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事情

「いや、もうほんと、マっっっっっジでごめん」




 顔面蒼白な横川は深々と頭を下げた。




「もういいから。仕方ないことだったし」


「クラスでもあんまり喋ってなかったもんね……ちょっと考えたらわかることだったわ……」


「だからもういいって……」




 隣でどよんとした空気をまとい項垂(うなだ)れる横川。折角のパーマも彼の気分に合わせてへにゃへにゃと萎れているように見える。


 土下座を決めたまま動こうとしない彼をなんとか階段に座らせ、怒っていないことを何度伝えてもずっとこの状態だ。


 いきなり話したこともないチャラ男風のクラスメイトに呼び出され、かと思えば責め立てられてそりゃあ驚いたし困惑した。けれど怒りは湧いてこない。


 それだけ彼の余裕を失くさせる出来事があったのだと思うから。




「あのさ。さっき俺が大毅に注意してもよかったっていうの、どういうことか聞いていい?」




 横川を落ち込みまくりゾーンから抜け出させることも兼ねて、気になっていたことを口にする。彼の肩がわずかに跳ね、俯きがちだった顔がゆっくり浮上した。




「……もうすぐ昼休み終わるし、放課後に時間もらっていい?たぶん、うまく話せなくて長くなるかもだけど」




 スマホを確認すると、次の五限まで残り五分だった。


 もちろんと返すと横川は「ありがと」とちょっとだけ笑った。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





 約束の放課後。


 大毅が東や女友達と教室を出ていったのを確認してから、横川は俺の前の席に座った。




「まだ人いるけど、ここでいいのか?」




 教室内にはまだ数名居残っている。


 彼の表情を見る限り、人前では話しにくい内容であることを配慮してのことだった。


 横川は小さく笑って手を振る。




「あー、だいじょぶだいじょぶ。気にしてくれてありがと」


「ならいいんだけど……」


「変な奴よな、吉崎って。本当に大友の幼なじみ?」




 揶揄うように言って、横川は話し始めた。




「俺さ、隣の一組に彼女いるんだ。同中で、今年の三月から付き合い始めてさ」




 横川の表情が柔らかくなる。


 付き合い始めたときのことを思い出しているのだろうか。


 でもその顔はたちまち陰りを見せる。




「……うまくいってるって、思ってたんだけど。最近彼女がなんか余所余所しいっていうか、俺との時間を取らなくなってきて」




 だんだんと横川の声のトーンが落ちていく。


 苦しそうに見えたけど邪魔をしてはいけないと思い、じっと耳を傾ける。




「男友達がいるのは知ってた。大友と交流があるのも。昔から男女関係なく仲良いのがいる奴だったし、探るようなことしたら彼氏失格だって思ってあまり気にしないようにしてたんだ。……でも、デートの誘いを連続で断られるようになって、さすがにおかしいと思ってさ」




 横川が拳を強く握りしめる。




「昨日も女子の友達と一緒に帰るからって断られたけど、そっちは教室に残ってた。その子たちに彼女が誰かと帰ったか聞いてみたんだけど、そしたら……」


「それが大毅だった?」




 ようやく俺は口を開き、閉口してしまった横川の言葉を繋げる。


 横川は顔を歪めて頷いた。




「……てっきり別れたのかと思ってた、ってその子たちに言われた。最近のあいつ、大友と会ってることが多いらしいから」




 はは、と横川が力なく笑う。


 その声は震えていて、瞳は潤んでいた。




「お前に声かける前に、大友に言ったんだよ。人の彼女と必要以上に近づくなって。それなのに大友の奴……友達なんだから仲良くして何が悪いんだとか、独占欲強すぎるのもよくないとか言いやがってさあ……っ!」




