解体し、作り変えるためにやってきた、感情を持たぬ「経営機械」なのだと。
「異議なしか。よろしい」
慶喜は満足げに頷いた。その笑みは難解な数式を解いた数学者のような、無機質な達成感に満ちていた。
「では、始めようか。板倉、小栗を呼べ。これより直ちに、日の本という破綻寸前の巨大商会の再造に着手する」
外では冬の雷が轟き、雪混じりの雨が降り始めていた。それは、これから日本全土に吹き荒れるであろう、改革という名の冷酷な嵐の前触れであった。
◆
慶喜が断行した「慶応の改革」 それは、かつて日本人が経験したことのない、苛烈で、かつ極めて合理的な「国家の再造」であった。
まず彼が着手したのは、徹底した中央集権化と人事の刷新である。慶喜は二条城の一室を「総裁局」と改め、そこを幕府の中枢とした。老中による合議制、あの、誰も責任を取らず、お茶を濁すだけの月番制度は即座に廃止された。代わりに設置されたのは、陸軍、海軍、会計、外国、内国といった専門局である。それぞれのトップである「総裁」には、家柄や格式は一切考慮されず、実務能力に長けた技術官僚が据えられた。
勘定奉行・小栗上野介が「会計総裁」に、軍艦奉行・勝海舟が「海軍総裁」に抜擢されたのはその象徴である。彼らは「双頭の鷲」の片割れとして、海外の知識体系を自在に操る実務家たちであった。
◆
次いで、最重要課題である「財政の再建」である。慶喜は小栗と共に驚くべき錬金術を披露した。フランスを中心とする欧州銀行団に対する、巨額の融資交渉である。
慶応三年一月。大坂城・会見の間
慶喜の対面に座っていたのは、フランス公使レオン・ロッシュである。彼はナポレオン三世の特命を受け、極東におけるフランスの権益拡大を狙う野心家であったが、この日の慶喜の提案には、さすがに眉をひそめていた。
「将軍閣下。三〇〇〇万フラン(現在の価値で一千五百億円規模)とは、法外な金額ですな。今の幕府に、それだけの返済能力があるとは到底思えません」
ロッシュは、グラスの中のボルドーワインを揺らしながら冷ややかに言った。薩長が英国に接近する中、フランスとしても幕府を支援したいのは山々だが、沈みゆく船に金塊を積むような真似はできない。
「返済能力なら、ここにある」
慶喜は、卓上に広げられた地図の一点を、象牙のステッキでコツンと叩いた。それは日本地図ではない。南半球、南山大陸の北東沖に浮かぶ、珊瑚礁に囲まれた小さな孤島、「鳥島」と記された無人島であった。
「ただの岩礁ではありませんか」
「ロッシュ、貴公は化学に明るいか?」
慶喜は不敵に笑い、小箱から白い粉末を取り出した。
「これは、その島で採取された土だ。いや、数万年にわたり、渡り鳥たちが積み重ねてきた排泄物の化石と言ったほうがいいかな」
「…まさか、グアノ(鳥糞石)ですか?」
ロッシュの目の色が変わった。グアノ。窒素とリン酸を大量に含むこの物質は、当時の欧州において「白い黄金」と呼ばれていた。産業革命と人口爆発により食糧不足に喘ぐ欧州にとって、農業生産を飛躍的に高める「魔法の肥料」であり、同時に近代戦に不可欠な火薬の原料(硝石)となる戦略物資である。 南米ペルーのチンチャ諸島などで発見されたグアノは、欧州列強が血眼になって奪い合う資源となっていた。
「南山の調査隊によれば、この島には厚さ数十メートルに及ぶ最高品質のグアノが堆積している。推定埋蔵量は数百万トン。欧州の農地を十年は賄える量だ」
慶喜は、白い粉を指で弄びながら続けた。
「加えて、南山島内陸部で発見された銅鉱脈。電信網の普及で、銅の需要はこれから跳ね上がるだろう? 幕府は、これらの独占採掘権と輸出権を担保として差し出す用意がある。これを『徳川国際開発債券』として証券化し、パリの市場で売り出せばどうなるか。貴公なら計算できるはずだ」
それは一種の「先物取引」であった。まだ見ぬ資源を担保に、国家の未来を売り渡す行為とも言える。だが、慶喜に躊躇はない。
ロッシュは唾を飲み込んだ。グアノと銅。この二つが手に入るならば、三〇〇〇万フランの融資など安いものだ。しかも、これをフランスが独占できれば、英国に対する決定的な優位性となる。
「素晴らしい。閣下は、とんだ商売人だ」
「褒め言葉として受け取っておこう。契約成立だな?」
二人のグラスが触れ合い、高い音を立てた。この瞬間、慶喜執政府は日本を破産寸前の封建国家から、莫大な資源を保有する開発独裁国家へと、その信用格付け(レーティング)を一変させたのである
◆
慶喜の断行した改革は、内政という「自社工場のライン再編」のみならず、外交という名の「世界市場への新規上場」にも及んでいた。
