第28話 ええじゃないか - 世直しと狂乱
慶応三年(一八六七年)秋、東海道。
その年の秋は、まるで何かの流行り病に冒されたかのように、異様に長く、そして重苦しかった。
三河の吉田宿から尾張の名古屋にかけての空は、いつ見上げても鉛を溶かしたような灰色の雲に覆われ、時折伊勢湾から吹き抜ける湿った南風は、本来ならば秋の涼気を運ぶはずのその流れに、腐った果実のような甘ったるい、それでいて鼻の奥をツンと突くような奇妙な臭気を孕んでいた。
それは、遠く赤道を越え、南山・入安島の広大なサトウキビ・プランテーションから黒潮に乗って運ばれてきた、精製前の黒糖の濃厚な甘い匂いと、国内の記録的な凶作によって高騰し、投機目的で商家の蔵に積み上げられたまま黴ていく古米の酸っぱい腐臭が、混じり合ったものであった。
街道を行き交う人々の表情は、一様に疲弊し、目は死んだ魚のように濁っていた。
かつて、お伊勢参りの旅人たちで賑わい、笑い声と三味線の音色が絶えなかったこの天下の往来は、今や巨大な工場の歯車の一部のように、無機質で殺伐とした空間へと変貌を遂げていた。
原因は、複合的かつ構造的なものであった。
第一に、嘉永の産業革命以来、幕府が江戸や横浜、そしてここ東海の直轄地を中心に強引に推し進めてきた「定時法(二十四時間制)」による、人間疎外とも言える時間管理である。かつての「不定時法」――日の出と共に起き、日の入りと共に休むという、お天道様と身体のリズムに合わせた緩やかな時間は、「非効率な旧弊」として排斥されつつあった。
南山貿易の拠点である横濱港や横須賀製鉄所にならい、名古屋の紡績工場群でも、朝六時を告げる汽笛が高らかに鳴り響くようになった。それは家畜を追う鞭のように、労働者たちを布団から叩き出し、職場へと駆り立てる。
人々は、空を見上げる代わりに、懐にある「時計」を睨みつけ、常に何かに追われるように早足で歩くことを余儀なくされていた。だが、彼らが持っているその時計こそが、新たなストレスの種であった。 それは、精巧で高価な「横濱製」ではない。文明開化の波に乗ろうとした大坂の町工場が、見よう見まねで大量生産した横濱製の粗悪なコピー品であった。
真鍮メッキはすぐに剥げ、歯車は噛み合わせが悪く、一日に十分も二十分も平気で狂う。ひどい時には、振っただけで針が落ちるような代物だ。それでも、「定時法」を守らねば罰金を科される飛脚や商人たちは、この信頼できない機械仕掛けの神に、生活のすべてを委ねざるを得なかったのである。
第二に、幕府直轄領(天領)で試験的に導入された、徹底的な「合理化政策」である。勘定奉行・小栗上野介は「富国強兵には正確な資産把握と税収が不可欠」とし、三河や遠江の天領に対して、従来の曖昧な検地に代わる厳格な「資産台帳」の作成を命じた。新設された役人たちは、計算尺と帳簿を片手に村に入り、田畑の収穫量はもちろん、庭の果樹や飼育する鶏の数に至るまで、感情を挟まずに淡々と記録していく。
そこには、かつてのお代官様のような温情ある目こぼしは一切ない。あるのは数字と事実のみ。関所の廃止によって物流は自由になったが、それは同時に、地場の小さな商人が、巨大な南山資本や幕府御用商人の波に飲み込まれ、淘汰される自由でもあった。
そして第三に、何より人々を苦しめていたのは、海外との貿易不均衡が引き起こした、制御不能な物価高騰であった。市場には、南山から輸入された物資が溢れかえっていた。白く精製された砂糖、缶詰にされた牛肉、香り高い珈琲、そして安価で丈夫な綿花。もちろん英仏米をはじめとする様々な国々から必需品から好事家好みの品まで。これらは瓦版で「文明の恩恵」と書き立てられ、都市部の新興ブルジョワジーたちはこぞって買い求めた。
だが、その一方で、国産の米、麦、生糸といった生活必需品の価格は、南山や列強のアジア植民地各地への輸出圧力と、価値の暴落した各藩の藩札を見限った投機マネーの流入によって乱高下を繰り返し、庶民の手の届かない高みへと駆け上がっていた。昨日まで一升百文だった米が、今日は二百文になり、明日は売り切れになる。
「国は豊かになった」「貿易黒字は過去最高だ」と瓦版は景気の良い数字を踊らせるが、庶民の財布には、南山両もメキシコ銀貨もない。あるのは、明日食う米がないという切実な不安と、得体の知れぬ閉塞感だけであった。
