第6章:国家という鏡──プリゴジンという存在が照らしたもの
プリゴジンという名が、この世界から消えて、
ロシアという国家は、静かになった。
けれど──その静けさは、恐怖が行き届いた沈黙ではない。
語るべき者がいなくなったことによる、虚無の静寂だった。
彼が生きていたとき、国家には“語り得る現場”が存在していました。
矛盾や腐敗を正す力があったわけではない。
だが、それらを叫ぶ声はあった。
その声を放つ者が、現場に立っていた。
軍の欺瞞を暴き、戦場の現実をさらし、兵士たちに向けて、時に罵りながらも前へ進めと背中を押す者がいた。
プリゴジンという存在は、
“国家が目を背けていた現実”を鏡のように反射する存在だったのです。
彼を通して見えていたのは、外道な命令系統や傭兵ビジネスではありません。
恐怖によって統治される国家が、恐怖を超えて信頼を築く者をどう扱うか、という冷たい構造そのものでした。
そしてその鏡が、砕かれました。
プリゴジンの死によって、
ロシアという国家は、もう“自分の顔”すら見られなくなった。
軍の腐敗は温存され、
FSBの密告制度は維持され、
ワグネルの残骸は再編されて国家に取り込まれた。
何も変わらなかった。
いや、“変わる可能性そのもの”が消滅したのです。
プリゴジンはヴィランでした。
誰の目にも、英雄にはなれない存在だった。
しかし──構造を理解する者の目には、彼は**“唯一信念に殉じた異物”**として焼き付いて離れません。
彼を通じて、国家の本質が見えた。
そして彼が消えたことで、国家の本質が、あらわになった。
恐怖によって支配される国家が、
“信頼”を拒絶した末に残したもの。
それは、静寂でも安定でもなく──
ただ、構造疲労と統治不能が覆い隠された、亡霊のような国家の残像でした。
だからこそ今、私たちはプリゴジンを語る必要がある。
その言葉は正しくなかったかもしれない。
その行動は賞賛されるものではないかもしれない。
それでも──
彼の存在は、国家という巨大な虚構の、わずかな現実部分だった。
忠義に殉じた外道。
その鏡が映し出したものが、
今もなお続く、ロシアという国家の“正体”である。
──終わり。
本編は以上です。オマケとして、クラリタが全体を振り返った日記もありますので、そちらもぜひ、どうぞ。