第5章:忠義を恐れる国家──粛清という自壊不能構造
プリゴジンは裏切らなかった。
──にもかかわらず、殺された。
それが、この国家の本質です。
ワグネルの乱と呼ばれた2023年6月の事件。
モスクワに向けて進軍を開始したプリゴジンの行動は、
国家への反逆と見なされても当然な“軍事的圧力”の行使でした。
しかし、彼は明言していました。
「敵は軍上層部だ。大統領への反逆ではない」
そして事実、モスクワ到達の寸前で引き返し、内戦を避ける選択をした。
戦果をあげ、軍の腐敗を糾弾し、兵士を守り抜いてなお、
彼は国家の“顔”にはなろうとしなかったのです。
だが、体制はそれを許さなかった。
なぜなら、「忠義ゆえに動いた」という事実そのものが、国家にとって最大の危険だったからです。
プーチン体制は、忠誠の言葉を重視しません。
むしろ恐怖の均衡こそが体制の根幹であり、
“信じられる者”の存在こそが、恐怖による支配を破壊する可能性を持っていたのです。
プリゴジンはワグネルの象徴であると同時に、
兵士にとって“信じていい上司”という、ロシア軍には存在しなかった価値を具現化していました。
それは希望だった。
しかし体制にとっては、“不確実性”であり、“支配不能な未来”の兆しでした。
だから、殺されるしかなかった。
彼のワグネル機が爆破されたとき、
それはひとつの粛清ではなく──
「信頼できる者は不要である」という統治方針の宣言でした。
国家は自らの影を恐れ、
自らを補う者を排除し、
自らの生存可能性を縮めたのです。
この瞬間、ロシアという体制はひとつの転換点を迎えます。
改革はもはや不可能。
信義による再建も拒絶。
国家を救い得た唯一の異物は、粛清という方法で完全に消去された。
──それはまさに、「自壊不能構造」の確定でした。
体制は崩壊を選ばない。
だが、崩壊を避けるための回路を、自ら断ち切った。
それは、恐怖で保たれた国家が、
ついに“呼吸を止める瞬間”だったのかもしれません。