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欲しかった言葉


 少人数教室には俺たち以外に人はいなかった。三人分の教科書をめくる音やノートに問題の解答を書く音が静かに室内に響いている。


 他には廊下を歩く生徒の足音や話し声がかすかに聞こえてくるくらいで、勉強の妨げになるものは一切ない。


 


 俺と窪が隣り合わせ、齋藤さんがこちらに向かい合うようにして机を設置した。


 窪はテスト範囲の問題を倒していくのに必死であるのと、学年でも有名な小動物系美少女と向かい合っていることに緊張していて話すどころではなさそうだった。


 齋藤さんは表情を一切変えず、黙々かつスイスイと問題を解いていた。話しかけたら邪魔になってしまうだろうから、窪に余裕がなくてある意味よかったと言える。


 俺はもちろん集中できている。……とは言い難かった。




 勉強に取り組んでいないわけじゃない。


 ただ、あることが原因でたまにシャーペンを持つ手が止まり、問題文を理解するのにかなり時間を要してしまっていた。




 ––––それにお前、オレと芹夏がいないとわからないとこ多いだろ。昔から勉強得意じゃなくて、オレらに泣きついてきたもんなー。




 ここに来る前に大毅から放たれた言葉を、もう何度も思い出してしまっている。


 あんなでたらめを言ってまで齋藤さんと近づこうとするなんて、どう考えてもおかしい。


 齋藤さんが好きで行動しているならまだわかる。だがあいつがそうするのは自分の男としての価値を上げるためで、そもそも恋人の芹夏がいるのだ。


 長い付き合いであるはずの彼がわからない。


 それに……。




「……き、吉崎!」




 呼ばれていることに気づき、取り組んでいた問題から顔を上げる。


 俺の右に座っている窪が不思議そうにこちらを覗き込んできていた。




「……ごめん。何?」


「いや、なんかボーッとしてたから。眠くなった?」


「眠くないよ。ちょっと雑念が入ってきたというか」


「じゃ、ここら辺で休憩するか」




 窪が少人数教室の時計を見やり言った。


 始めてから一時間近くが経過していたらしい。




「齋藤さんはどうする?」


「……一旦休む。だいぶ進んだし」




 一応聞くと、齋藤さんは小さく息をついた。


 俺たちは休憩タイムに入り、それぞれ飲み物やお菓子を取り出す。


 齋藤さんが出したのは長方形の長い箱で、そこから細いスティック状のスナックをつまんで食べ始めた。小さい口でポリポリとスナックを齧る様子に細長くカットしたにんじんを食べるウサギを想像しながら、グレーの水筒に入った麦茶を一口飲む。


 それだけで水筒が急に軽くなった。




「ちょっと飲み物買ってくる」




 二人にそう言って席を立ち、少人数教室を出てすぐの階段を降りる。一階の昇降口前に自動販売機はあった。横に並ぶ飲み物を眺めて少し悩んでから冷たいカフェオレのボタンを押す。


 グループにいた頃、人数分の飲み物を買いに行かされて誰が何の飲み物か間違えないようにしていたら自分の分だけ忘れていた、なんてこともあったっけ。


 そんなことを思い出しながらカフェオレを取り出そうと手を伸ばすと、横に誰かが立ったのが視界の端に映った。




「齋藤さん?」




 俺が彼女の名前を呼んだ直後、ピッと飲み物のボタンが押された。


 受け取り口に落ちてきたのは通常よりも小さめの緑茶のペットボトルだった。




「飲み物持ってきてなかったから」




 そう言って緑茶を取り出す齋藤さん。


 そういえば彼女だけ飲み物を出していなかった。食べていたお菓子はしょっぱいから喉が渇くことを考えたんだろう。




「……さっき休憩入る前、何考えてたの」




 視線だけを俺のほうに動かしながら齋藤さんが唐突に言った。


 見られていたのかという驚きと何かを探るような言い方への動揺で、一瞬ギクリと全身が強張る。




「勉強してたときのこと?あれは難しい問題が続いて、解くのに時間がかかってて」


「たった一問しかノートに答え書いてなかったけど」


「え、うそ。見たの?」


「カマかけてみた。本当に進んでなかったんだ」




 墓穴を掘るような形になってしまい、口を開けたまま固まる。


 ちょっと驚いたように言う齋藤さんの表情は依然として無だった。感情が読みにくい齋藤さん相手に誤魔化しはやめたほうがいいかもしれない。




「……少人数いく前、大毅が一緒に勉強しようってしつこく言ってきたじゃん?俺が勉強得意じゃないとか泣きついたとか、そんな嘘まで理由にしてたのがなんか……嫌だったなって、ずっと考えちゃって」




 視線を斜め横にずらしながらポソポソと話す。


 どれだけ馬鹿にされようと、昔からの仲であることに変わりはなくて思い出だってある。自分の一部を偽られたうえに利用されたことを受け入れたくない俺と、なぜこんなことをするのかと憤る俺がせめぎ合っていた。




「……齋藤さん」




 横を向いていた目を齋藤さんに向ける。


 俺を見上げるくりっとした愛らしい瞳と目を合わせて数秒後––––彼女に向かって頭を下げた。




「ごめん。幼なじみとして、俺が大毅にちゃんと言っておけばよかった」




 これも頭の片隅にずっとあったことだ。


 好きどころか興味すらない相手から何度も言い寄られるなんて、迷惑以外の何ものでもなかっただろう。


 また不快な思いをさせてしまい申し訳ないという思いが強まる。


 大毅に対してようやくはっきり意見したのがさっきだという事実が、ただただ情けない。




 齋藤さんは黙ったままだ。


 文句を言われても仕方がないことだと、俺は頭を下げたまま彼女の言葉を待つ。




「……顔上げて」




 真正面からぶつけられることを考えながら頭を元の高さに戻す。




「別に私、吉崎を責めるつもり微塵もないんだけど」




 再び口を開いた齋藤さんはそう言った。


 え、と声を漏らす俺に彼女は続ける。




「私がしつこいって言ってもまた来たし、吉崎が言ったところで聞かなかったと思う。それに吉崎、強く言えるほうでもなさそうだし」


「ご、ごもっとも……」


「あと、幼なじみだからっていちいち気にかけることないでしょ。嘘ついてまで彼女以外の女子の気を引こうとするような奴は特に。そいつの言葉を気にするのも時間の無駄」




 珍しく長くズバズバと言った齋藤さんが一度そこで区切り、ふうと息をつく。


 丸い瞳が再びまっすぐ俺を見据えた。




「……だから、吉崎が謝ったり傷ついたりする必要ない。少人数行く前にあいつにうまいこと返してたし、それで十分」




 無感情にも聞こえる淡々とした口調はいつもと何ら変わりない。


 その言葉は俺の胸を突き、ゆっくりと染み込んでいった。陽に照らされて地面に溶けていく氷のように。


 俺が心のどこかで望んでいた言葉のあまりにも温かさに、胸元をギュッと掴む。


 泣きそうになるのを堪えながら紡いだ「ありがとう」はちょっと震えていた。



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