今日だけの特別
朝の動画を見せたあと、齋藤さんに「もっとマル見たい」と言われ、他のマルの動画や写真を見せた。
いろんなマルを見せるたび、齋藤さんの丸い目がキラッと輝く。ご飯またはおやつの時間になったときのマルみたいだと思った。
「こんな時間か……」
今は何時かと聞かれてスマホで時刻を見せると、齋藤さんが呟く。
もう17時前だったのか。
「あ。そうだノート」
齋藤さんが思い出したように言った。
「放課後に返してもらう約束だったの、忘れてた」
「ノートって……もしかして、昼休みに持っていった?」
「一組に同中の子がいて、頼まれて。最近風邪で休んでたから、空けてた授業のノートいろんなとこから貸してもらってるっぽい」
「同じクラスの人から借りたほうが早そうだけど」
「なんか同中の人のほうが借りやすいんだって」
「あー、そういう……」
誰に対しても興味がなさそうな齋藤さんでも、同中の人との関わりはあるらしい。
でも「友達」とは言わないあたり、知り合い程度の関係なんだろうか。
「マルの動画と写真、見せてくれてありがと」
それじゃ、と片手をちょっと上げて齋藤さんは教室の扉に向かっていった。
小さな背中が見えなくなると、俺はさっきまで齋藤さんと眺めていたスマホの画面を見つめた。
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帰宅したのは17時半前だった。
仕事から帰っていた母さんへの挨拶もそこそこに階段を上がる。
後ろからトットッという音がして振り向くと、俺が足を置いた段に灰色の丸い生き物がいた。
「ただいまー、マル」
頭を撫でてやると、マルは琥珀色の瞳を細めた。
マルと一緒に階段を上り自室へ入る。
通学鞄を勉強机の近くに置き、ベッドに腰を下ろす。その横にヒョイッとマルが乗ってきた。
「初めての会話で、あんな展開になることあるんだな……」
天井を見上げ呟く。
今の俺の放課後は、窪といるか一人でいるかのどちらかだった。
そこに新たな人物が、しかも学年の中でもレベルの高い美少女が加わるなんて。
––––可愛い。合ってるね。
マルの名前を褒めてくれた齋藤さんを思い出す。
ぶっきらぼうで冷たいいつもの話し方とはちがって、声が柔らかくなっていた。
マルの動画を見ていたときも目の輝きが普段と段違いだったし。
相当な猫好きなんだろうな。
「初めて話した人、お前のこと可愛いって言ってくれたよ」
横のマルを撫でながら話しかける。
マルは「やったあ」と言うようにニャア、と鳴いた。
同じオスなのにこんなに可愛いなんて、猫という生き物は本当にずるい。
でも、マルのおかげであんなにも特別な放課後を過ごすことができたのだ。
今後あんな機会はもう訪れないだろうけど。
あるクラスメイトの男子は、齋藤さんに声をかけられただけで「俺、ひょっとして脈アリ……⁈」と舞い上がり、後日話しかけにいってガン無視されていた。彼の落としたシャーペンをたまたま齋藤さんが拾って「これ」と差し出しただけなのに。
ここまでとは言わないが、俺は軽率に勘違いはしないと断言できる。
幼なじみ以外でまともに交流できる相手ができたのが最近という、コミュニケーション能力が乏しい傾向にある俺だ。それに目立つ幼なじみ二人が横にいたから、彼らと仲の良い人たちが話しかけてくれていたのも事実。
散々馬鹿にされてきたことを認めるのは悔しいが、俺にはこれといった特徴がない。本当に、何もないのだ。
「……たまたま運が良かっただけなんだよ」
猫好きという共通点が見つかっても、それをネタに齋藤さんに話しかける勇気はない。彼女のファンに睨まれるかもしれないし。
……こんな言い訳がすぐ頭に浮かぶあたり、自分はどこまでも小心者だと痛感する。
ため息をついた俺の太ももに小さな足が乗った。「どした?」と言うように見上げてくる琥珀色の瞳に、情けない顔が映る。
昔から大毅と芹夏にからかわれてきた、気弱さが滲み出た男らしくない顔。
小さく笑みをこぼし、俺はマル用のおやつをとりに立ち上がった。
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【大毅side】
「送ってくれてありがと〜、大毅」
家の前に着き、オレの腕から芹夏が離れる。
腕を包んでいた柔らかな感触を名残惜しく思いながら「おー」と返事をした。
「次、いつデートする?」
「気がはえーよ!さっきしただろ〜?」
「一日使ってのデート!最近長いほうはしてなかったし、できる限り大毅と一緒にいたくて……」
えへへ、と照れたように笑う芹夏。
学校でモテる彼女がこんな顔を見せるのはオレの前でだけで、顔もスタイルも抜群な女子がオレの幼なじみ兼彼女であるということに優越感を覚える。
嫉妬深くてちょっと面倒なのが、玉に瑕だけど。
「じゃあ、今度は家デートにしねえ?長く一緒にいられるし、金かかんねえし」
オレの提案に、芹夏は「あー……」と目を泳がせた。
「あたしは大毅と出かけたい気持ちが強いかな〜。家デートはさ、近いからいつでもできるでしょ?」
「この前もそう言って、結局しなかったろ。たまにはどっちかの家でゆっくりすんのもいいと思うけど」
「えー、だって〜……」
芹夏が言いにくそうにもじもじする。
少しの動きで振動する膨らみに気づかれない程度に視線を走らせ、オレは芹夏の腰に手をまわした。
「いいだろ?オレもお前と一緒にいたいし」
「んー……」
耳元で囁けば、芹夏はちょっと悩むそぶりを見せた。オレの甘い言葉に芹夏は弱い。
あれからしばらく経ったし、そろそろいいはずだ。
「……やっぱ今は駄目!また今度ね」
オレから身体を離し、芹夏はさっさと家に入ってしまった。
今日はいけそうだと思ったのに。
家デートのたびにオレが事に運んでしまうことが嫌だったらしく、こうして断られ続けている。
「今さら健全ぶってんのかよ……」
ひとりごちながら芹夏の家に背を向け歩き出す。
芹夏の家から5分もかからない距離にある自宅にはすぐに着いた。
「ん?」
ズボンのポケットに入れたスマホが震えた。
取り出し、通知を見るとグループの一人からだった。
〈沢城から聞いたんだけど、放課後に吉崎と齋藤が話してんの見たって〉
〈あんな奴でも無謀なことすんのなw〉
「…………は?」
スマホを持つ手に力がこもる。
オレは家の前で立ち尽くし、送られてきたメッセージを凝視した。