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信じたくなかった

「……来ない」




 ため息をつきながら椅子の背もたれに寄りかかる。


 自室の勉強机の上に置いてあるのはスマホ、そこに表示されているのはブロック解除後の大毅とのトーク画面。


 横川……士朗の話を聞いてすぐに「話がしたい」と大毅に送ったのだが、返信どころか既読すらついていなかった。帰宅してから再びメッセージを送ってみても、一度電話をかけてみても反応はなく、気づけば時刻は18時をまわっていた。




 絶対に気づいたうえで無視してるだろ、あいつ。


 こっちからブロックしたくせにとは思われてそうだけど。




 士朗によると今日も大毅と士朗の彼女は二人で帰っていたらしい。


 さすがに家には帰っていると思うのだが……。




 ––––彼女のこと、疑いたくなかった。でももしかしたらもう、大友と一線越えてるんじゃないかって不安で仕方なくなって、それでっ……。




 涙を流す士朗の姿が蘇ってくる。


 彼の不安が現実とならないために、早く大毅と話さないと。もしかしたらという場合もある。


 俺は部屋からリビングに行くと、キッチンに立つ母さんに声をかけた。




「ちょっと外出てくる」


「今?もうすぐご飯できるよ」


「ごめん。すぐ帰ってくるから」


「どこ行くの?」


「……すぐそこまで」




 行き先を告げるのはなんとなく躊躇われた。


 逃げるように玄関へ向かい、外へ出る。


 空はまだ暗くなっておらず、少しずつ青色が広がっている。最近は暑くなってきたけど、この時間帯はだいぶ和らいでいた。


 早足で大毅の家に向かい、インターホンを押す。「はーい」という女性の声がした。




『あっ、行人くん?久しぶり〜』


「こんばんは。こんな時間にすみません」


『ぜーんぜん。ちょっと待ってね〜』




 声の主は大毅の母さんだ。


 少しして開かれたドアから、声の通りおっとりした雰囲気の女性が現れる。


 


「行人くん、ちょっと見ない間にかっこよくなったねえ」


「それはないと思いますけど……」


「そこはありがとうでいいの〜」


「は、はい。ありがとうございます」




 しばらく会わなかったけど全然変わらない。


 一見あまり怒らなさそうに見える。しかし小二の頃に三人で遊んでいた際、大毅がゲーム機を使う順番を芹夏になかなかまわさず泣かせたときはすごかった。笑顔なのに雰囲気はちっとも穏やかじゃなくて、完全に非があるはずの大毅が半泣きで震えているのを見てちょっと可哀想になったのを思い出す。


 大毅が笑顔を保ちながら圧をかけてくるところは母親に似たのかもしれない。




「あの、大毅って帰ってきてますか?」


「大毅?あの子ならまだだけど。友達とカラオケに行ってて、20時には帰ってくるって」


「そうですか……」


「いつも遊ぶときよりちょっと遅いのよね〜。それだけ高校でできた友達と楽しくやってるって考えたら、良いことなんだろうけど」




 大毅の母さんが想像する友達というのは、グループメンバーの東や他に仲の良いクラスメイトたちあたりだろう。


 だが今日、あいつは彼らとではなく士朗の彼女と帰っていた。その後もカラオケで過ごしている友達というのは、間違いなく……。




「付き合いが増えたのはいいけど、毎度遅い時間に帰るのが続くとねえ。今どきの高校生ってこんなもんかもしれないけど」




 のほほんと笑う大毅の母さんに挨拶して、来た道をゆっくり戻る。


 胸騒ぎがしてならない。


 まさか大毅と士朗の彼女は、もう……。


 脳内に浮かび上がる最悪の予想を必死に振り払うように頭を軽く振る。




 家に戻って夕食を食べてからも胸中に広がる不安は消えなかった。


 自室のベッドで寝転がっていると、いつの間にかついてきたらしいマルがベッドに飛び顔の前までやってきた。「なんかあったん?」と言うようにふくふくとした顔を寄せてくる。


 ふっと笑って丸い背中を撫でながら考える。20時にまた大毅の家に行くのは家の人のご迷惑になるから、さすがに駄目だ。大毅が帰ってくる頃にもう一度電話をかけてみよう。出てもらえる保証はないけれど、もうそれしかない。




 ––––そして、遂に時刻が20時をまわり俺は大毅に電話をかけた。




 プルルルルル、プルルルルル……。




「出ろよ、大毅……」




 半ば祈るような気持ちで大毅を待つ。


 コールが何回鳴った頃だろうか、一分経ったか経ってないかなのに何時間のようにも思えた。


 ようやく聞き慣れた声が聞こえた。




『……んだよ、行人。何度も何度もしつけーな』




 普段の爽やかイケメン然としたトーンはどこへやら、面倒くささMAXの低い声になっている。久しぶりに俺の前で見せる素の状態に懐かしさすら覚えた。


 連絡がこのあとも続きそうなことを考えてさっさと終わらせようと思ったのか、俺が何度も連絡を入れてくること自体珍しいというのもあるのか。どちらにせよ出てくれてよかった。




