覚悟と当日
衣乃さんと別れ、日が落ちて暗くなってきた道を進み帰宅する。
家のドアを閉めた直後、ずるずるとその場にへたり込んだ。
火照る顔を膝に押しつけ深くため息をつく俺に、リビングから顔を出してきた母さんが声をかける。
「お帰りー。友達と楽しくやってき……どしたの、具合悪い?」
母さんには、衣乃さんたちと打ち上げをすることを伝えてあった。
大毅と芹夏以外の友達の話をすることが長らくなかった息子が、仲良くなったクラスメイトと放課後を一緒に過ごすというのだ。靴も脱がずにドアの前でしゃがんでいる俺を見て動揺するまで、声が弾んでいたのも無理はない。
「……大丈夫。全然元気」
「おー行人ぉ、おかえ––––あいたっ⁈ま、マルぅ……」
リビングから聞こえてきたのは、仕事から帰ってきていた父さんの声だ。
たぶんマルを撫でるか抱き上げようとしたかで、思いきり引っ掻かれたのだろう。
いつぞやも、背後から忍び寄る父さんの気配に勘づいたマルが、驚くべき速さでその手を振り払っていた。
母さんに着替えてくると伝えて、のろのろと階段を上がる。
後からトットッと何かが上がってくる音に、マルがリビングから出てきたのだとわかった。
自室のドアを閉めた俺は、足元に擦り寄ってきたマルを振り返った。
「どうしよう。俺、とんでもないことしたかも……」
目の前で正座する弱気モードな飼い主に合わせて、マルも腰を落とす。
行儀良く足を揃えて座ると、ころんとしたフォルムがより可愛らしくなる。いつも可愛いけど。
俺はズボンのポケットからスマホを取り出し、ラインを開く。
衣乃さんとのトーク画面に移ると、そこには間違いなく帰宅途中の自分が送った文面と、衣乃さんからの「わかった」という短い返信が表示されていた。
内容は俺から衣乃さんへの、明日の放課後への呼び出し。
つまるところ告白だった。
「さすがにベタすぎて気づかれたかな……。っていうか、本当に俺が送ったのかこれ。……明日、明日か……」
自分で決めたこととはいえ、不安でしかない。おそらく両思いであるとしてもだ。
今日のファミレスの帰りでは勢いで伝えそうになったが、結局言えなかった。
好きな人と向かい合って、きちんと想いを言葉にできるのだろうか。
「マル、俺、明日ちゃんと告白できると思う……?」
なよなよとした顔になっているであろう俺に、マルは歩み寄ってきた。
かと思えば、膝に頭を乗せてごろんと横になり、ニャアと鳴く。
飼い主の告白が成功するかどうかなんて、気ままな猫には関係ない。それはそうだ。
マルののんびりとした姿を見ていると、考えごとがそれほど重大ではないことのように思えてきて、ふっと心が軽くなる。
「考えてても、仕方ないよな」
俺はマルを撫でてから、シャワーを浴びる準備をし始めた。
ちなみに、甘えモードに入ったマルから解放されたのは数分後のことだった。
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朝と共に俺にとって本番の日を迎えた。
玄関で、いつもより少し長めにマルを撫でてから登校する。
先に教室にいた洸樹と士朗を廊下に連れ出し、衣乃さんへ告白することを伝えた。
友達である二人には伝えておきたかったのだ。
二人は目を丸くしたのち、笑って応援の言葉をくれた。
俺なら大丈夫だ、と。
教室に戻ると、衣乃さんが机に通学リュックを置いているところだった。
心臓が跳ねるのを感じながら、衣乃さんに声をかける。
「おはよう、衣乃さん」
「……おはよ」
ピクッと肩を跳ねさせた衣乃さんがこちらを見上げ、すぐに目をそらす。
表情に変化はないが、彼女も俺と同じように、なんとなく恥ずかしい気持ちがあることがわかった。
それだけで嬉しくなってしまう。
「あ、いたいたー!」
朝から元気な声が飛んできた。
見ると、黒板近くの扉から見慣れない女子が歩いてくる。緩く巻かれた黒髪は内側がピンクに染められ、シャツは少しはだけていた。
爪がキラキラとした手を俺の机に起いたその女子が、にこっと笑いかけた。
「ねね、吉崎くんだよね?」
「そうだけど……えっと」
「あたし、一組の山口蓮水。昨日の体育祭、同じ白組だったんだよ」
「そ、そうなんだ。あの、俺に何か……」
「斎藤ちゃん、吉崎くんの隣なんだー。あ、だから仲良くなったとか?」
問いかけようとするも、山口さんは隣の斎藤さんにも声をかけ始めた。
何というか、すごく自由な人だ。
……斎藤ちゃん?
