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第15話 東と西、食卓の断絶 - 牛鍋と祭りの社会学 - 其の三

【寄稿】『文明と胃袋』東西の食生活に見る国家の断層

筆者:博物学者・南山究理院 地学文理室 参与(研究員) 加納嘉兵衛

宛先:『東洋経済新報』編集部

初出掲載:『東洋経済新報』元治元年(一八六四年)十月号

四、神と飢餓の祭典

 — 摂津の農村に見る「共同体コミュニティ」の体温


 大坂という都市が放つ、ソースと欲望が煮凝ったような「混沌カオス」の迷宮を脱出した私は、胃袋の奥底に若干の不穏な気配——それは主に、あの黒い液体に含まれていた正体不明の南洋産香辛料スパイスと、昨今の衛生観念からすればいささか冒険的すぎた食材への懸念である——を抱えつつ、さらに西へ、摂津国の山間部へと足を伸ばすことにした。


 私が街道を外れたのは、ほんの些細な好奇心からであった。「山向こうの村に、奇妙な信仰を守る古社がある」という、船宿の亭主の与太話を耳にしたからである。文明の観察者として、光の当たらない場所にこそ真実が転がっていると信じる私は、夕闇が迫る中、整備された西国街道を外れ、獣道のような細い峠道へと踏み入った。


 都市の提灯やガス灯の人工的な明かりは急速に遠ざかり、代わりに私を迎えたのは、東國の夜からは駆逐されて久しい、物理的な質量を伴った「漆黒の闇」であった。  


 そこには、土の湿った匂いと、朽ちた落ち葉の発酵臭、そして正体不明の獣たちが草むらを掻き分ける気配が濃厚に漂っている。江戸では夜も昼も時計が支配しているが、ここでは夜はまだ、妖怪や魑魅魍魎の領分として残されているのだ。


 一刻(二時間)ほど歩いただろうか。完全に道を見失い、野宿を覚悟し始めた頃、木々の切れ間から、微かな灯火と、低い太鼓の音が漏れ聞こえてきた。私は光に吸い寄せられる蛾のように、その方向へと足を速めた。


 迷い込んだのは、地図にも載っていないような名もなき寒村であった。その光景を目にした瞬間、私は言葉を失った。東國・関東平野で見かけた、瓦屋根に白壁の立派な農家とは比べ物にならない。ここの家々は、まるで地面から生えてきた巨大なキノコのように粗末で、今にも土に還ろうとしているかのように見えた。 藁葺きの屋根は苔むして重く垂れ下がり、壁の土はひび割れ、中の竹小舞が肋骨のように露出している。


今年は冷夏に加え、幕府による西國への経済制裁——南山からの物資供給制限——の影響で、肥料が入ってこないと聞く。 月明かりに照らされた棚田は痩せ細り、稲穂の頭は悲しいほどに軽い。


 ここは、蒸気機関と電信が支配する文明シヴィライゼーションの恩恵から切り離され、ただ搾取されるためだけに存在する「周縁フロンティア」の世界だ。


 だが、不思議なことに、村に死の気配はなかった。


 むしろ、夜のとばりが完全に下りるにつれ、奇妙な、それでいて熱病のような熱気が、村全体を包み込み始めていたのである。


 ドンドンドン、ドン……


 腹の底に響くような、不規則だが力強い太鼓の律動リズム そして、それに呼応するように湧き上がる、人々の喚声。


 一揆ライオットの密議か?  


 私は一瞬、身構えた。西國では最近、飢えた農民による打ちこわしが頻発していると聞く。余所者である私が姿を見せれば、竹槍で突き殺されるかもしれない。 しかし、好奇心という名の病膏肓やまいこうこうに入った私は、藪をかき分け、音の源である鎮守の森、小さな神社の境内へと近づいていった。


 そこで目にしたのは、血生臭い蜂起の相談などではなかった。それはもっと原始的プリミティブで、かつ根源的な生命力を爆発させる、神と飢餓の祝祭であった。境内の中央では、枯れ木を集めた巨大な焚き火が赤々と燃え盛り、その炎が、集まった村人たちの影を長く、黒く、大地に焼き付けている。


 彼らの身なりは酷いものだ。継ぎ接ぎだらけの着物は泥に汚れ、頬はこけ、眼窩は落ち窪んでいる。明らかに栄養失調の兆候だ。だが、その瞳はどうだ。焚き火の光を反射して、東國の満たされた労働者たちよりも遥かにギラギラと、狂気じみた生気バイタリティを宿して輝いているではないか。


