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第4話 京へ - 鋼鉄のパレード

文久二年(一八六二年)十二月二十四日


 その日、千年の都 京都は、一種異様な「静寂」に包まれていた。東山三十六峰は雪化粧し、鴨川の水は凍てつくように冷たい。だが、都人(みやこびと)たちを震え上がらせていたのは、比叡山から吹き降ろす冬将軍ではなく、東海道を西上し、いま正に粟田口から洛中へ雪崩れ込まんとする、異形の軍団が発する無機質な圧力であった。


 會津藩主 左近衛権中将 松平容保


 幕府により新設された最高治安維持職「京都守護職」の任を受け、一千の精鋭を率いての上洛である。  古来、東夷(あずまえびす)の軍勢が京へ上る際は、煌びやかな大名行列を仕立てその財力と権威をこれ見よがしに誇示するのが習わしであった。金紋の入った長持、毛槍の舞、着飾った徒士かちたちの威勢の良い掛け声。それは一種の祝祭であり、京の町衆にとっては退屈な日常を彩る格好の見世物でもあった。

 だが、この日の會津藩の上洛は違った。決定的に何かが欠落しており、同時に何かが過剰であった。


 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。


 一糸乱れぬ行軍の音が、三条大橋の石畳を叩く。掛け声はない。私語もない。拍子木のリズムもない。  聞こえるのは、数千の足が同時に地面を踏みしめる軍靴の響きと、金属同士が触れ合う微かな硬質音。蒸気機関の規則正しい機械音と、石畳を南山製の極厚のゴムタイヤが踏みしめる重低音のみ。


 先頭を行くのは、騎馬武者でもなければ、毛槍を振るう奴でもない。 国産最新型の蒸気牽引車三両であった。 石炭を食らい、煙突からどす黒い煙を吐き出しながら進むその鉄の塊は、長砲身のアームストロング砲と連装ガトリング砲を牽引していた。それは単なる武器ではない。西國の浪士たちが信奉する「個の武勇」を、物理量と回転数で無慈悲に粉砕するための死の機械であった。


 彼らが纏っていたのは、伝統的な羽織袴でもなければ、あでやかな陣羽織でもない。深い闇夜のような紺色 - いわゆる「會津ブラック(Aizu Black)」に染め抜かれた西洋式軍服。 南山産のメリノ種羊毛を若松の紡績工場で織り上げ、化学染料で染め抜いた厚手のウール製軍服(フロックコート)であった。


 頭には髷を隠すためのフランス式ケピ帽。

 そして足元。ここが最も異様であった。彼らの足音には、草鞋特有の擦れる音も、下駄のカランコロンという音もない。彼らが履いているのは、南山・入安島のプランテーションから運ばれた天然ゴムを靴底に貼り付けた、革製の編上(ブーツ)靴であった。


 そのゴム底が、京の石畳を無音で噛みしめ、滑ることなく行進していく。腰には武士の魂である日本刀を差しているが、その背には兵は最新式のスペンサー七連発騎兵銃を担ぎ、指揮官はS&W社製6連発リボルバーの會津製ライセンス品を腰の革製ホルスターに携行していた。


 沿道で見物していた京の町衆は、そのあまりの異様さに嘲笑うことも、野次を飛ばすことも忘れて立ち尽くした。彼らが知るお侍さんとは、個人の武勇を誇り名乗りを上げ感情豊かに振る舞う者たちだ。だが、目の前を行く集団には「個」がない。顔がない。


 まるで巨大な一つの生き物、あるいは東國の工場で作られた鐡の絡繰人形(オートマタ)が、命ざれた通りに歩いているかのような冷徹な威圧感。


 彼らの背負う蓋をゴム張りにした背嚢には、會津と米沢で作られた(ほしいい)ブロックや乾燥野菜と、南山から届いた牛肉缶が詰まり、腰の弾薬盒(マグポーチ)には、一人あたり八十発もの金属薬莢を携行している。



 東國の「鉄と蒸気」が、武装して歩いている。その事実に尊皇攘夷を叫んで市中を闊歩していた長州や土佐の浪人たちは、本能的な恐怖を覚え路地の陰へと身を潜めた。あれは刀で斬り結ぶ相手ではない。近づく前に鉛の雨で肉塊に変えられる、と。


