本番前、最悪の昼休み
HRが終わり、一限が始まる。
俺はノートをとりながら、朝見たことについて考えていた。
大毅が誰からも挨拶を返されず、囲まれてもいなかった。あいつと仲の良い東や陽キャメンバーからも、だ。
昨日の体育祭で活躍したらしい大毅の人気は、上がるところか急激に下がった。いや、ほとんど地に落ちたと言っていい。
クラスメイトたちは大毅に視線をやりながら、何やらコソコソと囁き合っていた。
ほとんどが訝しげだったり、嫌悪が滲んでいたりしている顔の中には、昨日大毅と打ち上げに行ったクラスメイトもいた。
おそらくだが、打ち上げのときに何かあったのだろう。
大毅に対する周囲の反応を大きく変えるほどの何かが。
さっき大毅の様子を窺ったが、ほとんど顔をあげようとせず、ただじっと耐えているようだった。
表情はよくわからなかったが、今は取り繕うのにも必死になっていることだろう。
突然これまでいた位置から滑り落ちたのだから。
人気者としての地位があっさりと崩れ去っていく幼なじみを見ても、俺は何も思わなかった。急激な変化をもたらした原因を知る気もない。
大毅がこうなっても仕方がない人間だということを知っているからだろう。
俺の脳内を多く占めているのは、今行われている授業と衣乃さんへの告白。
すぐに大毅のことは隅へ押しやり、頭を切り替えることができた。
……と思ったのだが。
頭に浮かぶ告白の二文字が拡大されていき、今度は授業への集中力が失われていった。
それに、告白予定の相手は隣の席にいるのだ。
一旦意識してしまうともう駄目で、板書を書き写す手が止まってしまう。
落ち着かなくなって、なんとなく隣に目を向ける。
いつものように寝ているのかと思いきや、衣乃さんはどこかぼーっとした様子で頬杖をつき、ノートに落書きをしていた。見えたのは、可愛らしい猫の絵。
寝ていないだけでも珍しいのに絵を描いているのも新鮮で、つい落書きを目で追ってしまう。
シャーペンの先がぴたっと止まった。
「……っ」
俺の視線に気づいた齋藤さんが、目をちょっとだけ見開き落書きを片手で覆う。
じとりとした目つきで俺を見つめたあと、ぷいっと横を向いてしまった。
もう少し衣乃さんの落書きを見ていたかったと思いつつ、苦笑をこぼし前を向く。
もしかして、衣乃さんも俺と同じように落ち着かなかったんだろうか。
告白を意識して、上の空でいたのだとしたら。
そうだったらとても嬉しいなんて思いながら、再びシャーペンを動かし始めるのだった。
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【大毅side】
今日で何度目かのチャイムが鳴る。
昼休みを迎えても、いつもオレの席を囲むクラスメイトはひとりもやって来なかった。
まさか、このオレがぼっち飯。以前の行人やクラスの陰キャどもとまるで同じじゃねえか。
到底受け入れ難い現実を弁当と共に喉奥へと押し込む。
周囲の視線を気にしながらの昼飯は、味わう余裕などなかった。
なんとか全てを胃に収め、居心地の悪くなった教室から抜け出す。扉を開ける前、黒板の上にある時計を見るとまだ15分も余っていた。
イライラする。
廊下ですれ違う人間が全員オレのことを見ているような気がして、心底気持ち悪くなってくる。周囲の視線ほどオレの自尊心を高めるものはなかったのに、今では怖いとすら感じる。
ひとり自分の席で食事をするオレとはちがい、窪や横川と談笑しながら弁当を食べていた行人の顔が頭に浮かぶ。
より一層苛立ちが募ると同時に、ふと思った。
グループから……オレから離れてから、あいつはよく笑って過ごすようになった。
今が幸せだと言わんばかりに。
オレといたときはどうだったか。
なんとなく思い出そうとしてみる。が、なぜか記憶の中の行人の顔は酷くぼやけていて、はっきりしない。
「あっ……」
思わず漏れたといった声に足を止め、その主の顔を確認する。
少人数教室から出てきたところであろう唯花だった。
そうだ、唯花に聞かなければならないことがあるのだ。
「よかった。ちょうど今、唯花と話したかったんだ」
唯花の反応を待たず、甘い笑みを浮かべて訊ねる。
「昨日ライン送ったの、気づいてた?カラオケであんなことになったオレを、唯花がなんで助けてくれなかったのか気になって聞いたんだけど。全然返ってこないから、何かあったのか心配したよ」
「……」
「唯花、言ってたろ?オレのためなら何でもしてあげたいって。彼女に甘えちゃうのもよくないかもしれないけど、あのときは唯花が頼りで––––」
「ごめんなさい」
唯花がいきなり頭を下げた。
言葉を途切れさせてしまったオレに喋らせないかのように、唯花は真っ直ぐオレを見つめて口を開いた。
「もう、大毅くんとは付き合えない。––––私と別れてください」
…………は?
「昨日の大毅くん、全然ちがう人みたいで……。私にもいつか、ああやって怒るんじゃないの?明るくて皆に優しい大毅くんは、本当は偽物なんでしょ?」
「ゆい––––」
「もう私、大毅くんのこと信じられないし、怖いの。だから、これからはあまり関わりたくない……」
かすかに震える声で、唯花がオレに言い放つ。
弱々しくも固い意志が込められており、本気であることを悟った。
……いや、いやいやいやふざけるな。
一緒にいてもつまらないからって理由であっさり元彼を捨てて、オレを選んだのはお前だろうが。ベッドの上で乱れながら、どんなオレも受け入れさせてと喘ぎ声と共に懇願してきたのはどこの尻軽淫乱女だ。
昨日の今日で別れ話をするということは、オレを見限ったということ。あの場にいた奴らと同じように、唯花も一度だけの失態を見て判断したのだ。
怒りで震えるあまり声が出ないオレの横を、唯花が通り過ぎようとする。
「っ、待てよ‼︎お前、ちょっと勝手すぎだろ……⁈」
「やっ……。は、離して!」
軽く手首を掴んだだけなのに、唯花は必死に振り解こうとする。
やけに大袈裟な反応を妙に思ったとき、声が聞こえた。
「裏がヤバいって本当じゃん。女子に何してんだろ」
「あの子、たしか彼女だよね?DV彼氏だったってこと?」
こちらを見ていきながら、廊下を行き交う生徒たち。
……まただ。感情を抑えられず。人の目があることを忘れてしまっていた。
奥歯を噛み締め、唯花の手首を離しこの場を離れる。
オレの去り際、唯花がこう囁いた。
「バイバイ、大友くん」
一瞬だけ振り返り目にした顔は純粋な少女のものではなく、小悪魔と言ったほうがぴったりだった。