 彼らが取り囲んでいるのは、武器ではない。むしろの上に広げられた、今夜の「晩餐」だ。大鍋が三つ、ぐらぐらと煮えている。


 中を覗き込んで私は戦慄した。東國の牛鍋のような甘い脂の香りも、大坂のフグのような洗練された出汁の香りもない。


 そこにあるのは、圧倒的な「量」への渇望だ。具材の主体は、僅かなクズ米に、ひえあわといった雑穀、そして大量の大根の葉、野草、芋のつるいや、正直に言えば、食べられる植物なら何でもぶち込んだと思われる「かて飯(雑炊)」である。


 そして、祭壇の前で村長らしき老人が、まるでキリストの聖遺物でも扱うかのように、うやうやしく掲げているものがあった。一匹の、干物である。


 村のみんなでなけなしの銭を出し合って、行商人から買い求めたのだろう。塩が吹くほど乾燥し、ミイラのようになった、ただのいわしの干物だ。


 たった一匹。この数十人の村人たちに対して、たった一匹の鰯。  


 熱量カロリーにして、あの江戸の職工が昼食に食べていた牛鍋の、一体何分の一になるだろうか。百分の一か、千分の一か。


 だが、彼らはその干物を見つめ、ゴクリと喉を鳴らした。その表情は、最高級のステーキを前にした美食家のそれよりも、遥かに真剣で、敬虔ですらあった。


「旅の方。藪の中でコソコソ見てねえで、こっちへ来なされ」


 不意に声をかけられ、私は心臓が跳ね上がる思いがした。振り返ると老婆が一人、焚き火の傍らで私を手招きしていた。その顔は梅干しのように皺だらけだが、目は子供のように澄んでいる。


「見ねえ顔だが、腹が減ってるなら一緒に食うてきな。神様の前じゃ、みんな等しく飢えた子じゃからのう」


 私は促されるまま、焚き火の輪に加わった。老婆は、欠けた茶碗に並々と雑炊をよそい、差し出してくれた。私は礼を言い、その熱い液体を一口啜った。


 …味は、薄い。  


 貴重な塩を節約しているのだろう。野草の青臭さと、土の匂いが鼻につく。だが、冷え切った内臓に染み渡るその熱さは、私がこれまで味わったどんな高級スープよりも、強烈に「生きている」味がした。


 やがて、誰かがむしろの下から隠し持ってきた一升瓶 - 中身は白く濁り、強烈な酸味と発酵臭を放つ密造の濁りどぶろく - が振る舞われると、慎ましやかだった宴は、一気にタガが外れ原初的な狂乱へと突入していった。


 村長が震える手で千切った鰯の干物は、数十人の垢じみた掌へと次々に渡されていく。一人分は、もはや爪の先ほど、いや、砂粒のような微細な肉片に過ぎない。だが、彼らはその「海の結晶」を、まるで聖体の秘跡サクラメントのごとく恭しく受け取り、舌の上に乗せた。そして、目を閉じ、全身の感覚を舌先に集中させ、そこに凝縮された塩気とイノシン酸の爆発を骨の髄まで吸い尽くすように味わい、すかさず酸っぱいどぶろくで胃の腑へと流し込み、そして崩れるように笑い合った。


 それは味覚による摂取というよりは、精神的な充電チャージであった。


「ええじゃないか、ええじゃないか!」


「米がなくとも、ええじゃないか!」


「お上が腐っても、ええじゃないか!」


 誰かが調子外れな声で歌い出すと、それは瞬く間に燎原の火のごとく広がり、全員が肩を組み、痩せた足で大地を踏み鳴らして踊り出した。


 土煙が舞い上がり、焚き火の粉と混じり合う。男も女も、老人も子供も、彼らの瞳には、もはや飢えの悲壮感はない。あるのは、絶望のさらに向こう側にある、突き抜けたニヒリズムと、それゆえに純粋な、爆発的な生命力エネルギーの発露であった。


 ここでは、近代が目指した「インディヴィジュアル」などという孤独な単位は存在しない。誰かが飢えれば、その苦しみは共有され、誰かが笑えば、その喜びは増幅される。


 東國が効率的なシステム化と引き換えに失ってしまった、泥臭くも温かい「共同体のコミュニティ」それがここでは、飢餓という極限状態の強烈な圧力プレッシャーによって圧縮され、ダイヤモンドのように硬く、熱く焼き固められていたのだ。

 

