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名前

「ゆっきー、また明日〜!」


「また明日」




 こちらにぶんぶんと手を振りながら数名の男子らと教室を出ていく士朗。


 彼の友人であろうクラスメイトの視線も受けながら手を振り返した。


 なんでこんな冴えない奴と仲良くするのか、って言いたげな目だったな……。




「ねえ」


「なあ」




 後ろからの二人分の声にビクゥッと肩が跳ね上がる。


 振り向いた先にいたのは、今日ほとんど話していなかった窪と齋藤さんだった。


 同時に俺に話しかけてきた二人は顔を見合わせる。数秒後に窪が齋藤さんに向けた手を俺へと導くような動作をして、スススと下がった。


 無言の「お先にどうぞ」に一言お礼を述べた齋藤さんが、改めて俺を見上げる。




「いつ、あいつと仲良くなったの」


「あいつ?」


「ヘラヘラした赤パーマ。今日ほぼ一緒だった」




 士朗まであだ名で覚えられている……。


 窪も(しき)りに頷いているところを見るに、気になっていたようだ。




「士朗とは、まあ……いろいろあって」




 どう説明すればいいのかわからず曖昧になってしまう。


 横川と彼女……今は元カノである相手に起きたことを、勝手に言いふらしたくない。


 できる限り思考速度を上げながら言葉を続ける。




「悩み相談的なことをしてたら仲良くなれた、みたいな?」


「……それだけ?」


「えっ」


「それだけであだ名と下の名前で呼び合うようになったの?」




 こちらから目を離さないまま、齋藤さんが一歩近づいてくる。


 いつも気怠そうな丸い瞳は瞳孔がパッチリ開いており、そこから謎の圧が発せられている。普通に怖い。


 俺たち以外に教室に残っているクラスメイトからの「あいつ何やらかしたんだ」という視線も感じながら首を縦にふる。そうする以外他にいい理由が思いつかなかった。


 小柄で華奢な外見にそぐわないオーラと強い視線を浴びること約5秒。


 齋藤さんは視線を床に落とし呟くように言った。




「そう。……それだけで」




 短く発した齋藤さんの背後から、メラッと赤く燃え盛るものが見える。


 今朝は雪で次は炎。


 無意識に齋藤さんの地雷を踏み抜くようなことをしていたのか……⁈




「あの〜、俺もいい?」




 齋藤さんの炎の広がりを防ぐように窪が声をあげた。


 今朝の士朗と同じように心の中で窪に感謝しながら「何?」と聞く。




「これは聞きたいことっていうかお願い的なものになるんだけど。俺もさ、お前とそれなりに仲良いじゃん?」


「それなりっていうか、窪にはかなり仲良くしてもらってると思ってるけど」


「そうやってナチュラルに刺しに来んな、この無自覚精神イケメン。顔も悪くないけど」


「ありが、え、ええ……?」




 怒られてるのか褒められてるのかわからない俺の前では、いつの間にか怒りを引っ込めた齋藤さんがうんうんと頷いている。


 この二人、実は気が合うのでは。




「とにかく!俺もお前の友達だし、横川と同じくらい(もうちょい)気軽な感じになってもいいんじゃないかなーと思うわけで」


「は、はあ」


「とどのつまり、ぜひとも名前で呼びたい」


「え、そういうこと?最初からそう言ってくれれば……」


「察しろよ‼︎わりと話すようになって一ヶ月は経ってんだぞ⁈今さら恥ずかしいのを隠してたのに言わすな!」


「おお……ごめん」




 顔を赤くしてキレ気味にツッコむ窪に気圧されながらも、胸の辺りが温かくなるのを感じる。


 友達だと、窪もそう思ってくれていたんだ。




 ––––超えられなくても、特別になりそうな相手いるじゃん。窪とか。




 ––––だって友達(・・)でしょ?




 いつか齋藤さんに言われたことが脳裏に浮かび上がる。


 彼女の言う通りだった。


 安心よりも嬉しさのほうが勝り、頬が緩む。




「……ありがとう、洸樹(・・)