「えらい世の中になったもんだ」
三河・吉田宿外れの茶屋で、古びた着物を着た老人が湯呑みをすすりながら溜息をついた。その湯呑みの中身は茶葉ではなく、藤の葉を煎じた代用茶である。
「昔はよかった。お代官様は怖かったが、それでもお祭りの日は無礼講で、酒も飲めた。今の役人は怒鳴りもしねぇが、笑いもしねぇ。ただ帳簿を見て『規則です』と言って、わしらから最後の楽しみまで吸い上げていきなさる」
隣に座っていた若い飛脚が、懐から取り出した懐中時計を叩きながら毒づいた。
「へっ、規則だと? 見てくれよ、このガラクタを。大坂で作られた横濱型とかいうパチモノだが、また止まりやがった。こんな狂った機械に合わせて走らされて、遅れりゃ賃金を引かれるんだ。やってられねえよ」
飛脚は苛立ち紛れに、安っぽいブリキの時計を卓上に放り出した。カシャン、と虚しい音が響く。
「お偉いさん方は、南山の高い肉を食って、本物の横濱時計を持って、涼しい顔してやがる。わしらは、泥水をすすって、狂った針に追いかけ回されて、死ぬまで働けってか。ふざけんじゃねえよ」
その場にいた全員が、無言で頷いた。怒りではない。諦めでもない。
それは、行き場のない澱のような感情であった。あまりにも急激な変化。西洋から輸入された「効率」という名の、理解を超えた巨大な尺度。そして、その尺度に合わせようとして生み出された、粗悪で、不正確で、壊れやすい「偽物の文明」。自分たちの生活が、自分たちの手の届かない遠い場所で弾かれるそろばんの音によって、勝手に書き換えられていくという無力感。
社会全体が、限界まで空気を吹き込まれた風船のように張り詰めていた。誰もが感じていた。何かがおかしい。何かが狂っている。このままでは人間が人間でなくなってしまう。その張り詰めた風船は、ほんの些細なきっかけ、鋭利な針の一突きを待っていた。論理でも、説得でも、政治的なスローガンでもない。もっと原始的で、理不尽で、圧倒的な「何か」を。
そして、その針は、ある日突然、空から降ってきたのである。 どんよりとした鉛色の雲を切り裂き、季節外れの蝶のように、あるいは神の悪戯のように。
◆
発端は、三河の国、吉田宿(現在の豊橋)の小さな旅籠の軒先であったとも、あるいは尾張名古屋の、南山綿花を扱う紡績工場の裏路地であったとも言われている。いずれにせよ、それは鉛色の空から、音もなく舞い降りてきた。
最初は、季節外れの牡丹雪かと思われた。だが、地面に落ちたそれを拾い上げようとした丁稚の手が、驚愕に震えた。それは雪ではない。紙だ。しかも、ただの紙ではない。伊勢神宮の「太神宮」の神符、秋葉権現の火伏せの札、そしてそれらに混じって、見たこともない毒々しいほどに鮮やかな紙片が、まるで紙吹雪のように、ひらひらと、無数に舞い落ちてきたのである。
「な、なんだこれは!?」
丁稚が拾い上げた極彩色の紙片。それは、日本の和紙のような慎ましさは微塵もなく、南山の濃厚な植物染料で刷られた、目が痛くなるような赤、青、黄色の原色が踊る代物だった。描かれているのは、南十字星の後光を背負い、腰布一枚で、白い歯を見せてニカっと笑う褐色の神々。南山の移民たちが信仰する「南洋大黒天」か、あるいは入安島の精霊か。
その背景には、たわわに実る果実、溢れ出る酒、そして裸で踊る男女が描かれている。横文字の読めぬ丁稚には、そこに書かれた『PARADISE TICKET(楽園への招待状)』という活字の意味は分からない。だが、その紙片から放たれるのは、「勤勉」や「清貧」といった日本の美徳をあざ笑うかのような、圧倒的な陽気さと、暴力的なまでの生命力であった。
「お札が降ったぞ! お伊勢様と、南山の神様だ!」
誰かが叫んだ。その声は、重く垂れ込めた湿気た空気を引き裂いた。
「見ろ! この神様は笑ってるぞ! 南山の神様が、天から降りてきなすった! 借金も、仕事も、全部笑い飛ばしに来てくだすったぞぉ!」
その瞬間、張り詰めていた風船が弾けた。抑圧された感情のダムが決壊したのだ。人々は、その「底抜けの明るさ」に感電した。理屈ではなかった。この陰鬱な鉛色の空の下で、その紙片だけが、太陽のように輝いて見えたのだ。