 私は、あまりの熱気と埃に当てられ、踊りの輪から少し外れた大木の根元で息を整えていた古老—先ほど干物を分配していた村長だ—の隣に腰を下ろした。


 私は懐から、銀色の携帯用スキットルを取り出した。中身は横浜の異人街で仕入れた、とびきり度数の高いスコッチ・ウイスキーだ。それを無言で差し出すと、古老は私の顔と、月光に光る銀の容器を交互に怪しげに見つめたが、意を決して一口飲むと、カッと目を見開き、喉の奥で焼けるような音をさせた。


「カァッ! こりゃあ、えげつないな。南蛮の酒かえ。腹の中が火事になりよる」


「ええ、気付け薬のようなものです。ご老人、一つ聞きたいことがあります」


 私はスキットルを受け取り、あえて直球の質問を投げかけた。


「私は東國、江戸を見てきました。あちらでは、人々は毎日甘い牛鍋を食い、自分の才覚と時間で金を稼ぎ、誰にも干渉されずに豊かに暮らしています。それに比べて、ここはあまりに厳しい。明日食う米さえ事欠くこの暮らしを、あなた方はどう思っているのですか? 恨めしいとは思いませんか?」


 古老は、焚き火の炎で揺らめく村人たちの影を、愛おしそうに見つめた。その顔に刻まれた無数の皺は、この土地の歴史そのもののように深く、そして静かだった。


「豊か、か。せやな、旅のお方。わしには難しい学問はようわからん。せやけど、これだけはわかるんや」 

 古老は、骨と皮ばかりになった指で、踊り狂う村人たちを指差した。


「一人で食うご馳走より、こうやってみんなで分け合う雑炊の方が、たまは温まるもんやと、わしは思うとります」


 彼は、地面に落ちていた枯れ枝を拾い、火にくべながら続けた。ポキリ、と乾いた音がした。


「風の噂で聞きましたわ。江戸の人は、朝から晩まで『とき』いう名の見えん鬼に追われて、隣に住んどる人の顔も知らんと。そりゃあ腹は満ちるかもしれん。せやけど、心が寒うはないんか? 誰かが死んでも、誰も泣いてくれへんのやろ?」


 古老の言葉は、鋭い刃物のように私の胸に突き刺さった。 


「わしらは貧しい。今日食うもんも、明日食うもんも難儀しとる。せやからこそ、隣人を身内やと思うて、お天道様や神さんを頼りにして、こうやって手ェ取り合うて生きとるんですわ」


 古老は夜空を見上げた。そこには、東國のガス灯にかき消されて見えなかった、満天の星が広がっていた。 


「江戸の人は、自分らで鉄の山やら黒い雲やらを作って、お天道様を隠してしまいよった。神さんの居場所をのうしてしもうて、その代わりに『銭』いう冷たい神さんを拝んどるんやろな。わしには、そっちの方がよっぽど『ひもじい』ことのように思えるんやけど、…どうでっしゃろな」


 神様を、工場の煤煙の向こうに置き忘れてきた近代人。古老の言う「鉄の山」や「黒い雲」という表現は、彼が知識として工場を知らぬがゆえに、かえってその本質——自然と神を遮断する人工の障壁——を鋭く言い当てていた。


 私は返す言葉を持たず、ただ黙ってウィスキーを煽った。食道を通る熱い液体が、どこか苦く感じられたのは、きっと酒のせいだけではないだろう。




【観察者の結論:二つの幸福論と、断絶した地平】


 狂乱の宴が終わり、月が中天に掛かる頃、私は古老の好意に甘え、彼の家の納屋——かつては米俵が積まれていたであろう、今は空っぽで隙間風の吹く空間——に泊めてもらうことになった。  


 「布団なんぞ無いが、わらならある。江戸の人間には辛気臭い寝床かもしれんが、凍えるよりはマシじゃろう」


 そう言って笑う古老の顔は、祭りの高揚が去り、再び明日の飢えと向き合う者の、深く静かな諦念を湛えていた。


 藁の山に身体を沈め、私は懐中の手帳を開いた。万年筆の先にインクを含ませる。月の光だけが頼りだ。


 私の脳裏には、この旅で通過してきた四つの食卓が、走馬灯のように鮮やかに明滅していた。


 江戸の、甘美な脂と砂糖にまみれた「牛鍋」


 佐原の、富の循環を象徴する滋味深き「鶏と牛蒡の煮込み」


 大坂の、毒と混沌を技とソースで塗り固めた「てっちり」と「一銭焼き」


 そして今夜、摂津の闇の中で分け合った、聖なる「鰯の雑炊」


 これらは単なる地域性ローカリティの違いではない。もはや、文明としての「種の分岐」である。


 ペンを走らせながら、私は思考の迷宮へと深く潜行していった。 なぜ、これほどまでに違うのか。東國の民は、機能的で清潔な都市に住み、南山の恵みを享受し、正確な時を刻む時計の下で働く「経済人ホモ・エコノミクス」へと進化した。彼らの社会は巨大な機械マシンだ。彼らはその部品となり、効率と生産性を神と崇め、その代償としての孤独を、缶詰の甘いシロップで紛らわせている。そこにあるのは「量的な幸福」だ。


