綻び
〈芹夏side〉
どうして。なんでこうなったの。
外に出てきて間もなく感情が爆発した。
「うう……っ」
ボロボロと涙が溢れてくる。
家まで遠くないはずなのに歩幅はとても短かった。
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数十分前。
学校帰りにいつものグループで近くのファーストフード店に寄る流れになり、しばらくして私と大毅は彼らと別れた。昼から二人きりで過ごす予定が崩れてちょっと残念に思ったりしたけど、大毅が私の好きなところに寄り道させてくれたおかげですぐに気分は晴れた。
現在いる場所は大毅の家。まだ家の人が誰も帰ってきていないことと、久しぶりに来たこともあってちょっと落ち着かない。
「飲み物とってくるな」
「ありがと〜」
大毅が飲み物の準備に向かったあと、リビングのソファでスマホを開く。
実は久々のお家デートになったことを少し心配していた。
デートの話になると大毅は家で過ごすことを提案してくることが多かった。最初はわからないまま同じ提案を受け入れていたけど、次第にその理由が「エッチができるから」だと気づいた。
大毅とのそういう行為が嫌なわけじゃない。ただ、最終的にそればっかりになっているのはさすがにいけないと思ったのだ。
だって恋人ならもっといろいろなことをして、楽しみを共有するものだと思ってたから。
じゃあなんで今日は家デートを受け入れたのか。
この前私が大毅の気持ちを疑って危うく喧嘩になりかけた罪悪感からというのと、もうひとつ。
大毅がそういうことをしたいという雰囲気をまったく出してこなかったから。
喧嘩になりかけたあの日から、大毅は仲直りしたときの優しい彼のまま。
本当にそういう気は起きないのか念を押しそうになったけど、また大毅を疑うみたいになりそうで我慢した。彼に悲しい顔をさせてしまったことはいまだに引きずっている。
「ほい、どーぞ」
「どーも〜」
渡されたコップに入っている炭酸飲料を一口飲む。私が好きなグレープ味だ。
私たちはテストで自信がある教科とない教科を話したり、ファストフード店でも盛り上がった東のやらかしエピソードでまた笑ったりした。
ひとしきり話したあとジュースを飲んだ大毅が口を開いた。
「あのさ、芹夏。オレのこと好き?」
「急に何ー?」
「いや、いつも芹夏がオレに対しての気持ちを示してくれてるのはもちろんわかってるんだけどさ。改めて聞いてみたくなって」
「ええ?恥ずかしいなあ〜」
わざと身体をもじもじさせれば、大毅は「頼むって」とじっとこちらを見つめてくる。ああもう、ずるい。
小さい頃からずっとずっと想い続けて、中三で告白してから付き合っている今もその気持ちは膨らんでいる。
私はとびっきりの笑顔でそれを口にした。
「––––好き。大毅のこと、すっごくすっごく好き」
ちょっと恥ずかしいけど、どうってことない。
だってほら、大毅がこうして恋人限定の甘い笑みを向けてくれるから。
「それ、どのくらい?」
「え?」
「オレのためなら何でもできちゃう〜、ってくらいかってこと」
そんなの、答えなんて決まりきってる。
私の頬を撫でる大毅の手をきゅっと掴んだ。
「当ったり前!大毅のためなら何でもしちゃうんだから」
大毅と付き合う前からずっとそのつもりでいた。彼と結ばれるのは、幼なじみで可愛い私だと信じて疑わなかったから。
この先も一緒にいるために、大毅に私を好きでいてもらうために、私にできることなら何でもする。
たとえ女友達が多くても、学年の中でも人気の高い子がいても、大毅が最終的に選ぶのは私。嫉妬して大毅を困らせちゃうこともあるけど、そう信じているからこそ激情をうちに内に留めることができていた。
大毅のためなら、私は––––。
「だよな。芹夏ならそう言ってくれるって思ってた」
「大毅……」
「オレも好きだよ、芹夏」
大毅の整った顔が近づいてきて、そっと瞼を閉じる。
お互いの指が絡まっていくのと同時にキスも深くなっていく。
ピクッと反応した身体に温もりが添えられ、それが大毅の手だとすぐにわかった。
その手は腰から上へとなぞるようにのぼっていく。
えっ?
