剣豪少女 受肉受難
ズゥン……!
「……うむ!」
明朝。
ここは八つの山を登り、八つの谷を下った先にある、とある尾根の獣道。
そこを塞ぐ、およそ身の丈等倍以上はある大岩。
そいつをサパリとぶった切り、少女は満足げな唸り声をあげた。
袴にさらし。腰には大ぶりの打ち刀。ざっくばらんに髪を散切り。かっかかっかと笑い飛ばす。
名は、八戸帝。聞きしに及ぶ、裂叱一釖の総本山である。
元の世界の日ノ本で、その名を知らぬ者はいなかった。鬼無双など、蛮夫剣王など、いろいろ呼ばれたモンである。もっとも、今の世界では、また別の名を轟かせているのだが……。
「うむ。うむうむ!」
とにかく、八戸帝はご機嫌だった。
あてどなく世を行脚し、廻り廻ってこんな場所まで来てみれば、意外や意外。斯様などデカい大岩と邂逅できたのだ。
これは斬らなば無粋というもの。
八戸帝は迷わずぶった切った。刃が折れるやも。そんな無粋な危惧はしない。
この世は斬るか斬られるか。斬るは自身をおいて他になし。
それこそが、剣豪少女八戸帝の裂叱道。主義信念なのだ。
「『いぶ』……いや、『いび』だ。威坂!」
大岩のつるりとした断面を見て、八戸帝は技の名前を考える。
「威」圧感のある「坂」のようだから、威坂。
言葉の成り立ちなんぞはどうでもいい。大事なのは「音」だ。八戸帝裂叱一釖、全ては叫んだ時の気持ちよさで決まる。
「威坂ァ! うむ! 気持ち良い!」
道なき道の獣道、木漏れ日を浴びて、謎の奇声を発する和服の剣豪少女。
「名付けて、威坂二重一釖斬! 裂叱ァ! 威坂二重一釖斬ッッッ!」
少女の叫び声は山を裂き、高く昇って空を割る。
その圧たるや、冬眠から飛び起きた熊ですら、慌てて道を譲る始末だった。場所が場所なら、音の波動で雪崩がおきたっておかしくはない。
「……む?」
しかし悠々と仁王立ちする彼女の目に、ふと、あるものがとまった。
「っ……! ううっ!」
剣豪少女、八戸帝。徐に落涙。
鞘に納めた刀を杖に、枯葉の地面に膝をつく。
自分の口上に感極まった、とかではない。そういう日もあるが、今日は違う。
「また髪をッ……! 斬ってしまったッ……!」
彼女の涙の落ちる先には、一房の黒い髪束。長い時間をかけて、丁寧に丁寧に伸ばした髪だった。
元の世界では、蛮勇として名を轟かせた。しかし今や異世界くんだりに生れ落ち、なぜか少女の体を受肉した。
八戸帝、中身はバチバチのおっさんである。
しかし八戸帝は粋だった。
春は桜を嗜む。夏は蓮華を嗜む。秋は紅葉を嗜んで、冬は寒椿を嗜む。ならば異世界では、少女を嗜むのが粋であろう。
少女と言えば髪である。長く、つややかで、「艶」の一字を呈さねばならぬ。
それは八戸帝の信念であり、ありていに言えば性癖だった。
だから丹念に髪を育てた。毎日水浴びして、櫛もワケわからんぐらい高いのを買った。
しかし八戸帝は剣豪だ。
抜群の動体視力と、目に映る異物を脊椎で「斬る」と判断してしまう、あまりに剣呑な動物的本能を有していた。
「この髪が……! 視界に入るたび、ちらちらとしてッ……!」
斬っちゃう。
そう。斬っちゃうのである。
我がの単純さが嫌になる。この世は斬るか斬られるか。斬るは自身をおいて他になし。
しかしあろうことか、自分で自分を斬ることになろうとは、思いもしなかった。
おかげで自分の髪は、まるできしめんみたいな散切りだ。これでは「艶」には程遠い。「麺」だ。
「くっ! いったい、どうすればッ……!」
齢、しめて七十はある八戸帝。剣に生きた人生で、「斬れない」に悩んだことは数多かれど、「斬ってしまう」で悩んだことは一度もない。
「こ、このままでは……」
そして、裂叱一釖八戸帝。
今、生来初の恐怖を抱いていた。
彼女、いや、彼の視線の先には、二つの肉の突起。乳房である。
決して豊満ではない。しかし確かにそこにある。
「我がの乳をッ……!」
斬っちゃうかも――しれないッ!