「あっ、おまっ、ずるいぞそれぇ‼︎っていうか、名前忘れてんのかと思ったわ」


「ちゃんと覚えてるよ。友達の名前だし」


「なんでそう、さらっと言っちゃうかなあ……行人(・・)は」




 照れ隠しのつもりに眼鏡を押し上げながら笑う窪……いや、洸樹。


 グループを抜けてひとりで過ごしていた俺に声をかけてくれた、大切な友達。


 今日、やっと彼との関係を確かなものにできた気がする。




 俺と洸樹の間に気恥ずかしくも嫌ではない空気が流れる。


 それを裂くように細い腕が窪の胸ぐらをガッと掴んだ。




「––––お、ま、え、も、か」




 どす黒いものを背後から放つ齋藤さんの口から飛び出た低い声に、洸樹と俺は縮みあがった。


 丸い瞳に光はなく、黒のクレヨンで塗り潰されたように暗い。普段以上に感情が読み取りづらいはずなのに、凄まじい怒りがひしひしと伝わってくる。


 真正面から受けている洸樹は全身をガタガタと震わせ、今にも泣きそうだ。




 誤って尻尾を踏んだときの猫どころの話じゃない。


 今の彼女は闇堕ち狂戦士(バーサーカー)だ……‼︎




「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい命だけはぁぁぁ」


「許さない。勝手に二人の空気作るな。なんでぽっと出野郎の次にお前まで」


「なんとなく理解したけどわざとじゃないんです‼︎マジで勘弁してぇぇぇぇぇ‼︎」


「齋藤さん、もうやめて⁈それ以上は恐怖のあまり洸樹が死ぬ‼︎」




 洸樹のシャツを掴む力が強まり、彼の顔が深淵の闇を湛えた双眸に近づいていく。


 教室内に響く絶叫。懸命に二人を離そうとする俺。引き気味にこちらを傍観するクラスメイト。


 出来上がった状況はあまりにもカオスだった。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





 外に出ると、空はまだ明るく夕日は出ていなかった。代わりにじめっとした空気が肌に吸いついてくる。


 梅雨の時期は午後になると鬱陶しさが増すが、今はそうでもなかった。




「……さっきはごめん。迷惑かけて」


「いや、俺は別に……。それは洸樹に言ったほうがいいかと」


「………無理」


「無理かあ……」




 隣を歩く齋藤さんがそっぽを向く。


 子供っぽい一面に微笑ましくなるも、学校でのことを思い出すとそれだけにはならないのだった。




 数十分前。


 どういうわけかバチギレモードになった齋藤さんが洸樹を精神的に殺めかけた。洸樹から離しても齋藤さんは(いき)り立っており、それを宥める一手として最近撮ったマルの動画を出してみた。


 これで駄目だったらと不安になったものの、マルがあちこち行ったり来たりする様子を目で追ううちに齋藤さんのまとう黒い気配はシュルシュルと萎み、瞳の闇は晴れていき。九死に一生を得た洸樹は、身も心もヘロヘロになりながら教室を後にしていった。


 俺は完全に齋藤さんが落ち着くまでマルの動画や写真を見せ、先ほど校舎から一緒に出てきたのだ。




「なんで急に怒ったのか、聞いてもいい?」




 横目で様子を窺いながら気にかかっていたことを口にする。


 齋藤さんは唇をほんの少し曲げ、俺を見やった。少しだけ不安げに。




「笑わない?」




 そんなに恥ずかしいと思う理由なんだろうかとも思ったけど、本人にとっては重大なことかもしれない。


 俺が頷くと齋藤さんは息を吐いてからぽつりと言った。




「羨ましかった、から」


「……何が?」


「あのぽっと出、じゃない。……赤パーマと窪が、先に吉崎と下の名前で呼び合ってたから。私も吉崎と仲良いし、猫好き同士だし、家にだってお邪魔したし、なのに」




 ––––え?




 齋藤さんの言葉に足が止まりかける。


 すんでのところで前へと着地した足を遅れないようしっかりと動かしながら、頭の中で情報を整理していく。


 その間にも齋藤さんは話し続けた。




「あの赤パーマ、ついこの間話しただけで吉崎に名前呼びされて、あっちはあだ名で呼んでて……。ずるいって思ってたら窪にも先越されて、我慢できなくなった」




 羨ましかった。ずるいと思った。


 ……それって、いや、そんなことあるわけが。




 駅前に着くと、齋藤さんがこちらを振り返った。




「改めて言うと子供(ガキ)っぽすぎるね。やっぱ笑っていいよ」




 ちょっと苦しそうにしながらかすかに微笑む彼女に胸が締めつけられる。


 笑えない。笑うわけがない。


 士朗、洸樹と下の名前で呼び合っているのが羨ましくて、自分よりも先だった二人がずるいって、そんなのまるで––––。




「ここまでありがと。じゃあ」




 小さな手を振り駅へ向かおうとする齋藤さん。


 行ってしまう、そう思う前に身体が反応していた。




「待って……!」




 俺に振った小さな手を掴む。


 大きく見開かれた丸い瞳には、真っ赤な顔の情けない自分が映っている。


 でも今はそんなことどうだってよかった。


 それよりも言いたいことを伝えるため、俺はなけなしの勇気を振り絞って口を開いた。

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― 新着の感想 ―
男同士の気安さみたいなのもあるからね やっぱ女の子だと名前呼びのハードルは上がるよ
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