 横川の目から涙がぽろりと落ちる。


 悔しさとやるせなさを滲ませて唇を噛みしめる彼の姿に、見ているこちらもつらくなった。


 それほど恋人を想う気持ちが強い相手のことを考えず、俺の幼なじみは平気で好きなように行動する。自分の彼女のこともほったらかしにして、だ。




「彼女のこと、疑いたくなかった。でももしかしたらもう、大友と一線越えてるんじゃないかって不安で仕方なくなって、それでっ……」




 薄手のグレーパーカーの袖で涙を拭う横川に胸を刺される。


 膝の上で両手を握り、俺は言った。




「……ごめん、横川。俺は幼なじみなのに、あいつの様子に気づけるどころかわからなかった」




 言い訳をしているようでますます申し訳なく思いながらも、口は自然と動いていた。




「昔は普通に仲良かったのに、急に態度が変わって。芹夏も一緒になって俺を馬鹿にするようになってから、二人がわからなくなったんだ。幼なじみのはずなのに、って」


「吉崎……」


「他の人まで傷つけることを大毅がしているなら、それは止めたい。あいつのことがわからなくなっても、人として間違ってることをしようとしてるのはわかるから」




 横川に向かって告げたそれは、俺なりの誓いでもあった。


 横川の彼女と何かある前に、これ以上あいつが人を傷つけないために、彼女と大毅の距離を改めさせる。そして……大毅に幼なじみとして関わるのは、これで最後にする。




「俺から大毅に聞いてみる。横川の彼女とまだ何もないか確認したほうがいいよな」


「え……。でも、悪いよ。完全にこっちの事情で、今まで何も知らなかった吉崎にそんなこと……。そもそも俺、お前にあんなことしちゃったし」




 まだ責めたことを気にしていたらしい。


 俺は横川に笑いかけた。




「俺がやりたいことだから。それに、横川は彼女と早く話したくない?」




 俺は誰かと付き合ったことはないからわからないけれど、彼女のほうにも横川から距離を置くようになった理由が何かしらあるはずだ。一時の迷いかもしれない。そうであっても横川は嬉しくないだろうけど。


 横川も、できることなら今すぐにでも彼女の口から聞きたいことがあるはずだ。それを彼女を疑いたくない一心で、ずっと堪えてきた。




「––––っ、よしざきぃ〜……‼︎」




 目元からブワッと滝のような涙が流れ出し、横川の甘い顔立ちがぐずぐずと崩れていく。


 それと同時に、遊び人のような見た目と常ににこやかでいることで胡散臭さもあった彼のイメージも俺の中で崩れていった。


 自分に非があったときはきちんと謝り、深く人を想える素敵な人間の中身を勝手にイメージで決めつつあった自分が恥ずかしくなる。齋藤さんだって周囲が思うような人じゃなかったのに。




「ありがとぉ……昼は本当にごめんねぇ……!」


「だから昼のことはもういいってば」


「だってさあ、ここまで……っ、してくれる奴にさあ……!」


「それも俺がしたくて……って、これじゃさっき言ったこと繰り返すだけになるから本当にやめて?」


「わかったぁ……」




 グスグスと鼻を啜りながらポケットを探る横川。「ないぃ〜……」と言いながらなおポケットを探っている彼にティッシュを差し出す。


 礼を言って横川がティッシュを受け取ったあと、豪快な鼻をかむ音が響く。




「グスッ……。ゆっきーって呼んでもいい?」


「流れをぶった斬りすぎだろ」




 このノリの軽さ、やはりチャラ男なのか。


 唐突ではあったものの気軽な呼び方をしてもらえるのは嫌ではなかった。




「だめ?」


「ううん。好きに呼んでいいよ」


「やった!じゃあ俺のことも好きに呼んで!士朗でも、シロでも、しろちゃんでも!」


「なんかペットの名前っぽくなってきてない……?」




 こうして見ると横川は犬みたいだ。初めはちょっと警戒心強めだけど、打ち解けてきたら一気に心を開く犬。


 横川に犬の耳と尻尾が生えている気がする。俺が彼をどう呼ぶのかを今か今かと待っている様子は、ご主人の構い待ちをしている犬みたいだし。




「じゃあ、その……士朗」


「うんうん!あ、じゃあ次は連絡先交換しよ!」




 満足げに頷いたかと思えばサッとスマホを取り出す横川。


 さっきよりはつらくなさそうな様子にほっと胸を撫で下ろし、机の上のスマホを手に取った。


 横川と連絡先を交換したあと、ラインを開いたままあるアカウントとのトーク画面を開く。逆光でシルエットのように見せている横顔がアイコンになっているそれは、ブロック中の大毅のアカウントだった。


 右上のメニューボタンをタップ後、表示された「ブロック解除」を睨むこと数秒。


 俺は人差し指の先をそうっとそこへ押し当てた。

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