「ええじゃないか! ええじゃないか!」
一人が手を叩き、足を踏み鳴らす。そのリズムは伝染病のように、いや、枯れ草に放たれた野火のように、瞬く間に隣の者へ、そしてその隣の者へと伝播した。宿場町から飛び出した人々は、東海道という巨大な導火線を伝って西へ東へと駆け抜けた。京へ、大坂へ、そして将軍様のお膝元である江戸へと。
「ええじゃないか、ええじゃないか、南山へ行けば、ええじゃないか!」
「米が高くても、ええじゃないか! 仕事がなくても、ええじゃないか!」
それは暴動ではなかった。ましてや、薩長が画策した倒幕運動などという、小賢しい政治的な意図を含んだものでもない。それは、巨大な祭り(カーニバル)であり、集団的なトランス状態(発狂)であった。
男たちは、幕府が定めた身分相応の装いをかなぐり捨てた。髷を解いてざんばら髪になり、着物の片袖を脱ぎ、輸入された派手な更紗の布切れを身体に巻きつけ、腰布一枚の半裸姿となって路上へ繰り出した。女たちもまた、慎ましさを捨てた。着物の裾を膝までからげ上げ、白粉を厚く塗りたくり、髪に造花を挿して狂ったように笑い声を上げた。
彼らが打ち鳴らすのは、もはや日本の伝統的な和太鼓や三味線だけではなかった。南山から輸入されたパイン缶や牛肉の「空き缶」。工場の廃材置き場から持ち出した、塗料用の「鉄製ドラム缶」。彼らはそれらを、しゃもじや金槌、あるいは鉄の棒で叩きまくった。
カンカン! ガンガン! ズンドコ、ズンドコ! ピーヒャララ、ドンドコドン!
そのリズムは、日本古来の「間」を重んじる雅なものではない。南洋の熱気と湿気を孕んだ、強烈なシンコペーション(裏拍)。まるで南山のジャングルで鳴り響くスコールのような、あるいは沸騰する釜の音のような、金属的で、騒々しく、それでいて奇妙に腰を浮かせる「原色のビート」であった。 それは、近代化の歪みが生み出したノイズ(騒音)であると同時に、人々の奥底に眠っていた原始的な衝動を呼び覚ます、狂気の呼び水でもあった。
「細かいことは、ええじゃないか! 裸になっても、ええじゃないか!」
「時計壊れて、ええじゃないか! 明日がなくとも、ええじゃないか!」
数千、数万に膨れ上がった群衆は、雪崩のように商家や富豪の屋敷に押し寄せた。だが、彼らは金庫を壊したり、火をつけたりはしない。彼らの目は血走っているが、口元は笑っている。その笑顔こそが、何よりも不気味で圧倒的だった。彼らが求めたのは「略奪」ではなく、「共犯」であった。
「旦那! 神様のお通りだ! 南山の神様が笑えと言うとる! 祝え! 振る舞え! 踊りゃあ!」
土足で上がり込まれた大店の主人は、最初は恐怖に青ざめた。だが、群衆が放つ、むせ返るような汗と熱気、そしてあの甘ったるい南山の匂いに包まれた瞬間、主人の脳内で何かがプツンと切れた。帳簿、金利、在庫、役人の顔色…そういった彼を縛り付けていた鎖が、熱で溶けるように消え失せたのだ。
「ええい、持ってけ! 酒だ! 秘蔵のラム酒を開けろ! ありったけの米を炊け!」
主人は金庫から、借金の証文や、価値の暴落した藩札の束を鷲掴みにし、紙吹雪のように空へ撒き散らした。
「持ってけ泥棒! どうせ紙切れだ! 知ったことか! ええじゃないか! ええじゃないか!」
紙幣が舞う中、主人はふんどし一丁になり、女中も番頭も、群衆と一緒になって踊り狂った。そこには、敵も味方もない。富める者も貧しき者も、貸す側も借りる側もない。ただ、南からもたらされた底抜けに明るい狂気だけが、全てを飲み込んで回転していた。
樽から溢れ出た酒が路上を川のように流れ、甘い匂いが充満する。鉄を叩くリズムは夜通し続き、人々は倒れるまで踊り、そしてまた起きては、何かに取り憑かれたように踊った。それは日本という国が、近代化という重すぎる鎧を脱ぎ捨て、裸になって踊り出した、巨大な祝祭であった。
空からは、まだ極彩色の札が降っている。人々はその鮮やかな紙片を額に貼り付け、まだ見ぬ南の楽園を夢見て、泥にまみれて笑い転げていた。
◆
京都・河原町
千年の歴史を誇る王城の地。公家たちの雅な文化と、幕府の厳格な法度が支配していたはずのこの静謐な空間は、今や巨大な坩堝と化して沸騰していた。
