第七章 ― 零
翌朝、目覚ましが鳴るよりも前に目が覚めた。
眠りは浅く、身体は鉛のように重い。それでも、きちんと整った寝具の感触と、空調の行き届いた部屋は、少しだけ現実味を取り戻させてくれた。
身支度を済ませ、指定された時間にロビーへ向かうと、昨日と同じように制服を着たスタッフが待っていた。機械的な笑みと丁寧すぎる案内。慣れないまま誘導されて、面談室らしき一室に入る。
そこには、見覚えのある顔がひとつだけあった。
「……飛翠?」
「おはようございます。昨日ぶりですね」
彼は、昨日よりも少しだけ表情が柔らかくなっていた。 その微妙な変化に、私はほんの少しだけ、安心した。
「今日は、正式な“観測記録”の確認と、スキャン結果の開示があります」
そう言って、テーブルの端末に何かを操作する。すると、ホログラムが起動し、私の名前と、生年月日、そして――「観測記録No.0」という文字が浮かび上がった。
「……え? なにこれ」
「あなたの“魔素スキャン”の結果です。観測記録No.0。 この分類は、私たちの記録の中でも“前例がない”ことを示します」
「……それって、どういう――」
「言葉通りです。過去に例のない構成、出力傾向、反応速度。 端的に言えば、あなたの魔素構造は“魔法界の物理法則”に最も適応している、けれど“こちらの世界で生まれた人間ではない”という矛盾を抱えています」
私は思わず笑ってしまった。 笑うしかなかった。
「……そんなの、私に説明されても分からないよ。物理法則? 出力? 適応? こっちは、昨日まで普通の会社員してたのに……。こっちの世界のことなんて、ひとつも知らないのに……!」
「……ですよね」
飛翠は、意外にもすぐに同意した。
「すみません。こちらも、今回の事例は特殊すぎて……。帰還事例も、確かに記録上は“いくつか”存在しますが、それらはいずれも“帰還可能”という保証はありません。むしろ……」
「むしろ?」
「“帰還しなかった”者がほとんどです。 理由は……様々ですが、多くは“こちらの世界で役割を持ってしまった”から」
沈黙が落ちる。
私は指先に力を込めて、膝の上の布を握った。
「……じゃあ、私はどうなるの?」
「それは、あなた次第です。ただし――」
飛翠の表情が、ほんの少しだけ固くなる。
「――今後、あなたにはいくつかの“選択肢”が提示されます。 その選択をする前に、この世界を知ってほしい。魔法がどういうものか、社会がどう動いているのか、そして“あなた自身が何を持ってしまったのか”を」
私は、そっと息を吐いた。 知らないことばかり。でも、確かに、昨日より少しだけ――“何か”が形になってきた気がする。
「……案内してくれる?」
そう問いかけると、飛翠は小さく頷いた。
「はい。最初に訪れていただくのは、“学術構成管理局”です。 ……あなたの記録が、最初に登録された場所でもあります」
私は、ゆっくりと立ち上がった。
現実は、もうとっくに日常を手放していた。 ならば、この異常の中に、ほんの少しでも意味を見つけていくしかない。