舞台は、一九世紀の首都、花の都パリ 一八六七年、パリ万国博覧会
セーヌ川の湾曲部に抱かれたシャン・ド・マルス広場は、鉄と硝子、そして蒸気機関が奏でる轟音の交響曲に包まれていた。ロンドン、ウィーン、そしてここパリと続く万国博覧会は、単なる見世物小屋ではない。それは、帝国主義という名の猛獣たちが、自らの牙(軍事力)と毛並み(産業力)を見せつけ合い、互いの序列を確認し合う、巨大な品評会であった。
ガス燈の青白い光と、万国の言語が飛び交うこの「一九世紀の縮図」において、極東の島国から送り込まれた徳川幕府使節団は、欧州の人々の度肝を、物理的に引き抜くことになった。
将軍慶喜の名代として派遣されたのは、彼の異母弟であり、「プリンス・トクガワ」として紹介された民部大輔、徳川昭武。わずか十四歳の少年ながら、その装いは、欧州人が期待した「チョンマゲに二本差しのサムライ」というオリエンタリズムの玩具ではない。
兄・慶喜とお揃いの、南山産メリノ羊毛で仕立てられた濃紺のフランス式大礼軍服に身を包み、胸には南山行政府から授与された「南十字星大勲章」を帯びている。彼がナポレオン三世に拝謁した際、通訳を介さず、流暢なフランス語で挨拶を述べたその姿は、東洋の封建領主ではなく、欧州の王室と対等に渡り合う、若き「近代君主」そのものであった。
だが、真に人々を驚愕させ、ロンドンのシティやパリの証券取引所の相場師たちの目の色を変えさせたのは、昭武の背後に建設された展示館の威容であった。日本館の隣に、もう一つ、異様な存在感を放つパビリオンが建設されていたのである。
その名も「徳川領・南山物産館」
入口には、北嶺島の山岳地帯から発掘されたとされる、太古の巨大爬虫類の全身骨格化石が、天を突くように展示され、来場者を威圧する。館内に一歩足を踏み入れれば、そこは極彩色の異界であった。熱帯雨林を再現した巨大温室には、生きた極楽鳥が舞い、その下には、欧州列強が喉から手が出るほど欲しがる「戦略物資」が、これ見よがしに山積みされていた。
ガラスケースの中に積み上げられた白い粉末の山。それは、南山諸島の無人島で採掘された、高純度のグアノ(鳥糞石)である。化学肥料として枯渇した欧州の農地を蘇らせ、同時に最新の火薬の原料(硝石)となるこの粉末は、当時の国際市場において「白い黄金」と呼ばれていた。
その隣には、電信網の普及によって需要が爆発的に増大している銅の鉱石が、怪しく青光りする塊として鎮座し、さらに奥には、千葉の精錬所で鋳造されたばかりの、刻印も鮮やかな金塊と銀の延べ棒が、ピラミッドのように積み上げられている。
極め付きは、壁一面に掲げられた各種資源や産品の埋蔵量や生産量の、巨大な統計図表であった。統計学者たちが作成したこれらのデータは、南山という土地が、単なる未開の植民地ではなく、徳川幕府が管理する巨大な「生産基地」であることを、冷徹な数字で証明していた。
それは、日本という国が持つ「二つの顔」を、これ以上ないほど雄弁に物語っていた。繊細で洗練された文化と歴史を持つ「頭脳」としての日本本土。そして無限の資源と野蛮なまでの生命力を持つ「肉体」としての南山新天地。
パリの有力紙『ル・モニツール・ユニヴェルセル』は、翌日の紙面でこう書き立てた。
『東洋のプロイセン、現る』『日本は単なる極東の島国ではない。太平洋を跨ぎ、頭脳と筋肉を併せ持つ双頭の鷲である』
この万博外交は、慶喜が描いた緻密なシナリオ通りの、国家規模の「投資説明会」であった。欧州の投資家たちは、確かに浮世絵の美しさには感嘆した。だが、彼らが財布の紐を解いたのは、ジャポニズムへの憧れからではない。ロッシュ公使の報告書を通じて噂には聞いていた南山の担保価値が、紛れもない現実として目の前に積み上げられている事実に、歓喜したからである。
徳川幕府が発行する国債は、南山のグアノと銅鉱脈によって裏付けられている。その事実は、紙切れ同然だった日本の信用度を、一夜にして国際水準の「優良銘柄」へと押し上げた。特に、フランス皇帝ナポレオン三世の反応は、ロッシュからの事前報告を受けていたとはいえ、劇的なものであった。
昭武との会見の席上、皇帝は外交儀礼もそこそこに、上機嫌で身を乗り出して言ったという。
「プリンス。ロッシュ公使の報告は、誇張ではなかったようだ。これほどの資源があるのなら、話は早い」
皇帝の目は、獲物を狙う鷲のそれではなく、頼もしい同盟者を得た政治家の目に変わっていた。