通りを埋め尽くしているのは、もはや「人」ではない。「色彩の奔流」であった。南山の極彩色の布切れをまとい、顔にベンガラや白粉を塗りたくった群衆が、巨大な百足のようにうねりながら、河原町通を南から北へと遡上してくる。彼らが発散する熱気は、秋の冷気を完全に駆逐し、むせ返るような汗の臭いと、ラム酒の甘ったるい芳香、そして安物の香料の匂いが混じり合った、濃厚な「獣の体臭」となって街を包み込んでいた。
「ええじゃないか! ええじゃないか!」
「南山の神様、ええじゃないか! 日本の神様、寝てござる!」
その光景を、呆然と見つめる一団がいた。京都守護職・會津藩の治安維持部隊、通称「別選組」である。彼らは、最新鋭の装備に身を固めていた。濃紺の西洋式軍服、革製の長靴、腰にはサーベルと腰には六連発リボルバー。彼らは「法と秩序」の番人であり、いかなる過激派浪士も鎮圧できる、規律の化身であった。だが、今の彼らは、まるで色鮮やかな珊瑚礁の海に放り込まれた深海魚のように、場違いで、そして無力だった。
「隊長! こ、これは一体」
若い隊士が、引きつった顔で尋ねる。彼が握りしめるリボルバーの銃身は、恐怖ではなく、得体の知れない動揺で震えていた。 隊長を務める會津の鬼将軍・佐川官兵衛は、唇を噛み締め、眼前の光景を睨みつけた。
「…わからん。だが、これは一揆ではない。暴徒でもない」
佐川の視線の先で、信じられない光景が展開されていた。京都有数の呉服問屋の大旦那が、南山風の腰布一丁の姿で、満面の笑みを浮かべて踊っている。彼が手にしているのは扇子ではなく、店の権利書と借金の証文だ。彼はそれを紙吹雪のように撒き散らしながら、沿道の物乞いや子供たちに、高価な反物を惜しげもなく投げ与えている。
「持ってけ! 持ってけ! どうせ帳簿上の数字だ! 燃やして暖をとれぇ!」
その後ろでは、遊郭の遊女たちが、極彩色の南山インコを肩に乗せ、太鼓に合わせて嬌声を上げている。彼女たちの目には、客に媚びる卑屈さは微塵もない。あるのは、すべてを笑い飛ばす、突き抜けた狂気と解放感だけだ。
彼らは何も破壊していない。店を襲ってはいるが、主人が自ら招き入れ、酒を振る舞っているのだから、強盗の定義には当てはまらない。彼らは、ただ秩序を溶解させているだけだ。金という価値、時間という拘束、身分という壁。それらを笑いと踊りという熱量でドロドロに溶かしているのだ。
「鎮圧しますか? 威嚇射撃をすれば、散るやもしれません」
部下が佐川に判断を仰ぐ。佐川は、ホルスターのリボルバーに手をかけた。冷たい金属の感触。それは、敵を殺すための道具だ。長州のテロリストなら斬れる。薩摩の密偵なら撃てる。だが。
「馬鹿者! 誰を撃つというのだ!」
佐川は怒鳴った。その声には、自分自身への苛立ちが含まれていた。目の前で踊り狂う老婆を撃つのか? 笑いながら近づいてくる子供を斬るのか? 彼らには「敵」としての殺意がない。むしろ、彼らは會津兵に向かって手招きをしているのだ。
「おい、そこの役人さんよぉ! 怖い顔して、ええじゃないか!」
「お前さんも貧乏だろ? 腹減ってるんだろ? 一緒に踊りゃあ、ええじゃないか!」
群衆の中から、酒樽を抱えた男が、佐川たちの隊列にふらふらと近づいてきた。男が差し出した柄杓からは、琥珀色の液体、南山ラム酒が波々と溢れ、甘い匂いを放っている。
「飲めや! 飲め! どうせ 會津の給料じゃ、こんな上等な酒は飲めめぇ! 幕府の奴らは、毎日これを飲んでるんだぞぉ!」
その言葉は、鋭利な刃物のように佐川たちの胸を抉った。
図星だった。
會津藩は貧しい。京都守護職という重責を担いながら、インフレの波に飲まれ、下級藩士たちはその日の米にも事欠く有様だ。南山製の立派な軍服を着てはいるが、その下着はつぎはぎだらけであり、腹の中はいつも空っぽだった。
若い隊士の一人が、ゴクリと喉を鳴らした。その瞳に一瞬、憧れの色が浮かんだのを佐川は見逃さなかった。羨ましいのだ。何もかも捨てて、理屈も体面もかなぐり捨てて、あの渦の中で馬鹿になって笑いたい。上司の顔色を窺い、定時法に縛られ、安月給で命を張る「組織の歯車」であることをやめて、ただの生命になりたい。その衝動は、佐川自身の腹の底にも、ドス黒いマグマのように渦巻いていた。
(……俺も、そっち側へ行きたいのか?)
