第7話 実戦訓練 - 浪士組と回転式拳銃(リボルバー)
文久三年(一八六三年)八月
京の夏は、湿った熱気が逃げ場を失い、盆地の底に淀む季節である。油照りの太陽がじりじりと瓦屋根を焼き、路地には打ち水が蒸発した匂いと、どこからともなく漂う血の錆びた匂いが混じり合っていた。
壬生、八木邸
後に「新選組」として歴史にその名を轟かせることになる、壬生浪士組の屯所。その一室で、土方歳三は、一振りの「刀」ならぬ、一片の「鉄塊」と対峙していた。
それは、従来の武士の美学からすれば、あまりに無骨で、醜悪で、しかし抗いがたい機能美を放つ物体であった。
黒染めの銃身。掌に吸い付くような蘭芳産の紫檀で作られたグリップ。そして心臓部には六つの穴が開いたシリンダーが油を纏ってぬらりと光っている。
『會津製・文久三年式拳銃』通称「コルト・エド」
アメリカのコルト社製『1851ネイビー』や『1860アーミー』をベースにしつつ、若松の官営兵器廠でライセンス生産された国産リボルバーである。特筆すべきはその材質だ。南山・入安島の鉱山から産出された、クロムやニッケルを含む特殊鋼が使用されており、その強靭さはオリジナルの米国製を凌駕していた。さらに、會津の時計職人が削り出したトリガー・アクションは、絹を裂くように滑らかであった。
「……どうだ、トシ。使い心地は」
上座で、名刀・長曽祢虎徹の手入れをしていた近藤勇が、手拭いで刀身を拭いながら尋ねた。その声には、新しい玩具を手に入れた子供のような好奇心と、古き良き武士としての戸惑いが同居していた。
「悪くねえ。……いや、最高だ」
土方は、シリンダーをスイングアウトし(會津モデルは、装填の迅速化のために中折れ式の初期的なカートリッジ交換機構を試験的に導入していた)、そこに真鍮製の金属薬莢を六発滑り込ませた。
チャキッ
という乾いた金属音が、畳の部屋には不釣り合いなほど冷徹に響く。
「重てえが、バランスがいい。それに、この匂いだ」
土方は銃口を鼻先に近づけ、微かに残るガンオイルの匂いを吸い込んだ。
「丁子油の甘ったるい匂いじゃねえ。南山の鉱物油の匂いだ。
近藤さん、こいつは『道具』じゃねえよ。『機械』だ」
「機械、か」
近藤は苦笑し、虎徹を鞘に納めた。
「會津の容保公は、我々にこれを三百丁も預けてくだされた。『刀で斬り結ぶ時代は終わった。これからは、犯罪者を制圧するためのシステムが必要だ』と仰ってな」
容保は彼ら浪士組を「最後の武士」として雇ったのではなかった。 京という過密都市において、対テロリズム作戦を遂行するための、機動警察隊としてデザインしていたのだ。
狭い路地、屋内、闇夜。
三尺の刀を振り回すには不向きな環境で、確実に敵を無力化し、自軍の損害を最小限に抑えるための装備。それが、この連発式拳銃と、彼らが着込み始めた「鎖帷子を縫い込んだ洋装のダスターコート」であった。
「ありがたい話じゃねえか。……おかげで、俺たちは『人斬り』から『掃除屋』に昇格だ」
土方は皮肉な笑みを浮かべ、南山産の硬い牛革製のホルスターにコルトを突っ込んだ。彼は近藤のようなロマンチストではない。バラガキと呼ばれた頃から彼は合理的で、勝つためには手段を選ばない男だった。刀という精神的な象徴よりも、確実に相手の脳天をぶち抜ける六連発の鉄塊の方が彼の肌には合っていた。
「だが、トシよ。……芹沢(鴨)先生たちは、気に入らんようだぞ」
近藤が声を潜めた。筆頭局長である芹沢鴨とその一派は、この近代装備を頑なに拒否していた。彼らにとって、攘夷とは「異人の真似事をすること」ではなく、「異人を刀で斬ること」であり、鉄砲など臆病者の道具だという古い価値観に固執していたからだ。
それ以前に、芹沢の乱暴狼藉は目に余るものがあった。大砲をぶっ放して商屋を脅し酒と女に溺れる。それは豪傑の振る舞いではなく、単なる犯罪者の所業であった。
「時代遅れの獅子は、檻に入れるか、殺すしかねえな」
土方の目が、爬虫類のように冷たく細められた。