八戸帝の放つ鬼の気が、ぐわりと揺らめいた。
鳥たちは声を枯らし、一目散に蜘蛛の子を散らした。
ざわめく木々の哀れな細枝が、ピシリと音を立て裂けた。
冬眠明けの熊は、穴ぐらに引っ込んで二度寝した。
あまりに……笑えない。
稀代の大剣豪、裂叱一釖総本山……我がの乳を、うっかり斬る。
一生の恥だ。守りたい髪の毛すら守り切れず、あろうことか自らの肉体を切り刻む。悲しき剣豪少女、八戸帝。歴史に名を遺す与太者として知れ渡る。
二つ名がつくとしたら、さながら「片乳の八戸帝」……!
絶対に嫌だ。そんな滑稽な名など、歴史に遺すことができようか!
「ッ……!」
「こんなモノがあるから」と、八戸帝は徐に胸を鷲掴む。
「……柔らかい」
そう。しかし胸は柔らかい。それだけだ。そこに罪などはないのだ。
その事実が……ッ! どれほど、どれほどやるせないことか!
いっそのこと、バルンバルンの巨乳であればよかった。体裁きに影響が出るし、自然と胸を意識した立ち回りになったやもしれぬ。
しかしどうだ! 下を見れば、断崖絶壁……空っ風が吹きすさぶ。
――否。
無いなら無いで、また一興だった。
だがまあまああるのだ! サラシで抑えても、すこし盛り上がる程度にはあるのだ!
これがもうッ……! 剣を振るときにちらちらちらちら――
「ァァァァァッッッ裂叱ァッ! 威坂二重一釖斬ンンンッッッ!」
――ズゴォッ! ガッ! ザァッ!
目の前の大岩が二重から四重、四重から八重、二十重、四十重となり、やがて砂塵へと帰す。
しかし、八戸帝は止まらない。斬れば斬るほど我がを斬る。そんな己の未熟さを、認めたくはなかったのだ。
見境なき殺人剣。
我がを切り裂く狂気の剣。
……逆に、考えるのだ。おあつらえ向きであると!
そう、面白い!
登りに登った釖の天辺……!
そろそろ見飽きた頃だった。
そこに現れた敵が! よもや、自分自身だったとは思うまい!
「裂叱瞬釖……!」
森が、静まり返る。まるでこれから起こる全てを、予期していたかのように。
この技は……まさしく必殺。食らえば、自分とて死は避けられない。
この技に、己の命を賭ける。胸が散切りになるならば、所詮、そこまでの剣豪だったということ。
「落花春来ッ……!」
裂叱御前の大奥義。
曰く、その剣筋は花を落とす。
さながら、春ここに至れりとばかりに。
「――寒椿ッッッ!」
無音
しかしやがて、ぼと、ぼとりと。
そしてざわと、ざぁざぁと。
切り刻まれた枝葉の一つ一つが、夕立のように降り注ぐ。
ひらりと宙を泳いだ枯葉は、水平にさっくり切り裂かれ、薄い二枚となって地に落ちる。
枝は土と衝突するやいなや、「パキャッ!」と軽快な音を鳴らして、三つへ四つへ切り裂かれ、再び三度と地を跳ねる。
これこそが、裂叱御前の大奥義。
――――
東西東西、御覧じませ御一行。
一世一代、夜もすがら。
夢見潰へぬ剣舞踊。
お相手は八戸帝裂叱一釖。
宗右衛門が仕り候。
斬った張ったはご愛敬。
裂叱咲花の、独壇場……!
「我こそがァ! 裂叱一釖総本山ッ! 剣豪少女、八戸帝ッッッ!」
少女。剣豪少女。吠える。
これは決して奇声などではない。
魂の、叫び。
「生きに永らえ七十年! 剣に生き、剣に命を賭してきたッ!」
この山に今、少女八戸帝は誓いを立てるのだ。
八百万なんでもござれ。耳があるなら聞くがよい。
私はついぞ己に勝ったのだ。その勝鬨を、しかと聞くがよい!
「この胸は刃なり! 我が剣は心なり! 決して斬れぬ。斬るは八戸帝をおいて、他になしッッ!」
――バシュッ!
「あ」
鮮血。
高く昇ったひだまりを背に、七色に光る、赤き飛沫。
「き――」
二の句をあげる暇もなく、剣豪少女は頽れる。
森に、平和が
訪れた。
その後、髪を一つ結びにして、胸のさらしに鉄板を巻いた八戸帝の姿が確認される。
彼女はその変化のワケを頑なに説明しなかった。が、その顔は、どこか晴れやかにも見えたのだった……。
(おわり!)
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原作: 「完全『無歓迎』異世界転生」→https://ncode.syosetu.com/n0606jy/