佐川は戦慄した。この「ええじゃないか」の正体は、単なる乱痴気騒ぎではない。これは、近代というシステムに過剰適応しようとして悲鳴を上げた日本人の、魂の暴走だ。それに乗っかることは、「楽」になることだ。だが、それは武士としての死、人間としての尊厳の放棄を意味する。
「……飲むなッ!」
佐川は、部下が差し出されそうになった柄杓を、サーベルの鞘で打ち払った。パシャッと酒が飛び散り、甘い匂いが広がる。
「我らは會津武士だ! 徳川の、いや、日本の秩序を守る最後の砦だ! 狂気に魂を売るな!」
佐川の叫びは、悲痛だった。それは群衆に向けられたものではなく、今にも崩れ落ちそうな自分たちの精神を繋ぎ止めるための、必死の抵抗だった。
その時、群衆の波が大きくうねり、歓声が一層高まった。一人の若者が、街角に設置された「公衆時計塔」によじ登り始めたのだ。それは幕府が定時法を京の都にも浸透させるために設置した、東國・横須賀時計製造所製の立派な機械時計であった。高さ三間(約5.4メートル)の塔の上で、正確無比に時を刻み、人々を勤労へと急き立てる、近代管理社会の冷徹な御神体。
「時間は、ええじゃないか! お天道様があれば、ええじゃないか!」
「南山の神様は言っている! 『時間は食えねぇ』と!」
若者は叫び、持っていた巨大な鍛冶屋のハンマーを振り上げた。佐川が「やめろ!」と叫ぶ間もなかった。
ガシャーン!!!
ハンマーの一撃が、水晶ガラスの文字盤を粉砕した。長針と短針がひしゃげ、内部から精密な歯車やバネが、内臓のように飛び出し、悲鳴のような金属音を上げて停止した。パラパラと降り注ぐガラスの雨の中で、群衆は割れんばかりの喝采を上げた。それは、圧政者が倒された時の革命の雄叫びにも似ていた。
「壊れた! 壊れた! 時計が死んだ!」
「もう働かなくて、ええじゃないか! 明日の心配は、ええじゃないか!」
人々は抱き合い、涙を流して喜んだ。佐川はその光景を見て、背筋が凍る思いがした。彼らが壊したのは、単なる機械ではない。主君・松平容保や、将軍後見職・徳川慶喜が、血の滲む思いで築き上げようとしている「近代国家の規律」そのものであった。それを、民衆は「笑い」と「狂気」で粉砕し、否定したのだ。
「勝てぬ」
佐川の口から、絶望的な言葉が漏れた。剣では勝てる。銃でも勝てる。だが、この圧倒的な陽性のエネルギーには、理屈も規律も通用しない。 彼らは、會津兵が守ろうとしている正義が、いかに窮屈で、つまらなく、人間性を抑圧するものであるかを、その笑顔で残酷なまでに暴き出してしまったのだ。
自分たちは、正しい。正しいが……決して、あのように笑うことはできない。
その事実が、佐川を打ちのめした。
「退くぞ」
「た、隊長? しかし…」
「退くと言っているんだ! これには関わるな。我々の剣は、これ斬るようにはできていない」
佐川は、敗北感に打ちひしがれながら撤退を命じた。會津の精鋭たちは整列を保ちながらも、逃げるように路地裏へと姿を消した。その後ろ姿は極彩色の光から逃れ、暗い影の中へと戻っていく亡霊のようでもあった。背後から、群衆の「ええじゃないか」の囃子言葉が、嘲笑のように、あるいは「お前たちもこっちへ来ればいいのに」という哀れみのように、いつまでも追いかけてきた。
その夜、京都の街は、南山の原色の夢に抱かれ狂ったように踊り続けた。秩序は死に、カオスが王となった。それは来るべき「大政奉還」という政治的崩壊の前に訪れた、精神的崩壊の宴であった。
◆
翌朝。 嵐が去った後の海岸線のように、あるいは巨大な獣が暴れ回った後の檻の中のように、東海道から京へと続く往来は、奇妙な静寂と、むせ返るような倦怠感に包まれていた。
鉛色の空からは、数日ぶりに薄日が差しているが、その光は弱々しく、路上に散乱する「祭りの死骸」を白々しく照らし出すばかりであった。破られた障子紙。飲み干されて転がる南山ラム酒の空樽。 誰が脱ぎ捨てたのかも分からぬ、片方だけの草履や、破れた腰布。 そして泥にまみれて踏みつけられた、無数の極彩色の紙片。「南洋大師」の神符や「極楽渡航免罪符」たち。昨日まで人々を熱狂させ、救済の約束手形として額に貼り付けられていたそれらの紙片は、一夜明ければただの色あせたゴミとなり、路上の馬糞と混じり合って哀れな姿を晒していた。