「ま……待って大毅」
「ん?」
「何、しようとしてるの?」
「何って……」
身体が後ろへ傾き、背中がソファに沈む。
大毅の顔を見上げる形になって押し倒されたことに気づいた。
「わかるだろ?」
優しい笑みを浮かべたままの大毅にゾッとした。
大好きなはずなのに、怖いなんて。
「ここんとこしてなかったし、お前も溜まってるだろ?」
「……え、や、私別に」
「それにこの前、お前のことかなり不安にさせてたってわかったからさ。これならちゃんとわかってもらえて、不安も消せると思って」
「それならほら、一日デートが増えたほうが嬉しいし!こんなことわざわざしなくたって……」
「こんなこと?」
少しだけ低くなった大毅の声にビクリと肩が跳ねる。
笑ったままなのに目は冷たい。
ぐっと顔が近づけられ、思わず息を呑んだ。
「お互いの気持ちをしっかり確認するのは大事だろ?……オレのためなら何でもしてくれるって言ったじゃん」
あ、と小さく声が漏れる。
たしかに私はそう言った。言ったけど、こういうことは除いてという意味だった。流されてばかりいたら身体だけの関係みたいになりそうで、それが嫌で。
……でもここで断ったら、本当に嫌われてしまうんじゃないか。
テスト前に気まずくなりかけたのを思い出す。
私がそういう行為を避けるようにしていたのを大毅もわかっていて、それでもずっと堪えていたんだろう。だからちょっと強引になっているのかもしれない。
それにあの子……齋藤衣乃にまた近づこうとして、うまくいかなかったことでイライラしていた。皆の前では取り繕っていたけど私にはわかる。
「……」
身体から力を抜くとこっちの意図が伝わったのだろう、大毅は笑みを深くしてから私の首筋に唇を寄せた。
ボタンが外されたブレザーの中に手が侵入し、シャツの上をゆっくりと這う。私の胸に届いた指がシャツ越しに浮き沈みを繰り返す。
私は目を瞑ってじっと堪えていた。
その手がスカートの中に伸びるまでは。
「––––っ、やっ……‼︎」
激しい嫌悪感に突き動かされ、私は大毅の身体を思いきり押した。
よろけた大毅の横を抜けてソファから距離を取る。
「……芹夏?」
「あっ、あの……っ」
大毅に呼ばれてハッとする。
やってしまった。
こんなことしたら大毅がどんな反応をするか想像できてたのに。
下着に触れられた瞬間ぞわりと肌が粟立って、反射的に拒絶してしまった。
どうしよう。そればかりが頭を巡っているときだった。
「オレのこと、受け入れてくれないんだ」
トーンが一気に下がった声に身体が固まる。
その声はさらに私の心臓を凍りつかせた。
「一旦距離置こうぜ、オレら」
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……あのあと、何度謝っても大毅は態度を変えなかった。
望む通りにするからとすがっても「もう萎えた」と冷たく見下ろすばかりの彼を見て、完全に失望されたのだとわかった。
「……大毅……」
茜色に染まる道に伸びていた影が縮まる。
膝に顔を押しつけ、泣き続ける。
大毅に嫌われたかもしれない。別れを切り出されてしまうかもしれない。
この前消えたはずの不安が倍になってぶり返してきて、身体が震える。
やだ、やだやだやだやだ。そんなのやだ。
ブレザーを掴む手に力がこもった。
「あの、大丈夫ですか?」
ふいに声が降ってきた。知ってる声だ。
他の人だったら絶対に顔を見せることはしなかった。今の顔はメイクも崩れて大惨事だろうし。
でもあいつだったから自然と顔を上げていた。
「……芹夏?」
飽きるほど見慣れた気弱そうな顔が、そこにいた。