 その行軍の中央。ひときわ巨大な南山から輸入された肩高一六〇センチを超える黒毛のサラブレッドに跨り、氷のような無表情で都大路を見下ろす男がいた。


 會津藩主 松平容保 二十八歳


 その相貌は数年前の江戸での日々よりもさらに研ぎ澄まされ、剃刀のような鋭さを帯びている。マントの襟にあしらわれたラッコの毛皮は伊達や酔狂ではない。蝦夷地での実務経験が教えた合理的な防寒装備である。


 彼の視線は沿道の人々を見ていない。彼が見ているのは京という都市の「構造」であった。


(道幅が狭い。……火事になれば一たまりもないな)


 容保は、冷ややかに分析していた。密集した木造家屋。入り組んだ路地。防火帯の欠如。都市計画という観点から見れば、この千年の都は欠陥都市そのものであった。そして、その街並みから漂ってくるのは、若松や江戸に充満していた石炭と機械油の匂い - 未来への野心の匂い - とは対極にある線香と抹香、そして公家たちが焚き染める香の匂いであった。それは、腐敗しながら発酵を続ける過去の匂いであった。


(余は、この腐った沼を浚渫(しゅんせつ)しに来たのだ。……泥を掬い、杭を打ち、近代国家の礎となる地盤を固めるために)


 容保のすぐ後ろ、窓に防弾ガラス(と噂される分厚い南山ガラス)を嵌め込んだ黒塗りの馬車が続く。  その中には、正妻にして會津医療団の長でもある照姫が乗っていた。


 彼女は、窓の隙間から怯えたような町衆の目を見て、小さく溜息をついたことであろう。 彼女には見えていたはずだ。會津の力が京の人々にとって救済ではなく恐怖として映っていることが。 だが容保はあえてその恐怖を利用した。秩序とは愛されることではない。畏れられることによってのみ維持されるものと判っていたからだ。


 一行は、本陣となる金戒光明寺こんかいこうみょうじへと到着した。山門をくぐると、そこは瞬く間に「會津」へと書き換えられた。工兵隊によって即座に有線電信が敷設され、境内には南山式のプレハブ兵舎が幾何学的に立ち並ぶ。炊き出しの釜からは、缶詰のスープと白米の湯気が立ち上り、僧侶たちの読経の声は、電信機が叩くモールス信号の打鍵音にかき消された。古都の聖域が、東國の前線基地アウトポストへと変貌した瞬間であった。


          ◆


 数日後 御所 小御所


 容保は、孝明天皇への初拝謁を許された。この日の容保は、洋装の軍服ではなく、古式ゆかしい衣冠束帯に身を包んでいた。郷に入っては郷に従う。プロトコル(儀礼)を重んじるのもまた、文明人の嗜みであり、相手の懐に入るための計算された演出である。  だが、その懐中には、お守りの代わりに、最新のクリミア戦争の戦況分析レポートが忍ばせてあった。


 御簾の向こうに座す帝。その周囲には、関白・近衛忠煕をはじめとする公卿たちが、白粉を塗った顔に不安と好奇心、そして東夷への侮蔑をごちゃ混ぜにした表情を浮かべて控えている。彼らは生きている人間というより、平安の昔からタイムスリップしてきた亡霊のように見えた。


「……松平肥後守、面を上げよ」


 取次役の声に応じ、容保はゆっくりと顔を上げた。  御簾の奥は暗い。だが、そこに一対の瞳が、怯えた小動物のように、しかし同時に獲物を品定めする捕食者のように光っているのを感じた。


孝明天皇


異国を嫌い、攘夷を叫びながらも、足元で暴れ回る過激な浪人たちに恐怖し、幕府の力に頼らざるを得ない、矛盾の塊のような君主。


「……大儀である。……東夷の地より、遥々とな」


 帝の声ではなく、関白が代弁する。形式通りのやり取り。 だが、その場の空気は凍りついていた。公卿たちは知っているのだ。この男が率いてきた「黒い軍団」の異様さを。南蛮渡来の筒を持ち、不浄な獣の肉を食らう、穢れた軍隊。本来なら、帝の御前に出すことさえ憚られる存在。だが、彼らの力なしには、今の京の治安は一日たりとも保てない。その屈辱的な現実が、公卿たちのプライドを逆撫でしていた。


「恐れながら申し上げます」


 容保の声は、朗々と、しかし涼やかに響いた。それは、和歌を詠む公達の声ではなく、取締役会で事業計画を説明する経営者の声であった。


「京の治安、乱れに乱れております。尊皇の名を借りた暴徒どもは、すでに異国の密貿易で得た銃を持ち、無辜の民を脅かしております。……彼らを鎮圧し、帝の『王道』を守るには、精神論や古い権威だけでは不可能です」


