"教育隊"
「はぁ~、疲れた.......」
庁舎の一角にあるこぢんまりとした部屋で、ただ一人机に伏せている者がいた。
もちろん、確認せずともわかるだろう。件の新人准尉である。
大隊長とのご挨拶____もどきの恫喝。その後も続く庁舎の案内と、"教育隊"についての引継ぎで、日は既に沈みかかっているようだ。
あの美しい青空も見られなくなるのか。そう思うと、なんだか勿体無い。
いや、あの青空だったからこそ、今日を乗り切れたのかもしれない。そういう事にしておこう。
ー2時間前、兵舎棟にてー
「____ここが、貴方が持つ部隊隊員の生活棟です。まあ、他とあまり変わらないとでも言っておきましょうか。」
いや、普通に一線を画しているんですケド......
印刷紙に、ほぼ煤で落書きしたようなもので【擲弾兵大隊軽歩兵教育隊 *無断侵入厳禁、入ったら殺す*】と、それをただ扉に貼り付けている。てっきり、表札が置いてあるのかと思ったら大違いだった。
「......って言うか、なんで俺は教育隊に?俺なんて士官学校を卒業したばかりで、軍事教育の資格なんか___」
「軍事教育?ああ____管区の教育隊とは全然別枠ですよ。」
「...と、言うと。」
ユグニス軍曹は、不敵な笑顔と共に、人差し指をピンと立てて説明を始める。
「教育隊はですね、貴族家系や庶民から輩出された"生意気な子供達"を根本的に鍛え直すことを目的に創立されたんですよ。分かりやすくいえば"矯正部隊"、はたまた"教化隊"のほうが通じるかもしれませんね。」
あー、なるほどなるほど。つまり......ほとんど養護施設と同じじゃないか。
というか、そもそもこの部隊の兵士らは、ほとんど子供なのではないだろうか?庶民も子息令嬢たちも関係なしに、どことなくほとんどが20歳を迎えていないように見える。
まあ、大隊長がまだ19歳なのだから、年齢なんて関係ないのかも...しれない。
「まあ、大体理解はしました。えっと、それで私はどんなことを...」
「准尉殿が思っているよりも至極簡単です。資料は既に執務室へ置いてありますので、後程ご覧になられてください。きっと、"やりがいのある仕事"になると思いますよ。」
「って言われたけどなぁ......」
新品の、しかもうれしいことに茶色の着色までされている角型封筒が机にドンと置かれていた。
形状がやや膨らんでいることから、かなりの量の書類が押し込まれていることを、容易に想像させる。
中に入っているモノ次第では、これはゴミになり下がるだろう。いや、無駄なので流石に捨てはしないけれど。
____そんなことを考えたって、時間はただ過ぎていく。正直なところ開封はしたくはないのだが、これを開けないことには、今後の士官としての生活は無理に等しい。
「......開けるか。」
やっと、俺は腹を括る覚悟で封筒に手をやった。持ち上げてみると、見た目通りと言ったところか、体積に占める空気の割合はおおよそ1-2割程度のようで、ズシンとは来ないもののそれなりに重い。
やれやれ、何が入っているのやら......
封筒を開封しようと、封口を上に折ろうとしたが、どうやらデンプン糊で接着されているらしい。
仕方ないので、ゆっくり丁寧に剥がすことにしよう。別に、こんなことしなくてもよかっただろうに。
両腕を用いて、紙の表面が剥がれないよう、慎重に上へ上へと引っ張る。ところどころ力加減に失敗し、切れ目が入ってしまったが、それ以外は無事かつ綺麗な状態での開封が___
「できた、ったく本当に......」
開けられたのはいいけど、この書類今日中に全部見なきゃいけないのか......
気が遠くなる作業に違いない、せめてあと2日猶予が欲しい。上申ができれば、直ぐにでもしたいものだ。
やはり俺は、士官には向いていないのかもしれないな。まあ、とにかく素早く終わらせるとしよう。
「......ん?なんだこれ。」
予想外なことに封筒の中には、ホッチキス留めされている書類。ただそれだけが入っていた。
確かにこれを持ってみると、先ほど封筒を持った時と同じ感覚だ。中身をもう一度見ても、やはり空っぽで、封筒の膨らみが辛うじて残っている程度である。
なるほどなるほど、配属時の資料はこんな風にまとめられるのか。
てっきり分類別にまとめられているものだと思っていたが、丸ごと全部ホッチキスで留めることが普通のようだ。
しかし、分厚いのによく留めることができた____っと、また別の事考えて......とにかく、速め速めに目を通しておこう。
億劫になりつつある手を辛うじて動かし、書類を手に取った。
表紙には【軽歩兵教育隊長宛て】とだけ。戦術教本のほうが大仰な表紙で飾られていたが、これは端から端まで飾られていない、白紙のようなものだ。これもある意味読みにくい。
表紙にはこれ以上の情報も何もないようだったため、ページをめくった。
「......なんだ、これ。」
次のページで最初に目に入ったのは【指揮官としての心得、教育隊長用】だ。丁寧にもアンダーライン付きで強調されている。
その1.教育隊隊員に係る裁量は、指揮官たる教育隊長が有することを心にとめよ。
その2.教育隊内部で発生した問題については、その対処を適正に行え。
その3.外部に対する問題を引き起こした隊員に対しては、"一定の範囲内を越える"懲罰を行ってもよい。
......え、ナニコレ。しかもたったの三文?もっとこう、前線指揮官としての心得が書いてあるものだと思っていたのだが。
といっても、部隊の事情が特殊なんだよな......ある意味、仕方ないと言えば仕方ないのだろうが。
道理で最初の表紙が白紙に近い状態だったわけだな。
はぁ......もはや次のページを見たくなくなってきた。しかし、明日には顔合わせがあると言っていたし、これを読まないわけにはいかない。
しばし悩んだ末に、再びページをめくることにした。次は、何が出てきて_____
「......"部隊内訳"。」
部隊隊員数"8名"。内下士官相当は1名で、以下すべてがライフルマンだ。最小構成単位はギリギリ維持しているらしいが、当然のことながら小隊レベルの人数は持っていない。当然と言えば当然なのだが。
「......ん?」
内訳の下に書かれている装備欄。つまり、この分隊が使用している武器の内訳があったのだが......これがふざけたもので、火器もなければ、歩兵用装備もなく、ただ"31年制式軍用スコップ"と"グリヴィアナ・バヨネット"とだけ書かれている。
【グリヴィアナ】、"シーヴィルナ王国言語法"で指定されているうちの一つ、西部タクーシュ語で「崇高」という。
シーヴィルナは非常に多くの民族で溢れており、国内の人間と獣人だけで15の民族が"共生"している。
それだけ多くの言語が分布しており、王国言語法制定以前では、特に街中では異なる言語が聞こえることも珍しくなかった、らしい。
現在では、諸民族の独自言語を尊重しながらも、西部タクーシュ語と東部タクーシュ語の教育が施されているそうだ。
しかし俺は、生憎とそのことを反芻するために読んでいるわけじゃない。このふざけた装備の内訳、どう考えても初めから野戦そのものを想定していないじゃないか。
......でも、部隊の事情......うーん、しかし。しかしだ、矯正部隊といっても、構成隊員は貴族か、市街の庶民なのだろう。武器を持たせても、それほど問題になると思えないのは俺だけなのだろうか。
「明日、軍曹に詳しく聞いてみよう。」
とにかく続きを読まないと......明日までに間に合うかな。