離れたあと
学校に登校した俺・吉崎行人は、席に着くなりスマホとワイヤレスイヤホンを取り出した。
写真や動画の保存先であるフォトを開き、その中からひとつの動画を選ぶ。
イヤホンを装着してから動画を再生した。
『ニャ〜』
鳴き声を聞いた瞬間、俺の口角は一気に崩れそうになった。
だがここでだらしない顔を晒すわけにはいかない。
周囲にさっと視線を巡らせる。
「昨日の『俺つよ』見た?」
「見た見た。前回のあの終わりからの……超熱かったよな!」
「最近見つけたインフルエンサーの子なんだけど、ちょっとエグいから見て」
「え、やっば。超ビジュ良い……!」
イヤホン越しに聞こえてくる会話の数々。
朝の教室には、もうクラスの半分の生徒が来ている。俺の席のすぐ横にも談笑している女子たちがいた。
さすがに人目があるところで締まりのない顔を晒したくはない。
それに自分のにやけ顔なんてキモいに決まってるし。
––––ユキの笑い方、なんかキモい。ニマァーって効果音聞こえそー。
––––好きなもの見てるときとか特にな。オッサンみてえ。
俺を見て鼻で笑った幼なじみたちの言葉が蘇ってくる。
彼らから離れても、彼らからもらった言葉はいまだに胸にこびりついている。
『ンニャ、ニャア〜』
暗い気分になりかけた俺の耳に、可愛い鳴き声が入ってくる。
そうだ、こういうときのための猫動画じゃないか。
我が家の飼い猫・マルの愛らしい姿に存分に癒されよう。
集中しよう、集ちゅ……。
「はよーっす」
「おはよぉ〜」
聴き馴染みのありすぎる二人分の声に、俺は集中を乱された。
……今日はいつもより来るのが早いな。
視線だけを動かすと、生徒が二人教室の中に入ってくるのが見えた。
髪を短く刈り上げて前髪を上げた爽やかな雰囲気の男子と、明るい茶髪のボブにスタイル抜群の華やかな女子だ。
「大毅、はよーっす」
「おはよ、芹夏!」
クラスメイトが二人のところへ集まっていく。
彼らが上位の存在だと示すような光景。
これが二人にとって––––大友大毅と佐々井芹夏にとっての当たり前だ。
「今日も仲良く登校かよー。羨ましいな、おい」
「ったく、からかうなって」
「そーそー。家が近いから嫌でも一緒になるの」
「とか言って〜。ほんとは手繋いで歩いてきたんでしょ」
からかわれても、こんなことは当たり前とばかりに自然に会話を繋げる大毅と芹夏。
さすが常にクラスの中心にいるカップル、と言うべきか。
二人はそれぞれ友人に囲まれながら自分の席へと向かった。
俺は幼なじみカップルから視線を外し、マルの動画を最初から再生した。
左隣から視線を向けられていることになんて、まったく気づかないまま。
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授業内容が中学よりも難しくなることは覚悟していた。
やっぱり大変なものは大変で、入学から一ヶ月経った今でも板書をとるので精一杯なところはある。
でも時間が長いようで短いという感覚は中学のときと変わらない。
気づけば四限の終わりを告げるチャイムが鳴っていた。
「吉崎。昼、一緒に食わん?」
教科書とノートを片付けていると、クラスメイトの窪洸樹に声をかけられた。
幼なじみカップルとそのグループ以外で、高校でそれなりに交流のある人間である。
俺が頷くと、窪は俺の前の空いた席に座った。
弁当を広げながら、俺は窪を見やる。
今日も後ろ髪が盛大にハネている。
「なんだよ」
「いや、今日も寝ぐせすごいなーと」
「え、今日もついてる?」
箸を持っていない左手を後頭部にやって、窪はため息をついた。
「今日は大丈夫だと思ったのに……」
「気づいてなかったのか……。もう一種の芸術作品みたいになってるぞ」
「うっわ。だから今日登校してきたとき、陽キャ女子がこっち見て笑ってたのか」
「チャームポイントってことにすれば?どうにもならなさそうだし」
「笑われてる時点でチャームポイントじゃねえんだよ……。あと諦めを促すな」
悩ましげな顔で弁当を食べる窪。
眼鏡をかけたいかにも真面目な顔とのギャップで、俺はいいと思うんだけどな。
絶対睨まれるから言わないけど。
「おっまえさあ、それはないって!!」
「マジでウケるんだけど〜」
教室の一角からどっと笑い声が起こる。
発生源は俺たちのいる場所から斜め左。男女混合のグループが固まっていた。
輪の中心にいるのは大毅と芹夏。
かつて俺も混ざっていたグループだった。
「うるっせえんだよ、クソ陽キャ共……」
舌打ちをこぼした窪が、幼なじみたちのグループを睨む。
他のクラスメイトや隣のクラスから来た生徒の中にも、迷惑そうにあのグループを見やる人がいた。
周囲の様子に気づくことなく、彼らは笑い声を大きくする。
席を立って笑いをとる奴もいて、教室中にほとんど騒音に近いものが響き渡る。
ギャッハハハハハ!!
キャハハハ!!
二人のグループにいたときのことを思い出す。
あのときも今みたいに騒がしくしてて、俺は「少し静かにしよう?」なんて言うこともせず。
見えていないフリをして、ぎこちなく笑っていた。
「………ごめん」
心の中で呟いたのと、教室の扉が開いたのはほとんど同時だった。
「––––あ」
誰かが思わずといった声を発した。
ついさっきまで騒がしかった笑い声がぴたりと止み、クラス中の視線が一点に集中する。
視線の束を浴びているのは、扉を開けた背の小さい女子生徒だった。