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踏み込んで

「……最後に総合優勝を発表します。総合優勝は––––赤組です‼︎」




 結果発表の直後、赤組からワアアッと歓声が上がった。


 抱き合いながら、手を繋ぎながら、泣きながら喜び合う赤組に、俺たち白組や先生たち、体育祭を見にきていた保護者たちが拍手を送る。


 高校に上がって初めての体育祭はこうして幕を閉じた。




 グラウンドの後片付けと着替えを終えたクラスメイトたちは、体育祭の余韻を噛み締めたり、疲労感を強く顔に表したりしながら教室を出ていく。大毅は陽キャ組以外にも持ち前のコミュ力で打ち上げ参加者を募っていた。




 士朗の誘いを受けた俺は洸樹、衣乃さんも含めた四人での打ち上げ場所に向かっている。場所は学生の財布にも優しいファミレスチェーン店。幼なじみ以外と行くのは初めてだ。


 密かに胸を弾ませ、士朗たちと喋りながら向かう道中。これぞ青春といったワンシーン––––になることを想像していた。




「い、衣乃さ」


「話したくない」


「あっはい、すみません……」




 これはたったさっき行われた衣乃さんとのやりとり。一言も喋らずにいるのが気になり、話しかけた瞬間一刀両断されてしまった。そこから彼女との会話はゼロだ。


 体育祭後半、衣乃さんはなぜかずっと不機嫌だった。一見表情は無そのものだが、彼女のまとう空気がピリピリしているのだ。これまでも何度かどうしたのかと聞こうとしたのだが、するりと避けられてしまう。マルの最新の写真や動画で気を引こうとしても駄目だった。


 俺たちの前を歩きながら会話する洸樹と士朗はいつも通りのように見えるが、ときどき気遣わしげな視線をこちらに寄越していた。




 そんな気まずい空気のまま店に着き、俺たちはテーブル席へと案内された。他の席には俺たち同様に学生や家族連れなどがいて、店内は賑わっている。


 洸樹と士朗の向かいに座る俺の隣に衣乃さんが腰を下ろす。俺のせいで機嫌が悪いはずなのに、躊躇うことなく隣に座ってくれたことに嬉しくなる。衣乃さんが向かいの二人どちらかに「そこ代われ」と言っていたら立ち直れるかわからなかった。




 それでも不機嫌オーラは変わらないので、状況的にも精神的にもつらい。


 俺は一体どんなやらかしをしてしまったんだ。




「あ〜……俺、ちょっとトイレ。先、注文しててもいーから」


「待ってコウ、俺もお花摘み行く〜」




 洸樹と士朗が二人して席を立ち、何やら意味ありげな視線を俺に向けて去っていった。「どうにかしろ」ということだろうか。


 気を利かせてくれた二人に心の中でお礼を言い、俺は衣乃さんのほうに身体を向けた。




「––––衣乃さん。今、話しかけてもいい?」


「……もう話しかけてるじゃん」




 無視される可能性も考えていたが、こちらを見ずとも返答してくれたことに安堵する。




「怒ってる理由、教えてくれないかな。衣乃さんに何かしてしまっていたなら謝りたい」




 いまだ動かず、黙ったままの衣乃さんのつむじを見つめる。


 やがて小さな頭がゆっくりと動き、人形のように愛らしい顔立ちが俺を見上げた。


 けれど俺を映した途端丸い双眸は大きく揺れ、再び下を向いてしまう。




「……ゆきちゃんは何もしてない。私が勝手にイライラして、嫌な態度とってただけ。ごめん」




 席にできた俺とのわずかな間に視線を落としたまま、衣乃さんは続けた。




「体育祭でさ、ダンス終わりにゆきちゃんが体育館のほう行ったでしょ?幼なじみの……女子のほうと一緒に」


「女子のほう……。ああ、うん。芹夏が軽い熱中症で倒れそうだったから」


「……やっぱり優しいね、ゆきちゃん」




 衣乃さんが膝の上に置いた手をきゅっと握り込む。


 褒めてくれているはずなのに声のトーンは沈んでいた。




「あの子が倒れそうになったとこは見たし、ゆきちゃんがあの子に付き添ってたのも介抱するためだったのはわかってる。けど、なんか……ものすっっっっっごく、ムカついた」


「……え?」




 ばっと勢いよく顔を上げた衣乃さんに思わずビクッとする。


 その瞳は今にも泣きそうに見えた。


 どうしたらいいかわからないという不安を滲ませた、迷子の子供のような。




「自分勝手すぎるのは本当にそうなんだけど、でも嫌だった。事故でもゆきちゃんにあの子が抱きつくのとか、先輩たちの競技中はあの子のそばにずっとゆきちゃんがいるのとか、全部全部全っっっっっ部嫌だった。あとめちゃくちゃ羨ましかった」




 …………うん?