中でも象徴的だったのは、道端の至る所に打ち捨てられた、大坂製の安物の懐中時計や、破壊された時計塔の残骸であった。歯車が飛び出し、ゼンマイが腸のように伸びきったそれらの機械は、もはや時を刻むことはない。「時間は金なり」と急き立てた近代の神々は、民衆の熱狂という暴力的なエネルギーの前では、あまりにも脆く、滑稽なガラクタに過ぎなかったことを、その無残な姿で証明していた。
◆
午前七時。本来なら、工場の汽笛が鳴り響き、労働者たちが列をなして職場へ急ぐ時刻である。だが、この日は違った。汽笛は鳴らなかった。あるいは、ボイラー技師自身が二日酔いで潰れていたのかもしれない。
街角の長屋から、一人の男が顔を出した。昨夜、ふんどし一丁で「ええじゃないか」と叫びながら、商家の酒樽を担いで練り歩いた大工の八五郎である。彼は、割れるような頭痛と、喉の渇きに顔をしかめながら、井戸端へと這い出した。そこには、同じように死人のような顔をした近所のご隠居や、おかみさんたちが、無言で釣瓶の水を奪い合っていた。
「…ううっ。頭が割れそうだ」
「全くだ。…昨夜は、狐にでも化かされたのかねぇ」
八五郎が水をかぶりながらぼやくと、ご隠居が苦笑いしながら答えた。彼らの記憶は曖昧だ。なぜあんなに踊ったのか。なぜあんなに笑ったのか。そして、なぜあんなにも「全能感」に満ち溢れていたのか。 南山の神様が降りてきた? 借金が帳消しになった? そんなことは夢幻だったと、冷たい井戸水が教えてくれる。借金取りの帳簿は燃やしたが、借金そのものが消えたわけではない。今日の米櫃は空っぽだし、壊した建具の弁償もしなければならない。
だが。八五郎は懐から一枚の紙切れを取り出した。泥に汚れ皺くちゃになった「極楽渡航免罪符」である。彼はそれをゴミ箱へ捨てる…ふりをして、そっと手ぬぐいに包み、腹巻きの奥へとしまい込んだ。
(ま、夢でも、ええじゃないか)
彼はニヤリと笑った。そうだ現実は何も変わっていない。相変わらず米は高いし、役人は偉そうだ。 だが、彼らは「見て」しまったのだ。あんなにも威張り散らしていた會津の兵隊たちが、踊り狂う群衆に恐れをなして逃げ惑う姿を。
そろばん高い大店の旦那が、金庫の中身をばら撒いて、赤子のように笑っていた姿を。この世の「偉いもの」「怖いもの」「正しいもの」が、皮一枚剥げば、ただの滑稽な人間でしかないという真実を、彼らは骨の髄まで理解してしまったのだ。
「さあて、働くか。働かねぇと、南山の肉は食えねぇからな」
八五郎は、道端に転がっていた壊れた懐中時計を拾い上げた。 彼はそれを耳に当て、動かないことを確認すると、ポンと放り投げた。 カシャン。 その音は、もはや彼を縛る鎖の音ではなく、単なる金属片の音だった。
通りには、少しずつ人が戻り始めていた。店先を掃除する丁稚。壊れた戸を直す建具屋。彼らは皆、二日酔いの青い顔をしているが、その目には奇妙な「図太さ」が宿っていた。彼らは黙々と日常へ戻っていく。だが、それは以前のような「盲目的な服従」ではない。彼らは知っているのだ。いざとなれば、またいつでも「狂える」ことを。 この息苦しい管理社会の電源コードを、いつでも引っこ抜けるという「秘密のスイッチ」を共有した共犯者たちの不敵な面構えであった。
◆
一方、江戸城・西の丸 その奥深く、厳重な警備に守られた一室「勘定奉行執務室」
外の世界。東海道から波及し、江戸の市井をも飲み込みつつある「ええじゃないか」の熱狂的な喧騒とは対照的に、この部屋は死のような静寂と、針金のように冷徹な理性が支配していた。
壁には、北米合衆国から輸入された最新式の大型振子時計が掛けられ、規則正しい音を刻んでいる。 部屋の中央、書類の山に埋もれるようにして、小栗上野介忠順は鎮座していた。彼の顔色は、ガス燈の青白い光に照らされ、蝋細工のように蒼白である。だが、その瞳だけは、闇夜の海を探る灯台のように鋭く、狂気じみた光を放っていた。
机の上には、ひっきりなしに届けられる電信の紙テープと、早馬による報告書が堆く積まれている。 小栗は、愛用する軸に『Knowledge is Power』と金文字で刻まれたイギリス製の万年筆を指先で回しながら、それらの紙片に無機質な視線を走らせた。
『三河・吉田宿、機能停止。物流途絶』
『名古屋・熱田紡績工場、職工の集団逃亡により稼働率ゼロ』
『大坂・堂島米会所、相場立たず。商取引、全面的に停止』
『京都、群衆が御所を取り巻き乱舞。治安維持不能』