 対して、西國の民はどうか。彼らは泥と汗にまみれ、生存のために群れる「政治的動物ゾーン・ポリティコン」のままだ。彼らの社会は有機的なビーストだ。彼らは常に飢えているが、祭りの中に生の歓びを見出し、魂の底で深く熱く繋がっている。そこにあるのは「質的な幸福」あるいは「所属の幸福」だ。


 私は自問する。


 この二つは、果たして一つの国家として統合し得るのだろうか?  理性的な楽観主義者であれば、「東の富を西へ再分配し、西の精神性を東へ輸出すればよい」と説くだろう。あるいは「連邦制による緩やかな共存」を夢想するかもしれない。


 だが、冷徹な観察者としての私の知性が、その甘い希望を否定する。

 

 不可能だ。  


 なぜなら、彼らの基本思想は、互いの存在を否定し合う構造にあるからだ。東國の生き方では、効率を阻害する「西國の土着的な絆」を、排除すべき騒音ノイズ、あるいは近代化の障害物と見なすだろう。彼らは西國を「管理」し「教育」し、標準化しようとする。それは西國の人々にとって、魂の殺害に等しい。


 一方、西國の情念は、東國の彼らから見れば冷徹な生き方を「魂を金で売った悪魔の所業」と嫌悪し、その破壊こそが正義だと信じるだろう。彼らにとって、東國の繁栄は自分たちの犠牲の上に成り立つ罪悪の塔なのだ。


 牛鍋と雑炊。  時計と祭り。  個人の自由と、共同体の絆。


 食卓の風景がこれほどまでに乖離してしまったのだ。彼らが同じ卓につき、同じ言葉で語り合い、妥協点を見出すことは、恐らくもうできない。


 機械仕掛けの巨人と、飢えた野生の狼。両者が同じ檻の中にいれば、待っているのは対話ではなく、どちらかが息絶えるまでの殺し合いだけだ。


 ふと、藁の隙間から、隣で眠る子供たちの寝息が聞こえた。今日、あの雑炊を分け合った子供たちだ。


 ……ああ、それにしても。私の思考は、不意に感情の領域へと引き戻される。あの江戸の職工が食べていた、黄金色のパイナップル。佐原の茶屋で食べた、とろけるような鶏肉。あれを一切れでも、この村の子供たちに食べさせてやれたら、彼らはどんな顔をして笑っただろうか。


 私の鞄の奥には、横濱で買ったビスケットの缶が一つだけ入っている。 明日の朝、これを置いていくべきか?  いや、私の理性がそれを制止する。


 それをすれば、子供たちは「甘い毒」を知ってしまう。この村の貧しいが満ち足りた精神の均衡を、私の安っぽい同情が破壊し、彼らに「比較による不幸」を植え付けることになるかもしれない。知ることは、時に残酷だ。東國の豊かさを知ってしまえば、彼らはもう、昨夜のように笑って雑炊を啜ることはできないだろう。


 「私は、なんと無力で残酷な旅人なのだろうか」


 そんな感傷こそが、観察者には最も不要な荷物だと知りながら、私は手帳を閉じ、納屋の隙間から夜空を見上げた。


 東の方角、大阪の空はガス灯の反射でぼんやりと赤く染まり、文明の不夜城を形成している。西の空、ここ摂津の頭上には、人工の光に邪魔されることのない、原初の星々が痛いほどに綺麗に瞬いている。


 その対照的な二つの空の境目で、星々がチカチカと明滅していた。その輝きは、まるでこれからこの国に降り注ぐであろう、無数の銃弾の火花のようにも見えた。

 私はスキットルに残った最後の一滴を煽り、藁の匂いと、隙間風が運んでくる土の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。その風の中には、微かにだが、確実に「来るべき時代」の匂いが混じっていた。


 それは、焦げた醤油の甘さと、乾いた土の埃っぽさ、そして……鉄と血が錆びついたような匂いであった。





第15話了

最後までお付き合いいただき感謝します。

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