「急にごめん。ちょっと聞きたいことあって」


『聞きたいことぉ?あ、宿題でわかんないとこあって遂にオレを頼る気になったとか?オレとお前じゃ頭の出来がちが––––』


「そんなんじゃない。もしあったとしてもどうせ馬鹿にするだけだろうし、頼らないよ」


『……そーかよ』




 ちょっと拗ねたような声になってるのは気のせいか。


 それよりも早く事を進めないと。




『で?勉強以外で聞きたいことって何だよ』


「それは……」




 俺は息を吸って吐くと、その問いを口にした。




「最近、グループの皆といないだろ。芹夏とは特に。……何かあったのか?」




 あくまで自然になるよう心がけながら言葉を紡ぐ。それだけで体力の半分を持っていかれたような感覚になった。


 今日の昼休み、俺が士朗に呼び出されたところを教室にいた大毅も見ている。士朗の彼女についていきなり訊ねたりしたら、俺が彼のために動いていると勘繰って素直に吐かないだろう。


 だから少し遠回しに、ここのところ変わりつつある状況について聞き出す。




『は?なんでお前がそんなん気にするんだよ』


「離れたけど元グループメンバーだし、お前と芹夏の幼なじみだからそれなりに。それに、お前と芹夏は誰の目から見ても順調だったしな」


『ふーん……。あ、ひょっとしてグループ抜けてから未練出てきた?絶対そうだろ!』


「……いや」


『そっかそっか、まあそうだよな〜。あの齋藤衣乃と交流できても、オレらと過ごした時間のほうが長いし寂しくもなるよなー‼︎』




 勝手に頷いてるし、なんか機嫌良くなってる?


 未練が出たかと聞かれたときにちょっと間を作ってしまったのがよくなかった。突然何を言い出すんだと一瞬思考が停止してしまったのだ。


 幸いにも自分に都合のいいように解釈したらしい大毅は声を弾ませて、わずかに怪しんでいた気配を消して喋り始めた。




『この前さ、オレと芹夏がちょーっとケンカっぽくなってな?それでオレから一旦距離おこうっつって、自然とグループも男は男で、女子は女子で固まってるっていうか。』


「ケンカ?」




 幼い頃はそこそこあったけど、今はどこにいってもイチャついているような二人がケンカなんて珍しい。


 スマホの向こうで『そうなんだよー』とやれやれといった感じの声が聞こえてくる。




『芹夏が全っ然ヤらせてくんなくてさ。一ヶ月近く!ヤバくね?』


「……は」


『あいつが自分でオレのためなら何でもするーって言ったくせに、いざそのときになったら拒否りやがって……。お仕置きも兼ねて突き放してみたら、めっちゃオレのこと見つめてくるし!』




 嬉々として語る大毅の表情が目に浮かぶようだ。


 ……そんなことで?


 言い出しそうになるのを口を片手で覆い必死で堪える。




『あと、これはグループの奴らにもまだ言ってねえんだけどさ』




 通話画面の向こうでニヤニヤと笑っているであろう大毅は、武勇伝を語るかのような誇らしげな口ぶりで言った。




『昼にお前に話しかけに行ってた横川、いるだろ。あいつの彼女、さっきオレのモンにしてきたわ』


「………」


『高木唯花って言って、隣の一組の奴な?彼氏に対する悩み相談乗ってたら、オレのほうが良いってことに気づいたみたいでさ。オレは芹夏のせいでいろいろ溜まってたし、唯花(・・)も横川が奥手なのが嫌だったからちょうどよかったってわけ』




 その後も大毅はカラオケでの行為や高木の反応についてペラペラ喋った。我こそは勇者と言わんばかりの自信が声から伝わってくる。


 話の大半が耳に入らず、口を覆う手が震える。気を抜いたら叫び出してしまいそうだった。


 迫り上がってくる嫌悪感と気持ち悪さを我慢して、大毅の自慢大会が終わるのを待った。


 


『そろそろ風呂入んないとだし、切るわ。お前はこれで満足?』


「……ああ」


『ならいーわ。グループ戻りたくなったらいつでも言えよ?特別にオレがどうにかしてやるから』




 んじゃ、という声を最後に大毅との通話は終了した。




「……っ、うっ……」




 気持ち悪い。吐き気が込み上げてくる。


 ベッドに倒れ込むと目の端に溜まっていた涙が横に流れシーツに染みを作った。


 


 信じたくなかった。


 大毅がそこまで堕ちた人間に成り果てているなんて知りたくなかった。




 いつから?なんで?


 どうしてそこまで酷いことを、楽しそうに語れるんだ?




 強く目を瞑り、自分の身体を抱きしめる。


 幼なじみの悍ましい部分を知ったことから来る寒気で身震いした。


 口を覆っている手の甲に湿った感触がして目を開けると、琥珀色の双眸が俺を覗き込んでいた。ニャア、と小さく鳴く声がこちらを気遣っているように思えて、また視界が滲む。


 俺はマルに寄り添ってもらいながら残酷な現実を静かに飲み込んだ。


 士朗へ報告できる状態になるまで。



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