「嫌……うらや……え?」


「ついでだから言うけど、あの子がゆきちゃんに呼び捨てで呼んでもらえるのも羨ましかった。幼なじみだから気安い感じの呼び方になるのは当然だし幼なじみでも恋人でも何でもない私が口出すのは頭おかしいのもわかってるんだけど、いつか呼び捨てしてもらえるの待つっていう決心が揺らぎまくって今すぐにでもされたいっていうか––––」


「い、衣乃さ、ストップ、一旦止まって。お願いします、本当に」




 片手で火が出そうなほど熱い顔を覆いながら、マシンガンのごとく止まることのない衣乃さんの話に堪らずもう片方の手を前に出す。


 これに平常心でいろとか言う奴がいたら手が出ているかもしれない。




 俺が士朗、洸樹と先に下の名前で呼び合うようになったときも、普段の様子からは想像もつかないほど凄まじい剣幕で衣乃さんは怒りを露わにしていた。


 それは二人が羨ましかったからだと、先を越されたようでずるいと思ったからだと彼女は言った。今も衣乃さんは嫌だった、羨ましいと口にした。


 まるで嫉妬しているみたいな言葉を。




 前とちがうのは狂戦士化するのではなく、年相応の女の子らしい部分が覗いていることだ。衣乃さんにしては珍しく焦りも感じられる。


 士朗と洸樹には激しい炎を遠慮なしにぶつけるといった感じだったのに、芹夏は何故ちがうのだろう。




 衣乃さんの顔をまともに見れないまま思考だけがひたすら脳内を駆け巡る。


 その流れを止めたのは、俺のシャツを掴む華奢な指先だった。




「––––ゆきちゃんは、あの子のことどう思ってる?」




 先ほどよりもか細い声で彼女が訊ねる。


 集中していなければ他の客たちの話し声にかき消されてしまいそうだった。




「顔可愛いしスタイル良いし、今は暗いけど前はすごい明るかったし。あんな子が近くにいて、異性として意識したことなかった?」




 シャツを掴んでいる指が微かに震えている。


 こんなにも感情が乱れていて、不安でいっぱいいっぱいな衣乃さんを見るのは初めてだ。他人をこれほど気にしている様子も。


 洸樹、士朗の二人と芹夏で感情の向け方が異なる理由に思い当たり、震える指先にそっと自分の手を重ねた。




「たしかに芹夏は俺と一番近い距離にいた。だけど、ひとりの女の子として意識したことはなかったよ」




 芹夏とは大毅も含めていつも一緒なのが当たり前だった。


 近かったのは物理的な距離だけで芹夏の心はすでに大毅に向けられていたし、直接言われずとも察していた俺は(おの)ずとその様子を見守るようになった。




 俺が異性として意識したことのある人は、小動物のように愛らしく、それだけではない部分でも周りを惹きつけてやまない目の前の彼女だけだ。




「………ほんと?」




 まだ不安そうに俺を見上げてくる衣乃さんに頷き、俺はずっと頭にあったことを問う。




「衣乃さんさ、昼休みに野球部の先輩に呼び出されてたよね。そのとき、あの人に異性としての魅力を感じた?」




 衣乃さんは瞳を大きく見開き、ブンブンと首を横に振る。


 癖のある長い髪がぶわりと舞った。




「そっか。……俺も、ずっと気にしてたんだ」


「え……」


「衣乃さんが呼び出されるの見て思ったんだ。衣乃さんは誰もが可愛いと思う人だし、いつ誰と付き合ったっておかしくないよなって」


「……」


「先輩は男の俺から見てもかっこいいし、衣乃さんの近くにいても全く違和感ないし。それでも、やっぱりちょっと……かなり嫌だった」




 彼氏でもない俺がこんなことを言うのもおかしいとわかっていた。衣乃さんが「友達」として仲良くしてくれるだけで十分だと、それ以上発展は望めないのだと諦めようとした。


 けれど他でもない衣乃さんから、芹夏との関係に羨みと苛立ちを明確に抱いているという言葉を聞いてしまった。俺に一番近い位置にいる異性だからこそ焦燥に駆られていたという事実を。


 衣乃さんが先輩に呼び出されたときに俺が感じたものを、衣乃さんも持っていたと知ってしまった。




 いつもそうだ。無意識的でも意識的でも、彼女は踏み込んできてくれる。


 俺は結果が怖くて躊躇してばかりで、すぎた願いだの叶わぬ想いだのと言い訳しかしていなかった。


 とてつもない羞恥が俺を襲うも、今回は後押しもしてくれた。


 


「いま、かわい、って。いやって」




 呆然とした様子で固まっていた衣乃さんが辿々(たどたど)しく言葉を口にする。


 白くまろい頬に朱色が差し込み、あっという間に顔全体に広がっていく。


 その様子を見ながら、自分の口から出たとは信じ難い思い切った発言をしたことを自覚し、再び顔が熱くなった。




 洸樹と士朗が戻ってきてからも顔から熱は引かず、メニュー表を見ている間も二人からの温かい眼差しに堪えることになるのだった。

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― 新着の感想 ―
よしこれでお互いの気持ちもわかったから準備完了だな!
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