 公卿たちがざわめいた。「不敬な」「やはり東夷か」という囁きが漏れる。だが、容保は畳み掛けた。


「毒を以て毒を制す。それが兵法の理。……會津の兵が持つは、最新の機巧からくり。纏うは、南山の羊毛。しかし、その芯にあるのは、帝への忠義と、日本の平和を願う赤心にございます。……器は新しくとも、魂まで売り渡したわけではございませぬ」


 嘘ではない。だが、真実のすべてでもない。容保にとっての「忠義」とは、盲目的な服従ではなく、社会契約に基づく「秩序維持の義務」であった。帝というシステムの中核を守ることで、日本全体のシステムダウンを防ぐ。それが彼のリアリズムであった。


 御簾の奥の帝は、沈黙していた。だが、容保は感じ取っていた。帝の視線が、自分の顔——特に、頬に残る火傷の痕に注がれているのを。その傷は、この男が単なる貴公子ではなく、修羅場を潜り抜けてきた「実務者」であることの証明だ。噂に聞く「會津のハイテク軍隊」。それを統べる若き将軍。帝にとって、容保は頼もしい守護者に見えたか、それとも制御不能な猛獣に見えたか。おそらく、その両方であろう。この日の拝謁は、形式的な言葉の交換だけで終わった。「宸翰」や「御製」が下されるような、情念の交感はまだない。あるのは、互いに相手を利用し合おうとする、冷ややかな政治的な距離感だけであった。


          ◆


 拝謁を終え、金戒光明寺の本陣に戻った容保を待っていたのは、湯気の立つコーヒーの香りであった。


 執務室に入ると、照姫が自らサイフォンを操り、南山産の豆を挽いているところだった。彼女はすでに軍装を解き、質素だが上品な着物姿に戻っていたが、その手つきは実験器具を扱う科学者のように正確だった。


「お疲れ様でした、殿。……御所はいかがでしたか?」

 

 照姫が差し出したコーヒーカップを受け取り、容保は一口飲んだ。苦味が、緊張で強張った神経を解きほぐしていく。


「……空気の薄い場所だったよ。千年の埃と、カビの匂いがした」


 容保は、ソファに深く身を沈めた。この家具も、分解して若松から運んできたものだ。


「帝は、まだ余を値踏みしておられる。……無理もない。余は彼らにとって、猛毒を持つ薬だ。効き目はあるが、飲み込めば死ぬかもしれないとな」


「でも、毒を飲まねば、京の病は治りません」


 照姫は、容保の向かいに座り、『軍事兵站学ロジスティクス』の翻訳書を開いた。


「私の見立てでは、京の病巣は深いです。長州という癌細胞だけでなく、公家という免疫不全、そして幕府という動脈硬化……。全てが絡み合っています。殿、外科手術だけでは治りませんよ」


「わかっている。……だからこそ、余は警察ポリスを作ったのだ。軍隊による破壊ではなく、法による管理。それしか道はない」


 容保は、窓の外を見た。京の町に、雪が降り始めていた。その雪の下で、無数の志士たちが、あるいは陰謀家たちが、會津という異物を排除しようと蠢いている。

 新選組——当時はまだ壬生浪士組——を傘下に収め、市中の治安維持に乗り出すのは、この直後のことである。 近藤勇や土方歳三といった、時代遅れの武士道に憧れる男たちに、最新のリボルバーと「法執行者」としての権限を与え、近代的な警察機構の手足として使う。 それは、容保が描いた「毒を以て毒を制す」策の、最初の一手であった。


「……照。このコーヒーは苦いな」


「砂糖、入れますか? 南山産の白砂糖が、たっぷりありますよ」


「いや、いい。……この苦味を忘れてはならん。これは、現実リアルの味だ」


 容保は、黒い液体を見つめた。まだ、彼は知らない。この後、文久三年八月十八日の政変を経て、帝との距離が急速に縮まり、やがて「忠誠」という名の首輪を嵌められ、逃れられぬ泥沼に引きずり込まれていく運命を。 今の彼にあるのは、テクノクラートとしての自負と、少しばかりの焦燥だけであった。


 金戒光明寺の鐘が鳴る。その音は、會津軍が持ち込んだ電信機の打鍵音と混じり合い、不協和音となって京の夜空に消えていった。東の鉄と、西の神。  二つの異質な存在が接触し、化学反応を起こし始めた夜であった。



最後までお付き合いいただき感謝します。

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