それは、彼がこの数年間、睡眠時間を削り、寿命をすり減らして構築してきた「富国強兵システム」が、たった数日の、わけのわからぬ狂乱によって、完全に麻痺したことを告げる死亡診断書の山であった。損害額は一分ごとに天文学的な数字で膨れ上がっている。物流の遅延による契約不履行、工場の停止による機会損失、破壊された設備、そして何より、失われた信用。見山楼で学んだ最新の経済学で言えば、これは「恐慌」などという生易しいものではない。国家経済の「心停止」である。
「……ふっ」
小栗の口から、乾いた笑いが漏れた。怒りではない。嘆きでもない。それは、あまりにも巨大な不条理を前にした時にのみ人間が浮かべる、シニカルな諦観の笑みであった。
「計算外だ。これほどの『阿呆のエネルギー』が、まだこの国に残っていたとはな」
小栗は、自嘲気味に呟いた。彼は人間というものを「合理的な経済人」として定義し、すべての政策を設計してきた。利益を与えれば働き、罰を与えれば従う。時間を管理すれば生産性が上がり、戸籍を整備すれば税収が増える。武士も百姓も、適切な入力を与えれば、期待通りの出力を返す「関数」のような存在だと思っていた。南山という実験場では、それで成功しているのだから。
だが、彼は見誤っていた。日本という国の民衆が持つ、土着の、湿った、そして爆発的な情動の正体を。彼らは効率や利益だけでは動かない。彼らは、時には損得を度外視して踊り、笑い、すべてをチャラにする「ハレの日」を必要とする、極めて非合理的な生き物なのだ。
蒸気機関の圧力(ボイラー圧)は、安全弁で制御できる。だが、人の心の圧力計だけは、どこの工廠でも、いかなる最新の技術をもってしても、作ることはできないということか。
小栗は、ふと視線を部屋の隅に向けた。そこには、黒塗りの小さな飾り棚があり、一枚の肖像画が飾られている。先日、薨去された先代将軍・徳川家茂の姿絵である。
小栗の手が止まった。胸の奥底、鋼鉄の理屈で固めたはずの心臓の奥が、焼けつくように痛んだ。
(上様。申し訳ございませぬ)
小栗上野介という男は、世間からは「幕府の悪魔」「冷血な算盤侍」と恐れられている。だが、彼がその身を粉にして、悪魔の所業とも言える大改革を断行してきたのは、ひとえに、この若き主君への忠義ゆえであった。家茂は優しかった。小栗の進言する、あまりにも過激で、既存の武家社会を破壊しかねない献策に対しても、家茂はいつも穏やかに微笑み「上野介の申すことだ、間違いあるまい」と頷いてくれた。その信頼こそが、小栗のすべてだった。
彼はこの心優しき若君に、列強に侮られぬ「強い日本」を、豊かな国をプレゼントしたかったのだ。そのために、嫌われ役を一手に引き受け、泥をかぶり、血の出るような計算を続けてきた。だが、その「要」は、もういない。家茂という、徳川の良心が失われた今、この国を繋ぎ止めていたタガが外れ、民衆という名の怪物が暴走を始めたのだ。
(私が仕えたかったのは、あなた様だけでした。私の描く設計図に、命を吹き込んでくださったのは、あなた様のその微笑みだけだったのです)
小栗は万年筆を机に置いた。もはや、この国を守るための熱は彼の中には残っていない。あるのは、プロフェッショナルとしての意地と、残された家族や部下たちを守らねばならぬという責任感だけであった。
そう、家族だ。小栗の脳裏に、屋敷で待つ妻・道子と、養子たちの顔が浮かんだ。「鬼の上野介」も、家に帰れば、冗談を言って妻を笑わせ、子供たちに南山の珍しい玩具を買い与える、ただのマイホーム・パパである。彼が冷酷な判断を下せるのは、彼自身が「守るべき日常の暖かさ」を知っているからだ。この狂乱が続けば、いずれ暴徒は江戸にも溢れ、愛する者たちの平穏さえも脅かすだろう。それだけは、阻止せねばならない。たとえ、国そのものを解体してでも。
「上野介様」
恐る恐る声をかけてきたのは、部下の浅田であった。彼もまた、連日の徹夜で目の下に濃い隈を作っている。
「いかがなされますか。市中の見廻組を増員し、踊る群衆を片っ端から検挙しますか? 首謀者を捕らえ、見せしめに厳罰に処せば、あるいは……」
浅田の声は震えていた。小栗は彼を見上げ微かに苦笑した。そして、いつもの彼らしい、少しひねくれた言葉遊びを含んだ口調で答えた。
「よせ、浅田。無駄だ。それに、粋じゃない」
「は…?」