會津が求めているのは「秩序」だ。秩序を守るための番犬が狂犬になってどうする。その粛清の時が近いことを二人は無言のうちに共有していた。
◆
その夜、京の闇は油を流したように重く、そして湿度を帯びていた。
木屋町通りの狭い路地裏。そこは、表通りの華やかさが剥がれ落ちた都市の腸のような場所である。腐った水が流れるドブ川の臭気とどこかの座敷から漏れ聞こえる三味線の音色が、奇妙な不協和音を奏でている。
今宵、ここで行われるのは、単なる捕縛劇ではない。會津藩が巨額の投資を行って開発した新兵器の、「実戦試験」であった。
標的は長州系の過激派浪士五名。軍資金調達と称して商家への押し込み強盗を働き、あまつさえ騒ぎに乗じて放火を計画している、たちの悪い「政治ゴロ」たちである。
月のない闇の中、土方歳三率いる数名の隊士が音もなく路地を封鎖した。彼らの足元は、いつもの草鞋ではない。南山のゴムを貼った革製の編上靴である。下駄のような音がしない代わりに、アスファルトの上を滑るタイヤのような、無機質な摩擦音が微かに響く。
その隊列の後方、闇に溶け込むようにして局長の近藤勇が腕を組んで立っていた。彼は今日、指揮を執らない。あくまで「立会人」として、時代の変わり目をその網膜に焼き付けるために来ていた。
対する浪士たちが、土方たちの気配に気づく。
彼らは即座に抜き身の刀を構え、殺気を撒き散らした。その殺気は古来より日本の武人が磨き上げてきた、熱く、血生臭い情念の炎である。
「新選組か! 幕府の犬め、斬り捨ててくれる!」
先頭の男が、裂帛の気合と共に上段から斬りかかってくる。
本来ならここでこちらも抜刀し、火花散る剣戟が始まるはずだ。筋肉と筋肉がぶつかり合い、魂と魂が火花を散らす、死の舞踏。
近藤勇が愛し、土方歳三が青春を捧げた武士の世界がそこにあるはずだった。
だが、土方は刀の柄には手をかけなかった。彼の中にある「バラガキのトシ」が「斬らせろ」と叫ぶのを、冷徹な理性がねじ伏せる。
(俺たちはもう、喧嘩屋じゃねえ。會津の体系の一部だ)
彼の右手が腰の革ホルスターに伸びた。その動作に、剣術の呼吸はない。あるのは、工場で何度も反復された、機械的な操作手順だけであった。
神速の早さで、黒い鉄塊「コルト・エド」が抜かれた。
パンッ!
乾いた、しかし腹の底に響く破裂音が、夜気を切り裂いた。それは、刀と刀がぶつかる澄んだ音色とは対極にある、化学反応の爆発音であった。
突進してきた浪士の眉間に、直径一センチほどの黒い穴が開く。男の表情が、怒りから驚愕へ、そして虚無へと瞬時に切り替わる。彼は、自分が死んだことすら理解できぬまま、慣性の法則に従って数歩進み、土方の足元の泥水に崩れ落ちた。
「な……ッ!?」
残りの四人が凍りつく。
卑怯だ、という言葉が喉まで出かかっただろう。武士同士の立会いにおいて、飛び道具は邪道。それは戦国以来の不文律だ。
だが、土方はその不文律を、南山の革靴で踏み躙るように、次弾の発射準備を済ませていた。
親指がハンマーを起こす。シリンダーが回転し、チリッという小さな音が響く。それは死神が舌打ちをした音のようでもあり、近代という巨大な機械の歯車が一つ回った音のようでもあった。
「……動くな。公務執行中だ」
土方の声は事務的だった。 それは「御用改めである」という威厳ある口上ではない。害虫駆除業者が、淡々と作業手順を確認し、対象物を処理しようとする際の声だった。
そこには、相手を「敵」として認める敬意すらない。ただの「排除すべき障害物」として認識している冷たさがあった。
「て、鉄砲だ! 逃げろ!」
浪士たちが背を向けて走り出す。彼らのプライドは銃への恐怖によって粉砕された。だが、この狭い一本道は計算し尽くされた殺傷地帯である。逃げ場はない。
土方の横に控えていた斎藤一や永倉新八といった剣客たちもまた、今日は刀を抜いていない。彼らの表情には、苦渋の色が浮かんでいた。剣の道に生きた彼らにとって、引き金を引く行為は、自らの魂の一部を切り捨てるような痛みを伴う。だが、彼らはプロフェッショナルであった。
パン、パン、パァン!