「我がフランス帝国は、徳川との『特別なパートナーシップ』を惜しまない。軍事顧問団の増員、横須賀製鉄所への最新工作機械の供与、そして、慶喜公がロッシュに求めた追加の借款三〇〇〇万フラン、満額で応じよう。その代わり、条件はお分かりかな?」
「……ウィ、陛下。南山産グアノと銅の、欧州における独占販売権をフランスへ。…兄・慶喜より、その権限を委任されております」
昭武の返答に、皇帝は満足げに頷き、分厚い手に力強い握手を求めた。
パリの空の下、徳川の「葵の御紋」と南山の「南十字星旗」は、万国博覧会の風を受けて、誇らしげに、そして不気味なほど力強く翻っていた。
◆
この外交的勝利の影響は、即座に日本国内へと波及した。横須賀や横浜の港には、連日のようにフランス船が入港しトリコロールの旗が翻った。街にはフランス人の技師や商人が溢れ、パンを焼く香ばしい匂いと、石炭の煤煙が混じり合う。瓦版屋は「おふらんすブーム」を報じ、開化派の若者たちはこぞってフランス語学校へ通い始めた。
だが、その華やかな文明開化の裏で、もっと恐ろしい、構造的な変化が進行していた。慶喜と小栗が導入したフランス式の制度―警察機構、軍隊組織、そして中央集権的な官僚システム―は、徳川の支配構造を根本から書き換えつつあった。それはもはや「幕府」ではない。総裁(将軍)を頂点とし、各局が手足となって動く近代的な「行政府」の誕生であった。
歴史の歯車は、慶喜という時計職人の手によって、狂ったような速度で回され始めた。日本は世界資本主義の荒波に組み込まれ、その荒波を乗りこなすための冷徹な怪物へと変貌を遂げていたのである。
◆
慶応三年(一八六七年)秋。大坂城
かつて家茂が息を引き取ったその部屋は今、慶喜の執務室となっていた。情緒的な装飾は全て排除され、畳の上には黒革の長机と回転椅子が置かれている。壁一面には、南山から運ばれた巨大な黒板が設置され、そこには複雑な物流チャートと、各藩の石高、そして武装度が、白いチョークで書き込まれている。
慶喜は、チョークを指先で弄びながら、地図上の「西國」の部分を冷ややかな目で見つめていた。 その視線は、反乱分子を見る目ではない。経営を圧迫する「不良債権」を見る目であった。
「…総裁閣下」
会計総裁・小栗上野介が一枚の電信紙片を手に、静かに入室してきた。彼は慶喜を「上様」とは呼ばない。慶喜が定めた新しい職制に従っているのだ。
「薩摩と長州が、京で不穏な動きを見せております。岩倉具視らと結託し、討幕の密勅を偽造。武力蜂起を画策しているとの情報も」
「分かっている」
慶喜は、黒板の「薩摩」の文字の上に、チョークで大きな×印をつけた。カツン、という硬質な音が響く。
「彼らは焦っているのだ。我々の改革が進めば進むほど、幕府の力は幾何級数的に増大し、彼ら地方勢力との格差は絶望的なまでに広がる。彼らが生き残る道はただ一つ。このシステムが完成する前に、暴力によって盤をひっくり返すことだ」
慶喜は楽しげですらあった。彼は戦争を望んではいない。戦争はコストがかかる。だが、避けるつもりもなかった。彼が構築中の「大日本・南山連邦」というリヴァイアサンは、一度動き出せば、その燃料として反対勢力を飲み込み、粉砕し、養分に変えて巨大化する性質を持っていたからだ。
「小栗よ。商法には、こうあるな」
慶喜は、黒板に向き直ったまま言った。
「対抗同業企業が、不正な手段で市場を荒らそうとした時、最大手が取るべき手段は何か」
「…圧倒的な資本力による、強制的な併呑であります」
小栗の即答に、慶喜は満足げに頷いた。
「その通りだ。始めようか、小栗。内戦という名の、最後にして最大の事業整理を」
慶喜が黒板を強く叩くと、チョークの粉が舞い上がり、それはまるで戦場の硝煙のように、西國の地図を白く覆い隠した。
窓の外では、新設された幕府海軍の装甲艦「東」―横須賀造船所で装甲を強化され、最新のアームストロング砲を搭載した黒い怪物―が、大坂湾の波を切り裂いて演習を行っていた。
ボーーーーッ!
その重低音の汽笛はもはや情緒ある日本の音ではない。近代という名の怪物が、腹を空かせて獲物を求めて上げる、低く、太く、そして逃げ場のない咆哮であった。
西暦一八六七年。最後の将軍・徳川慶喜の手によって、日本という国の基本プロトコルは、封建制から近代中央集権制へと、強制的に書き換えられようとしていた。その冷徹な輝きは、西國の志士たちに「従うか、滅びか」の二択を迫る刃となって、喉元に突きつけられたのである。
(第2部 第29話 完)
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