「ええじゃないかと言って踊る阿呆どもに、ええことないと言って手錠をかけたところで、何の解決になる? 奴らは今、一種の神がかり状態だ。嵐に向かって静かにしろと説教するようなものだよ」
小栗は立ち上がり、窓のブラインドを指で押し下げ外を見下ろした。江戸の街にも遠く祭りの太鼓と、異様な熱気が漂っている。
「それにな、浅田。これは『倒産』の前祝いだ」
「と、倒産、でございますか?」
「ああ。御公儀という、巨大な老舗企業のな」
小栗の言葉に浅田は息を呑んだ。だが、小栗の表情は晴れやかですらあった。
「世の中の大枠はいずれ復旧するだろう。工場は再び動き出し、人々は時計に合わせて歩き出す。だが、一度ヒビが入った茶碗は、二度と元には戻らん」
小栗は悟っていた。この国は、もはや徳川という機構では制御不能な領域に入ってしまったのだと。 産業基盤は西洋の技術で無理やり近代化させたが、人心は、徳川の支配を拒絶し、別の何か―もっと野蛮で、自由で、強靭な何か―へと変質してしまった。家茂公が生きておられれば、その人徳という「パッチ」で繋ぎ止めることもできたかもしれない。だが、今はもういない。
「次期将軍、慶喜公は、これをご存知でしょうか」
「知っているさ。あの御仁は、耳が良い。地獄の釜の蓋が開く音も、聞き逃しはしまい」
小栗は、口元を歪めた。あの一橋慶喜という男。家茂とは正反対の氷のような男だ。そこに「徳」はない。あるのは、透徹した計算と、目的のためなら伝統も忠義も躊躇なく切り捨てる合理性だけだ。
小栗が心から臣従を誓ったのは家茂だけだ。慶喜に対して個人的な忠誠心など欠片もない。だが、小栗は慶喜を評価していた。今の崩れゆく日本に必要なのは、家茂のような聖人ではない。慶喜のような怪物だ。毒をもって毒を制す。この狂乱を鎮め、新しい秩序を作るには、あの冷徹な手腕が必要なのだ。
(あの御仁なら、この狂乱さえも、「徳川株式会社」の清算と、新事業立ち上げのための好機として計算に組み込んでいるに違いない……)
民衆がここまで壊れてしまったのなら、もはや古い屋敷(日本)を修繕して住むことは適わぬかもしれない。ならば、いっそ更地にして、新しい屋敷を建てるか、あるいは別の土地へ引っ越すか。
「片付けさせろ、浅田」
小栗は、窓から離れ、再び書類の山に向き直った。
「片付ける、とは? 暴徒を、ですか?」
「違う。ここにある、壊れた時計も、破れた帳簿も、過去の遺物すべてだ」
小栗は書きかけの報告書をクシャリと丸め、屑籠へと放り投げた。その背中には、理想が破れた挫折の苦味と共に、ある種の憑き物が落ちたような凄味のある覚悟が漂っていた。彼はもはや幕臣ではない。国家の設計者としての顔をしていた。
「我々の仕事は、壊れた機械を修理することではない。新しい機械(国)を、ゼロから設計し直すことだ。たとえそれが、この江戸の地を捨てることになったとしてもな」
小栗の目は、壁の日本地図を通り越し、遥か南の海「南山」の彼方を見据えていた。家茂との約束は果たせなかった。だが、家茂が愛したこの国の民草を、野垂れ死にさせるわけにはいかない。それが亡き主君への、そして愛する家族への、小栗上野介なりの落とし前であった。
「さあ、働こうか。恐慌は、買い時だぞ」
小栗は、再び万年筆を走らせ始めた。その音は、崩壊する時代への鎮魂歌であり、同時に、来るべき新時代への序曲でもあった。
◆
数日後、東海道には再び工場の汽笛が鳴り響いた。
人々は安物の時計を懐に入れ、少しだけ背中を丸めて職場へと急ぐ。一見、何も変わらない日常が戻ってきたように見える。だが、その足取りには、以前のような悲壮感はない。彼らは時折、互いに目配せをし、ニヤリと笑い合う。その笑顔の奥には、「ええじゃないか」の狂気が、熾火のように赤々と燃え続けていた。
近代化という巨大なシステムに対する、民衆という生身の肉体が引き起こした、生理的な拒絶反応。この発作は、幕府の統治能力が、軍事力や経済力ではなく、もっと根源的な「人心の掌握」という点において、すでに死に体であることを、白日の下に晒してしまった。
そして何より、この騒動は人々の心に、ある種の「軽さ」を植え付けた。土地も、家も、権威も、笑い飛ばせば紙切れ同然だという気づき。その奇妙な浮遊感こそが、やがて来るべき運命の日に、人々が躊躇いなくタラップを渡るための、見えない切符となっていくのである。
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