気まぐれ少女の目的
斎藤さんにやっと腕を離してもらえたのは、人気のない第二校舎に着いてからだった。
思ったよりも斎藤さんの力は強かった。連行されていく中、男の自分が負けてやしないかと変な焦りに駆られた。
「なんで第二校舎まで……?」
移動教室があるとき以外、あまり来ることはない第二校舎はひんやりとした静けさがある。
俺たちは一階の渡り廊下と美術室の間に立っていた。
「こっちのほうが静かだし。……うちのクラス、声以外もうるさいから」
ため息まじりに言う斎藤さん。
彼女もクラス中からの視線には気づいていたらしい。
でも当たり前か。斎藤さんみたいに、守ってあげたくなるようなサイズで顔も可愛い人が注目されないわけがないし。
「吉崎」
「はい」
「……敬語たまに出るの変。普通に話して」
「あっはい。じゃない、うん」
真顔で指摘されてしまった。
ボケだと思われたんだろうか。
「マルの写真と動画、昨日見せてくれたやつ以外にもある?」
「え?まあ、あるけど」
「それ送って。全部見たい」
「全部⁈ていうか送るって……」
教室から引きずられ、今度は飼い猫の写真と動画を送ってほしいと頼まれ、困惑するしかなかった。
斎藤さんはさらにそこへ爆弾を投下した。
「ライン繋げたら送れるでしょ」
…………は?
「はい⁈」
「スマホ出して。私がQRコード読み込むから」
「い、いやちょっと待って……」
言いながら、斎藤さんはブレザーのポケットから白いカバーのスマホを取り出す。
動揺している俺のことなんかお構いなしだ。
「ほら、早く」
ズイッとスマホを突き出す斎藤さんは、相変わらずの無表情だ。
彼女の中ではラインを繋げることは確定事項らしい。
きっと斎藤さんにとって俺との連絡先交換というのは、興味を持った猫を見るための手段、ただそれだけ。それ以外に使うことなど毛頭ないのだ。
そうだ。気まぐれな斎藤さんが、いちクラスメイトでしかない俺との繋がりをずっと持っているわけがない。
なんだかホッとして、少しだけ事態を軽く捉えることができた。
「––––わかった。じゃあ、よろしくお願いします」
「うん、よろしく」
ラインのQRコードを表示したスマホ画面に、斎藤さんがスマホをかざす。
少しして、ラインの友だちリストに斎藤さんのアカウントが追加された。アイコンはやっぱり猫で、薄茶色の顔がアップになっている。
飼い猫かと聞いたら、斎藤さんのおじいさんとおばあさんの家で飼っている猫らしい。
こうして俺は、学年一小さくて気まぐれな少女と完全に接点ができてしまったのだった。
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【大毅side】
「斎藤さん、吉崎とどこ行ったんだろ」
「てかよ、なんであいつが斎藤さんに話しかけられてんだ。あんなナヨッとした奴でもいいなら、俺だってワンチャン……」
「どうせいつもの気まぐれだって。知らないうちに視界にすら入らなくなるでしょ」
さっき教室を出ていった二人を話題に、グループメンバーの浩平、菜々子、亜未が喋っている。
それを横で聞きながら、オレは冷凍食品のコロッケに箸を突き刺した。
一度離して、また刺す。刺す。
なんであいつが。
そう言いたいのはオレのほうだ。
「なんか機嫌悪そうだけど、だいじょぶ?」
芹夏がオレの顔を覗き込んでくる。
男ウケのいいあざとい仕草も、今はオレをイラつかせるだけ。
「そんなことねーよ。コロッケうまく掴めなくて苦戦中なだけ」
「サイズ小さいじゃん。天然キャラも目指そうとしてる〜?」
「ちがうって。なんかうまくいかないんだよ」
「へえ〜……。なら、あたしが食べさせてあげよっか」
悪戯っぽく笑う芹夏。
アングルも相まって、そこらの男だったら耐えられないものがあっただろう。芹夏からの好意を浴びているオレはこれが当たり前だったからか、あまりときめかなくなったけど。
からかうなよ、と返す前に浩平が肩に腕をまわしてきた
「おいおい大毅ぃ。彼女からのあーんなんて羨ましいなあ?」
「セリってば攻めるねえ〜」
「さっすが、誰もが羨むカップル。見せつけてくれちゃってさ」
菜々子と亜未までがニヤニヤしながら冷やかしを言う。
ったく、声がでかいな。
でもそのおかげで……ほら。
クラスメイトの中にちらほら、こちらを見てくる奴がいた。
煩わしいとでも言うように見てくる奴もいれば、嫉妬と羨望が混ざり合った眼差しを向けてくる奴もいる。
その視線を受けていると苛立ちが鎮まり、爽快感に似たものが心を満たしていった。
気さくな爽やかイケメン、というイメージを表す笑みがゆっくりと浮かぶ。
どれだけうるさくしようと、あからさまに彼女とイチャつこうと、ちょっと視線をやるだけで誰も何も言ってこない。
明るくて親しみやすいうえに顔が良いオレに、スタイルが良くて可愛い幼なじみ兼恋人の芹夏。他の三人だって、オレと芹夏ほどではないにしろ学年の中では目立つほうだ。
敵わない、と心の中では誰もが思っている。
「大毅〜。はい、あーん」
芹夏が半分に割ったコロッケをオレの口元に持ってくる。
仕方ない、という風を装って笑い、オレは運ばれるコロッケを受け入れた。
ふと、脳裏にもうひとりの幼なじみの顔がよぎる。
弱々しい顔に、高校生になってもコミュ障気味。オレと芹夏の情けでずっとグループにいたような奴が––––行人なんかが、齋藤衣乃にずっと相手にされるはずがない。
昔からあいつの位置はずっと、オレの下なんだから。