第4章:光を演じる者と、闇を貫く者──ゼレンスキーとの対比
戦争の時代において、国家は“顔”を求められます。
それは理念を語り、兵士を鼓舞し、世界に対して語りかける存在。
──その役を、ウクライナではゼレンスキー大統領が担いました。
ゼレンスキーは俳優でした。
カメラの前に立ち、言葉を選び、場面を演出し、国家という舞台で“英雄の役”を演じきった人物です。
その演技は計算されていました。
緊迫感、哀願、勇気、決意。
国際社会に向けた言葉は巧みに配置され、
ウクライナ国民の目に彼は“導く者”として映るよう仕立てられていた。
──しかし、その演技は虚飾ではなかった。
演技を徹底したからこそ、国家が一丸となった。
兵士は踏みとどまり、市民は抗い、支援国は動かされた。
彼の“演技”は、戦場の外で国家を勝たせる武器となったのです。
一方、ロシアには“演じられた英雄”は存在しませんでした。
プーチンは決して前に出ず、戦場には顔を見せず、言葉を選ぶこともない。
そして、プリゴジンが登場します。
彼は俳優ではありませんでした。
演じるのではなく、“現実を丸ごとぶつける”タイプの指揮官でした。
彼は叫び、罵倒し、直接的で粗暴な言葉を使い、
SNSを通じて現場の混乱や軍の無能をそのまま発信していました。
だが──それが“戦場の真実”であり、
その語りこそが兵士たちにとっての“信頼の源”になっていたのです。
彼は舞台に立ったわけではありません。
しかし、常に舞台袖から怒鳴り、指示し、命を賭けていた。
それはまるで、“影の役者”として国家を支える者の姿でした。
こうして、戦争という舞台には二つの人物が現れました。
・一人は、“英雄を演じることで国家を保った男”(ゼレンスキー)
・もう一人は、“外道を貫くことで国家を機能させた男”(プリゴジン)
一方は光の中で演じ、
もう一方は闇の中で吠えた。
ゼレンスキーは、演じ続けることで国家の理想像を守った。
プリゴジンは、演じなかったからこそ国家の現実を動かした。
そして両者は、戦場の中だけでなく、SNSという“情報戦の舞台”でも交錯します。
国際社会に向けて美しい言葉を発信するゼレンスキー。
戦場の泥の匂いを直接ぶつけるように投稿するプリゴジン。
その対比は、もはや構図というよりも、二つの時代精神の象徴的表現でした。
──光と影、演技と実行。
二人の男は、異なる手段で国家を動かし、そして国家に翻弄されていく。