第五章 ― 見知らぬ世界へ
仮登録が終わる頃には、外の空はすっかり群青に染まっていた。建物の外に出ると、まるで街そのものが光で編まれているようだった。
「こっちです。少し歩きますが、短距離移動艇が待機しています」
飛翠が静かにそう言って歩き出した。私は無言でついていく。
(……これが、この世界の夜)
見上げれば、漆黒の空に、星ではない光が瞬いている。たぶん、人工衛星か浮遊型の照明装置なのだろう。ビル群はどれも現実離れした形をしていて、曲線と光を織り交ぜたような構造は、まるで生き物のように見えた。
街を行き交う人々も、特別な衣装ではなかった。誰もがラフな格好をしていて、制服でもなく、ローブでもない。ただ、どこか共通しているのは、皆が「何かを纏っている」ように見えることだ。手首の金属的なバンド、首筋に浮かぶ光の文様。機能性と装飾が混ざったような……そんな空気。
「ねぇ……さっきから気になってたんだけど、魔法って、本当にこの世界にあるの?」
思い切って尋ねてみた。
飛翠は少し歩みを緩め、私の方を見た。
「ありますよ。こちらでは“存在していないもの”の方が稀です」
「じゃあ、その……誰でも使えるの?」
「いえ。使うには、“回路”が必要です。生体的な素養、つまりあなたの魔素適応度が高ければ高いほど、より多くの魔法系統にアクセスできる」
「回路って……体にあるの?」
「正確には、“素体”に内包されているエネルギー伝達領域です。まあ、言葉で説明するよりも――」
彼がポケットから何かを取り出した。
それは、まるでシンプルなメタルペンのようだった。表面には微細な紋様が刻まれていて、手の動きに合わせて、柔らかな光を放っている。
「これも、“杖”です。たぶん、あなたが想像しているものとは違うでしょう?」
「え……でも、これって、ただのペンみたい」
「素材はチタン合金と一部魔導樹脂。内蔵された触媒が魔素の経路を強化します。形は用途に合わせて自由ですよ。誰が“棒に宝石をつけたら魔法になる”って決めたんでしょうね」
そう言って、彼はその杖を軽く振った。
すると、目の前の空間に青白い線が浮かび上がり、そこに立体的なマップが展開された。まるで空中に投影されたホログラムのような地図。その中央に、赤い点――たぶん、今の私たちの場所――が点滅している。
私は目を見開いた。 言葉が出なかった。
「……あの。ひとつ、聞いてもいい?」
「どうぞ」
「私、本当に……帰れるんだよね?」
飛翠は、黙った。 その沈黙は、今までで一番重かった。
「……可能性はあります。ただし、それに関わる技術や情報は、厳重に管理されています。あなたが安全に生きて、ある程度の社会的基盤を得なければ、アクセスできないものも多い」
「つまり、“役に立つ人間になれ”ってこと?」
「言い方が冷たいですね。でも……近いかもしれません」
私は唇を噛んだ。 まるで、自分が“データ”になったみたいだった。
そのとき、飛翠の通信端末が軽く振動した。彼はすぐに確認し、小さくため息をついた。
「すみません。用意していた移動艇が予定変更です。少し歩いて隣区のステーションに出る必要があります」
「うん……わかった」
私は自分でも驚くほど、素直に返事をした。 不安も、怖さもある。けど今は、立ち止まるわけにはいかない。
だって私は、帰るために、ここに生きるしかないのだから。
飛翠が少しだけ表情を緩めるのが見えた。 彼の目は、相変わらず何かを隠している気がしたけど――その奥には、かすかな信頼のような光もあった。
そして私たちは、光の街の中へと歩み出した。