連続する銃声。
硝煙の白煙が路地に充満し、鼻をつく火薬と鉱物油の匂いが、血の匂いを上書きしていく。一分も経たぬうちに、路地には五つの死体が転がっていた。こちらの損害はゼロ。刀傷一つない。汗さえかいていない。
それは「戦い」ですらなかった。一方的な「事務処理」であった。
土方は、まだ熱い銃口を空に向けシリンダーから空薬莢を排出した。
チャリン、チャリン
真鍮の薬莢が石畳に落ちる音が、墓標を刻む音のように響く。
月明かりに照らされたその横顔は、悪鬼のようでありながら、どこか近代彫刻のような冷徹な美しさを湛えていた。だが、その瞳の奥には、自ら殺した「古き良き時代」への弔意が、一瞬だけ揺らめいたのを、背後の近藤は見逃さなかった。
「……呆気ねえな」
永倉が少し残念そうに、そして自嘲気味に呟いた。彼は神道無念流の達人である。腕を振るう機会が奪われたことに、安堵よりも、自己の存在意義が希薄になる恐怖を感じているのだ。
「これでいいんだ」
土方は、自分に言い聞かせるように、冷ややかに言った。
「俺たちの仕事は、剣術の試合じゃねえ。京の街に恐怖という名の秩序を植え付けることだ。刀で斬り合えば、相手も『武士として死ねた』と満足するだろう。だが、こうやって虫けらのように撃ち殺されれば、奴らは思い知る」
土方は、死体の山を見下ろした。かつては自分たちと同じ場所「剣に生きる」という幻想にいた者たちの末路を。
「時代が変わったんだとな。精神論だけじゃ、會津の歯車には勝てねえんだと」
近藤がゆっくりと歩み寄ってきた。
彼は何も言わずに土方の肩に手を置いた。その手は温かかったが、土方が握る銃のグリップは氷のように冷たかった。
近藤は理解していた。土方が、汚れ役を一手に引き受け、新選組を近代組織へと脱皮させようとしていることを。そしてその代償として、土方自身が最も愛した武士らしさを殺し続けていることを。
その時、土方の懐中時計が深夜零時を告げた。
チクタク、チクタク。
正確無比な機械の音が乱れた鼓動を整え、感情を律していく。それは、彼らがもう後戻りできない場所まで来てしまったことを告げる、冷酷なメトロノームであった。
◆
翌日 會津本陣 金戒光明寺
その執務室は寺院の一室とは思えぬほど、洋書と書類の山で埋め尽くされていた。 報告を受けた容保はコーヒーを一口啜り満足げに頷いた。
「……ご苦労だった、土方。新兵器の威力、申し分ないようだな」
容保の声には、感傷は一切なかった。彼は昨夜の殺戮を、道徳的な問題としてではなく、兵器の性能評価試験の結果として受け止めていた。
「はっ。……ただ、弾薬の消費が激しゅうございます。昨夜だけで三十発。……これを全隊士に徹底させれば、掛かりは馬鹿になりません」
土方もまたビジネスマンのような口調で報告する。それが、容保に対する最も誠実な態度だと知っているからだ。
「構わぬ。金ならある。新潟港には仙台工廠から届いた弾薬が山のように積まれている。いくらでも撃て。その銃声こそが京の雀どもを黙らせる声明文となるのだ」
容保は、机の上の書類に目を落とした。そこには、治安維持活動の経費一覧と共に、次の「掃除」のターゲットの名が記されていた。
芹沢鴨 新選組筆頭局長
豪剣の使い手でありながら、その粗暴な振る舞いで組織の統制を乱す男。
容保にとって、芹沢は悪人ではない。単なる不良品であった。精緻な時計の中に錆びた歯車が一つ混じっている。ならば取り除くのが設計者の義務だ。
「土方……近藤に伝えよ」
容保の視線が土方を射抜く。それは、君主の目ではなく共犯者の目であった。
「『古い刀は、錆びる前に折れ』とな。……新しい時代に無法な英雄はいらぬ。必要なのは規律を守る番犬だけだ」
「御意」
土方は深く頭を下げた。その背中にはかつての盟友を粛清しなければならない苦悩よりも、任務を遂行するプロフェッショナルの覚悟が張り付いていた。彼もまた、會津のシステムに染まり始めていた。
土方が退室した後、容保は窓の外を見た。
京の夏空に、巨大な入道雲が湧き上がっている。その眩しいほどの白さは、これから流れるであろう血の赤さを、残酷なまでに対比させていた。
(……許せ、近藤、土方。余は其の方らから『侍』を奪った)
容保は心の中で呟いた。彼は知っている。彼らが本当はこんな無機質な殺し合いなど望んでいないことを。だが、この国を守るためには誰かが手を汚し、誰かが心を殺さねばならない。
新選組は、もはや浪人の集団ではない。彼らは會津という巨大な産業機械に組み込まれた、精鋭の駆動部品となったのだ。回転式拳銃のシリンダーが回るたび、日本の歴史から牧歌的な「中世」が剥がれ落ち、血塗られた「近代」が顔を覗かせる。
その引き金を引くのは、誰あろう、土方歳三という合理主義の悪魔であり、その悪魔を使役するのは、松平容保という孤独な設計者であった。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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