「その呼び方、嫌だって言ってるんだけど」
むすりとした顔で衣乃さんがぼそっと言葉を返す。
二人はどうやら知り合いのようだ。
「山口は同中。ただの知り合いってだけ」
「ノートの貸し借りもした仲じゃーん。寂しい言い方するな〜」
「たった数回程度でしょ。それに、貸したの全部私だし」
二人の顔を交互に見ていた俺の疑問を察してか、衣乃さんが説明してくれる。
唇をちょっと尖らせた山口さんが指先でつつくフリをするも、全く意に介さない。
そういえば、衣乃さんと初めて会話をした日。隣の一組にいる同中の人に、衣乃さんがノートを貸していたのを思い出す。
衣乃さんと距離を置きがちな人が多い中、こうして軽く話しかけられる山口さんは交友関係が広そうだ。
そんな人が何故俺に話しかけてくれたのかがわからない。
「それで、なんでゆきちゃんに話しかけにきたの?」
「んー?連絡先交換したいなと思って」
「えっ」
「は?」
俺の声と衣乃さんの低音ボイスが重なる。
衣乃さんから発せられる黒いオーラを気にしながら、山口さんに理由を訊ねた。
「仲良くなりたいからに決まってるじゃん?あたし的には、連絡先交換って友達になれた証明、みたいなもんなんだよね。それが多ければ多いほど、こんなに友達できたー!って思えてアガるっていうか」
山口さんは楽しそうに語りながら、ラインの友だちリストをスクロールして見せてくれる。
圧倒的善な光を放つ彼女に思わず目を閉じそうになる。
これが真の陽キャというものなのだろうか。
「……山口のそれは、友達になりたいっていう意味?それだけ?」
「そーだけど。それ以外特に……」
真意を探るようにきつい目を向ける衣乃さんに、山口さんがきょとんとしながら答える。
だが何かに気づいたらしく、ニマリと口角を上げて俺と衣乃さんを交互に見やった。それを見た衣乃さんも表情を苦々しいものに変える。
「へえ〜。斎藤ちゃんが、ふぅーん?」
「…………最悪」
「だいじょぶだいじょぶ、そういうお邪魔虫には絶対にならないから!あ、でもホントに嫌なら連絡先諦めるけど……」
「別にそこまで口出す気ない。好きにすれば」
「斎藤ちゃん、寛容!吉崎くん、連絡先交換してもいい⁈」
衣乃さんと話していた山口さんがぐりんっとこちらを振り向く。
二人の会話内容が気になったが、山口さんの瞳の輝きと勢いに圧倒され頭から吹っ飛んだ。
「う、うん。俺でいいなら……」
「いいの⁈やった‼︎」
飛び跳ねんばかりに喜びを表す山口さんと連絡先を交換する。俺の連絡先が加わったトーク欄が表示されたスマホを、彼女は嬉しそうに掲げた。
ただ連絡先を交換しただけで、こんなにも喜んでもらえるとは思わなかった。
俺のどこに仲良くなりたいと思われる要素があったのかは謎だが、山口さんのような人には深い理由なんてものはないのだろう。
仲良くなりたいから行動する。自分の気持ちに正直な人なのだ。
そんな人と知り合えることができてよかった。
「あの、仲良くなりたいって思ってくれて、嬉しかった。ありがとう」
「わぁお、思ったよりド直球……。じゃなかった、どーいたしまして!」
太陽のような眩しい笑顔を返してくれる山口さんにつられて笑う。
「……敵じゃないけど、厄介なのが増えた」
衣乃さんがぽそっと何か言ったような気がしたときだった。
「––––おはよう、皆」
扉が開き、聞きなじみのある爽やかな声が入ってくる。
俺の幼なじみで、このクラスの人気者。
すぐに彼へ返ってくるはずの挨拶は聞こえてこず、彼を囲む人もいなかった。




