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転落

【大毅side】




 ––––大丈夫、大丈夫だ。何も問題はない。




 教室の扉の前で自分に言い聞かせた言葉は、数秒で意味を失くした。


 いつも通りの笑顔で、声のトーンで挨拶したはずだ。




 何故、誰もオレに声をかけてこない?




 頬がひくりと動く。


 なんとか笑みを貼り付けたまま、自分の席へ向かう。


 その途中、周囲からヒソヒソと囁く声が聞こえた。




「うわー、来たよ。昨日の打ち上げぶち壊した元凶」


「ねえ、大友くんが本当は乱暴な人だって本当?」


「なんか昨日の打ち上げ中、暴言吐きまくったらしいよ」




 ぐっと唇を噛み締め、席に着く。


 もう昨日のことがクラス中に回っているらしい。


 これまでクラスの上に立っていた奴のやらかしなんて、いい醜聞(ゴシップ)だ。


 オレ自身の影響力も考えると、これは当然の結果か。




「……くそ」




 かすかに震える両手を組み合わせ、怒りを必死に抑える。


 ここでまた怒鳴ったりすれば、ますます白い目で見られるに決まっている。


 表情を取り繕うことは得意で、好かれるように振る舞うのも役者になれたようで、気持ち良ささえ感じていたのに。




 周囲からの視線を避けるように顔を俯かせつつ、視線を横に動かす。


 その先には、昨日打ち上げに参加していた山口、少しむくれた様子の齋藤衣乃。


 そして、そいつらと話しながら笑っている、誰よりも何よりも憎い幼なじみ。




 ……あいつの、せいで。




 奥歯を血が滲むかと思うほど噛み締め、行人の顔を睨む。


 すぐに視線を外したオレは、昨日の打ち上げを思い出していた。





 昨日の打ち上げで、行人の話題が上がった。


 ちょっと行動を起こしただけであいつが評価されるのが信じられず、評価する奴らも気に食わず。つい怒鳴ってしまったのだ。




 周囲の反応を見てまずいと思い、すぐに人気者の仮面を被った。


 皆が思っていたよりも行人を褒めてくれて嬉しかったけど、幼なじみという近い位置としては複雑だったからだとか、皆に褒められているあいつがちょっと羨ましくなったからだとか、適当にそれっぽい理由を述べた。場の空気を悪くした謝罪も付け加えて。


 これくらいで謝罪をするのは非常に不服だったが、オレが作り上げてきたイメージをこれ以上崩すわけにもいかない。




 けれど参加メンバー、特に行人の話題で盛り上がっていた盛り上がっていた奴らからの反応は。




「いや、あんだけキレててそれは厳しいっしょ。ちょっと嫉妬した程度があれだったら、相当ヤバいだろ」


「怖すぎ……。本当はそういう感じだったんだ」


「ギャップどころの話じゃなさすぎて草なんだけど」




 落胆と軽蔑のこもった眼差しが次々と突き刺さる。


 オレに行人のことを最初に話してきた山口も、冷めた瞳でオレを見ている。


 焦りを覚えながら、この状況の中でオレの味方をしてくれるであろう存在へと視線を投げた。


 視界に映った彼女はさらりとした髪を揺らし、怯えたような瞳でオレを見つめる。


 ……必死になるあまり、睨むような形になってしまったのか。




 もうひとりの候補である東を見やるも、わかりやすく顔をぎくりとさせてオレから目を背けた。


 普段はオレを称えたり調子のいいことを言うくせに、こちらがまずい状況になるとフォローすらしない。もとから東に期待はしていなかったが、オレに夢中であるはずの唯花から助け舟を出されなかったことは痛手だ。




 足元が崩れていくような感覚だった。


 下がればすぐに崖があるような、危ういところにオレは立っている。




 拳を握りしめたオレは皆に先に帰ると告げ、カラオケボックスを後にした。





 帰路に着きながら抱いていた悔しさ、恥、怒りはいまだオレの胸でとぐろを巻き続けている。今日ほど最悪な目覚めを迎えた朝はない。


 スマホを開き、帰宅してから唯花と東に連絡をとるも既読すらつかなかったライン履歴を見る。




 東はこの際どうでもいい。


 問題は唯花だ。いつもオレに好き好き言っていた奴が、こうもすぐ気持ちが離れることなんてあり得ない。


 今日のうちに唯花と話さなければ。一対一で話せば、カラオケで何も言ってくれなかったこと、ラインを無視したことのわけを打ち明けてくれるだろう。


 まだ終わったわけではないのに、心臓がやけにドクドクとうるさい。




 たった一度、一回きりのミスだ。どうにかなると思ったから、謝罪だってしてやった。


 しかし結果はこの有り様。


 クラス内にも、きっと他クラスにさえもオレの味方はいない。昨日打ち上げにいたのは、クラスメイトだけではないのだから。




 聞き慣れた声が嫌でも耳に届き、再びそちらを見やる。


 人形のように小さく可愛らしい美少女と、芹夏とはちがう華やかさを持つ女子に挟まれながら、楽しそうに笑う行人。


 そこに昨日までのオレの姿が重なる。


 グループメンバーの東やクラスの陽キャに囲まれ、隣には唯花がいて。


 オレこそが上の人間なのだという実感が得られる完璧な構図。




 一夜にして、オレとあいつの立場は逆転した。




 身体の内側が燃えるように熱くなる。


 あっさり手のひらを返した奴ら、こうなるきっかけを作った山口、誰よりも許せない行人への怒りがオレを焦がしていく。




 朝のHRが始まるまで、オレは机の上をじっと睨み続けていた。

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