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罪と祈り

 なんだ、これ。




 オレは少人数教室の前で呆然と立ち尽くしていた。


 さっき廊下ですれ違った行人が齋藤衣乃とこの中へ入っていくのを見て、少し気になった。


 男女が二人きりで人気のない場所に行くなんて、告白としか思えなかったから。




 いくら仲が良いとはいえ、あの齋藤衣乃だぞ?


 これまでクラスメイトやオレにすら興味を示さなかったんだ。行人なんかの想いにそうやすやすと心を動かすわけがない。


 そうじゃなきゃおかしい。




 だがオレの予想は掠りもせず、裏切られた。


 齋藤衣乃は行人の告白を……受け入れた。




 音を立てないよう開けた扉の隙間から、行人と斎藤が抱き合っているのが見える。


 女子の中で別格の可愛らしさを持つ美少女が、冴えない幼なじみの腕の中にいた。




「は……?」




 後ろへ下がりながら、髪をぐしゃっとかき乱す。


 今見た光景が現実であると思えなかった。思いたくなかった。


 イケメンで人気者のオレに見向きもしなかったあの齋藤衣乃が、優しさだけが取り柄で男としての魅力もない奴のものになるだなんて。




 ––––そうであってたまるか。




 扉にかけた手の先に力がこもる。




「何してるの」




 少し前まではずっとそばで聞いていた声に振り返る。


 そこにいたのは帰ったはずの芹夏だった。




「なんでお前、ここいるんだよ」


「忘れ物したから戻ってきたの。……もう一度聞くけど、大毅はここで何してるの。様子変だよ」


「……お前には関係ない」




 扉から手を離し、芹夏の横を通り過ぎようとする。


 よりによって、オレをよく知る人物に目撃されてしまうなんてついていない。


 教室の前に突っ立ってるだけにしか見えないはずだし、何も心配することはないだろう。




「ねえ、大毅」




 芹夏がまたオレに声をかけてくる。


 今度は何だとイラつきながら顔だけをそちらにやるも、芹夏はこちらを見てはいなかった。




「ユキには謝った?」


「……あ?」




 思わず低い声が出る。


 オレの聞き間違いじゃなければ、こいつは今、とんでもなく馬鹿なことを口にした。




「私たち、ユキには取り返しのつかないことをしたでしょ。中学の頃からずっと、幼なじみとは思えない接し方をして、ユキを散々傷つけた」


「……は、んだよ。今になって自己嫌悪か?まさかあいつに許してもらおうとか考えてんのかよ」


「考えてなかった。考えられるわけない。それだけのことをしてきたんだから。……でも、ユキは幼なじみでいること、許してくれた」




 ゆっくりと振り向く芹夏の顔は穏やかだった。


 謝ってももう遅いはずなのに、さすがは行人。アホほど広い心の持ち主だ。




「よかったなあ、許されて?悪いことしたって気持ちが少しは消えて、楽になったか?罪の意識から逃げられた気分は、さぞ気持ち良いんだろうな」




 唇を吊り上げ、芹夏の顔を覗き込む。


 こいつらしくもない顔つきをするものだから、腹いせに煽ってやった。


 しかし、芹夏の表情は依然として真面目だった。




「……これまでのことは、完全に許してもらえたわけじゃない。当然のことだし、罪悪感だってずっと消えない。逃げられたなんて一生思わないよ」




 芹夏が伏し目がちにそう言ってから、オレを見つめる。


 オレの心の中を探るように、何かを願うように。




「大毅はないの?ユキに対して悪かったとか思ったこと、一瞬でもなかった?」




 オレが行人に対して、後ろめたいと感じたことがあるのかってことか。


 あいつに、オレが?


 いつも上に立つオレが、あいつに頭を下げたくなるような瞬間があったか、だって?




「––––ふ、はは、あははっ。行人に悪かったなんて思うこと?あるわけないだろ。幼なじみならではの気安い態度のものばっかしか思い浮かばねーし、あいつだって受け入れてたんだぜ?どこに罪悪感感じる必要があんだよ」


「……本気で言ってんの。わからない、って」


「理解する必要すら感じないね。付き合い長いんだし、つい軽くなりすぎるのは当たり前じゃねーの。昔からの仲ってそういうもんだろ。お前と付き合うことにしたのも、たまたま良いのが幼なじみだったからだしな」




 肩をすくめ、鼻で笑ってみせる。


 そんなことをオレが思うはずないだろうが。


 何を、何を今さら。




 芹夏の表情がこわばり、次第に瞳の色が翳っていく。


 何の希望も見出せなかったと諦めたような、どうにもならないと悟ったような。




 幼なじみだったら当たり前の接し方をしてきた。


 そこにちょっと、強めの感情が混じっただけ。ずっとそうしてきて、今さら何を言い出すんだ。


 こいつだって乗ってきた。行人はオレの振る舞いに対して何も言ってこなかった。


 行人から何も言われないのなら問題はない。




 オレは、悪いことはしていない。




「……ほんとに変わっちゃったんだ。駄目なんだね」




 芹夏は呟くように言い、苦しそうに笑った。


 だから何だよ、その顔は。


 オレが取り返しのつかないところまで来ているとでも言うのか。




「なら、もうユキには関わらないで。ユキを傷つける権利も、一から仲良くなる資格も、私たちにはないんだから」


「っ……」




 強い眼差しに一瞬(ひる)んだ自分に舌打ちをして、芹夏に背を向ける。


 教室から自分のリュックを引っ掴むと、足早に昇降口へと向かっていく。


 内側で生じた焦りがどんどん大きくなっていくのを誤魔化すように、ひたすら足を動かした。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





【芹夏side】




 大毅が教室に戻り、リュックを持って出て行ったのを確認してからようやく動く。


 もともと机の中に忘れたノートを取りに戻ってきて、たまたま大毅を見かけただけだった。


 彼の中に少しでも良心が残っているのに賭けてみたけれど無意味で、期待したことすら馬鹿らしく思えた。無意識に初恋の面影を探していたのかもしれない。


 先ほどのやり取りで完全に思い出を断つことができたのか、心は幾らかすっきりしている。




 ……ちゃんと、言えてよかった。


 ただの自己満足に過ぎなくても、言わなくちゃいけないと思った。


 平穏に過ごしているユキのためにできることがこれくらいしかなかったのは、少し歯痒いけれど。




 机の中からノートを回収し、教室を出る。


 私がやってきた方向から、二人の生徒が歩いてくるのが見えた。


 仲睦まじい様子で会話をしている齋藤衣乃とユキ。


 何だろう、前より親密そうに見える。




 そういえばさっき、大毅は少人数教室の前に立っていた。


 二人が歩いてきたのも少人数がある方向で、そこから一緒に……。




 あながち間違いでもなさそうな想像に笑みを浮かべ、私は教室を出てすぐの階段を降りていった。




「––––おめでとう。よかったね、ユキ」




 かつて彼がくれた言葉を密かに送りながら。

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